日常ツバメガエシ

スポーツ観戦好きの諸々スポーツ話

応援か、BGMか

意見には個人差があります。そんな素敵な言葉を前置きとして。
「/ja あやつる YmrDhalmel」様より。先日、つくば方面にて、バレーボールのインプレー中にも応援が鳴り響く試みがあったそうで。その場には当然いないのだが…想像して完全拒否になった。うん、私、それ無理だ。
私はサッカーは門外漢だが、サッカーの応援というと、太鼓叩いて一定のリズムで鳴り響くイメージがある。個人的に無理、と感じるのは、その規則正しい一定のリズム。バレーボールって競技は、そんな一定のリズムに当てはまるもんじゃない、と思っている。手から手へ、ボールがスムーズに行き交うことを「リズムがいい」と言うかもしれないが、それはリズムじゃなくて、各個人のタイミングとか呼吸が合うのであって、その繋ぐ間はリズムなんかないんじゃないか、と。というか、同じリズムでバレーボールしたら、それは「単調な攻撃」なのではないのかしら。特にセッターというポジションは、いかに相手のタイミングを崩すかが生業なんじゃないのかしら。実はバレーボールのそういうイメージは、「序破急」が近い気がしてるのだけど。そういうスポーツに、一定のリズムの応援が合うのかしら。
唯一無理じゃないように一定のリズムを受け入れるとしたら、その応援をBGMとしてしまうこと。…たぶんそれってもう、応援として耳では聞いてないんだよね。ばっくぐらうんどみゅーじっく、だ。背景に流すだけの。まあ、選手のバックバンドやってるという意識であれば、それでいいのかもしれないけど。そういうことがしたくて応援やってるわけじゃないと思うんだよね、あの熱い方々は。
と、そこまで考えて、プロ野球東京六大学野球都市対抗の応援を思い出す。そうか、私、それらの応援、距離置いてBGMとして聞いてる方が多いなあ…。ロッテとか明大とか、気に入るメロディもあるけど(オリックスのチャンテ好きだなそういえば)、やっぱりそれって音楽として聞いているだけで、実際の応援としていいのか、と言われたら、参加するか、と言われたら、いや別に?となる。ヤマハの応援とかも、明らかに音楽目当てだものね。口ラッパは面白がってるだけだしね…。
数年前、都市対抗で、日本生命の「応援を」高く評価したことがあった。それは、応援の音楽が素晴らしかった、わけではない。日本生命の応援で使用する曲なんて、どこまでもオーソドックスで、曲だけ聴いたら退屈だと思う。正直。高く評価したのは、自分達の攻撃中、相手にアクシデントがあって、その時に応援リーダーが、自分達の応援を真っ先に「止めたところ」「止めるようにすぐに動員に呼びかけたこと」だった。ただ応援を掻き鳴らすのではなく、ちゃんと試合の流れを見て、止める時は止める。意外とこういう場面を見ることは少ない。「適切な応援」ってこういうことなんじゃないだろうか、そう思う。
話はまたバレーボールに戻るけれど、その昔、サッカーのチームを持ってるチームが応援を本腰入れて始めた頃、それこそサッカーの競技場で使用するようなでっかい太鼓を、体育館に持ち込んで応援していたっけなあ。それ見た時、「この人たち耳に神経が通ってないのか、いやそれとも(失礼だけど)神経そのものが通ってないのか」って思ったよ。ちょっと想像すれば分からないかなあ。そんな広くない体育館にそんなもの持ち込んで叩いたら、どれだけの音が響くかって。稲城でマジで気分悪くなって外にでたからね、私。今でも忘れない。今は小型太鼓とか音そんなにきつくないのとか持ち込むから、そうでもないけど。でも近くにいるのは正直苦痛なので、なるべく遠くにいるようにしている。警視庁の応援席も近年それがあるから、殆ど座ったことないし。実はプロ野球の応援も、そこまで近くに寄ることができないのよね…。神宮とか、ライトスタンドのど真ん中無理無理。ポール際に退避。