東浩紀の文章を批評する日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-02-27

セカイ系と欠損批評の問題点 セカイ系と欠損批評の問題点を含むブックマーク

要約

「セカイ系」の定義の中に、「社会描写が欠損」していることが入っている場合がある。

通常の物語から、何かを欠損させたのであれば、欠損させたことによって何を得たかの分析が必要であり、欠損だけで批評することは作品批評としては的外れである。

パソコンとハードディスクドライブ

さてここに、パソコンのモデルがあるとする。

一般に、ケース、CPUがあり、マザボ、メモリ、グラボ、ハードディスクドライブ(HDD)、光学ドライブといったパーツで形成されている。


この時、「HDDがないモデル」というのを考えて見よう。

「HDDがないモデル」の台頭を分析し、それらを買うユーザー心理と、その背景となる社会状況に思いを馳せる。


この分析に、意味はあるだろうか?

HDDがない意味

普通の人だったら、そんな分析をする前に、「なんでHDDがないの?」と聞くだろう。


例えば、自作モデルなので、HDDは自分で別に選んで取り付けることが前提となる場合があるだろう。この場合、HDDを搭載しないことで「拡張性」というメリットを得ているわけだ。


例えば、ネットブックなので、HDDを廃し、SSD等を搭載したモデルがあるだろう。

この場合、「低電力=長時間駆動」、「震動に強い」、「小型化可能」などのメリットがある。持ち歩く場合に、これらのメリットは発揮される。


ネットブックと自作モデルは、同じ「HDDがない」と言っても、意味合いは全然違っており、それを無視して「HDD無い系」で分析できるかというと、かなり無理があることは同意いただけるだろう。


通常ある要素が削られたモデルがあったとしたら、「何のために削ったのか」「削ったことによって得たメリット」に注目する必要がある。

社会がない意味

「セカイ系」という言葉は、「ぷるにえブックマーク」の、ぷるにえ氏(id:tokataki)が、発言しだした後、様々な伝言ゲームを経た言葉で、明白な意味は拡散している(「セカイ系とは何か」前島賢を参照のこと)。


さておいて、拡散している定義の中に「社会描写が無い作品群」というものがあり、それを前提とした批評は幾つか存在する。

典型的なものを、はてなキーワードから引用する。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%BB%A5%AB%A5%A4%B7%CF

[きみとぼく←→社会←→世界]という3段階のうち、「社会」をすっ飛ばして「きみとぼく」と「世界」のあり方が直結してしまうような作品を指すという定義もあるようだ。特に『最終兵器彼女』などは、「きみとぼく」が「世界」の上位に来ている、すなわち「きみとぼく」の行動で「世界」の行く末が決まってしまうという設定であるのも興味深い。

(中略)

なぜ、セカイ系といわれる作品群がこれほどまでに多くの若者に受け入れられるのかというと、若い時代に特有の心理があげられる。たいていの若者は大人と違って経験の蓄積もそれほどないため、その場の空気の読み方などといった、この世の”社会の約束事”は非常に複雑に感じ、己が社会と付き合っていくことにわずらわしさを感じる(=ウザイ)のが普通だ。そのために、社会との接点を”すっ飛ばした”セカイ系の作品は、”自分がそこに居たらどんなに心地よいだろう!”と感じるため、すんなりと入っていきやすいのである。

ここでは、「社会をすっ飛ばした」ことが、「若者の心理」と結びつけられて語られている。

たとえば「最終兵器彼女」

セカイ系が「社会の描写を削った」作品群だとすれば、当然ながら、「削ったことで何を得たのか?」という疑問が生じる。

それぞれ見てみよう。


たとえば「最終兵器彼女」という作品の場合、この作品が追求しているテーマは「極限状態の恋愛」である。

古今東西、追い詰められる恋愛のお話は、様々に存在するが、追い詰められた状況に対応する解決策として、駆け落ちがある。

ロミオとジュリエットの頃から、これはそうである。二人で、どこか遠くまで逃げて、幸せに暮らしましょう。というわけだ。

そして、ロミオとジュリエットの頃から、そうそう簡単に駆け落ちできないギミックが存在している。


「最終兵器彼女」の駆け落ち対策は、根本的なものである。つまり、「逃げ込める世界の果て」を、先回りして、全部ぶっ壊してしまうことだ(笑)

どこもかしこも焼け野原で「敵」が徘徊しているなら、そりゃ「駆け落ち」は出来ないだろうという話だ。そのために、セカイは壊れないといけなかった。


彼女が「最終兵器」であるというのも同じだ。彼女が兵器であれば戦争からは逃げにくい。「サイボーグ強化兵士」とか「戦術用兵器」とかでなく「最終兵器」なら、これはもう絶対に逃げられないという気になる。


「戦争で全員明日をも知れぬ命」というのも、極限状態の恋愛を構成する要素だ。明日死ぬかわからないからこそ、告白も浮気も、切羽詰まる。


「最終兵器彼女」は、戦争についての具体的な描写やリアリティはない。

その理由は、「極限状態の恋愛」を描くのに必要でない、むしろ邪魔だからだ。

敵が何で、どのように戦っているか分かれば、「極限状態」では無くなる。「追い詰められ感」は減る。


このように、「最終兵器彼女」では「極限状態の恋愛」を描くためのギミックとして「社会の不在」が使われている、というわけだ。

たとえば「ブギーポップ

ブギーポップの場合、街角での学生や改造人間の戦闘というか、精一杯の足掻きが、見えないところで世界の運命を形作っている、というモチーフが沢山でてくる。

「社会の不在」というか「中間の不在」だ。

この意味を分析してゆこう。


まずは、「ブギーポップ」に限らず、ラノベ読者、若年層の感情移入できる主人公(要は、少年少女)が、世界を救おうとすれば、なんらかのギミックで中間は吹っ飛ばざるを得ないというものだ。

考えてもみよう。

社会がまともに機能していれば、世界の危機においては、大人達が様々な組織を通じて対応するだろう。

警察なり自衛隊なり消防署なり町内会なり国会なりが動き出す。そうした、おっさん、おばさんの群像劇は、もちろん面白いが、必ずしもラノベ向きとは、言い難い。

そうすると、少年少女が世界を救うなんらかのギミックが必要となる。

それは、「親から受け継いだ巨大ロボ」でもいいし、「七つ集まると願いが叶う不思議な玉」でもいいし、「部外者には見えない、不思議な超能力」でも構わない。


次に、ブギーポップの「中間の不在」は、そこにある(はずの)設定への興味をかきたてるギミックとして機能している。要は「謎」だ。

統和機構の目的が何で、その幹部や首領は、どういう人物、どういう能力で、MPLSの存在が世界をどう変えるか、等々は、(少なくとも初期において)大いに議論の対象となり、読者の興味をかきたてた。

作者の異なるシリーズとの世界観の連続も、それらの関連性を通じて、おぼろげに見える世界観に対する興味がある。


第三に、寓話的リアリティとも言うべきものがある(この項、分析が甘いと思うが、ご寛恕あれ)。


聖書にソドムとゴモラの逸話がある。

罪深きソドムとゴモラを滅ぼす前に、神はそのことを予告し、ロトの叔父、アブラハムは神に問う。

この都は、確かに罪深いかもしれないが、それでも、たった10人、たった10人、善人がいるかもしれない。そうしたら、神はソドムを滅ぼすのですか、と。

神は、10人の善人がいれば、都を滅ぼさないことをアブラハムに約束する。


ソドムという巨大な都市の中で、神と触れる預言者でもなく、支配者たちでもなく、たった10人のの善人が市井にいるかどうかが、破滅と存続を分ける。

これは、そんな寓話だ。


個人的に、「ブギーポップは笑わない」のエコーズの審判には、この話に近いものを感じる。


ブギーポップ、上遠野のストーリーには、これに近いメタファーが沢山でてくる。

世界の命運が、それを直接目指す「最強」とか「権力者」によって、ではなく、誰も知らないところで、当人さえも気付かないうちに、ただの気まぐれや、ほんのわずかな努力で大きく左右されている、というものだ。


これらは逆説的に、個人と社会と世界の在り方を描いているのではないかなぁ、と、私は思う。


(ベタベタな話をするが)つまり、現実世界において、我々が考える社会や政治というのは、それこそ統和機構の如く意味不明で、そこにおける自分の存在というのは、ほとんど無いに等しいと思い込んでいる。

自分ごときが何をしたところで、大きな社会、世界が変わることは無いと高をくくっている。


けれど、本当はそうではない。統和機構的な権力者だって、世界をまともに制御できているわけではない。

普通の人の何気ない行動の集積は、大きな流れを作っている。

また何かすることで、案外、身の回りは、そして社会まで変化したりする。

そうした希望や不思議な縁を、上遠野は小説の形で書き続けている。

「社会との切断」ではなくて、個人と社会と世界の連携を、小説として寓話的に描いている。


……ここまで要約してしまうと、色々大切なものが抜け落ちてしまうわけだが、たとえば、そういう解釈もある。

セカイ系

作品解釈が長くなった。

何が言いたいかというと、このように目的に差がある時に、単に「社会描写の欠損」という点を持って、作品群をくくるのは意味がないだろう、ということだ。


「最終兵器彼女」の場合、設定の欠如は、それ自体は、あまり興味を誘わない(人それぞれだけどさ)。

「ブギーポップ」の場合、設定の空白は、好奇心、分析欲を刺激する。

「最終兵器彼女」の場合、描きたいのは、恋愛をはじめとする人間同士の絆のつながりで、そのために極限状態がある。

「ブギーポップ」の場合、描きたいのは、人間関係だけではなく、個人が周囲の人間関係の中で動くことが、社会・世界といつのまにかつながっていることだ。


また逆の視点から見ることもできる。

たとえば「最終兵器彼女」は、恋愛物である。

そもそも恋愛物は、普通、主人公回りの小さい人間関係に焦点が当てられるもので、社会に関する描写は少ない。普通の学園ラブコメ読んでて、教育委員会とPTAと教師とそれらの形作る社会などの描写は、あまり無いだろう。

そう考えた場合、「最終兵器彼女」は、「社会が欠如」しているのではなく、通常の恋愛物と同程度に社会描写をしている、とも言えるのだ。

それを、例えば、通常のSFバトル物と無意識に比較してるから、「社会の欠如が〜」という話になる。


私からすると「最終兵器彼女」と「ブギーポップ」は、自作モデルとネットブックくらいには異なった作品に思える。

もちろん、それを踏まえた上で、共通点について語ることはできるだろうし、それは否定しない。


ともあれ「セカイ系」という言葉で、作品や文化を分析しようとする時、単なる欠損部分にのみ注目してまとめてしまう議論は、本当に数多いし、それらは、ほぼ無意味だ、ということだ。

セカイ系だけじゃない

このへんは、無論、「決断主義」でも「空気系」でも、様々な用語に当てはまる。

作品に対する議論をする時には、何かの欠損や特化だけに注目する論点に気を付けよう。

そうした論は、往々にして、「それによってどのような効果を得たのか」という単純な点を無視している。

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2010-01-22

生存競争は物語を作る 生存競争は物語を作るを含むブックマーク

(記憶に残りやすくする工夫というのが、即ち、物語である、という話)

自然淘汰

世の中に、様々な作品がある。そして、それらを受け取る観客がいる。

観客のキャパに限界がある以上、全ての作品は、いかに観客の時間を得るかという生存競争にさらされる。

作り手も、その生存競争を勝ち抜きたい動機がある。商業作品であれば利益を出したいし、非商業作品であっても評判を高めたいと思う人は多いだろう。


結果、様々な作品は、より、観客の注意を引き、時間を得る方向に進化する淘汰圧が働く。


話がくどいが、要するに売りたいor有名になりたいという人が沢山いるから、その中で切磋琢磨が行われるという、当たり前の話である。


以降、この記事では、作品の内容について、「どれだけ観客を獲得できるか?」という点のみで分析する。

もちろん、作品の良さは、客の多さだけで計れるものではない。

作品の価値や質を定義するのではなく、あくまで、「どういう作品が広まりやすいか?」という点のみの分析である。

記号と競争

さて、特定の記号が観客の興味を引きつけやすい、としよう。

「猫耳+メイド+ドジっ娘」とか、そういう記号が受けやすい、と、仮定する。

この時、何が起きるか?

記号自体をコピーするのが簡単である場合、競争と自然淘汰の原理が働く限り、「猫耳+メイド+ドジっ娘」の作品が、市場に増えてゆくことになる。


そうした作品が増えると、それぞれ「猫耳ドジっ娘メイド」好きの層を奪い合うことになるい、ここに競争が発生する。

記憶強度

さて、猫耳ドジっ娘メイドAと、猫耳ドジっ娘メイドBがいた時に、どちらが、より多くの観客を獲得できるか?


「何が売れるか? 流行るか?」という問題は永遠の謎であって簡単に答えはでないが、似たような意匠のAとBを比べてどちらが売れるか? というのであれば、少しは答えやすくなる。

つまり、より広まる≒より強い印象、より強い記憶を残すもの、と言えるだろう。


では強い印象、記憶を残すものとは何か?

記憶に関する研究を参照すれば、それがわかってくる。

記号の連関

人間というのは、無意味な数字や文字の羅列は覚えにくい。意味のある並びであればあるほど覚えやすくなる。

無意味な年号やらは語呂合わせで覚える、というのはよくある話だ。

歴史を覚えるのなら、単なるイベントの羅列、ではなくて、それぞれの関わりを理解して、大きな物語として把握することで、より覚えやすくなる。


猫耳ドジっ娘メイドAがいた場合、単に記号として「猫耳+メイド+ドジっ娘」をポンと出されても、印象は薄い。すぐ忘れてしまう。

ストーリーの中で、ドジっ娘メイドがドジしてゆくお話があることで、より印象に残りやすくなる。


「複数の記号が意味を持って連関した状態」とは、要は、お話、物語、ストーリーなわけだ。


作品を広める重要な手段は、物語である、ということが分かる。

連続的刺激

記憶の仕組みとしてもう一つ分かっていることは、最初は短期記憶として貯蔵され、何度もそれを引き出す内に、長期記憶として保存される、というのがある。


猫耳ドジっ娘メイドの話をするのなら、ストーリーを1話だけ見るのなら、短期記憶で終わりやすい。定期的に何度も見れば、それが長期記憶になってゆく、というわけだ。


広告などでは、露出回数を増やすのが基本的な方針としてあり、効果が確認されている。TVアニメなり、連載小説・マンガなりも、同じ方法論だ。


作品を広める重要な手段としての物語は、長さ・回数があったほうがいい、ということがわかる。

構造化

さて、猫耳ドジっ娘メイドを売り出すのであれば、物語にして、それを何話も定期的に出してゆけばいい、ということはわかった。


では、猫耳ドジっ娘メイドのアニメAと、アニメBが、毎週放映されている場合、どちらがより多くの観客を掴めるか?


もちろん様々な要素が絡むわけだが、記憶強度として考えるならば、連関が多いほう、ということになる。アニメのある部分を見て、他の部分との連関を想起させる……2話を見ると1話を思い出し、全部見ると始めから見直したくなるような作品こそが、記憶強度、印象が大きくなるといえよう。


プロットで言うなら、伏線が巧妙な作品だ。

観客は、色々な手がかりを注意し、しっかり記憶しながら、見ているだろう。

伏線が解決された時は、「なるほど、こことここがつながっていたのか!」と、過去の記憶と現在とを連関させることで、強い印象を受けるだろう。


キャラクターで言うならば、成長・変化だ。

あるキャラクターが、様々なドラマを経て変化してゆくことで、過去と現在を連関して記憶する。

弱虫だった猫耳ドジっ娘メイドが、艱難辛苦の末、ご主人様を守って立つ勇気を見せた時にこそ、強い印象を受けるというわけだ。


設定で言うならば、必然性だ。

猫耳ドジっ娘メイドは、なぜ、猫耳でドジでメイドなのか?

この世界には、なぜ猫耳がいるのか。この世界のメイドとはどういうものなのか。

彼女がそうなるに至った過去のお話や世界の話は、ばらばらの記号を連関させる。


ドラマで言うならば起承転結だ。

状況があり、それが変化し、盛り上がって、オチがつく。

1話の中で、それがあることで、1話全体の構造が記憶される。

全話の中で、それがあることで、1話から最終話まで全体の構造が記憶される。



他にも大変に色々あるだろうが、なんとなくわかっただろうか?

連関性の高いスト−リーというのが、いわゆる「よくできた物語」と呼ばれるものだ。

登場する要素が、様々なレベルで相互に結びつくことで、各部分を見る時に、全体が想起され、また他の部分が想起される、というわけだ。


作品を広める重要な手段としての連続する物語は、構造化されている「出来の良い物語」であったほうがいい、ということが分かる。

テーマと記憶強度

さてさて、では、売れ線の記号で、連続性のある物語で、構造がよく出来た物語同士の場合は、どちらが印象に残るか?


「よく出来た物語」というのは、つまり、作品を鑑賞している時に、どれだけ記憶が刺激されるか、だ。


次のステップとして、作品を鑑賞していない時も、記憶が刺激される、というものが考えられる。


作品を見てない時に、作品を思い出すのは、どういう時か? そこで「テーマ」というものが生きてくる。

作品の内容が、現実の生活に共通するものがあればあるほど、現実の生活の中で、作品を思い出しやすくなるわけだ。


具体例でゆこう。少年のアイデンティティ発見がテーマだとしよう。

テーマとキャラクターは連関すべきなので、自分は誰で、何になりたいのかを悩む少年が主人公だ。

現実の中で、自分が誰で何になりたいのかを悩む若者は多いだろう。そうした時、その若者は、作品を思い出す。


例えば「逃げちゃだめだ」だったり「姉ちゃん明日って今さ!」だったり、「おまえを信じる俺を信じろ」だったり、そうした言葉やシーンが心に残るのは、それらのテーマが、自分と深く関わっているからだ。


こうしたテーマは沢山ある。

戦争や民族紛争がテーマの作品であれば、ニュースを見た時、想起するだろう。

恋愛物が強い人気を誇るのも、恋愛というテーマがたいていの人にとって重要だからだ。


ストーリーのテーマが現実の問題と連関することで、直接鑑賞している時以外にも、記憶が刺激され、それによって印象が強くなる、というわけだ。


現実と通底するテーマを設定することで、物語の印象はより強くなる。

良い物語

以上をまとめると、強い印象を与える記号というのは、物語があり、よくできた構造をしており、かつそれが現実と通底するテーマがある、ということになった。


あくまで、記号を、猫耳ドジっ娘メイドを、より大勢に売るためだけを考えた場合でも、物語とテーマが重要だね、という話になったわけだ。

コストベネフィットと多様性

さてさて、では、売れ線の記号で、露出が多く、物語の構造がしっかりしていて、かつ普遍的なテーマを備えている作品なら必ず売れるのか?


もちろん断言はできないが、そこまで条件揃えば、かなりの確率で結構売れる、と、俺は思う。


一方で、そうした緊密な物語が無くても、売れている作品は多々ある。なぜ、そうした作品が出てくるか?

それについては、コストベネフィットの問題で説明できるだろう。


緊密な物語、というのは、コストが高いのだ。

しっかりした構造を考えるのは時間、手間がかかる。また考えた構造を、きっちり描ききるのも、簡単ではない。

作るのが大変で、失敗の可能性も大きいハイリスク・ハイリターンな手法なのだ。

伏線を綿密に張った面白いドラマが、途中で失速したり、風呂敷を畳みきれなかったりして駄作になる、というのは、実際に、よくある話だ。


逆にいうなら、同じだけのコストを使うのなら、構造をゆるやかにすることで、量を増やし、露出を大きくすることもできる。それはそれで有効な戦術だ。


コストベネフィットを考慮した場合、ローリスクローリターンや、ハイリスクハイリターン、様々なニッチ狙い等の戦術が現れ、単純に物語が優れている作品のみが生き残る、とは言えなくなる。

まとめ

どれだけ売れ線の記号があっても、記号単体で享受される期間は短い。

なぜならば、記号だけで売れるなら、当然、記号のコピーが増えて、競争が生じるからだ。

競争の中で印象づける重要な手段として、現実と共通するテーマを持ち構造化された物語が存在する。

一方で、よく練った物語を作るのはコストが高いので、成功する作品の中でも、物語性をどこまで練り込むかについては、様々な多様性が生まれる。

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2010-01-11

コンテンツとアーキテクチャの分析──やる夫スレの場合 コンテンツとアーキテクチャの分析──やる夫スレの場合を含むブックマーク

orzさんとの話し合いの中で、コンテンツとアーキテクチャ双方の分析が重要である、という話が出てきた。全くその通りであると思う。

というわけで、最近、思っていた、やる夫スレの個人的分析。

原則

大きく売れた/話題になった作品は、なんらかの形で、ぬきんでたものがある、というのが私の考えだ。まぁ、常識的な話であると思う。


誰しも、自分の作品が評判になってほしいと思っている一方、作品を鑑賞する人間の時間は有限であることから、話題作、と言えるものは、無限に増えることはできない。

よって、そこに競争原理が働く。


その競争原理の中から抜け出てきた作品には、抜け出たなりの理由があるだろう、ということだ。

消費者と、その消費者にあったアーキテクチャと、そのアーキテクチャを生かすコンテンツの3つがそろった時、それは抜け出る。

やる夫スレの場合

やる夫スレというのは、AAを使った、短篇/長編シリーズの総称である。


登場人物は、基本的に、アスキーアートのコピペや改造で作られており、多くは、人気漫画・アニメ等のキャラクターである(たとえば、ヒロインの多くはローゼンメイデンのキャラである)。


さて、やる夫スレは、AAで出来ている。

AAは描き下ろしのイラストなりと単体で比較した場合、まぁ質は劣ると言ってもいいだろう。


ではなぜ、劣った質のAAによる物語が、これだけ大きく広がって反響を生んだのか、という点だ。


なぜ、やる夫スレは受けたのか。言い替えるなら、やる夫スレというコンテンツの質は、アーキテクチャ、客層に対して、どのような特性を持つ必要があるのか?

ふたば☆ちゃんねる

やる夫スレのアーキテクチャは、2ちゃんねる型のスレッド掲示板である。

ちょうどいい比較対象として、ふたば☆ちゃんねるが、存在する。似たようなアーキテクチャで、こちらは画像投稿が中心である。

AAが画像に比べて質で劣ることだけを問題とするなら、ふたば>>>やる夫スレとなるはずである*1

逆に言うと、やる夫スレと、ふたばが共存しているということは、やる夫スレ側にAAを使うなんらかのメリットがある、と、考えても良いだろう。

ネット掲示板というアーキテクチャ

ネット掲示板は、誰もが参加できるというその性質上、玉石混淆である。

個々の作品の完成度を平均値としてのみみた場合、商業等の完成されたコンテンツに比べて劣る場合が多いとは言える(もちろん個々の作品の中に、商業レベルを遙かに超えてる人は存在する)。


それでもネット掲示板に心を寄せる理由は、コミュニティとして自分もそこに参加している感覚があるからだろう。「祭」と呼ばれるものだ。

つまり、作り手と受け手の距離が近い、時には同一であることが、ネット掲示板の有利な点だ。


さて、ふたばと、やる夫スレを見た場合、ふたばのイラストは単発が多い。連作大河物語の傑作的なものは存在するが(仮面ライダーになりたかった戦闘員等)、やる夫スレに比べれば、数は少ないと言っていいだろう。

一方で、やる夫スレの場合は、最初は短いものが多かったが、段々と、大河長編的な作品が生まれる方向に変化していった。


なぜか?

大河長編をマンガなりイラストなりで一から描くには、時間と手間と才能が必要だからだ。

数が少なく、投稿に間が空くということは、ライブ感、参加感覚を出しにくいということでもある。

故に、ふたばで起きる祭は、特定テーマ、ネタに関する単発イラストの集積、リレーという形になることが多い。イラスト一枚ごとで完結しつつ、ゆるやかにつながっているという形だ。


やる夫型AA物語、つまり、既存のAAのコピペをメインとして作る物語の場合は*2、最大の利点として「短い時間で作れる」というのが挙げられる。また、イラストや漫画に比べれば、作るだけなら作りやすい、という点がある。


やる夫スレの中には、ライブで反応を見て、読者の意見を反映しながら、物語を紡ぐ作者もいる。ある程度書きためてから投下する場合も多いが、これにせよ、読者の意見は大変に反映しやすい。


つまり、コミュニティ感覚が重要であるネット掲示板というアーキテクチャにおいて、製作スピードの必要性が、絵のクオリティよりも優先順位が高いため、AAという表現形態が選ばれた、と、いえるだろう。

そして、その利点は、大河物語を描く時に向いている。


1.ネット掲示板では、コミュニティ感覚・祭が重要。

2.祭を起こすためには、大勢の参加者が、短い時間で、互いのネタ・発言を反映しあうことが重要。

3.AAを使うことで、上記2つを満たす、大河絵物語を作ることが可能となった。

キャラコピペ

ネット掲示板アーキテクチャの特徴のもう一つとして、短時間で客を掴む必要がある、というのがある。ちょっとでも、あきられたら、スレを閉じられておしまい、だからだ。


大抵の娯楽作品に共通する特徴だが、ネット掲示板でも、そこが重要だ。

マンガやアニメの1話目の大切さは、よく言われる話である。

短い中に、キャラクターの立ち位置、世界のありよう、ドラマの形を詰め込んで、客に理解してもらうために、作者は工夫をこらすわけだ。

謎めいた世界観でも、深い事情があるキャラクターでも構わないが、1話が終わった時点で、どういうキャラが何のために頑張るのかが、ある程度見えないと、客は、そこで放り出す。


やる夫スレのAAは、この方向にも進化している。

様々な作品からAAを借りてくることの利点は、登場した瞬間に、立ち位置が分かる、ということだ。

やる夫がいれば、ああ、主人公だろう、と、分かる。

やらない夫がいれば、ああ、相棒なのだろう、と、分かる。

翠星石がいれば、ああ、ツンデレで幼なじみなのだろう、と、分かる。

こなたがいれば、ああ、女性の友人なのだろう、と、分かる。

もちろん基本を前提として、様々な崩しがあるが、キャラ絵が出た瞬間に、「こいつは、こういう立ち位置」というのが、わかりやすく伝わってくるのは、AAコピペならではだろう。


逆説的に、立ち位置さえ分かれば、性格を厳密に守る必要はない。


「きれいな誠」とされるキャラクターがある。

エロゲ、School Daysの主人公、伊藤誠は、西園寺世界、桂言葉との、ドロドロの三角関係を繰り広げるキャラクターである。

ゲームにおいては、伊藤誠の性格は、ある程度プレイヤーの選択に任されているため解釈の余地があるが、全体的な印象や、また、アニメ版での性格描写等から、「伊藤誠=女にだらしない最低の人間」というテンプレが生まれた。

一方で、それを逆転し、善人でいい人として誠を登場させる「きれいな誠」もやる夫スレにおいては活躍している。


「きれいな誠」の登場経過については、もちろん、既存のテンプレをわざとひっくり返す面白さ等もあったと思う。ただ、それだけでは、単発ネタで終わってしまうだろう。

「誠」の設定が重要なわけではない──それは無視される

「誠」の性格が重要なわけではない──それは反転される

重要なのは「誠」の立ち位置だ。


多くの場合、「誠」が登場する時は、世界、言葉も登場する。この二人でなくても、女性キャラは登場する。

つまり「誠」の立ち位置は、「女性問題に関わる」というものであり、それを読者に伝えるのが「誠」AAの機能というわけだ。

それさえ読者に伝わるのなら、関わり方が、鬼畜かヘタレか善人かは、スレごとに独自性があって良い。


似たような話で、蒼の子……蒼星石がある。やる夫スレ(※あるいはローゼンSS一般)における蒼星石というキャラクターは、原作からの性格のズレが大きく、またスレッドごとに解釈が異なる場合が多い。

これも、蒼星石の立ち位置を考えれば理解できる。


蒼星石の立ち位置は、「異色ヒロイン」だ。

蒼星石が出てくると、読者はヒロインを予感する。

一方で、翠星石やかがみ等の、正統派なヒロインとは、ちょっと違った性格、視点を提供することも期待する。


その「ちょっと違った視点」が、「クールだけど実は一途」であったり「超変態」になったりするのは、これもスレごとの自由、工夫というわけだ。


やる夫スレにおいては、AAの元ネタは、多くの場合、原作への期待や愛を反映するといった意味での二次創作、ではない*3

それは、まず、キャラクターの立ち位置を示すことで、短時間で、読者を引き込むために発展したギミックなのだ。


これは、やる夫スレのキャラが空疎であることを意味しない。

娯楽作品の多くにおいて共通する手法だが、キャラクターの厚みを補うには時間がかかるが、時間をかけて説明していると、読者が逃げる。だから、まず、短時間で立ち位置だけ伝える、という話だ。お客を掴んだら、そこからじっくりと、キャラクターを膨らませてゆけばいい。


先に書いた「きれいな誠」や「変態な蒼の子」の例は、やる夫スレの作者達が、原作のキャラクターの性格に囚われず、物語の中で自力でキャラクターを膨らませる努力をした結果である、とも言えるだろう。


立ち位置を示すことが重要という意味で、仮面劇の仮面に相当するものと言えるかもしれない。仮面で立ち位置をわかってもらって、仮面をかぶった役者の演技で深みをつけてゆくわけだ。


1.ネット掲示板/娯楽作品では、短い時間で、客を掴むことが必要。

2.AAのキャラコピペは、客を掴むために、それぞれのキャラの立ち位置を示す役割がある。

3.逆に言えば立ち位置以外は、性格も設定も固定されない。

4.立ち位置を伝え、客を掴むことで、キャラクターをじっくり描写する余裕が生まれる。その結果、キャラの性格は、原作から離脱した作者オリジナルのものが生まれ、受容されてゆく。

いやほかにもたくさんあるけど

以上、駆け足に、やる夫スレのアーキテクチャとコンテンツについて目についた点を分析した。まだ全然足りてないのは言うまでもない。


やる夫スレのアーキテクチャがネット掲示板であり、参加感覚・ライブ感覚がキーであって、AAというアーキテクチャは、それを生かすために、長編物語というコンテンツが生まれるに至った*4と説明した。


AAというアーキテクチャについては、素早い投下・対応ができることと、圧縮情報として、キャラの立ち位置を短時間で伝えられることの2点を挙げた。


話の都合上、AAはイラストに比べて画像としては劣るという点を強調したが、出来のいいAAには、AAでしか出せない味というのもあり、画像としてのAAんも良さも存在すると思う。そのへんをうまく言語化できてないのは、こちらの力不足であり、それ以外ではない。

他にも、AAの良さは、沢山あるし、良いやる夫作品は、そうした良さをぞんぶんに生かしているだろう。AA自体の進化についても書くべきことはたくさんある。

「長編物語」と書いたが、やる夫スレに合う長編物語というのは、どういうものか、という話もある。

また、今書いている最中にも、私が考える既存のやる夫スレモデルを越える新作が生まれつつあるだろう。


そうした点については、またネタがまとまったら書こうと思う。上記は、見えた範囲の分析であって、全体に対する批評ではない。

*1:乱暴な話だけど、一要素のみ比較した場合ね

*2:むかしの2ちゃんねるのAA物語は、キャラはコピペでも一画面ずつ、職人が構成しているものが多かったと記憶している。今の、やる夫型の物語は、ノベルゲームの「立ち絵+背景」に近い形と言えるかもしれない。その中で競争が生まれて進化する内に、AAの改造や巧みな画面構成も評価されてゆく傾向にある。ノベルゲームが「立ち絵+背景」から進化していったように

*3:もちろん、特定のキャラが好きだから、そのキャラを活躍させる、やる夫スレや、AAを作る人も存在する。

*4:短篇はどうでもいいという話ではない。気楽に参加できる短篇や、練りに練り込まれた珠玉の短篇もある一方で、面白い長編がぼんぼん投下されている、というのが、全体の熱にとって重要だろう。

orzorz 2010/01/12 05:13 ぼくはmotidukisigeruさんが無理矢理
東批判にもっていくことが多いのが気になっていたんですが、
こういうエントリは純粋に面白いと思います。

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2010-01-02

これわやっぱりひどい これわやっぱりひどいを含むブックマーク

批評の批評と建設的行為

さてさて批評の批評は、もっと非建設的では? というコメントをいただいた。

基本的に、その通りで、前回のエントリは、かっとなって書いたものでは、ある。


望月の批判が仮に正しいとしても、何もしないで文句を言うよりも、(たとえ未熟だとしても)何かを積み上げることのほうが、世の中では評価されてしかるべきである。


ということは分かっているつもりではありつつ、それでも我慢できないことも、ある。

知識を矮小化する批評

批評についての様々な立場はありうるが、基本は、知識を拡げてゆくことだと思われる。

ばらばらの情報を整理し、枠の中に秩序立てる。あるいは逆に、既存の秩序にあてはまらないものを見つける。違う視線を当てることで、意味を見いだす。

そのようにして、知識を増やすこと、考えさせることが批評の大きな意義と言っても良いだろう。


一方で、特定の面に批評するということは、それ以外の面を捨象するということでもある。

それ自体は悪いことではなく、論を立てるに当たっては必至なわけだが、そこが悪い方に働くと「考えさせない批評」が生まれる。


ある物の豊かさを発見するのではなく、既存の批評枠にいい加減に結びつけて、「わかったつもりになる」というパターンだ。

オタクの身勝手

先に書いたとおり、何かを批評するということは、何かを捨象するということだ。そして、それは必要なことである。

故に、たとえば、批評家がアニメについて語った時に、アニメオタクが「○○を無視するな」というのは、それなりの身勝手さを伴う。何かを捨象すること、それ自体にケチをつけていては、いくらでもケチがつけられるし、それでは、どんな論も書きようがないからだ。


この日記の記事においても、そうしたオタクの身勝手さに基づいた部分は、それなりに、あることだろう。

その上で、望月自身は、なるべくそうならないように心がけていた点がある。


一つは、「○○を無視するな」が捨象される部分ではなく、本論に関わることである時、だ。

事実があって、それをつなぐ論がある。論がまさに対象としている事実について調べが甘い時は、「○○を無視するな」と言って良いだろう。


その例は、この日記で幾つもあげているつもりであるが、たとえば、東浩紀が、「動物化するポストモダン」において、オタクの嗜好が(ひいては日本の社会全体が)データベース化していることをもって、でじこを代表的なキャラとして引き合いに出しながら、でじこに関する事実が、論と矛盾する形で間違っている場合などだ。

http://d.hatena.ne.jp/motidukisigeru/20030913/1063343100

考えないための批評

さて、前項で書いた「わかったつもりになる」「考えさせない」批評であるが、これは通常は、読者側の問題である。

一個の批評は一面についてしか語らない。それだけ読んで、わかったつもりになるからいけないのであって、それ自体は批評者の責任ではない。


だが、批評者が、あからさまに事実を軽視する時、それは批評者の責任ともなる。故意にそれを行う場合であれば、責任はさらに大きくなる。


前回の記事で、かっとなったのは、そこだ。


「業界」について何かを語りながら、「業界」に関して、なんらの調査を行っていない。

「未来」について何かを語りながら、「現在」について、なんらの調査を行っていない。

「貧しさ」について語りながら、「今そこにあるゲーム」について、なんら語っていない。

セカイ系」やら「伝奇系」やらというジャンルワードを振りかざすだけで、なんら内容がない。

そのくせに「貧しさ」についてだけ語る。


彼はこう書いている。

>「なので僕はもうめんどくさいので、いわゆるシナリオに重点が置かれている(ように見える)ノベルゲーをエロゲーと呼んでます」

ムチャクチャである。エロゲーはエロゲーであって「シナリオに重点が置かれているノベルゲー」ではない。「シナリオ重視のエロゲ」でも何でも好きに呼べばいいだろうが、その用語法は有り得ない。

推理小説を「私は小説と呼ぶ」とか、野球を「私はスポーツと呼ぶ」とか、それと同等で有り得ない。


で、仮に「シナリオに重点が置かれているノベルゲー」について語りたいのでもいいが、「業界」話には全くなっていない。


業界とは、作品があって購買層がいて流通があるのが前提だ。

どんな作品が誰にどれだけ売れているか、というのが業界の話をする時の根本にあるが、彼は全くそれについて無頓着だ。


それは、サブジャンルであるシナリオ重視系を、単純にエロゲと言う無神経さにも現れているし、また彼が「ぶっちゃけ今のエロゲ業界はライターでいえば5人くらいで回っている(象徴的な意味では)」と語るライターにも現れている。


奈須きのこにせよ、田中ロミオにせよ、寡作であり、最後の作品は、4〜5年前である。丸戸は堅実だが、それにしても最後の作品は2007年年末。

私は彼らのゲームが大好きだし価値があると思うが、「業界」について語るのであれば、彼らを中心に回ってるとは言い難い(さもなくば、2008年以降の業界は存在していないことになる)。

「セカイ系」や「伝奇系」の興隆について語りつつも、それらのプレイヤー層、売り上げ、数の推移については何も書かれていない。単に「自分の目にとまった範囲」の感想でしかない。


コメント欄では、スパナさんには「相手の理論を補完して見てそこから溢れる物を提示」したらどうかと言われた。東浩紀の議論については、少なくとも彼の理論を私なりに理解しようとはしたが、この日記に関して言うならば、補完するような内容は全く見当たらない。

おまえはどうなんだ

望月自身、じゃぁ、エロゲ業界について、大局的に語れと言われたら、それをするほどのデータは、今のところ持ち合わせていない。

なんだが、そうである故に、業界について大所高所から語ることはしないようにしている。

「このゲームが面白い」とか「この作者は好きだ」とか、その程度の話を、別のところでしている。


坂上秋成氏のやってるのも、そういうことだ。「ノベル重視のエロゲ=ビジュアルノベル*1」の「ジャンル」について、自分の見た範囲での感想を述べている。そこに自覚的であれば問題ない。


ただ、感想レベルの話を振り回して「業界」やら「市場」やらを語り、挙げ句の果てに「ライターでいえば5人くらいで回っている」というのに至っては、「出直して来い」の一言で済ましておく。

orzorz 2010/01/10 13:15 このエントリ自体も、やはり批評の矮小化以外の何ものでもないというか・・・スパナさんが言いたかったのも、結局アンチ東的な言説があまりにも矮小だから、相対的に東周辺の言説が面白く感じざるを得ない。それが悲しい、貧しいってことですよね。それは完全に同意してしまうな。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/10 17:34 「批評の矮小化」ですか。では、矮小化せずに捉えようとするとどうなるのでしょうか?

件の日記の内容を、矮小化せずに読んだ場合、「相手の理論を補完して見てそこから溢れる物を提示」できるものがあったら、教えていただきたいと思います。
これは皮肉ではなく、私には見つからなかったので、そういうものがあれば今後に生かしたいと思います。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/10 17:41 さて、たとえばトンデモ理論で、相対性理論を否定してワープが可能なことを示してる論文があったとして、その批判は「ここ計算間違ってるよ」の一言で済む場合があります。

この時、「元の論文に比べて批評が矮小だ」とか言われても、はぁそうですね、としか言い様がない。
「トンデモは超光速理論を出したのだから、おまえも匹敵する理論を出すべきだ」というのは、ただの勘違いでしょう。

私から見た、東氏の言論は、そのレベルです。そうでないなら、どこに拾うものがあるのか、ご指摘いただければと思います。これも皮肉ではなく本気で。

orzorz 2010/01/11 00:01 それはmotidukisigeruさんにとっては東の批評は意味がない、というだけでしょう? 
東もたぶんmotidukisigeruさんに向けては話してないでしょう。
しかしあるアニメ作家やエロゲのシナリオライターにとっては、目から鱗ってくらい東浩紀の批評は面白いかもしれないし、
もしかすると、アニメと哲学に興味がある大学生にとっては、その後の人生を変えるぐらいの面白さがあるかもしれない。
あるいは、もはや東の発言や過去の言説に絡むことによってしか、現在のオタクの話題に絡めないオタクもいるかもしれない。皮肉でも何でもなく。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/11 00:35 で、その「あるアニメ作家やエロゲのシナリオライターにとっての、目から鱗ってくらい」の面白さや、「アニメと哲学に興味がある大学生のその後の人生を変えるぐらいの」面白さ、というのは、具体的には何なのでしょうか?

あるいは、もっと単純に、orzさんにとっての、東浩紀の面白さとは何でしょうか?

「東の批評を矮小化している」
「じゃ、どこが面白いの?」
「どっかの誰かにとっては面白いかも」
では、会話になりませんよね。

orzorz 2010/01/11 01:29 そのリンク先のデ・ジ・キャラットに関する話なら、東浩紀がデ・ジ・キャラットに、東方Project的なものの萌芽を見いだしたのは、単純にすごい嗅覚だと思いますよ。予見的。ZUNがキャラクターの二次使用をフリー化する指針とか、オリジナルの絵は下手でもかまわないこととか、非常にデータベースチック。
ハルヒやらき☆すたを仕掛けたヤマカンだって東を読んでるし影響を受けてるそうですよ。
ハルヒ本編でも、本棚に波状言論(歯上言論)が入ってるの映ってるし。
motidukisigeruさんにとって意味はなくても、ヤマカンにはあったわけですよね。
ですからオタク批評をするなら、オタクである俺に意味がある批評だとまず納得させろ、
みたいな反発こそ、もう意味ないでしょう。
ヤマカンだって立派なオタクだし、むしろオタク文化の仕掛け人としては、中心人物ですから。
もうオタクは一枚岩ではないっていうことを記した本としても、動ポモは印象的な気もします。

ぼくも実体験として、ユーザーがツンデレとかネコ耳とかの属性検索して商品を買うから、
物語とは関係なく、そういうキャラをひと揃い用意せよみたいな制作現場への指導とか入ったことありますが、東の言説とかをあらかじめ読んでたので、逆に興味深かったですよ。

orzorz 2010/01/11 01:42 家庭用ゲームね。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/11 01:54 二次創作がまかりとおるオタク市場界隈に「二次使用フリーなキャラクター」を見いだす嗅覚自体は評価されても良いと思います。

問題は、その次です。

東氏は、その過程で、「デ・ジ・キャラットは匿名的に作られた」とか「コゲどんぼに作家性はない」と言っている。
それらが事実誤認や中傷であると同時に、彼の思考の限界になっている。

たとえば、東方Projectについて、orzさんは、「オリジナルの絵は下手でも構わない」点をあげました。それを「データベースチック」と言ってのける。

注目すべきは、そこじゃないでしょう。これから下手な絵で、東方Projectばりの企画を立ち上げて見てどうなるかといえば、そんなもん99.99%失敗するでしょう。
(Zun氏の絵が下手かどうかはおいといて)下手糞な絵で巫女さんと魔女と妖怪、幽霊ばらまけば、データベース的に消費される、なんてことはありえない。

じゃぁ、なぜ、デ・ジ・キャラットは売れたのか? なぜ、東方Projectは普及したのか?
デ・ジ・キャラットには強固な主張があったからだし、東方Projectには、質の高いゲームと音楽があったからでしょう。

そこには、作家性、あるいは職人性、「データベース」に回収しきれない諸々がある。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/11 02:04 ヤマカンの話ですが、らき☆すたなり、ハルヒなりの、原作とアニメを比べた場合「記号」自体は変化していないから、データベース的には等価であるはずだ。

実際に東氏は「作画がマズかろうが、動きが平板だろうが、そんなものはアニメを見るうえでまったく障害にならない。」と言っている。

それについて私は、そんなことはなくて、アニメについては京アニが良い仕事をしたことが、両作品の大きな魅力になっていると思う。

ヤマカンが、果たしてこれについてどう思うかは聞いてみたいところです。「影響を受けてる」というのが、どういう次元かという話ですね。

で、別に俺は、今も昔も一枚岩のオタクが存在していたとは思いません。
意見が分かれるところもあるし、一致しやすいところもあるし、どんなに一致しやすい部分でも必ず少数意見は存在すると想っています。動ポモを評価するオタクがいることは当然だし、否定する側が必ずしも主流とも思っていない。
それは時代の変化でもなんでもありません。

その上で、ハルヒやらき☆すたの普及について、京アニの仕事は作品の受容に関係なく、「作画がマズかろうが、動きが平板だろうが、そんなものはアニメを見るうえでまったく障害にならない。」と思うオタクは少数派ではないか、とは思います。
orzさんは、どう思いますか?

で、家庭用ゲーム売る時に、記号を一通り揃えるのは、商法として有効です。入り口を増やすのは大切なことです。
てっとりばやく検索エンジンにひっかかるようにすることは重要ですし、また口コミにおいても、遊んだお客さんが、うまくゲームを説明できるようにしておくことが大切なのです。「良作のギャルゲーだよ」よりも「ツンデレお嬢様が可愛かったよ」のほうが、買いやすいでしょう。
ただ、それだけの話なら、そんなものは東浩紀以前の問題ですね。

その一方で、記号さえ揃えておけば、ゲームのクオリティがむにゃむにゃでも、ユーザーがデータベース消費してくれる、なんてことは、まさか思ってないでしょう?

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/11 02:05 ※東方Projectが、なぜ、これだけ成功を収めたか、については、上記で書いた以上に色々な積み重ねや流れがあり、簡単に要約できる程度のものではないと思います。ただ、「データベース消費だから」で語り尽くせるものでないことは確かです。

orzorz 2010/01/11 05:31 >ただ、「データベース消費だから」で語り尽くせるものでないことは確かです。

広がったきっかけは「ゆっくりしていってね」のコピペとか
二時創作の動画で、ゲームの質とは無関係だったと思いますが……
別にデータベースだけで全部語り尽くす必要もないでしょう。
そもそも動ポモが発売されたのは東方やらきすたやハルヒより前、
ニコニコ動画でオタクの欲望が強烈に可視化されるずっと昔のことです。
東が東方の音楽やシューティングを評価しないことを批判してもしかたありません。
単にでじこの時代に書いた本なのに、
東方や初音ミクまで、理論の射程に入ってるのがすごいね、って思っただけです。
motidukisigeru さんは認めてないのかもしれませんが。

>らき☆すたなり、ハルヒなりの、原作とアニメを比べた場合「記号」自体は変化していないから、データベース的には等価であるはずだ。
実際に東氏は「作画がマズかろうが、動きが平板だろうが、そんなものはアニメを見るうえでまったく障害にならない。」と言っている。
それについて私は、そんなことはなくて、アニメについては京アニが良い仕事をしたことが、両作品の大きな魅力になっていると思う。

たぶん何か大きな誤読をしてると思いますよ。
東の理論ってデータベースとシミュラークルの二層構造でしょう。

作画が良くても動画がよくても、評価されるわけじゃないなんてのは、
少なくともヤマカンにとっては当然の話じゃないかな。
むしろ、その大昔のゲームラボの一言に捕らわれて
かたくなに否定し続けるのはどうなんだろうと思います。
みんなオタクのそういう消費の志向は前提として、
工夫してアニメを作ってると思いますよ。
(むしろ意識してないほうがおかしい)

ヤマカンが関わったラノベの人気作で
フルメタルパニックのシリアスなやつがあって、
これは超説クオリティだけど、
パロディの短編のに較べて、あまり有名ではない。
その後にハルヒですよね。
同じラノベの大人気作だけどよりデータベース志向です。
そして話をあえてバラバラにしてシャッフルし放送。
物語が支離滅裂になって普通の感情移入はできないはずが大ヒットしました。
次の題材は完全に物語やカメラを廃した萌え4コマ。
発表されたとき、オタクはみんな愕然としましたよね。
放映されると、動きは平板そのもの。カメラもほとんど固定。
動きまくるのは、ニコニコで話題をかっさらうために用意されたOPだけです。
キャラクター商品に特化したアニメで、古参のオタクを呆れさせましたが、
単純に若い層には大受けでした。
東方のファンも小中学生がメインだそうですが。

別に東が完全に正しいとか、そんなこと言いませんよ。
東はハルヒやらきすたに関して何も発言してないし。
ただ、東の話が見当外れとも思えません。
客観的に見ても、ハルヒやらきすたに関った、
制作陣の主要メンバーの一人が、
東の批評を面白いと思ってるなら、
motidukisigeru さんがまったく正当性が無いと思っても
一面の真実はあるでしょう。

そして何より、東が昨今のアニメに対してぬるい発言、
いくらでも突っ込める発言しかしてないのに、
未だに支持を失っていないのは、
ようするに東しかそういったアニメを語れそうなのがいない、
という状況も大きいと思いますよ。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/11 06:46 >広がったきっかけは「ゆっくりしていってね」のコピペとか
>二時創作の動画で、ゲームの質とは無関係だったと思いますが……

先にも書いたとおり、東方の同人界における発展については色々複雑なので、俺も詳しいことは押さえきれてません。
その上で、そんなわきゃないです。

俺が、東方を知ったのは、2002年、Win版の東方紅魔郷が発売された頃です。
この頃から作り込まれた内容で、大きなファンを獲得しています。
量は少ないながら、独特の味があり、背後に豊かなものを予想される、キャラ紹介、世界設定の部分にひきつけられた人も多いでしょう。
2004年には、「Eternal Fighter Zero」で、大きな人気を得た、黄昏フロンティアが、コラボレーションとして、東方の格闘ゲーム「東方萃夢想」が発売されています。
一方で、東方の音楽は、多くのアレンジを生みます。後に「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」でニコ動ブレイクをした、イオシスも、この系譜です。

結局流れとして、まず東方のゲームが発売され、プレイされて評価され、それを下地に、コラボ作品や二次創作の作品が生まれ、そこから様々な発展を遂げていったわけです。

特にニコ動ブレイク後は、シューティングを遊んでない東方ファンも勿論いるでしょうが、だからといって元となるゲームの質、音楽の質がなかったら、面白い二次創作物が作られたり広まったりすることも無かったでしょう。

>たぶん何か大きな誤読をしてると思いますよ。

誤解ではないですね。東氏が、データベース性を強調する余り、作家性やクオリティを見下した発言をする例は、ここだけじゃないんですよ。
あなたもあなたで、「元の絵が下手なこと」を「データベース消費」と結びつけてますし、東方Projectのブレイクに「ゲームの質は関係ない」とか、らき☆すたの「カメラが平板」と言っちゃう人ですからね。

>作画が良くても動画がよくても、評価されるわけじゃないなんてのは、
>少なくともヤマカンにとっては当然の話じゃないかな。

作画が良い、動画が良い、だけで、評価されるとは限らない、というのと、
作画や動画がどうでもいい、というのは次元の違う話です。

>みんなオタクのそういう消費の志向は前提として、
>工夫してアニメを作ってると思いますよ。

ええ。「工夫して」です。

ストーリーを作り、キャラを作り、世界観の空気を作り、構成を練り、単体で印象深いパーツを作りつつ、それぞれを相乗させるように工夫しているわけです。
「データベース消費だから、カメラも物語も工夫してないけど売れたよ!」なんてことにはなりません。

>ヤマカンが関わったラノベの人気作で
>フルメタルパニックのシリアスなやつがあって、
>これは超説クオリティだけど、
>パロディの短編のに較べて、あまり有名ではない。
>その後にハルヒですよね。

いや、WowWowだし……<フルメタTSR

まず作品の成功失敗というのは、それぞれです。
広報があり、予算があり、メディアがある。Wowwowのみの作品、深夜帯の作品、ゴールデンタイムの作品、と色々です。フルメタTSRにとっての成功と、ハルヒにとっての成功は別である。
金かけたから成功するというわけじゃないのは無論、確かですが、土俵の違うものを、無理に比べることには意味がない。

そしてハルヒは受けたし、らき☆すたも受けたけど、じゃぁ、アクションはいらなくなったかというと、そんなこともなくガンダムは今でも作られてる。最近だと、DTBなんかは、ストーリーが骨太の話として評判がいいですね。ストーリーが面白い話も、ストーリーが細切れで面白い話も沢山あるでしょう。

自分に都合のいい例だけ寄せ集めて、「データベース化だ」というのは、それはできるでしょうが、じゃぁ逆に、ストーリー志向に拠った作品だけ集めて逆のことだって言えるわけです。

>同じラノベの大人気作だけどよりデータベース志向です。
>そして話をあえてバラバラにしてシャッフルし放送。
>物語が支離滅裂になって普通の感情移入はできないはずが大ヒットしました。

物語をシャッフルして支離滅裂にしさえすれば大ヒットするなら、誰も苦労はしませんよね。普通の人間だったら、「なぜ、この場合、ハルヒをシャッフルして、成功したのだろう?」と考えます。でも、データベースがどうとかいう人は「データベースだからだ」で、思考停止している。

ハルヒという話は、基本、ハルヒとキョンが、互いの恋心に気付かない(気付かないフリ)をしている状態で、揺れ動く話です。
ですから、キョンがハルヒにキスをするというのは、ものすごく大きなヤマです。

小説では、1巻のクライマックスとして、それを持ってきました。小説は1冊単位で読むわけですから、そこに最大のヤマが来るわけです。
一方、アニメの場合、1クールアニメの4話目で、ハルヒとキョンがキスしちゃったら、後が続かないわけです。ですから、アニメでは「涼宮ハルヒの憂鬱 VI」を、最後に持ってくる必要があったし、それを前提にシャフリング調整する必要があったわけです。

逆に、単にシャッフルすること自体が重要なら、孤島症候群前後編や、涼宮ハルヒの憂鬱?から?を、バラバラの順でやれば良いでしょう。そういうことはしていない。

「ハルヒ」の放映順のシャッフルは、もちろん、実験作的な意味合いもあったでしょうが、相対としては、感情移入できるようにするためにシャッフルされています。

>次の題材は完全に物語やカメラを廃した萌え4コマ。

萌え4コマのアニメを、ロボアクションと同じ作画で取るわけにゃいかんでしょう。
その一方で、らき☆すたは、らき☆すたでしかできない、様々な演出に凝っています。
(ヤマカンに限らず)らき☆すたの演出やカットには、素晴らしいものがありますよ。

>キャラクター商品に特化したアニメで、古参のオタクを呆れさせましたが、

データベース消費っていう人は、結局、こういうことを言い出すわけです。
「このアニメはデータベースで売れてるから、ストーリーとか演出とかはクズだ」
世の中、そんなことは、滅多にありません。
ほんとにそう思ってるのなら、もう一度、らき☆すたを1話から見直したほうが良いです。

>ただ、東の話が見当外れとも思えません。
>客観的に見ても、ハルヒやらきすたに関った、
>制作陣の主要メンバーの一人が、
>東の批評を面白いと思ってるなら、

権威主義ですね。ヤマカンが言ってるからには面白いに違いない、と。
ヤマカンが、東氏の言説のどこを面白いと思ったのかわからないと、なんとも言えません。

そして、「面白い一面」はあると思いますよ。
ただ、その一方で、データベース消費を持ち上げて、作品自体のクオリティを見下す結果、orzさんみたいに、「この作品が売れたのはデータベースのおかげで、他はクズ」みたいな皮相的な見方をする人が出てくるのは、どうにかならんかと思うわけです。

>そして何より、東が昨今のアニメに対してぬるい発言、
>いくらでも突っ込める発言しかしてないのに、
>未だに支持を失っていないのは、
>ようするに東しかそういったアニメを語れそうなのがいない、
>という状況も大きいと思いますよ。

そこで、このエントリの最初に戻るわけですが。

東氏が、事実を調べず、データベース消費を強調するあまり、作品自体の個性や質を十把一絡げに貶めることで、「考えなくてもいい」批評を垂れ流している。

「考えなくてもわかったふりをしたい」層が彼のニッチなら、そこは、誠実な言説では直接埋まらない。

そういう状況に対して、文句があるわけです。

orzorz 2010/01/11 11:37 >「このアニメはデータベースで売れてるから、ストーリーとか演出とかはクズだ」

東の話ってデータベースを前提にしているけど、こんな乱暴にまとめてるのはmotidukisigeru さんだけだと思いますよ。若干の悪意ある誤読か不勉強のように見えます。
彼がアキハバラ電脳組やAirやクラナドを評価するのってデータベースが優れているから、だけじゃないでしょう。

>権威主義ですね。ヤマカンが言ってるからには面白いに違いない、と。

それこそヤマカン・・・制作者をバカにしてません?
なんで東は自分で小説なんて書いてると思います?
近代の作家性の在り方が変化してきてることや困難が伴うことは前提だと思いますし、東の本を読んで何か閃く人はいるでしょう。
しかし自分で意味がない、そんな現在の問題は存在しないと感じたならそれまでです。批評の価値を他人に教えてもらうなんてナンセンスですよ。

ただ、東の読者が「考えなくてもわかったふりをしたい」層っていうのはmotidukisigeruさんがそう思いたいってだけでしょう。

orzorz 2010/01/11 12:36 東浩紀は東方の音楽のデータベース性を無視してるからダメ。
東浩紀がらき☆すたの作画のクオリティの高さを無視してるダメ。
東浩紀がFateを過小評価しているダメ。
ヤマカンの発言はただの権威。

こういうのだって十分、「これはひどい」批評です。

orzorz 2010/01/11 12:37 (fateはちょっとネタでいれてみただけです)

orzorz 2010/01/11 15:37 そもそもコンテンツ派とアーキテクチャ派、
作品分析と環境分析、
両方を織り込まないともう批評は面白くないってのが
東の主張ですしね。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/11 18:36 >「このアニメはデータベースで売れてるから、ストーリーとか演出とかはクズだ」

これらはorzさんが、自分で言ったことですよ。

>次の題材は完全に物語やカメラを廃した萌え4コマ。
>キャラクター商品に特化したアニメ

とかですね。
東の思想を理解してると考えるあなたが、二言目に言い出すのは、こういうことなわけです。

>>権威主義ですね。ヤマカンが言ってるからには面白いに違いない、と。
>それこそヤマカン・・・制作者をバカにしてません?

いえ、orzさんを批判してるんです。
東が優れているなら、自分の言葉で、自分の理解で「ここが優れている」という話をすべきです。
この議論の中で「ヤマカンがすごいといってるからきっとすごい」というのは、ヤマカンを宮崎駿にしようがウォールト・ディズニーにしようが、権威主義です。

>東浩紀は東方の音楽のデータベース性を無視してるからダメ。
>東浩紀がらき☆すたの作画のクオリティの高さを無視してるダメ。

東方とらき☆すたに関して、雑なことを言ってるのは、東ではなく、orzさんです。

>そもそもコンテンツ派とアーキテクチャ派、
>作品分析と環境分析、
>両方を織り込まないともう批評は面白くないってのが
>東の主張ですしね。

だから、両方の話が必要だ、というなら、両方の話をしてください。
東方Projectの成功は、そのデータベース性に対応するアーキテクチャが優れていたと同時に、それを促す形で元コンテンツが良かった、と言えば、誰も文句はいいません。

そこで、「ゲーム性は関係ない」とか「元イラストは下手」とか、「コンテンツとしてのクオリティや作家性は低いけど〜」的なことを言い出すから、文句が出るわけです。
これは東も同じ。

そもそも東のアーキテクチャ批評で、まともなものは見たことがありません。「データベースだからすごい」以上の批評を、具体的に市場がどのような相互作用でどう変化してきたかをまともに分析した批評があったら教えてください。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/11 18:52 コンテンツとアーキテクチャ、双方の批評が両輪であるべき、というのは、俺も納得するところです。

ただ、私から見て、東さんは、そうしているようには見えない。

「データベース消費される作品は、従来の単体で完成しているコンテンツとは違う」という点を持ち出すために、「この作品は、単体コンテンツとしては本来ダメだけどそれでも売れたのは、データベース性」みたいな粗雑な議論をしがちだ。

実際、orzさんも、「東方Projectの反映に、元ゲームの質は関係ない」とか、「ハルヒのシャッフルで、通常の感情移入はできない」とか、わかったつもりになって、そういういことを言ってしまっている。

アーキテクチャについて言及したつもりで、コンテンツの批評を失敗してるし、コンテンツを見てないでわかったつもりになっているから、アーキテクチャへの批評も、薄っぺらい上に、事実誤認になっている。

東に対する上記の認識が誤解である、と言いたいのなら、まずorzさんが、コンテンツ、アーキテクチャ、双方に気を配った物言いをしてください。

というか、東方Projectについて何か言うなら、ちゃんと調べてください。東がデ・ジ・キャラットについて言ったことの事実誤認をフォローしようとして、事実誤認してちゃしょうがないでしょ。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/11 19:25 >近代の作家性の在り方が変化してきてることや困難が伴うことは前提だと思いますし、

ほら、アーキテクチャの話になっていない。
作品はアーキテクチャに規定されるし、作品の形が、作家性に影響する。であるなら、たとえば、週刊マンガのアーキテクチャと、ラノベのアーキテクチャと、テレビアニメのアーキテクチャは、共通点もありながら、それぞれ別なので、違った困難があるはずでしょ?

まず、それらのアーキテクチャが、現在、どのようで、過去からどのように変化してきたかを調べるのが重要なはずでしょう。

それをせずに、安易に「近代の作家性」と、まとめちゃう。
「現代はポストモダンでこうだから、作家性はこうなったに違いない」と決めつけて、それを無理矢理、色々なジャンルの作品に当てはめてゆくから、現実を見失う。
そういうのを思考停止と言うのです。
そういうのを考えさせない批評と言うのです。

作家性は変化し続けていますし、それに伴う困難も変化し続けている。一方で、それを、どうまとめるか、位置づけるかは、簡単な問題ではない。
見方次第で、過去との共通項も指摘できるし、現在の独自性も指摘できる。

いずれにせよ、事実の積み重ねがあって、それに対する検証があるわけで、印象論でテキトー言っても何の意味もない。

考えるというのは、まず調査するということです。事実を集めるということです。

orzorz 2010/01/12 01:46 >「このアニメはデータベースで売れてるから、ストーリーとか演出とかはクズだ」これらはorzさんが、自分で言ったことですよ。

まったく理解できません。キャラクターを全面に押し出すために物語やカメラ、フレームの役割を縮減させることがmotidukisigeruさんにとっては「演出はクズ」と同義になるんでしょうか? というか、motidukisigeruさんの言ってる東方の歴史とかも、その程度の知識をどうして自慢げに話せるのかが、ぼくにはまったく理解できません。motidukisigeruさんの中では、音楽がすばらしい良質なシューティングは、みんな二時創作の標的になって設定や物語、PVが紡がれていくのが確定してるんでしょうか?そんな調査があるんでしょうか?常識的に考えてシューティングの優劣とは別の文脈が必要になってくるはずなのですが。「らき☆すたはすばらしい、東方はすばらしい、おまえの発言はらきすたや東方をクズ扱いしてる」motidukisigeruさんはコレしか言わないですが、ひどい思考停止に感じます。なんですかクズって?正直「これはひどい」です。

>東が優れているなら、自分の言葉で、自分の理解で「ここが優れている」という話をすべきです。

身もふたもないことを言うと、
motidukisigeruさんの批評?に面白いと思える部分がないのに、

motidukisigeruの批評>東の批評

としているのが妙というだけなんですが・・・。
motidukisigeruさんには東の批評は何の価値も意味もない。自分の中では自分の批評のほうが豊穣。
それは誰も否定しないでしょう。

別にmotidukisigeru批評の面白さをぼくにわかるように解説して欲しいとか思いません。
そんなことされても寒いだけですよ。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/12 02:33 >キャラクターを全面に押し出すために物語やカメラ、フレームの役割を縮減させる

「役割の縮減」とか安直なことを言わないでください。

ロボアニメを作るために適した物語やフレーム、カメラがあり、萌え4コマを作るための物語やフレーム、カメラが、あります。双方に、それぞれの工夫があり努力があるわけです。

例えば、アクション映画の激しいカメラワークがあり、しっとりとしたドラマにも穏やかなカメラワークがある。
後者のカメラワークを「キャラクターを全面に押し出すために物語やカメラ、フレームの役割を縮減させる」とか言ったら、黒澤も小津もヒッチコックも、ひっくり返るでしょう。
アニメだって同じことです。

らき☆すたは、らき☆すたらしい、カメラ、フレーム、カット割りに、語り口を確立したから、映像として楽しく、大きな評価を得たわけです。

>というか、motidukisigeruさんの言ってる東方の歴史とかも、その程度の知識をどうして自慢げに話せるのかが、ぼくにはまったく理解できません。

いや、ニコ動とゆっくりで流行ったとか、すさまじくバカなことをいう人がいたから、仕方なく説明してるわけです。
私の知識が劣っているというなら、それ以下の知識で東方を語らないでください。

>motidukisigeruさんの中では、音楽がすばらしい良質なシューティングは、みんな二時創作の標的になって設定や物語、PVが紡がれていくのが確定してるんでしょうか?
>常識的に考えてシューティングの優劣とは別の文脈が必要になってくるはずなのですが。

シューティングの優劣「だけ」で語れないのは確かですが、シューティングの優劣と無関係、と考えるのは、間違いです。

音楽とゲームの質だけで、ブレイクするとは限りませんが、東方においてそれらが重要だったとは言えるでしょう。

当たり前の話ですが、二次創作が広がるためには、二次創作してくれる人が必要です。最初に二次創作をする人というのは、たいていの場合、元作品のファンです。
ファン層が大きければ、二次創作者も増えますし、コミュニティが形成されやすい。その中に技量の高い人が含まれやすくなりますし、外からも流入しやすい。
そうやって、二次創作が連鎖してゆくわけです。

逆の話、誰も知らない無名のタイトルから、優れた二次創作群が大量には生まれにくい、というのは、当たり前の話でしょう?
もちろん、まったく生まれないとは限りません。ニコ動のチーターマンブームとかありましたな。ただ、チーターマンみたいなのは、多くの場合、ネタとして一過性で終わりやすい。

東方の場合、元の作品のクオリティがあり、そこにファン層がつき、そこから優れた二次創作群が生まれてさらにファン層を広げていった。
仮に元作品にファンが全然つかなかったら、こうしたブレイクはしにくかったのではないか、という至極当たり前の話をしてるわけです。

そこにおいて、東方の質は重要だよ、と、いう話をしてるわけですな。

>「らき☆すたはすばらしい、東方はすばらしい、おまえの発言はらきすたや東方をクズ扱いしてる」

失礼しました。あなたの発言をクズと要約した部分については撤回します。

で、ここで言ってるのは、ある作品が、オタク受けした時に、元作品の質は大きな影響を及ぼすよ、という、常識的な話です。
元作品の質が高いという「だけ」でブレイクするとは限らないけれど、ブレイクした作品には、ブレイクさせるだけの何かがあっただろう、と。

>motidukisigeruさんの批評?に面白いと思える部分がないのに、
>motidukisigeruの批評>東の批評
>としているのが妙というだけなんですが・・・。

別に俺は、自分の批評が上だとは思っていません。面白いとも思っていません。
面白さだけの話をするなら、トンデモ理論のほうが面白いでしょうし、「計算間違ってるよ」というツッコミは別に面白くない。

私は単に、東氏やあなたが、事実を無視して妄言を紡ぐ過程で、コンテンツの質や作家性を貶めるような発言をしているのを、批判してるだけです。

orzorz 2010/01/12 02:59 いや、いや、だから東方がシューティングとして
クオリティ高いなんて話、誰も否定してないですよ。
motidukisigeruさんの批判が極論なだけ。それをそのまま逆にすると、
優れたシューティングゲームが
みんな東方みたいな扱いをされてきたみたいになっちゃうでしょう。
そんなわきゃない。
環境が整うのは必要条件として、当然あるだろうってだけです。
ポストモダンって環境が整っていくことでしょう。
逆に言えば、そこで二次創作が流行するのは、
優れたシューティングである必要もありません。
ボーカロイドのキャラクターでもいいんです。

motidukisigeruさんは、データベース理論の印象が強烈すぎて
未だにその影響から抜けられないだけじゃないかな?
東なんてそれこそクラナドやAirを絶賛し続けて、
keyのゲームなんて物語が幼稚っていう宇野的な批判に対抗して
keyをモチーフにした小説、コンテンツを自分で書いちゃう人ですよ。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/12 03:16 >いや、いや、だから東方がシューティングとしてクオリティ高いなんて話、誰も否定してないですよ。

じゃぁ東方Projectのブレイクに「シューティングの質は関係ない」というのは間違いということで良いですね?
らき☆すたにおいて、カメラ、フレーム、物語は重要であるということで良いですね?
ハルヒのシャッフルは物語性を無くして感情移入を拒むものではなくて、その逆であるということで良いですね?

……あなたが、データベース性を強調するために持ち出した例の全てで、コンテンツ性を否定するようなものを持ち出したのは、何かの偶然とでも言うつもりですか?

>環境が整うのは必要条件として、当然あるだろうってだけです。
>ポストモダンって環境が整っていくことでしょう。
>逆に言えば、そこで二次創作が流行するのは、
>優れたシューティングである必要もありません。
>ボーカロイドのキャラクターでもいいんです。

コンテンツとアーキテクチャと環境がそれぞれ相互作用してるってのは、現代に関係ないでしょ。
売れるものが、なんでもいいというのも、当たり前でしょ。
そんなのは理論以前の問題ですし、ポストモダン以前の問題です。

>東なんてそれこそクラナドやAirを絶賛し続けて、

知ってますよ。
東氏が、作品を賞賛する時は、エヴァと一緒で、全部「従来の作品に比べて革命的だから」。
従来の作品と共通して優れてる点をネグレクトする。
それについても、日記で何度か書いています。

orzorz 2010/01/12 03:31 >面白さだけの話をするなら、トンデモ理論のほうが面白いでしょうし、「計算間違ってるよ」というツッコミは別に面白くない。

いや、motidukisigeruさんも東と同じくらい誤解だらけ、
自己中心的な発言だらけだと思いますよ・・・。

>知ってますよ。東氏が、作品を賞賛する時は、エヴァと一緒で、全部「従来の作品に比べて革命的だから」。

クラナドがエヴァと同じで革命的?
なんかぼくが読んできた東浩紀とは違う東浩紀を読んでるようですね。
そういえば東はAirの京都アニメーション版に関しても演出がすばらしいゲーム版超えたかもって絶賛してた気もしますが・・・。

まあ、これ以上は無駄ですね。
motidukisigeruさんの中で結論が出てるんだから
ぼくの意見など聞いても、どうしょうもないですよ。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/12 03:47 >いや、motidukisigeruさんも東と同じくらい誤解だらけ、

でしたら、それを指摘していただければ、ありたがく修正します。

>クラナドがエヴァと同じで革命的?
>なんかぼくが読んできた東浩紀とは違う東浩紀を読んでるようですね。

おっと失礼。クラナドについては筆が滑りました。
俺が日記に書いたのは、Airに関する話ですな。
おわびの上、撤回します。

>そういえば東はAirの京都アニメーション版に関しても演出がすばらしいゲーム版超えたかもって絶賛してた気もしますが・・・。

東浩紀が、単体コンテンツのクオリティを誉めることがない、という話は、別に、してませんよ。

>motidukisigeruさんの中で結論が出てるんだから

人のせいにされても困ります。
ですから「東のどのような点をあなたは面白いのですか?」と聞いたわけです。

それについて答えが
・ヤマカンが面白いと言ってるから、きっとすごいに違いない
・motidukisigeruよりは面白い
という二つしか帰ってこなかったわけです。それで、東を見直せと言われても、無理ですよ。

orzさんが自分の言葉で「このような点に対する評価、評論が、このように優れている」と語っていただければ、こちらも、きちんと聞く用意があります。

orzorz 2010/01/12 04:26 東がエヴァとAirを同じ理由で評価してるなんてのも聞いたことありませんが・・・。

>orzさんが自分の言葉で「このような点に対する評価、評論が、このように優れている」と語っていただければ、こちらも、きちんと聞く用意があります。

ヤマカンもぼくも他の東読者も、
motidukisigeruさんと同じ物しか読んでないんでしょう。
どんなアイデアや発言に価値を感じるか、
共感を感じ取れるかは人それぞれ。
読み取れなかったら、感じ取れなかったら、それまで。
誰もが東を評価する必要はありませんし、
誰もが評価できる批評じゃないでしょう。

まあ……。
東浩紀っていう批評家の固有名が
コンテンツ化して、みんな東浩紀と絡めて
批評っぽい行為をしたがること自体が
十分分析するに足る面白い要素だとは思いますが。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/12 04:43 >東がエヴァとAirを同じ理由で評価してるなんてのも聞いたことありませんが・・・。

全く同じ理由で評価してるとは言ってません。
コンテンツがすごい、と言ったきり、なぜ、そのコンテンツがそのような形になった必然性について全く振り返ろうとしていないなぁ程度の話です。
この話題については、こちらも、大ざっぱな話しかしておりませんが、掘り下げてきちんと解説したほうが良いですか?

>読み取れなかったら、感じ取れなかったら、それまで。

考えるな、感じろ、と。それじゃ宗教ですなぁ。
何か新しいことを定義し、調査し、説明したなら、それは価値があるはずでしょう。


>東浩紀っていう批評家の固有名が
>コンテンツ化して、みんな東浩紀と絡めて
>批評っぽい行為をしたがること自体が
>十分分析するに足る面白い要素

なるほど。
結局コンテンツ元のクオリティとか内容とかの分析を放棄して、受容のされ方自体だけを見るわけですなー。
東方の時、ハルヒの時、らき☆すたの時と同じく。

そういう考え方が、思考停止だと言ってるわけですが。

orzorz 2010/01/12 05:01 ぼくはむしろ、motidukisigeruさんが
東方はすばらしい、らき☆すたがすばらしいを連呼することに
ちょっと宗教チックな恐怖感を感じていました。

全体的に「俺を納得させろ」みたいな雰囲気を感じるのですが、
motidukisigeruさんの芸風をぼくが変えるなんて無理でしょ。

でも個人的には、東がオタクを批評→それに対するオタクからの反論。
みたいな初期のスタンスは、もう通じないと思うんですよね。
東の影響を受けてライターになった若いオタクだってたくさんいますし、
ヤマカンのように東を支持するクリエイターもいる。
motidukisigeruさんは年期の入ったオタクかもしれませんが全体の代表ではない。
はっきりいって、らき☆すたや東方に対して
深い知識を持っているオタクのようにも愛好しているようにも思えないです。
唐突に書かれた新作ハルヒの批評(?)とかも読んだけど……
正直、東を批判するために、わざわざハルヒを批評しているようで、すごく退屈。
好意的に読んでも、motidukisigeruさんはハルヒのこんなところが好きなのか。
程度のものしか感じられなかったです。
ぼくの中では明らかに、東の批評のほうが、
motidukisigeruさんの批評よりも面白い、示唆的なものが多いですよ。
理由を詳しく説明してmotidukisigeruさんを納得させないと思考停止と断定する。
とか言われても仕方在りません。
批評ってそれこそ実体なんてないし、
共感する人が多いっていうのも、一つの要素でしょう。
逆に誰も共感しない批評なんて、無意味じゃないかな。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/12 05:23 >ぼくはむしろ、motidukisigeruさんが
>東方はすばらしい、らき☆すたがすばらしいを連呼することに
>ちょっと宗教チックな恐怖感を感じていました。

個人の感想の話になりますが、私は、らき☆すたのアニメは、良作と思いますし、敬意を払っておりますが、そこまではまっているわけではありません。
東方も、そこそこしか遊んでいません。別に、それらの作品をあがめ奉ってるわけじゃない。

だいたい東方やらき☆すたを持ち出したのは、orzさんでしょ?

繰り返しますが、ここで言ってるのは、常識論です。
ある作品が受けて、二次創作市場が生まれた時、その原因を考える時、作品自体のコンテンツ、内容には大きな意味があるだろう、という話です。

東方が受けた、らき☆すたが受けた、という前提を共有するなら、なぜ、それらが受けたか、というのを考える時、作品自体がどのように作られたかを分析するのが第一歩でしょう。

そこにおいて、「東方のゲームの質は関係ない」とか「らき☆すたには、物語もカメラもない」とか言い出すから、「おいおい、常識で考えろ。そんなわけないだろ。実際はこうだ」と反論したまでです。

アンダスタン?

>でも個人的には、東がオタクを批評→それに対するオタクからの反論。
>みたいな初期のスタンスは、もう通じないと思うんですよね。

批判が正しいかどうかは、批判の内容であって、スタンスで決まるこっちゃないでしょ。
結局、ここでも、コンテンツを無視して、形式だけで判断しちゃうわけですな。
それは便利だけど、思考停止だよ、という話です。

>東の影響を受けてライターになった若いオタクだってたくさんいますし、
>ヤマカンのように東を支持するクリエイターもいる。

その東の影響を受けてライターになった、坂上氏を批判してる日記なわけですよ……。
ヤマカンの支持については、繰り返しましたが、だから、どこをどのように支持してるかですな。

>motidukisigeruさんは年期の入ったオタクかもしれませんが全体の代表ではない。

俺は、全体を代表して何か言ってるわけじゃありません。そもそも代表してれば正しいとか、してなければ、間違いとか、そういうことでもないでしょう。
「ここがこうだとすると、ここはおかしいんじゃないの?」というのが正しいかどうかは内容の問題であって、肩書きの問題じゃないでしょ?

結局、あなたは、東の批評についてコンテンツとして「ここがいい」とか「ここが好き」とかそういう話をできず、「ヤマカンが認めた」とか「東フォロワーがライターになった」とか「オタク層は分裂した」とか、そういう状況についてだけしか語ることができない。

>はっきりいって、らき☆すたや東方に対して
>深い知識を持っているオタクのようにも愛好しているようにも思えないです。

先に書いたとおり、あなたが、らき☆すたや、東方を持ち出したから、その間違いを指摘したまでです。

また間違いの指摘に、面白さを求められても困ります。間違わないようにしてください。

>ぼくの中では明らかに、東の批評のほうが、
>motidukisigeruさんの批評よりも面白い、示唆的なものが多いですよ。
>理由を詳しく説明してmotidukisigeruさんを納得させないと思考停止と断定する。
>とか言われても仕方在りません。

いやだから例えば、「この批評を読んで、こういう示唆を受けた。これは良いと思う」というのを、一つでも出してくださいよ。
全ては、それからでしょう?

>批評ってそれこそ実体なんてないし、
>共感する人が多いっていうのも、一つの要素でしょう。
>逆に誰も共感しない批評なんて、無意味じゃないかな。

共感を呼ぶかどうかは大切ですが、共感する人の多さだけで計れるものではないでしょう。
共感の多さだけが重要なら、トンデモやインチキ宗教は無敵になっちゃいますよ?

orzorz 2010/01/12 13:47 自分のハルヒ批評は科学なんて思ってる人がいたらそっちのがヤバイと思うけどな。らき☆すたは共感を呼んでるんだから、よく知らないけど、物語も無条件ですばらしいんですって考えもそうだけど・・・・。

orzorz 2010/01/12 15:40 らき☆すたの物語が重要なのかは
物語に対するその人の考え方次第。

ぼくはらき☆すたの物語が優秀だという
前提が、らき☆すたの視聴者に常識的に共有されているとは、とても思えない。(ぼくの問題ではない)
そして、そういう前提が共有されてなければ、
らき☆すたの物語が優秀だという
批評を行っても、あまり支持は得られないと思う。常識的に。逆に支持を得られるような批評はスゴイと思うけど・・・。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/12 16:19 >自分のハルヒ批評は科学なんて思ってる人がいたらそっちのがヤバイと思うけどな。

別に「科学」とまで言うつもりはないですが、誰でも確認できる根拠と仮説を述べて、ツッコミに対して誠実に対応するくらいのことはできるでしょう。

「こいつの言ってることはムカつく上に気に入らないが、言ってることには一理あると認めざるを得ない」という意味の評論もありうるでしょう。

>らき☆すたは共感を呼んでるんだから、よく知らないけど、物語も無条件ですばらしいんですって考えもそうだけど・・・・。

ある作品が受容された時、そこには原因がある、と、しましょう。それは良いですね?

らき☆すたの物語について考える場合、「物語がダメにも関わらず」ヒットした可能性もある。
一方で、らき☆すたがヒットした原因の中に、「物語にも良い点があった」可能性がある。

おおまかに、この二つが考えられます。ここまでもいいですね?

私の意見は、アニメにおいて物語・脚本というのは重要なパーツであって、そこがダメ「にも関わらず」売れるということは滅多にない。
そこを子細に検討すれば、プロの工夫があるのではないか? という至極常識的なものです。

さて、らき☆すたの物語性というのについて、起承転結があって巧妙な伏線があって、波瀾万丈の展開にヤマがあってオチがあるという意味での「物語性」は、ありません。基本、一話完結ですしね。
orzさんは、それを指して「完全に物語を廃した」とか言っちゃってるわけです。

物語性というのを、もう少し広く捉えてましょう。英語でStoryの定義を引くと、Sequence of eventsとなる。イベントを並べたものが物語である、というわけですね。
単なるイベントを並べることで相互作用が発生する。そこに物語の工夫があるわけです。

例えばフルメタTSRの場合、各話が前の話と密接な関係を持ち、1話飛ばすとわからないくらいに、連鎖しています。

一方、「フルメタル・パニック? ふもっふ」みたいな作品がある。これは、1話の中ではイベントがきっちり連鎖してるけど、各話はおおむね独立している。

さらに、らき☆すたがあって、らき☆すたは、1話の中に、数本の元ネタ4コマがあり、ルーズに連鎖してる。ある程度イベント順を入れ替えても意味が通じる場合もある。
イベントの緊密性という点では、薄れているわけです。

では、フルメタ・ふもっふの監督は、何も考えずにテキトーに短篇を配列したか?
らき☆すたの監督は、何も考えずに、各話を配列してるか? 脚本家は何も考えずに、各話に4コマを配列してるか?
それらの順番は、どーーーーでもいいものなのか?

それは違うのではないか? という話をしています。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/12 16:35 たとえば、ふもっふなら、短篇を単に並べるのではなく、アキさせない順番というのがあるでしょう。
ギャグの傾向が似たような話にならないようにバランスよく配置すること。
15分×2で始めて、盛り上がる後編に、30分の長編や30分の前後編を入れてゆくこと。温泉ネタで盛り上げつつ、最後は少ししんみりする話を入れる、等。

それが、ふもっふの全体を見た場合の物語性です。

要は、1話完結の作品であるから順番はどうでもいい、とはならず、それならそれで、どのように並べるか、それによってどういう相乗効果を生み出すか、というのには、様々な工夫やテクニックが存在するという、至極当たり前の話です。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/12 16:44 ある作品に目に見える連続性がない=わかりやすい長編でないからといって、連続性に対する工夫がないということにはなりません。

というか、本当にそう思うなら、それはヤマカンを始め、監督なり脚本なりの仕事をバカにした話です。

ルーズな連作短篇に見えるものであっても、放映順があり、視聴者が放映順に見ることを前提としてる場合は、もっともふさわしい順番があり、そこに対する工夫があるわけです。

一般の客には、そうした工夫は、ぱっと見で、わかりにくいかもしれない。

でも、アニメの仕事……小説でも漫画でもゲームでもなんでもいいですが……作品の仕事の99%は、そういうわかりにくいところにあるものです。
逆にそれが全部わかるんだったら、明日からアニメ監督になれるでしょう。

俺もアニメ監督じゃないので、全部の工夫がわかるなんてつもりはありません。
上記の、ふもっふの話は、もの凄く簡単で表面的な話であって、プロはもっともっと深いところで作業をしているでしょう。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/12 16:47 らき☆すたの、物語性の工夫、イベント配置の工夫についての具体的な分析に関しては、俺の能力と労力が足りていません。

半年くらいくれればやるかもしれませんが、さておいて。

上記のように、物語の定義を拡張した場合、らき☆すたに、物語性の工夫があるであろう、ということについて、orzさんは、どのように思われますか?

そして、そのような工夫があるかもしれない時に、最初の印象だけで、「物語性を廃したデータベース構造」と決めつけるのは、乱暴ではないか、と、思いませんか?

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/12 16:53 アニメ監督じゃなきゃアニメを批評できない、とは言いますまい。
ただし、アニメ監督じゃない自分は、アニメ監督の作業の99%が見えていない可能性がある、というのは、謙虚に受け止めるべきでしょう。

客として「いーかげんだなー。いきあたりばったりだなぁ」と思って面白がるのは、綿密な計算によるものかもしれない、というか、大多数がそう思う場合、たいていは、そうなのです。
本当に、いいかげんなら、「いーかげんだなー、いきあたりばったりだなー、つまんね、次行こう」となっちゃうことのほうが多いですからね。

そしてまた、客は、「よくわかんねーけどおもしれー」でいいわけですが、批評家は、さすがに、それじゃいけない。

「らき☆すたは物語を廃した」と断言する前に「本当にそうなのか?」という視点で、各話を詳細に検討すべきでしょう。

それをせずに、安直に「データベース万歳」的な結論に飛びつくのは、批評としてはダメではないですか、というわけです。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/12 17:07 あるいは逆に、らき☆すたが、データベース的なキャラクター消費に特化しており、連続性は排除している、というのであれば、それにあった脚本・構成があるでしょう。

例えば、各話を完全に独立させ、予備知識ゼロで、どれから見ても、全く支障のないようにしておく。
(各話を独立させる工夫と連続してみた場合に、より面白くなる工夫は両立できたりもしますが、さておき)
らき☆すたの各話を検討した結果、そうした工夫を発見したよ、ということだったら、それはそれで検討に値する話でしょう。

でも、そこまでしてないでしょ?
印象論で、「完全に物語を排除した」とか書いちゃってるでしょ?
それじゃぁ、ダメだよ、という話です。

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/12 17:10 で、元々の話に戻るなら、フルメタTSR→ハルヒ→らき☆すたで物語性、連続性が後退した、というのであれば、けいおん!では、わりとストーリー性が回復してますが、大きな話題になってますわな?

別にだからといって、「動物化するポストモダン」が間違ってるとは言いませんが、逆に合ってるともいえないでしょう。

自分に都合のいい作品だけとりあげて、そこに「傾向」を見ようとするのは、学問的には間違いです。

orzorz 2010/01/13 00:29 話の流れで出ただけで、
ぼく自身、らき☆すた批評ってほどのことを
したつもりはありません。
また、東浩紀の批評が万能だとも思ってません。
というか誰も思ってないでしょう。
(だからといって無価値とも思わないが)

新エントリもあることだし、
これ以上の書き込みは自粛します。
(思わず新エントリのほうにも書き込んでしまいましたが、邪魔なら削除してもらってもかまわないです)

motidukisigerumotidukisigeru 2010/01/13 01:07 この日記のコメント欄は、大体、こういう場所なので、自粛はしていただかなくて結構です。無理に続けなくてもいいですが、遠慮は要りません。

さて、らき☆すたですが、ある作品を、きちんと批評するには、それくらいの調査が必要だという話です。まして、あるジャンルについて、きっちり傾向を語るには、より多くの作品について一つ一つ調べなければならない。

何かについて語る時には、十分にそれを調べる必要がある、というのは、どんな学問でも共通する当たり前の話です。

なんですが、orzさんは、不用意に「フルメタTSR、ハルヒ、らき☆すたがデータベース化」とか結論づけてしまっている。坂上氏は「エロゲは五人のライターで回ってる」とか言ってしまっている。

思えば、二人が参考にしている東氏も、そうした基本的な調査を怠って、予断と妄想でカッコイイことを言ってしまっている。
それを見た人が「あぁ批評というのは、地道な努力無しで、テキトーにカッコイイことだけ言ってればいいんだ」と思ってしまう。

東氏の理論の有効性以前に、私は、それが気にくわないわけです。

もちろん、何かについて「完全に調べた」と言い切ることはできないわけだから、揚げ足取ってたら、キリがないわけですが、「それにしても、ひどくね?」という話です。

調べきれないなら調べきれないで、「多分、こうなってるんじゃないかと思うが、このへんは調べてないのでわからない」とか、間違った時に、ちゃんと訂正する態度があるか、とかを含めての話です。

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2009-12-14

これわひどい これわひどいを含むブックマーク

http://d.hatena.ne.jp/syusei-sakagami/20091209/1260385560


プロ文芸批評氏による「エロゲーの未来について真剣に考える」と題されたエントリ。あんまり、ひどかったので、発作的に書く。


好意的に読むなら、「昔は、面白いエロゲがあった。セカイ系とかループとか好き。流行った結果、沢山でて食傷したけど、また、ああいうエロゲで面白いやつがでないかな」という感想文。


なんというか、これだけで、この人の考える「エロゲ」というのが、狭い範囲であることが分かる。別に、趣味が狭いのは構わない。感想としてはありだろう。

ただ、その狭さのまま、プロ批評家が、ジャンルを批評して断罪するのは、犯罪的怠慢である。


最悪なのは、この人が無能ということではなく(無能なのだが)、無知と偏見を広めること、それ自体で金を取ってる、ということだ。

ぶっちゃけ今のエロゲ業界はライターでいえば5人くらいで回っている(象徴的な意味では)。奈須きのこ田中ロミオ丸戸史明を押さえとけば大体分かる。

5人だけで回ってるわけもない。

(こういう人たちの)エロゲ批評が、その5人だけで回ってるに過ぎない。

分かるわけもない。「分かった気がする」だけだ。


奈須と田中と丸戸あたりを適当に使い、あとはアリバイ的に、その時々の尖った人を入れれば、「それっぽい話」は、いくらでも量産できる。

エロゲをまともに遊んでなくても、「丸戸はいいよね。他は、最近、あんまりぱっとしないね」とか言っておけば、知ったかぶりはできる。


「それっぽい話」をしたい人、「知ったかぶり」をしたい人はいつだっていて、彼らに向けて、バズワードを売って儲けるのが、一つの商売として成立するのだろう。


そうやって、自分達だけのジャーゴンで、批評価値を作り、外部に向けて盛大に「今のエロゲは、セカイ系でループ構造がポストモダンゼロ年代だからすごいんですよ!」と言ってまわって、勘違いした人を増やす。

そうやって大ヒット作の説得力に、そのまま乗っかる形で、批評を回す。


結局、彼らは、自分で価値を作ることができない。

大ヒットした作品に、後付けで適当なジャーゴンをくっつけて、それをセットで売る。

大ヒットが去った時には、「この業界はもう腐った」と言って、また別の売れてるジャンルに移動する。


セカイ系やループはテンプレ化して、今のエロゲは停滞しているそうだ。

なんと空疎な……どこまでも空疎なマッチポンプ

否。マッチポンプですらない焼き畑農業。


貧しさという言葉の意味を、じっくりと噛みしめている。

SVXF76SVXF76 2009/12/17 13:21 批評の批評をして何かを語った気になるのが、一番貧しいと思う・・・。
貧しくない、分かった気がするだけじゃない真のエロゲ批評を代わりに実践すべきでは?

スパナスパナ 2010/01/02 10:45 あなたの言い分もこのエントリではただの印象論だよね。

批評家が間違っているという根拠を提示するのではなく、「あんな偉そうな奴ら間違っているに決まっている」という俗情に訴えて煽り倒す。相手の理論を補完して見てそこから溢れる物を提示するのではなく、単に語られてない物を探し出して批評家の「不完全さ」を悪に仕立ててみせる。場合によっては自分と「批評家」との立ち位置の差に甘えたまま、「我々は期待してやってるのに『僕の考えるあるべき批評家、あるべき形式の批評』を行わない、これは知的不誠実さだ」と訴える。

この日記最初のころ読んでたけど未だに芸風が同じですね。
いわゆるオタク文化論系の批評家たちがこの種の"貧しさ"は持ち合わせていないが故に吟味の対象として読むに値する、という貧しさが悲しい。

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