『君が歩兵大隊を編制していることを知っているのは・・・』

『君が歩兵大隊を編制していることを知っているのは君だけだ』<2018年4月18日(水)>
 「兵は警査と呼び、士官は警察士と呼ぶのだ。もし戦車がみえたら、それは戦車ではなく特車だというのだ」。『余録』(180418)は「警察予備隊創設にあたったコワルスキー米軍大佐の訓練担当の部下への指示」を紹介し、現在の自衛隊問題を考える。「コワルスキー大佐の回想録はシビリアンコントロールについていう。『日本で最も民主的な人々にも、この原則を理解し、受け入れることがこうも困難だったとは驚くほかない』。では今、防衛省はそれを本当に理解できているのか。シビリアンコントロールは『<官僚による支配>に変質してはならない』。大佐はそう説いた。国民、その代表である国会の統制をかいくぐる『戦』の字隠しはもういいかげんにしてほしい現代の防衛省である」。
 (JN) ルール違反であることを、如何に違反でないようにせねばならない事が世の中にはあるようだ。それを頭の良い人からそうでない人まで、納得がいくようにすることは難しい。うそをついたことのある者なら知っての通り、うそを通すことは困難極まる。早いところ、うそを止めないと後が大変である。うそをつかずに、済ますにはその表現力が必要だ。また大人の理解力が必要だ。正に、自衛隊はそのスタートから、その存在についての相当な皆様の努力と理解力で成り立った。「戦闘地域」は「戦闘が行われるところ」を言い、自衛隊は「戦闘地域」には行かない。仕方なく、皆はそう理解していたが、段々我々は頭が悪くなり、それはまずいと思いはじめて、憲法を改正せねばならないとか、日報には戦闘と記されたり、どうにもならなくなってしまった。これは、防衛官僚の忖度力不足ではないか。まあとにかく、国民の代表者の力不足が問題である。この内閣の力不足隠しはいつまで続くのか。