サミュエル・R・ディレイニー『ダールグレン』

 1月かけて読了。
 素直に「面白い!」というのではないけど「読んだ感」は十分。
 そう簡単に語れる小説ではないですけど、まず言いたいのは「20世紀SFの金字塔というけどSFなのか?」、「SF界の『重力の虹』との声もあるけどピンチョンとはまったく違う」、「読後感はデヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』」といったところ。


 まず、「SFなのか?」という話ですが、あまりSFっぽくないです。
 サイエンスの要素はほぼゼロで、「2つの月」「ベローナを襲った厄災」といったSFっぽい謎もありますが、そうした謎は結局は放置されたまま。舞台となるベローナは秘密に満ちた都市ですが、その謎が明らかにされるわけでもありません。
 このSF的な要素を持ちつつも、本質的にはSFとは言いがたいという感じは、同じ<未来の文学>シリーズのディッシュ『歌に翼を』あたりに近いです。

 
 次にピンチョンとの違いですが、これは冒頭の次の文章を上げれば十分かと。

 秋の都市を傷つけるために。
 だから世界に向かって叫んだ、自分に名前を与えてくれと。
 闇の内奥が風で答えた。
 君が知っていることなら、ぼくもすべて知っている(15p)

 ピンチョンはこんな文章書かないですよね。
 ピンチョンは詩的なものをはじめとして、おおよそ「文学的」なものを排除して小説を組み立てているわけですが、この『ダールグレン』ではなんといっても主人公が詩人ですし、それにセックスや暴力といったわかりやすい文学的な材料が過剰なまでに投入されている。
 その複雑な構成は「ポストモダン」的な小説に通じるものがありますが、描かれている世界はある意味でオーソドックスと言えるでしょう。


 で、最後の『ロスト・ハイウェイ』みたいだったという印象ですが、これはラストまできて突然頭に浮かんだことです。
 ただ、思い返してみるとこの『ダールグレン』の奇妙な世界は、デヴィッドリントが多重人格を二人一役という荒業で描き、円環世界を描いてみせた『ロスト・ハイウェイ』の世界に似ているのです。


 名前を失った主人公は、謎の災厄に巻き込まれ周囲から孤立してしまった都市ベローナに迷い込みます。そこで「キッド」と呼ばれるようになった主人公は、男女隔て無くセックスをし、詩を書き、そしてスコーピオンズという愚連隊のリーダーに祭り上げられます。
 ベローナにはTVもラジオもなく、電話も通じず、きちんと日付すらありません。ベローナの日付はベローナで唯一の新聞を発行しているコーキンズという男によって気まぐれに決められているのです。


 そんなベローナでキッドはセックスをしたり、引越のバイトをしたり、ジョージ・ハリソンという名前の黒人の奇妙な男と仲良くなり、彼の起こしたとされるレイプ事件の顛末を聴いたり、廃墟となったデパートに潜入したり、月に行った宇宙飛行士と話したり、スコーピオンズの仲間ともめたり、セックスしたりしています。
 ところが、キッドは時に記憶を失うことがあり、彼の意識というのは連続していません。
 また、彼の人格は小説の前半と後半で明らかに変化しています。
 小説の前半におけるキッドは内向的で詩人といっていいような人格の持ち主です。これを人格Aとします。ところが、後半ではスコーピオンズのリーダーになりかなり粗暴な人間になっています。詩は書けなくなり、恋人のレイニャにもたびたびたしなめられることになります。
これが人格Bです。
 つまり、この小説は名前を失った男(人格A)が、ベローナで「キッド」という名前をもらい、人格Bとなって出ていったストーリーとしても読むことができます(もっとも、この小説を単純な時系列を持った小説として読むことはできません。小説が進むに連れて、この小説がキッドによって書き留められたノートであることが明らかになり、そのノートの訂正した部分や、余白への書き込みが現れ出します(修正は二重線で、余白への書き込みは特殊な組版によって表されています))。
 

 ここで、キッドの記憶の喪失、そして意識の不連続を「解離」と考えることもできます。
 そしてさらに、この「解離」の症状として「多重人格」を想定することも可能でしょう。
 「解離」による記憶喪失によって名前を失ったキッドと呼ばれる男は、ベローナにおいて解離の症状を度々繰り返した挙句に、メインとなる人格の交替(人格Aから人格Bへ)が起こった、そんなふうにこの小説を読み解くこともできるかもしれません。
 

 タイトルの「ダールグレン」は解説で巽孝之が指摘しているように、コーキンズの片腕であり、記事の代筆も行うビルと言う男のことでしょう。下巻の330pのコーキンズの手紙には「代筆=wb」(ウィリアム・ダールグレン)という署名があります。
 ベローナの社交界の中心で、自由に日付を決めることのできるコーキンズはベローナにおける最高権力者であるわけですが、彼がこの小説において姿を表すことはありません。最後に登場しますが、それは声のみです。
 ということは、コーキンズは存在せず、ベローナの最高権力者は実はウィリアム・ダールグレンである、という想定もできます。
 そして、ベローナにおいて唯一印刷物を発行することができ、新聞にキッドの記事を書き、キッドの詩集を発行したコーキンズ(=ダールグレン)は、『ロスト・ハイウェイ』におけるミステリー・マンのような存在であり、キッドの2つの人格の同一性を担保する存在ということもできそうです。


 この解釈はあくまでも個人的な思いつきで、これが「正解」とは思えません。
 この『ダールグレン』は、読むのはけっこうしんどい本ですし、正直くだらないと思えるシーンも多いのです。しかし、ディレイニーのこの作品はそれだけの解釈を誘発する豊かさがありますし、さらに解釈を誘発させるだけの「ハッタリ」があります。
 『ダールグレン』は読む人のぶんだけ、それぞれの解釈がでてきそうな巨大な迷宮のような小説なのです。


ダールグレン(1) (未来の文学)
サミュエル・R・ディレイニー 大久保譲
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ダールグレン(2) (未来の文学)
サミュエル・R・ディレイニー 大久保譲
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