『最期まであの言葉を口にしたと想像をするだろう。「あれは・・・』

『最期まであの言葉を口にしたと想像をするだろう。「あれはファウルだ」』<2017年7月6日(木)>
 名監督の上田利治さんが亡くなった。上田監督といえば「あれはファウルだ」。『筆洗』(17年0706)は上田監督をそのエピソードとともに偲ぶ。1978年日本シリーズ、ヤクルト大杉選手の左翼ポール際の打球を審判はホームランとした。上田監督は「あれはファウルだ」と、中断は1時間19分。そして関大でバッテリーを組んだ村山実さんも『ファウルだ』の場面がある。1959年の天覧試合の長嶋さんのサヨナラ本塁打をずっとファウルと疑っていた。「上空から左翼ポールをながめるお二人を空想する。『やっぱり、ファウルだ』」。
 (JN) 草野球人は互いに審判をやることがある。敵味方から審判を出すわけで、その公正さは尚更敏感になるのである。私にも覚えがある「あれはファウルだ」。自軍が打ったレフトのラインぎりぎりの打球に審判の私は右手をぐるぐる回したが、「あれはファウルだ」ともめた。文句言われるほど意固地になり、感情がぶつかり合うのである。子供もころからボール・ストライク、アウト・セーフに沸く野球、これが面白いし、人の目はそれぞれに違って見えるのである。正解はそのボールしか知らないかもしれない。