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2017-10-16 『できれば図書館で文庫の貸し出しをやめてほしい』

『できれば図書館で文庫の貸し出しをやめてほしい』<2017年10月16日(月)>

 全国図書館大会での文芸春秋の社長の呼びかけを『天声人語』は紹介する。「できれば図書館で文庫の貸し出しをやめてほしい」。これについて「出版不況が続くなか、せめて文庫本は自分で買ってもらえないか。そんな思いなのだろう」と。一方で、図書館側は「持ち運びやすい文庫は利用者に人気だという」。筆者は思う。「千円でおつりがくる文庫なら、なじみのない分野にもついつい手が伸びる。気づけば積ん読が増えている。それでも新たな出合いを求め、書店に入れば文庫の棚へと一直線なのである」。

 (JN) 限られたお小遣いの中でやりくりするお父さんには図書館が有り難い。また、通勤の行き帰りには、分厚いハードカバーの本より、文庫が有り難い。そして、岩波文庫には魅力的な本が沢山あり、世にはもうない絶版等は図書館でなければ手に入らない。まあ、外れの少ない岩波文庫、買いましょう。でも、文庫も高くなった。そして、自分の目が小さな字に対応できなくなった。やはり、文字の大きな本に頼らざるを得ない。と言うより、知識を得るためには、金を惜しんではならない。皆さん本を買いましょう。特に、外も中も重い本を買いましょう。そして、思う存分その本を使い捲ろう。

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2017-10-15 『「鉄」学の道は奥深い』

『「鉄」学の道は奥深い』<2017年10月15日(日)>

 「鉄道には何か『宿るもの』があります。だから『きかんしゃトーマス』など擬人化されることも多い」。『余録』(1710159)は、福山市立大准教授の弘田陽介さん『子どもはなぜ電車が好きなのか』(冬弓舎)を紹介する。「お金がない求職中、「電車でも見に行こうか」と子どもと出かけ、飽きずにながめる姿を不思議に思って本にした。鉄道は町と町を結び、人と人をつないでいる。走る姿は人々をワクワクさせ、想像力をかきたててきた。出会いや別れも、ともにある。『鉄』学の道は奥深い」のであると。

 (JN) 昨日は「原鉄道模型博物館」へ行ってきた。そして、Sトレインに乗り、4つの線を愉しむ。地下を走る時はじっと我慢であるが、東京神奈川の街並みを愉しむ。今度は「自由が丘」へ来ようかなどと考えていると、一般電車とそれほど代わり映えのしない急行列車のようで、慌てて乗り込んだ人が戸惑う。車掌さんに座席指定料金を渋々払う。気が付くと横浜だ。博物館では、ジオラマにワクワクした。いい歳してであるが、飽きないのである。老若男女が食い入るように、視線を落としたり上げたり、それを繰り返す。それぞれにある世界に入り込むのである。ヨーロッパの列車も良いな。展示物を見れば、日の出号のプレートだ。中学生のころを思い出す。「鉄」学の道は様々だ。昨日は「鉄道の日」であった。

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2017-10-14 『原発事故から6年半が過ぎても戻らぬ古里の味がある』

原発事故から6年半が過ぎても戻らぬ古里の味がある』<2017年10月14日(土)>

 「瑞穂の国の秋」、『春秋』(171014)の筆者はエッセー「食べたくなる本」を読み、その著者である三浦哲哉さんの古里の福島県を思う。「取材で出会った東京電力福島第1原発事故の被災者の顔が浮かんだ。最も懐かしい地元の食は何ですか。『一番の楽しみは、稲刈りの後の泥鰌鍋と熱かん。これは譲れないよ』。三浦さんは、真の美食とは土地に根ざす者が、巡る季節の旬を待ちわびる心と一体のものだ、という。男性の自宅周辺の田畑は除染ゴミの仮置き場だ。原発事故から6年半が過ぎても戻らぬ古里の味がある」。

 (JN) あの時の古里を返して欲しい。古里であり、生活の場であった人々にとって、原発事故から6年、どんな思いであったろう。自然の恵みは素晴らしい。山菜泥鰌と聞いても、東京の郊外で育った私には古里の味はない。地元の四季や旬味はどうであったか。幼いころの自然の記憶は残っているが、古里の恵を知らない。そこにもその昔は古里古里の味があったろうが、田畑は住宅地になり、互いを知らないニューカマーズばかりの地域となった。どちらも、古里の大事なものを人間自身で無くしてしまった。自然との和に生きた日本が、高度経済成長の名のもとに自然を蔑ろにしてきた。全てが売り物になり、自分たちの心の底から待ちわびる古里の旬がなくなってゆく。それが今の現実である。これからはどうする。

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2017-10-13 『キャベツの悲鳴を聞いたことがある』

キャベツの悲鳴を聞いたことがある』<2017年10月13日(金)>

 「一センチのいい土ができるには、百年かかる」。『筆洗』(171011)は福島県須賀川市の樽川和也さんの父親は言っていた。その父親の久志さんは、福島第一原発の事故により「地元産のキャベツが出荷停止になったとの知らせが入った翌朝、久志さんは自ら命を絶った。出荷できなくなった七千五百株のキャベツは、畑でむなしく育った。大きくなりすぎたキャベツはパリッパリッと音を立て、真っ二つに割れた。和也さんには、それがキャベツの悲鳴に聞こえたのだ。それから六年半。私たちは、どんな方向に、どれほど歩いてきたのか。立ち止まって考えたい、衆院選だ」。

(JN) 資本主義の世界では、人や地域よりも、経済効率を重視する。経済価値尺度で、震災の被害により、使えない土地も人も、価値なきものにされてしまう。ひどいものだ。そこを救うのが政治である。それを行うのは代議士であるが、どうなのだろう。非経済的な原発は何とか動かそうとする。どうなっているのだ。この考えに間違えがないのか、それを審判すのが司法であり、違憲かどうか間違っていないかを示すのが最高裁裁判官であろうか。さて、その人々に対して、曲り形にも国民の意見を出せるのが衆議院選挙である。その権利を私たちは十分に考え、行使しよう。

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2017-10-12 『エルネスト、「こんなひどい目に遭わされて、どうして・・・』

エルネスト、「こんなひどい目に遭わされて、どうして怒らないんだ」』〈2017年10月12日(木)〉

 チェ・ゲバラは1959年夏に広島にやってきた。『天声人語』(171012)は映画「エルネスト」の場面より、言葉を引き出す。「こんなひどい目に遭わされて、どうして怒らないんだ」。そして、続ける。「米国の支援を受けたキューバ政府軍と戦った闘士にすれば、米国に従うばかりの日本政府が歯がゆかったのだろう。ゲバラが39歳で没して今月で50年。『父を失って暮らしは楽じゃなかった。生活のためベネズエラで働いた時期もあります』とカミーロさん(ゲバラの長男)。もしゲバラが50代まで生きていたら、眉間(みけん)にこんな憂愁をたたえただろうかと表情に見入った」。

 (JN) 暴力革命には反対だ。でも、エルネストの精神は若者たちに大きな影響を与えてきたのであろう。その力に私も魅了された。その飽くなき永続革命の追求の合間に、広島に来ていた。「こんなひどい目に遭わされて、どうして怒らないんだ」。彼でなくとも、広島で起きたことへの怒りを感じるはずだ。それだけ、また、戦争で受けた傷は日本人に大きかった。やがて、半世紀以上たちその当時の人々は世を去り、戦後生まれの時代になった。戦争で受けた心はもう無いようであるが、まだ日本は米国核の傘の下である。そして、言うことだけは勇ましくなくなった。エルネストがこのありさまを見たら、何というのであろうか。

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2017-10-11 『「不都合な真実」から目をそむけようとするのは・・・』

『「不都合な真実」から目をそむけようとするのは、体制を問わない人間の性(さが)かもしれない』<2017年10月11日(水)>

 「ウラルの核惨事」が60年前にあり、その全容が見えたのは事故から19年後であった。その情報を西側の「原子力業界から「ありえない」との声があがった」ことを『春秋』(171011)は、「『不都合な真実』から目をそむけようとするのは、体制を問わない人間の性かもしれない」という。そして、現実の日本について、「いやでも応でも原子力とのつきあいは続く。情報の公開など、安全性を確保するための具体的な手立てこそ、与野党から聞きたいところである」と。

 (JN) 事故は起きる。扱っている以上、換算な安全はない。従って、ロシアでも米国でも事故が起きている。その事故が原子力であることに、非常な危険がある。それだけに、不都合な情報を出したくない。右だろうが左だろうが、権力を握り続けたい者たちには、自分たちに「不都合な真実」は真実ではない。またそのような情報は抹殺するだけである。それは、その権力者が長期に亘りその座に居続ければ、国民にとっては真実が伝わらない。自分たちの立場を維持しようとすると、政治だけでなく企業にしても腐敗が起きるので、入れ替えというものが必要である。それを私たち国民が意識しないと、永遠に不正がそのままふたをされ続ける。適切に政権が動くように、私たちは代議士を選ばねばならない。不正を犯した勢力は一度野に下ろす。次に選んだ勢力が長く続けばまた交代をさせるという能力が国民に必要である。原子力についても、これまでの対応がどうであり、情報は真実であったのか。今後の政策はいい加減なことを言っていないか。しっかりと確認をしよう。

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2017-10-10 『日本の人々は雲の形や色、流れ方を見て、世の移ろい・・・』

『日本の人々は雲の形や色、流れ方を見て、世の移ろいを感じとってきた』<2017年10月10日(火)>

 「秋は空が澄んで、雲の位置が高い。雲好きにはたまらない季節です」(気象予報士の武田康男さん)と、昨日の『天声人語』(171009)秋の空を思う。南極、夕焼け、虹、オーロラ、日食・・・・「米国中国エジプトなどを旅した。多くの国で市民が雲に寄せる関心は『雨が降るか降らないか』。日本の人々は雲の形や色、流れ方を見て、世の移ろいを感じとってきたと話す。北原白秋は一編の詩に十数種類もの雲を詠み込んだ。耳慣れない名ではあっても、その響きから空に浮かぶ姿を想像するのは楽しい。たまには立ち止まって雲の流れに目をこらしたい。せめて秋の好日くらいは」。

 (JN) 秋の空は高く青く、気持ちがいい。そろそろ日差しも心地良くなってくる。外へ出るのが楽しくなるが、お天気が心配だ。今週末は雨マークが出ているが何とかならないだろうか。日々の生活では雲を見ながら天気など考えない。お天気キャスターの説明を鵜呑みにして日々過ごしている。天気が良ければ、偶には、のっぱらへ出て寝転がり雲を眺めたい。雲の形を愉しもうか、空高くウグイスのど自慢を聴こうか。それから、ウグイス嬢の「お願いします」が響き渡るのか。政局は移ろうのか。雲行きはどうなっていくのか。生々しく12日間の闘いが始まった。これは、テレビを鵜呑みにせず、雲行きにも左右されず、一票を投じよう。

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