脱原発の主張(3) 原発推進派は、自らの利益のために国民の命や生活を犠牲にしている

日本における原発推進派(電力会社、政治家、経済産業省、プラント開発業者)は、本来やるべきことをやっていなかったことが明らかになってきました。原発推進派がやらなければいけなかったことは以下の三点です。

1.大地震電源喪失などの緊急事態を想定した安全設計をする
2.安全設計の不備に対する指摘を受け入れて安全設計を再検討する
3.核廃棄物の最終処分場を確保する

この3点を怠った結果、福島第一原発事故が発生しました。福島第一原発では電源喪失の事態を想定から外して設計し、貞観津波の記録を元にした対津波設計を見直す指摘を無視し、柏崎刈羽原発事故を受けて再点検を行うよう要望した共産党の申し入れも無視しました。さらに、核廃棄物の最終処分場を確保しておらず使用済み燃料を原子炉建屋のプールに保管したために、事故の規模がいっそう大きくなってしまいました。

では、なぜ原発推進派はこの三点を行ってこなかったか。
金のためです。
1、2、3、いずれも金がかかるからです。

1を満たすための安全設計には、少なくとも津波を被っても浸水しない非常電源の設計が必要だったことが指摘されていますし、汚染水の漏洩では配管からの漏れの可能性が指摘されていて安全設計が十分でなかったことが明らかになっています。
2を行うには原発の運転停止が伴います。それを電力会社が嫌ったのは、原発運転による利益を失いたくなかったからです。
3については、ただの問題引き延ばしとしか言いようがありません。最終処分場すら作らずに再処理工場を作り、保管が難しいプルトニウムの割合を増やそうとしているのに至っては、責任を放棄していると言わざるを得ません。

この原発推進派の無責任な姿勢は、「国策だから」という大義名分のもとで聖域を作ったことによって生まれました。しかも「国策だ」という前提自体怪しいものがあります。チェルノブイリ東海村臨界事故、柏崎刈羽火災事故が起こったとき、原発推進派は「日本の原発は安全だ」と繰り返すだけで、原発を不安視する世論を封殺しました。

これだけでも原発推進派が自らの利益のために国民の命や生活を危険にさらしたと言えますが、その姿勢がさらに顕著になったのは、福島第一原発が3.11の東日本大地震電源喪失に陥った時です。核燃料を冷やすための海水注入を行わず、ベントも遅れて一号機の爆発を招き、その後連鎖的に爆発が続きました。「東電は廃炉を避けるために海水注入を行わず、事態を放置した」と厳しく断罪されています。

通常の企業なら、多数の国民の命や生活を危険にさらすリスクをあらゆる手段を使って回避しようとしたでしょう。もしそのリスクが現実に発生してしまったら、その企業は社会的生命を断たれるだけでなく、巨額の賠償金を背負わされて破たんせざるを得なくなるからです。
しかし、東電は原子力賠償制度によって国からの援助を得るだけでなく、「天災」扱いで賠償免除になることさえ期待していました。それも電力の地域独占によって「唯一無二」の地位にあぐらをかいているのです。

「国策」だから原発推進は変えない、事故の賠償は国に頼る、安全再確認の運転停止も行うつもりはない、という東電の姿勢と、その姿勢を容認する原発推進派。彼らは政治献金天下り地域独占原発への補助金など、互いに利益を共有し合って聖域を守り続けています。原発推進派は今この瞬間も国民の命と生活を犠牲にして利益をむさぼっているのです。
 そのような原発推進の姿勢を、ノーベル経済学賞受賞のジョセフ・E・スティグリッツが「この地球を担保に賭けをしている」と痛烈に批判した記事があります。


Gambling With The Planet by Joseph E Stiglitz
http://www.informationclearinghouse.info/article27836.htm

In the end, those gambling in Las Vegas lose more than they gain. As a society, we are gambling – with our big banks, with our nuclear power facilities, with our planet. As in Las Vegas, the lucky few - the bankers that put our economy at risk and the owners of energy companies that put our planet at risk - may walk off with a mint. But on average and almost certainly, we as a society, like all gamblers, will lose.

That, unfortunately, is a lesson of Japan’s disaster that we continue to ignore at our peril.

「結局、ラスベガスのギャンブルでは儲けよりも損の方が上回ってしまうものだ。社会として、私たちは銀行、原発施設、そしてこの地球を担保にして賭けをしている。ラスベガスと同じように、経済を危険にさらしている銀行家や地球を危険にさらしている電力会社でも、巨額の富をさらっていく少数の幸運な者がいるかもしれない。だが、平均的に見ればまず間違いなく、私たちの社会はバクチ打ちと同じように賭けに負ける。不幸なことだが、それが自己責任で危険を無視し続けている私たちが日本の原発事故で得た教訓なのだ」

ドイツは真っ先に賭けから降りました。
私たちはそれでも賭けを続けますか?

2011年04月18日のツイート