生き方をどのように決める?

平均的な日本人なら、学校を出て、会社に入り、誰かの下に入って、
御用聞きとして働き、あれこれ命令を受けながら働いている人が多いのではないかと思います。
直接的に雇用・被雇用という関係性でなくても、この社会の成員として働く以上は、ある程度「搾取する側」と「搾取される側」という構図の中に組み込まれています。細かい議論は敢えて省きますが、

世の中に言いたいことがあるなら

言えばいい。

言いたいことがないなら言わなくてもいい。

やりたくないならやらなくてもいい。

気が弱い人間だ。

気が弱いから、やりたいことができないし、言いたいことも言えないんだ。

やりたいことができていると言い切れるなら

言いたいことが言えていると言い切れるなら

憂うことをやめよう 未来をみようとすることをやめよう

憂いても 嘆いても 

変わらぬこの身のおかしさよ

変わっていくこの世の斜め後ろから見てみよう

この世のなびかせる長い後ろ髪の

こちらを見ているのか見ていないのか

その高く盛り上がった頬の向こうに

わずかにのぞく瞼の険しい線の

とりつくしまのない厳しさ

人を誉めることのむずかしさ・・・・

人を誉めることは難しい。

誉めること自体は簡単だが、

誉められると人は成長しなくなる場合がある。

誉められたことで、自分はこれでいいんだと思ってしまう。

すると、人の成長は止まる。

常に怒っているマネージャーは、部下からは大概蛇蝎のごとく嫌われるが、

マネージャーとしては優秀な場合が多い。

ある有名なリーダーシップの教科書には、確かポジティブ・フィードバックとネガティブ・フィードバックの

理想的な割合は7:1であると書いてあったような気がする。

つまり1回怒るために7回誉めないといけない!!

日本社会ではありそうもない話だ。

いのち(The Light That Never Goes Out)

いのちはまたたく光だ

いのちは絶えざる光

The Life is the light that never goes out

どこから来たのか どこへ行くのか

どこまで行くのか

だれにもわかりはしないが

確かにいのちは渡っていく

時をわたり 海をわたり

あなたのところから

未だ見ぬ誰かのところへ


いのちは全てとかかわるもの

いのちは大きくもなければ小さくもない

いのちはいのちと響きあうものだから

全てのいのちが響きあい奏でるハーモニー

それを宇宙と呼ぶのだから

どうでもよくないおはなし・5

自分は何者なのか?と自らに問うことが軽視されているように思う。

皆、毎日忙しく働き、日々の業務の中に自分自身を埋没させている。

自分という存在を、自分自身の掌(たなごころ)でもてあそんでみるがよい。

人間は弱く、ずるい。ウソつきで、気まぐれな存在だ。

だからこそ、少しでもまともな人間になろうと努力する。

強くなろうとする。正直になろうとする。継続しようとする。

しかしどれも、本当の意味で自分のためにならぬ営みばかりだ。

世俗的な意味での成功を求めるなら、いくらでもあがくのがいい。

しかし、人間の真実の姿は、もっともっと愚かで、卑劣なものなのだ。

その真実から目をそむけて、強く、正直で、首尾一貫し、人から慕われる

理想の自分像を求め続けているのが現代の人の姿だ。

わたしはそのような営みを否定はしない。

ただ、鼻でせせら笑っているだけだ。

わたしは努力する人間を軽蔑はしない。

ただ、たまには少し歩みをとめてほしいだけだ。

答えは自分自身の中にしかない。

世界の隅々まで見て歩き、あらゆる頂を極め、艱難辛苦のすべてを味わいつくして至った場所に、何があるというのだろうか。

そこには何もない。ボロボロになって疲れ果てた肉体と、あなたの魂があるだけだ。

あなたは何を得ただろうか。疲れた肉体と、消耗しきった魂があるだけだ。

あなたの本質は、何も変わってなどいない。

あなたの本質は、どこにいても、何をしていても、あなたを追いかけてくる。

どこでもいい、ただ一度だけ振り返ればよかったのだ。

あなたはいつもあなたの後ろにいる。

続続々・どうでもよくないおはなし

自らの立つ場所を確保するための闘いは、常に美しいものだ。

わたしは人のために闘うと、平然とのたまうものからは腐臭がする!

人の行いのなかでは、自らを助けるということが一番尊いことであるということを、

あまりにも世間は見逃している。

自らを助く、このシンプルな原則が、あまりにも軽視されている。

人を助けることなど、くだらない。

他人を蹴落とせ、とか、他人を助けるな、と言っているわけではない。

自らを助く、自らを恃む。

一番立派な人は、こういう人だ。

人を助ける人は、自分で自分に対してYesということを言ってあげる強さがないから、

人を助ける自分に対して、人からYesといってほしいだけなのだ。

もちろん、人を助ける人は立派だ。偉人といわれるのはこういう人だ。

でも、わたしが一番尊く、立派だと思う人は、自らを助ける人なのだ。