『「正直、誠実」「公正、公平、社会正義」「相互・・・』

『「正直、誠実」「公正、公平、社会正義」「相互理解、寛容」』<2018年3月26日(月)>
 道徳科について、「どう教え、どう成績をつけたらいいか、いまだに迷っている先生も多いのではないか」と、『余録』(180326)は心配する。そして、「もっと難しいのは政治家への道徳教育かもしれない」と言う。「君子は何事も自分に責任を課すが、小人は責任を人のせいにする。政界に君子はなかなか見当たらない。中学校の授業内容に介入した文部科学省の官僚はどうか。人のせいにしたり、偉い人の顔色ばかりうかがったりするのはやめましょう。おかしいことはおかしいとはっきり言える人になりましょう。せめて学校では、そんな道徳教育をしてほしい」と。
 (JN) 道徳は、学校だけで教えるものではない。また、評価のしようがないものである。日本は、義務教育において国の方針を教え込もうとする。そんな環境で、道徳を教えることができるのであろうか。現場の先生方は大変である。また、道徳的行動を示すべき大人たちが往々にして不道徳である。そして、その道徳の解釈にそれぞれ相違がある。一般的に言って、ニュースで目立つのは不道徳な現象ばかりである。不道徳な行動は本来、子どもたちに考えさせるには、持って来いの教材なのだが、その対象が不道徳では困る人々である。もし、これを教材にして、それが〇〇チルドレンの耳に入ると、文部科学省の人たちがまた現場介入か。悲しいかな、道徳とともに法律の理解もこれらの政治家には必要である。更に、それを教えられない官僚たち。これを子供たちはどう理解するのか。これには寛容であってはならない。とにかく、私たちは道徳を蔑ろにしている。否、人としての常識を持っていないから、優先席があったり、地域の条例に禁煙地域の指定ができたりする。あれしちゃいけない、これしちゃいけないと掲示だらけになる。情けない。