円本「世界妖怪全集」のウワサ

以前にTwitterでつぶやいて私的にまとめて、その後新規の情報も見つからず下書きしたまま半ば忘れて放置していた話を、備忘のためのメモとして以下に記事にしてみる。


こちらのサイトに、「高井有一の小説『夢の碑』では、新生美術社(中央美術社)が円本として「日本風俗画集成」全20巻、「世界妖怪全集」全25巻を刊行したことを、「新生美術」が昭和4年6月、163号で休刊しなければならなかった因としている」とある。この記述が気になって少し調べてみたのだが、詳細がよくわからなかった。

上記サイトで言及されている高井有一の小説「夢の碑」を見ると、次のようにある。


 こうして、新生美術学院に続き、彼の二つ目の砦(とりで)は失われた。新生美術社はなお存続し、単行本や叢書(そうしょ)の刊行は絶やさぬ方針を決めたものの、この方も望は尠かった。円本の流行に追随して出した「日本風俗画集成」全二十巻は、一応の成績を収めたが、それに次ぐ「世界妖怪(ようかい)全集」全二十五巻の予約募集は思うに任せなかった。妖怪変化に関する東西の絵画や文献を網羅する企画で、第一線の画家たちに古画の模写をさせるのを売り物にしたのだったが、際物めいた印象を与えるのが不振の原因となった。「新生美術はお化けに取り殺される」という冷笑を含んだ冗談が業界で交わされていた。画壇の人たちの多くは、青汀の活動はこれで終りだと考えたに違いない。


高井有一「夢の碑」1976年)*1

高井有一「夢の碑」は昭和51年(1976)8月に新潮社より刊行された小説である。翌昭和52年には芸術選奨文部大臣賞を受賞している。『新潮現代文学 第74巻』の解説では、高井有一の祖父・田口掬汀をモデルとした「河西青汀」の「不遇といっていい一生」と、その孫「河西堯彦」の「現代の寄る辺ない愛に生きる日常とをみごとに描き分けて、出色の出来ばえを示している」と評価している*2

上記引用中の「新生美術学院」「新生美術社」はそれぞれ実在した「日本美術学院」「中央美術社」をもじったものと思われる。
また、“「日本風俗画集成」全二十巻”というのは、『日本風俗画大成』全10巻が刊行された事実に基づくものだろう。

『日本風俗画大成』の刊行巻数からも分かるように、小説中では実際にあった物事をモデルにはしているものの名前や巻数等少しずつ改変して書かれている。中央美術社からは『妖怪画談全集』全4冊が刊行されているし、“「世界妖怪全集」全二十五巻”というのも、そういった事実の誇張のひとつと考えれば、そう問題はないように思われた。


それだけならこれで終わる話だった。
……のだがしかし。たまたまインターネットで検索をかけていて行き当たったのだが、秋田県広報協会発行の雑誌『あきた』に、次のような記述がある。


 大正末年から昭和の初頭にかけて、不況の嵐がおしよせ、それは出版界にも遠慮なく吹き込んだ。
〔・・・中略・・・・〕
 そこで、この窮状を切り抜けるため、円本を企画「妖怪全集」の刊行に踏み切った。しかし、この時すでに円本ブームも下火になっていた。昭和五年のことである。「妖怪全集」という名前からは講談本のように受取られ、内容は良心的なものだったにもかかわらず、一般には好奇心をかきたてただけで、売れ行きはさっぱりのびず、予定の半分も発行しない八巻を刊行して挫折した。残った莫大な借財を背負い、中央美術社は解散を余儀なくされた。


(富木隆蔵「人・その思想と生涯(8)田ロ掬汀」、『あきた』第5巻第5号(通巻48号)、秋田県広報協会、1966年5月1日、37頁)*3

上記引用記事では、「妖怪全集」が「予定の半分も発行しない八巻を刊行し」たと書かれている。これは何を指して言っているのか。

繰り返しになるが、中央美術社から『妖怪画談全集』全4冊が刊行されていることはよく知られている。
『怪』vol.0027(2009年)掲載の東雅夫「『妖怪画談全集』に幻の六冊が――?」によれば、『妖怪画談全集』は「日本篇・上」「日本篇・下」「支那篇」「ロシヤ・ドイツ篇」のほかに、「印度篇」「イギリス篇」「アメリカ篇」「フランス篇」「比較妖怪学」「世界妖怪史」の刊行が予定されていたことが刊行告知のチラシから明らかであるという。未刊を合わせれば全10巻の構想であったということになる*4

高井有一「夢の碑」では“「世界妖怪全集」全二十五巻”、『あきた』では“予定の半分も発行しない八巻を刊行して挫折”、当時の刊行告知チラシでは全10巻になる事が予告されている。
ここまで情報がバラバラだと、もしかして現在知られている『妖怪画談全集』以外にも刊行されたものがあったのか、そうでなくともそれに近い「何か」があったのではないか…? とついつい想像してしまう。

管見の限りでは、現在、円本の「妖怪全集」なるものは出回っていない(...ハズ)。
また中央美術社の雑誌『中央美術』本誌にもそのような広告は掲載されておらず、田口掬汀や藤澤衛彦が同企画に言及した記録も今のところ確認できていない。
「夢の碑」や『あきた』の記述が多少なりとも事実に則った記述であるならば(『妖怪画談全集』と「妖怪全集」とがそれぞれ別物なのかそれとも同じものを指すのか、文中の予定刊行数と実刊行数は正しい数字なのか等々気になる点はあるものの)、まだ見ぬ昭和の妖怪本あるいはそれに準ずる原稿や資料がどこかに存在することになる。

……しかしながら、如何せんこれだけの情報では確証がないため「ウワサ」の域を出ない。続報が待たれる(他力)。

*1:底本:『新潮現代文学 第74巻 高井有一 夢の碑、真実の学校』新潮社、1981年、72頁

*2:高橋昌男「解説」、『新潮現代文学 第74巻 高井有一 夢の碑、真実の学校』新潮社、1981年、371頁

*3: http://common3.pref.akita.lg.jp/koholib/search/html/048/048_034.html

*4:東雅夫「『妖怪画談全集』に幻の六冊が――?」『怪』vol.0027、角川書店、2009年7月、270〜275頁。また、同氏のブログにも同様の報告がされている。⇒"『妖怪画談全集』の幻 : 東雅夫の幻妖ブックブログ" http://blog.livedoor.jp/genyoblog-higashi/archives/6221159.html