どんな制度改革も力の及ばぬ熱い領域が、教育にはある

どんな制度改革も力の及ばぬ熱い領域が、教育にはある
 日経「春秋」(2015/5/22付)は、教員採用の全国共通試験の提言に対して、藤沢周平の教員時代の思い出から疑問を示している。「戦後まもないころ、師範学校を出たばかりの小菅留治先生は山形県の小さな中学校に赴任した。ひどく多忙で、思うように生徒も動かないのだ。すっかり落ち込んだその先生は、藤沢周平さんである。「一応は発達心理学なども勉強したはずなのに、何の役にも立たなかった」。理屈と現実がかみ合わないのはどの職業も同じだが、こと教員ほどその落差に苦しむ仕事はないのだろう。しかし先生たちへの世間の注文もまた多く、制度改革の声が絶えることはない。教員採用に全国共通の筆記試験を、政府の教育再生実行会議がまとめた提言も、そんな資質向上願望が背景にあろう。小菅先生を元気にしたのは、結局は子どもたちだった。『私はその生徒たちがかわいくて仕方がなくなった。多分ここが教育というものの原点だったのだろう』。藤沢さんの教員生活は病気のためわずか2年で終わるが、教え子たちは後年、学校に記念碑を建てた。どんな制度改革も力の及ばぬ熱い領域が、教育にはある。」
 教員に必要な資質は、理屈ではない。理屈を言いぱなしの教員は、高等教育だけで結構である。否、高等教育もそうではなくなってきたように、教員には、コミュニケーション力が大事である。自分の遥か昔の小中高の先生、どうであったか。高校ぐらいになると、薀蓄ある教員に痺れたが、基本的にはこちらの意向や能力を引き出せる先生がありがたかった。勿論、学力がなければ子供の納得感はないから、それを計るのは全国共通の試験でも良いであろうが、それも大学を真面に卒業できていれば十分である。それよりも、強いハートを持ち、一人ひとりを大事に育てる心をもった人材を選抜することを現場から考えてほしい。それに、学校統廃合を進めて大きな学校で多量の子供を扱うのではなく、全ての児童生徒と教員等が、お互いに顔が分かる、心が伝わる規模で、お互いを気遣う学校にすべきである。全国共通試験に予算をかけるより、他の改善があろう。