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morioXのもくもく日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2014-01-04

[] Cocoa開発の困難

Mac OSXのアプリケーション開発を継続しています最近iOSの開発がブームだけに技術情報豊富かと思っていましたが、全くそんなことはありませんでした。同じAppleの開発環境で、プログラミング言語も同じObjective-Cですが、あくまで流行っているのはiOS開発だけ、という事のようです。共通している部分はあるのですが、そうでない部分も多いようです。

Mac OSXのデスクトップ用開発、実行環境としてCocoaがありますが、この環境に関する日本語技術情報が、悲しくなる位少ないのです。運良く見つけても古い情報ばかり。統合開発環境XCodeライブラリ、各種設定のバージョンが揃わない事も多いのが実情。

先日のピアソン絶版問題でも感じましたが、日本語技術情報を得るのが、これからいよいよ難しくなっていくのだな、と感じてしまいます

少ない技術情報でうまくやりくりしていく事自体楽しいので、まあ自分でまとめてやる、くらいの気持ちで進めていこうかと思います

無明寺無明寺 2017/08/19 14:46 真善美の探究【真善美育維】

【真理と自然観】

《真理》
結論から言って, 真偽は人様々ではない。これは誰一人抗うことの出来ない真理によって保たれる。
“ある時, 何の脈絡もなく私は次のように友人に尋ねた。歪みなき真理は何処にあるのかと。すると友人は, 何の躊躇もなく私の背後を指差したのである。”
私の背後には『空』があった。空とは雲が浮かぶ空ではないし, 単純にからっぽという意味でもない。私という意識, 世界という感覚そのものの原因のことである。この時, 我々は『空・から』という言葉によって人様々な真偽を超えた歪みなき真実を把握したのである。


我々の世界は質感。
また質感の変化からその裏側に真の形があることを理解した。そして我々はこの世界の何処にも居ない。この世界・感覚・魂(志向性の作用した然としてある意識)の納められた躰, この意識の裏側の機構こそが我々の真の姿であると気付いたのである。


《志向性》
目的は何らかの経験により得た感覚を何らかの手段をもって再び具現すること。感覚的目的地と経路, それを具現する手段を合わせた感覚の再具現という方向。志向性とは或感覚を具現する場合の方向付けとなる原因・因子が具現する能力と可能性を与える機構, 手段によって, 再具現可能性という方向性を得たものである。
『意識中の対象の変化によって複数の志向性が観測されるということは, 表象下に複数の因子が存在するということである。』
『因子は経験により蓄積され, 記憶の記録機構の確立された時点を起源として意識に影響を及ぼして来た。(志向性の作用)』
我々の志向は再具現の機構としての躰に対応し, 再具現可能性を持つことが可能な場合にのみこれを因子と呼ぶ。躰に対応しなくなった志向は機構の変化とともに廃れた因子である。志向が躰に対応している場合でもその具現の条件となる感覚的対象がない場合これを生じない。但し意識を介さず機構(思考の「考, 判断」に関する部分)に直接作用する物が存在する可能性がある。


《思考》
『思考は表象である思と判断機構の象である考(理性)の部分により象造られている。』
思考〔分解〕→思(表象), 考(判断機能)
『考えていても表面にそれが現れるとは限らない。→思考の領域は考の領域に含まれている。思考<考』
『言葉は思考の領域に対応しなければ意味がない。→言葉で表すことが出来るのは思考可能な領域のみである。』
考, 判断(理性)の機能によって複数の中から具現可能な志向が選択される。


《生命観》
『感覚器官があり連続して意識があるだけでは生命であるとは言えない。』
『再具現性を与える機構としての己と具現を方向付ける志向としての自。この双方の発展こそ生命の本質である。』

生命は過去の意識の有り様を何らかの形(物)として保存する記録機構を持ち, これにより生じた創造因を具現する手段としての肉体・機構を同時に持つ。
生命は志向性・再具現可能性を持つ存在である。意識の有り様が記録され具現する繰り返しの中で新しいものに志向が代わり, その志向が作用して具現機構としての肉体に変化を生じる。この為, 廃れる志向が生じる。

*己と自の発展
己は具現機構としての躰。自は記録としてある因子・志向。
己と自の発展とは, 躰(機構)と志向の相互発展である。志向性が作用した然としてある意識から新しい志向が生み出され, その志向が具現機構である肉体に作用して意識に影響を及ぼす。生命は然の理に屈する存在ではなくその志向により肉体を変化させ, 然としてある意識, 世界を変革する存在である。
『志向(作用)→肉体・機構』


然の理・然性
自己, 志向性を除く諸法則。志向性を加えて自然法則になる。
然の理・然性(第1法則)
然性→志向性(第2法則)


【世界創造の真実】
世界が存在するという認識があるとき, 認識している主体として自分の存在を認識する。だから自我は客体認識の反射作用としてある。これは逆ではない。しかし人々はしばしばこれを逆に錯覚する。すなわち自分がまずあってそれが世界を認識しているのだと。なおかつ自身が存在しているという認識についてそれを懐疑することはなく無条件に肯定する。これは神と人に共通する倒錯でもある。それゆえ彼らは永遠に惑う存在, 決して全知足りえぬ存在と呼ばれる。
しかし実際には自分は世界の切り離し難い一部分としてある。だから本来これを別々のものとみなすことはありえない。いや, そもそも認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう?
言葉は名前をつけることで世界を便宜的に区分し, 分節することができる。あれは空, それは山, これは自分。しかして空というものはない。空と名付けられた特徴の類似した集合がある。山というものはない。山と名付けられた類似した特徴の集合がある。自分というものはない。自分と名付けられ, 名付けられたそれに自身が存在するという錯覚が生じるだけのことである。
これらはすべて同じものが言葉によって切り離され分節されることで互いを別別のものとみなしうる認識の状態に置かれているだけのことである。
例えて言えば, それは鏡に自らの姿を写した者が鏡に写った鏡像を世界という存在だと信じこむに等しい。それゆえ言葉は, 自我と世界の境界を仮初に立て分ける鏡に例えられる。そして鏡を通じて世界を認識している我々が, その世界が私たちの生命そのものの象であるという理解に至ることは難い。鏡を見つめる自身と鏡の中の象が別々のものではなく, 同じものなのだという認識に至ることはほとんど起きない。なぜなら私たちは鏡の存在に自覚なくただ目の前にある象を見つめる者だからである。
そのように私たちは, 言葉の存在に無自覚なのである。言葉によって名付けられた何かに自身とは別の存在性を錯覚し続け, その錯覚に基づいて自我を盲信し続ける。だから言葉によって名前を付けられるものは全て存在しているはずだと考える。
愛, 善, 白, 憎しみ, 悪, 黒。そんなものはどこにも存在していない。神, 霊, 悪魔, 人。そのような名称に対応する実在はない。それらはただ言葉としてだけあるもの, 言葉によって仮初に存在を錯覚しうるだけのもの。私たちの認識表象作用の上でのみ存在を語りうるものでしかない。
私たちの認識は, 本来唯一不二の存在である世界に対しこうした言葉の上で無限の区別分割を行い, 逆に存在しないものに名称を与えることで存在しているとされるものとの境界を打ち壊し, よって完全に倒錯した世界観を創り上げる。これこそが神の世界創造の真実である。
しかし真実は, 根源的無知に伴う妄想ゆえに生じている, 完全に誤てる認識であるに過ぎない。だから万物の創造者に対してはこう言ってやるだけで十分である。
「お前が世界を創造したのなら, 何者がお前を創造した?」
同様に同じ根源的無知を抱える人間, すなわち自分自身に向かってこのように問わねばならない。
「お前が世界を認識出来るというなら, 何者がお前を認識しているのか?」
神が誰によっても創られていないのなら, 世界もまた神に拠って創られたものではなく, 互いに創られたものでないなら, これは別のものではなく同じものであり, 各々の存在性は虚妄であるに違いない。
あなたを認識している何者かの実在を証明できないなら, あなたが世界を認識しているという証明も出来ず, 互いに認識が正しいということを証明できないなら, 互いの区分は不毛であり虚妄であり, つまり別のものではなく同じものなのであり, であるならいかなる認識にも根源的真実はなく, ただ世界の一切が分かちがたく不二なのであろうという推論のみをなしうる。


【真善美】
真は空(真の形・物)と質(不可分の質, 側面・性質), 然性(第1法則)と志向性(第2法則)の理解により齎される。真理と自然を理解することにより言葉を通じて様々なものの存在可能性を理解し, その様々な原因との関わりの中で積極的に新たな志向性を獲得してゆく生命の在り方。真の在り方であり, 自己の発展とその理解。

善は社会性である。直生命(個別性), 対生命(人間性), 従生命(組織性)により構成される。三命其々には欠点がある。直にはぶつかり合う対立。対には干渉のし難さから来る閉塞。従には自分の世を存続しようとする為の硬直化。これら三命が同時に認識上に有ることにより互いが欠点を補う。
△→対・人間性→(尊重)→直・個別性→(牽引)→従・組織性→(進展)→△(前に戻る)
千差万別。命あるゆえの傷みを理解し各々の在り方を尊重して独悪を克服し, 尊重から来る自己の閉塞を理解して組織(なすべき方向)に従いこれを克服する。個は組織の頂点に驕り執着することはなく状況によっては退き, 適した人間に委せて硬直化を克服する。生命理想を貫徹する生命の在り方。

美は活活とした生命の在り方。
『認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう? 』
予知の悪魔(完全な認識をもった生命)を否定して認識の曖昧さを認め, それを物事が決定する一要素と捉えることで志向の自由の幅を広げる。予知の悪魔に囚われて自分の願望を諦めることはなく認識と相互作用してこれを成し遂げようとする生命の在り方。


《抑止力, 育維》
【育】とは或技能に於て仲間を自分たちと同じ程度にまで育成する, またはその技能的な程度の差を縮める為の決まり等を作り集団に於て一体感を持たせること。育はたんなる技能的な生育ではなく万人が優秀劣等という概念, 価値を乗り越え, また技能の差を克服し, 個人の社会参加による多面的共感を通じて人間的対等を認め合うこと。すなわち愛育である。

【維】とは生存維持。優れた個の犠牲が組織の発展に必要だからといっても, その人が生を繋いで行かなければ社会の体制自体が維持できない。移籍や移民ではその集団のもつ固有の理念が守られないからである。組織に於て使用価値のある個を酷使し生を磨り減らすのではなく人の生存という価値を尊重しまたその機会を与えなければならない。

真善美は生命哲学を基盤とした個人の進化と生産性の向上を目的としたが, 育と維はその最大の矛盾たる弱者を救済することを最高の目的とする。

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2014-01-03

[] 今年はObjective-C勉強する

「達人プログラマー」に、毎年少なくとも1つは新しいプログラミング言語を学ぶべき、という趣旨記述があるので、私もそれにならって毎年1つは新しい言語勉強するようにしています。昨年はとあるクローズド環境言語を学びました。C言語も徹底的に勉強し直しましたし、久々に充実した学びを得られた年になりました。

一口に「プログラミング言語」と言っても、言語設計思想や前提とするパラダイムイディオム、問題の解決方法、動作環境、実現可能な機能に至るまでまるで違うため、普段使わない言語を学ぶ事で得られる事は大きいです。エンジニアとしての能力アップデートし続ける為にはいい習慣だと思います。

今年はObjective-C勉強しようと考えています。iPhone開発にも興味がありますが、それ以上にMac OS X環境で日頃使う為の道具を作りたいなと。別にJavaで十分作れるのですが、それじゃつまらないと思うので、Objective-CCocoa環境で色々やってみたいなと。

ネット上ではObjective-CはともかくCocoa情報が散乱していて非常に勉強しにくいと感じます。こういう情報を整理して如何に早く、(自分が飽きる前に)動く道具を作れるか、というのがポイントになりそうです。出来上がった時の喜びを想像しつつ、コツコツと学び、作っていければと思います。

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2014-01-02

[] ブログ再開

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

しばらくTwitterメインでつぶやいてきました。書きやすいし、ネタ元へのアクセスも容易、他の人との意見交換も非常にやりやすい。使いやすいから、当然利用頻度が上がる。そして、他のメディアを使わなくなる。という流れで、ブログを使わなくなってきました。

ただ、新年に改めて振り返ってみると、あんなに沢山の時間をかけて、沢山の情報を書いてきたのに、それを使いやすい形で参照出来ないんですよね。せっかく深く考えて書いた事も、今は簡単にアクセス出来なくなってしまっている。時間を使って書いてきたにも関わらず、これは勿体ないなと今は思います。

このブログ場所で続けるべきかどうかは考えどころですが、今一度ブログをちゃんと書いてみよう、と考えています。まずはこのエントリをその第一歩に出来れば、と。

2014年もよろしくお願い致します。

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2012-09-16

[] ん?広告

どうもはてなダイアリーが、自分の存立基盤である無料広告のでないダイアリー」というポリシーをかなぐり捨てて、ブログ内にも広告を出すようにした模様。大した事ではないんですが、正直イラっと来たのも確か。

まあ先立つものが無ければ、自分ポリシーを諦めるのも仕方ない、ってのは分かるんですが、ここ数年志の低い歩みに無駄金を使ってきた所を見ると、あんまり認めてあげたくもないなあ、という気にはなります。はてなランドとか。

http://hatena.g.hatena.ne.jp/hatena/20120831/1346389642

はてなはいい加減「お金をどう稼ぐか」という事に真剣に向き合った方がいいんじゃないのかな。はてなブックマークだけでいつまでも食っていくのは無理じゃないの?と思うし。NAVER Japanがこれだけ短期間に「まとめ」とか「LINE」でのし上がってきた事を踏まえて、どうやり直すかを真剣に考えるべき。

[] 沈むWEB企業と茹で上がるSIer

コンプガチャの隆盛とその規制によるソーシャルゲームバブル終焉を迎えた今は、「WEBを使って稼ぐ」ビジネス成熟し、縮小に向かうフェーズに入ったのではないか、と思う。

ソーシャルゲームが残した一番の功績は、ディジタルデータお金を出す、という行為が一般の行為として定着するようになった事だと思う。お金を払ってWEBサービスのグレードを上げたり、より質の高い情報を得る、という行為ITにあまり興味の無い人にまで定着した事により、iモード以外でのWEBサービスビジネススケールが随分と大きくなったと感じる(少なくともソーシャルゲーム市場が大きくなった分)。

で、多くのビジネスが生まれては消えを繰り返す中で、大体生き残るサービスが絞られてきたのではないか。今後は他のビジネスと同じように、ナンバーワンか強烈なニッチ以外は淘汰される流れが強くなっていくのではないかなと思っている。

しかも、GoogleFacebookのような巨大なプラットフォーム確立してしまった今、Facebookで出来ない事しかビジネスには出来ない訳で、あえてそのサービスを使う必要がある、と言えるだけのものでなければ、今後はマネタイズできなくなっていくのではないかなと。ここ数年、WEB系の企業がイケイケな状態で来続けていたのは確かだけど、これから収入が先細る事による淘汰の季節が訪れる予感がする。

では、今SIerはどうなのかというと、これはこれで微妙だという感じがしている。出来る所からじわじわと中小ソリューションクラウド化する流れが出来つつあり、今後市場が細っていくトレンドはやはり変わらないように感じる。

もっとも、大きな組織の根幹にあるシステムをいじる場合には、相応の手間ひまがかかるのは変わらない訳で、まだすぐに仕事がなくなる訳ではないとも思うのだけど、でも、仕事が増えたり、以前のように稼げるような事はなくなっていくのだろうな、とは思う。それまであった大きな案件が消滅する、という事が繰り返される形で、売上がガクッガクッと下がっていくのではないだろうか。これはこれでいい流れ出はないのだけど、個人としてどうすればいいのかは、まだ見えてこないなあ。

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2012-02-12

[] 統計学勉強

相変わらず統計学勉強を続けているんですが、どうにもこうにもペースが鈍り気味。

思うに壁は2つあって、

というところなのかなと。

たいていの統計学参考書では、平均、分散、標準偏差あたりまでは、ある程度数値の意味が説明されるのですが、ポワソン分布カイ二乗分布やらになってくると、大抵数式がものすごく唐突に現れて、「それは道具として使えればよいですよ」というスタンスばかりが示される。「正規分布に従うと仮定し・・・」って、いつ仮定するのさ???とかわからないことばかり。

「しくみはまったくイメージ湧かないけどなんとなく使えています」なんて姿勢には不快感を覚えるので、できれば仕組みをつかんだ上で数式なりツールなりを使いたい所かなと。

後者の悩みも前者の悩みと紐づいていて、どんなデータ統計に適しているかからないから、どういうデータを使うと、データを扱う上でピントを外さずにすむのか、いまいちからないんですよね。

もう少し時間をかけて悩むのが良いのか、お金をかけてもっとよい教育を受けたほうが良いのか考え中。とりあえずポワソン分布カイ二乗分布くらいは教科書勉強してから考えようかな。。。

[] PowerShell勉強

Windows新世シェルPowerShell勉強中。設計思想がとにかく素晴らしく、使っていて楽しいんだけど、動的言語の性質を強めすぎたせいか、型の扱いに悩む事がとても多い。あとGroovyと似た手触りというかポジショニングだということがわかった。Java.Net比較でいうなら、GroovyPowerShell、というところなんだろうなと。PowerShellシェルとしても使える点で優位性が大きいんだけど、Windowsの制約に縛られちゃうので、一長一短なのかも。

少なくとも面白いし、使えるし、理論的に把握できればバッドノウハウも少ないよい言語なので、しばらくこればっかり触ってそう。

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