『「愛車」という言葉も以前ほどは聞かぬ』

『「愛車」という言葉も以前ほどは聞かぬ』<2018年11月3日(土)>
 「トヨタ自動車が好きな車を自由に選び利用できる定額制サービスと一台の車を複数の人が利用するカーシェアリング事業を近く開始すると発表した」。『筆洗』(181103)はこれに思う。「愛車」、「手放さねばならぬときには共に重ねた日々を思い出し、感傷的になったりする。・・・特定の車を所有することへのこだわりが薄れる時代を見すえ、多様な使い方を提供し『まずは乗ってもらおう』という戦略らしい。・・・定額制やカーシェアリングで『いつでも』『だれでも』のクラウンになるのか。悪い話ではなかろうが、自動運転化を含めて、車が単なる道具、移動手段になっていくご時世が時代遅れの『愛車』の世代には少々寂しい」。
 (JN) 半世紀前であれば、若者は自家用車を持つことが憧れであった。それがやがて家族には当たり前のような存在となり、若者のあこがれの存在ではなくなった。そして、われわれは贅沢になり、それぞれが状況に応じて乗りたい自動車があり、一方で、自動車が必要ないのに置いてあるような家庭も存在する。欲は、いつでも、どこでも、そして乗りたいものとなる。シェアの世界は、どう広がっていくのであろうか。所有や商品の概念が、物質から権利に移っていくのであろうか。ステータスも、ものから所属に移っていくのか。愛車などのものを大事にしていくことは、今後、何に変わって行くのであろうか。