日記





この3週間というもの、愛する人を追いかけて大阪に行ったり、一晩中大阪の街を歩き回ったり、大阪の喫茶店の素晴らしさに打ちのめされたり(完璧なコーヒー! 完璧なサンドイッチ!)、落語を聴きに行ったり、仕事に明け暮れたり、デリシャスウィートスのイベントに参加したり、最愛のバンドの活動停止前最後のライブを聴きにいって涙したり(「ダイナマイトとクールガイ」をナマで聴けた!)、メンバーが6人に増えた落語同好会に「阿佐ヶ谷居残り組」と命名し忘年会を開いて大いに騒いだり、自宅以上に落ち着く阿佐ヶ谷の喫茶店兼バーでやっぱり連日飲んだくれては根本敬の漫画を堪能したりしていたら、あっという間にクリスマスを迎えてしまった。



ほんとうは愛する人にクリスマスにかこつけてあるものを贈ろうとしていて、愛する人もそれを知って喜んでくれていたのだけれど、愛する人がたいそう忙しいのでお店にご一緒できなくなって必然的にプレゼント計画も延期せざるをえなくなったのを心底残念に思っていた。でも、替わりに用意した贈り物を直接渡すことができたから良し。愛する人にとって酷く多忙な日だったというのにコーヒーとチョコレートを振舞ってくださったし。こういうなんとなく浮き足立つような日に、すべてを投げ打っても良いと思えるくらい愛する人をたとえ30分でもぎゅうぎゅうハグできるなんて、人生でいちばん素敵なクリスマス・イブだった。



帰宅途中、阿佐ヶ谷の心のホームに立ち寄ってご主人とクリスマスの挨拶を交わす。ご主人お勧めの浜口庫之助の「愛しちゃったのよ(ランラランラ)♪」が耳について離れない。

日記



神様ありがとうございます。







つらい一辺倒の恋煩いから解放されるには飲んだくれるしかないなと思い連日阿佐ヶ谷で飲んだくれていたところ、愛する人からの着信に気づかないくらい酔っ払ってしまい死にたくなったのが金曜の夜。直後にかけ直すも繋がらず死にたくなったのが金曜の深夜。愛する人の意味深(わりとネガティヴ)なつぶやきに気が揉めて仕方なかったためドーナッツショップで渾身の恋文を書き上げたのが土曜の朝。エトセトラ。を経て、昨日のお昼に丸ノ内線で帰宅する最中、愛する人から借りた小説の筋にも集中できないまま、夢のような幸福ばかりを感じた。身の程をわきまえたとたん、苦痛が快楽に変わったように思う。



金曜日の夜は本当に会いたかったのだ、と言われて、ありがとう迷惑じゃないよ、と言ってもらえて、切望していたあの場所で眠ることができた。それで十分だ。



「俺はね、ほんとは弱い人間なの。だから強がってんの。強いふりしてんの」

「だったらわたしは、そんな弱いあなたがすきですよ」

「でもほんとにろくな人間じゃねえよ」

「大丈夫です。わたしは、いや、女は強いんですよう」

「そうだなあ。強いね、女性は。だから魅力なんだろうなあ」



愛する人がこのやりとりを覚えていて、いつかどうしようもなく淋しくなったときに、わたしやもしかしたらわたし以外の女性に、甘えてくれるといいなあと思う。

思考



昼休み、アボガドクリームのパスタランチのあと、ものすごい勢いで煙草を吸いながら同期でいちばん仲の良いSに「もう死ぬー死んじゃうー」って散々大騒ぎしたものの、今日の17時半仕事上がりに携帯を見たわたしはきっとあの瞬間世界でいちばんしあわせな人間だったと信じている。



基本的に絵文字も顔文字も使わないし(そりゃあ相手に合わせて臨機応変に対応するけど)自分が使わないのと同じくらい相手が使うことに対してもこれといった感想は抱かないんだけども、むしろ絵文字を多用する男性をこれといった理由もなくちょっぴり苦手に思ったりもしてしまう性癖があるんだけども、でも今日は今日だけは「ありがとう」という言葉の後ろに付されたハートの絵文字が立体的で鮮やかで、もうイコンと言ってもいいくらい神聖なものとして目に飛び込んできたのだった。



神様、もう二度と思い上がった真似はいたしませんから、どうか再びあの場所で眠らせてください。

日記



週末は愛する人がそれはそれは気持ち良さそうに恰好良く歌う姿や、愛する人が水割りを片手にご子息と語らう姿や、愛する人が美人と抱き合う姿や、愛する人のもうほとんど信じられないくらいセクシーすぎる無精髭(はじめて見た)を眺めてどうしようもなく打ちのめされていた。集団の中で、わたしは愛する人の傍に居ても気の利いたことがひとつも言えない。ちびちびビールを飲んではひたすら煙草を吸っていた。ビールは苦手だ。集団も。それでもそこに居たのは、愛する人がそこに居るからで、だけどそんなわたしを見て愛する人がつまんねー女って思ったかもしれないと思うだけで死にたくなるなんて愚の骨頂だとわかっててもやっぱりそう思う。愛する人が、率先してお酒を作ってるすごく陽気な美人を指して「見習いなさいよ」とわたしに向かって言ったことが楔みたいに胸に突き刺さってるし。なんてこたえたかすら不明瞭なのに、息ができないくらい苦しかった感覚だけはまだ鮮明に覚えている。し、いまだに苦しい。



そんでもってなんで生きてるんだろーってぼーっと支度してぼーっと地下鉄乗ってぼーっと上野の公園口に立っていたら、ほとんど半年ぶりに会うかけがえのない友達のすごく目立つ愛くるしい姿がぱってヴィヴィッドに視界に入ってきて、ひさしく感じなかった種類の幸福感がわいた昨日の午後。友人Mは、茶色のコートにつぎだらけのブルージーン、ぐるぐるにまきつけたターコイズブルーのストール、赤い革のバッグと愛用のカメラを斜めがけにして、フランス映画の子役が抜け出してきたみたいにしてそこにいて、そんな姿を見るだけでちょっと涙が出そうになった。彼女もゴヤの《ロス・カプリーチョス》もウィリアム・ブレイクユイスマンスの『さかしま』も乱歩の梅カクテルもにゃあにゃあ啼いてマスターを困らせてた良介くんもすごくすごく良かった。友人Mのおかげで気持ち良くなって、つい阿佐ヶ谷で独り飲んだくれて帰る。梅酒よりウォッカの方がすいすい飲めちゃうという不思議。でも飲んだくれたカフェバーでデリシャスウィートスのイベントを見つけて予約できたのは大きな収穫だった。



それから、これはごくごく個人的で利己的な愛情なのだけど、会ったこともないけれどもありふれた媒体を通じて近しい気持ちを一方的に抱いているひとが、わたしのあずかり知らぬところで、でも意外と距離的には近いところで、日々仕事に行ったりごはんを食べたり休日を過ごしたりして、すこやかに楽しそうに生きてるんだって思うと、そう思うだけで心がふっと軽くなってなんとなくしあわせになるのは、自分でもなんだかよくわかんないけど良いな。愛する人に会えなくても、会えないどころかジャブ、ジャブ、ストレートときどきカウンターみたいな殴打の連続でも、そういうしあわせがある以上なかなか簡単にハカナくなれないもんだ。

思考



どうやったら楽にハカナくなれるのだろうかーなんて中2病めいたことを、それでもある程度真剣に考えていたけれど、ひさしぶりに過食して吐こうとしてだけどひさしぶりすぎて吐けなくて、単純に満腹になってぐーぐー寝て起きて、すきっと晴れた朝からやっぱりすきなひとがらみで打ちのめされて(いつものことだ)、だけどなんだかすこんとヌケた気がふっとしたんだ、さっき。



恋愛なんてめんどくさいものからはとっとと足を洗って仕事と趣味と、そしてたまーに気の合う友達とくだらないこと喋れればしあわせって思っていたのだ、今年になってからずっと。でも恋はするもんじゃなくてオチルものだ、みたいなどこかで聞いたような言葉どおり、まんまと恋に堕ちてしまったわたしは、きっと傍から見たらばかみたいで、当事者としてはすごく苦しい。



だけど、

「四六時中、あなたのことを考えてます。そしてね、気づけばいつも、頭の中であなたに話しかけてるんです」

「そうなんだ」

「はい。今日も良いお天気ですねー、とか。サディスティック・ミカ・バンド良いですねー、とか」

「へえ。そうしてると楽しい気分になるの? なんつーか、やる気が出たり?」

「うーん。楽しいっていうか、むしろそうしてるのが当たり前すぎて。ん、でもそうか、それが楽しいのか! はい。楽しいです」

「なら良かった」

ていう会話はしっかりと脳内に刻んであるわけで、髪の手触りとか腕や背中の感触とか、すきな煙草やお酒の銘柄も寝言も習慣も、この失態や苦悩以前のわたしなら知る由もなかったわけで、そう考えるともう悩むのもばからしいなーっつうか、貸していただいたCDと置きっ放しのパジャマと宙ぶらりんのデートの約束が最低あと1回はある程度正当に会えるチャンスを確立してくれているんだって思えて(日々の打ちのめされ方から考えるとぜんっぜんそう思えないんだけど)、チョコレート食べ過ぎてる場合じゃねーなあとか反省する気になった。たとえ叶えられない約束でも、縋ってなんとか生きてくんだ。その結果、もう一生水族館に行けなくなってもサティに耳をふさぎたくなっても同じ年恰好のひとを正視できなくなっても、それもこれもぜんぶ受け止めてやろうじゃん、て思う。今だけかもしれないけど。

日記





幸福の絶頂を迎えてしまったらあとは死を待つだけだ、とお耽美や格好つけなんかじゃなくて、本気で思う。だからわたしはもうきっと抜け殻なのだ。



ぜんぶで4回、幸福の絶頂を怒涛のように経験した。ただ、4回目の昨日、自分の過ちでそんなすべてを無に帰すことになったような気がしてならない。もしもこれから先も、そんな奇跡のような幸福感が再びあわられるならば、二度と同じ過ちは繰り返さないだろう。縋るように繰り返しそう考えている。



何を犠牲にしても欲しくて欲しくてたまらないものがある。健康も財産も、寿命さえ削ったってちっとも構わないのに、どうすればいいのかわからない。ただ、電話の音だけを待ちわびている。でもおそらく名前の表示を見て、それこそ死んでしまいたくなるくらいがっかりするんだ。

日記





気づけばものすごく時間が経っていました。あらゆる意味で、全力疾走し続けた怒涛の日々だった。まだまだ走る予定だけど、燃料切れを友人から心配される今日この頃です。



気力は十分なのだけれど、体に少々ガタがきたっぽい。数日前から眼病を患っており、ついに極度の病院嫌いにもかかわらず重い腰を上げて医師の診断を仰いだところ、このまま目と体を酷使し続けたら取り返しのつかないことになるよ、と言われてしまった。「1日にPCは3時間以内で!」って、むりー! お酒も煙草も刺激物も禁止。落語の聴講まで禁じられなくて良かった。



週末名古屋に出張だったので、今日は代休。貸していただいたサディスティック・ミカ・バンドを聴きながら、久しぶりに朝から掃除。お昼ごはんをちゃんと作ったのも、いつ以来だかわからない。夕方から落語を聴きに蒲田へ。隣の席の老婦人と仲良くなれてなんだかうれしい気持ち。帰りの電車の中では「芝浜」と「ハイ・ベイビー」(いちばんすき!)が交互に頭をよぎった。