『「勝つためなのだ」と幻惑し、曲がった行為を・・・』

『「勝つためなのだ」と幻惑し、曲がった行為をそそのかす何か』<2018年5月17日(木)>
 日大アメフットの販促プレー、「将を射んと欲すれば先(ま)ず馬を射よ」、『筆洗』(180517)は、中国の故事や義経の戦術を出す。これは「義経も青ざめる、『勝つためなのだ』の卑怯な戦法か。戦法ではなく酸鼻を極める暴力行為である。・・・悪質な反則プレー・・・大学生らしい想像力も知性も人情も働かなかったのが悲しい。『勝つためなのだ』と幻惑し、曲がった行為をそそのかす何かが、日大同部や大学スポーツ全体に棲(す)んでいまいか。射るべきはそれである」。
 (JN) 日大アメフットチームの目的は選手(学生)を育てることにあらず、選手を壊すことにあったのだろうか。試合に勝つ事の意味はなんであったのか。チームとしてではなく、個人的なプレーにあったとは思えないこのプレーを私たちはどう理解しようか。背後から無防備な者を襲うとは。真相は明確ではないが、許してはならないプレーである。しかも、監督が人事の常任理事とは。まずは学校として考えてもらいたい。そして、チームの出直しを願う。そのためには、学校側の対応とともに、選手たちの意識に期待する。