『広島や卵食ふ時口ひらく』

『広島や卵食ふ時口ひらく』<2017年11月28日(火)>
 西東三鬼の句、〈広島や卵食ふ時口ひらく〉の意味を『春秋』(171128)は私たちに伝える。「広島の惨状を目の当たりにした三鬼は言葉をのみ込み、ただ沈黙するしかなかった。だが、ようやく口を開く。それは語るためではない。1個のゆで卵を食べるために。この句の迫真性を共有、もしくは想像できる日本人はもはや少数派かもしれない」。そして、「きょうの両日、核保有・非保有国双方の有識者らを招き、核軍縮に関する「賢人会議」を広島市で開催。三鬼が開けた、ゆで卵ひとつ分の口の空洞を思い描く。世界の複雑さに耐えつつ、私たちの口から未来への言葉を紡いでいかねばなるまい」と。
 (JN) 平和ボケでいると、世界は平和であるような錯覚に陥る。現実は、停戦状態であり、その合間にわずかな平和があることがある。それなのに今の日本に住む者は、平和が当たり前であると思っている。しかもこの平和は、米国のパワーの傘の下であり、私たちが積極的に獲得した平和ではない。それに、このパワーにより、世界各地が戦火になっているのである。それに対抗しようと、金正男は核爆弾の力を得ようとしている。この銃口を突き合った平和とは何であろうか。広島で受けた惨事はまた繰り返すようでは人類は無能であろう。賢人になるためには、私たちは広島や長崎の情報を世界に伝え、それを人類の知識にして共有することで賢人に近づけるであろうか。皆が賢人にならないと、核軍縮も皆の平和も訪れないであろうか。