『「不都合な真実」から目をそむけようとするのは・・・』

『「不都合な真実」から目をそむけようとするのは、体制を問わない人間の性(さが)かもしれない』<2017年10月11日(水)>
 「ウラルの核惨事」が60年前にあり、その全容が見えたのは事故から19年後であった。その情報を西側の「原子力業界から「ありえない」との声があがった」ことを『春秋』(171011)は、「『不都合な真実』から目をそむけようとするのは、体制を問わない人間の性かもしれない」という。そして、現実の日本について、「いやでも応でも原子力とのつきあいは続く。情報の公開など、安全性を確保するための具体的な手立てこそ、与野党から聞きたいところである」と。
 (JN) 事故は起きる。扱っている以上、換算な安全はない。従って、ロシアでも米国でも事故が起きている。その事故が原子力であることに、非常な危険がある。それだけに、不都合な情報を出したくない。右だろうが左だろうが、権力を握り続けたい者たちには、自分たちに「不都合な真実」は真実ではない。またそのような情報は抹殺するだけである。それは、その権力者が長期に亘りその座に居続ければ、国民にとっては真実が伝わらない。自分たちの立場を維持しようとすると、政治だけでなく企業にしても腐敗が起きるので、入れ替えというものが必要である。それを私たち国民が意識しないと、永遠に不正がそのままふたをされ続ける。適切に政権が動くように、私たちは代議士を選ばねばならない。不正を犯した勢力は一度野に下ろす。次に選んだ勢力が長く続けばまた交代をさせるという能力が国民に必要である。原子力についても、これまでの対応がどうであり、情報は真実であったのか。今後の政策はいい加減なことを言っていないか。しっかりと確認をしよう。