これわやっぱりひどい

批評の批評と建設的行為

さてさて批評の批評は、もっと非建設的では? というコメントをいただいた。
基本的に、その通りで、前回のエントリは、かっとなって書いたものでは、ある。


望月の批判が仮に正しいとしても、何もしないで文句を言うよりも、(たとえ未熟だとしても)何かを積み上げることのほうが、世の中では評価されてしかるべきである。


ということは分かっているつもりではありつつ、それでも我慢できないことも、ある。

知識を矮小化する批評

批評についての様々な立場はありうるが、基本は、知識を拡げてゆくことだと思われる。
ばらばらの情報を整理し、枠の中に秩序立てる。あるいは逆に、既存の秩序にあてはまらないものを見つける。違う視線を当てることで、意味を見いだす。
そのようにして、知識を増やすこと、考えさせることが批評の大きな意義と言っても良いだろう。


一方で、特定の面に批評するということは、それ以外の面を捨象するということでもある。
それ自体は悪いことではなく、論を立てるに当たっては必至なわけだが、そこが悪い方に働くと「考えさせない批評」が生まれる。


ある物の豊かさを発見するのではなく、既存の批評枠にいい加減に結びつけて、「わかったつもりになる」というパターンだ。

オタクの身勝手

先に書いたとおり、何かを批評するということは、何かを捨象するということだ。そして、それは必要なことである。
故に、たとえば、批評家がアニメについて語った時に、アニメオタクが「○○を無視するな」というのは、それなりの身勝手さを伴う。何かを捨象すること、それ自体にケチをつけていては、いくらでもケチがつけられるし、それでは、どんな論も書きようがないからだ。


この日記の記事においても、そうしたオタクの身勝手さに基づいた部分は、それなりに、あることだろう。
その上で、望月自身は、なるべくそうならないように心がけていた点がある。


一つは、「○○を無視するな」が捨象される部分ではなく、本論に関わることである時、だ。
事実があって、それをつなぐ論がある。論がまさに対象としている事実について調べが甘い時は、「○○を無視するな」と言って良いだろう。


その例は、この日記で幾つもあげているつもりであるが、たとえば、東浩紀が、「動物化するポストモダン」において、オタクの嗜好が(ひいては日本の社会全体が)データベース化していることをもって、でじこを代表的なキャラとして引き合いに出しながら、でじこに関する事実が、論と矛盾する形で間違っている場合などだ。
http://d.hatena.ne.jp/motidukisigeru/20030913/1063343100

考えないための批評

さて、前項で書いた「わかったつもりになる」「考えさせない」批評であるが、これは通常は、読者側の問題である。
一個の批評は一面についてしか語らない。それだけ読んで、わかったつもりになるからいけないのであって、それ自体は批評者の責任ではない。


だが、批評者が、あからさまに事実を軽視する時、それは批評者の責任ともなる。故意にそれを行う場合であれば、責任はさらに大きくなる。


前回の記事で、かっとなったのは、そこだ。


「業界」について何かを語りながら、「業界」に関して、なんらの調査を行っていない。
「未来」について何かを語りながら、「現在」について、なんらの調査を行っていない。
「貧しさ」について語りながら、「今そこにあるゲーム」について、なんら語っていない。
セカイ系」やら「伝奇系」やらというジャンルワードを振りかざすだけで、なんら内容がない。
そのくせに「貧しさ」についてだけ語る。


彼はこう書いている。
>「なので僕はもうめんどくさいので、いわゆるシナリオに重点が置かれている(ように見える)ノベルゲーをエロゲーと呼んでます」
ムチャクチャである。エロゲーエロゲーであって「シナリオに重点が置かれているノベルゲー」ではない。「シナリオ重視のエロゲ」でも何でも好きに呼べばいいだろうが、その用語法は有り得ない。
推理小説を「私は小説と呼ぶ」とか、野球を「私はスポーツと呼ぶ」とか、それと同等で有り得ない。


で、仮に「シナリオに重点が置かれているノベルゲー」について語りたいのでもいいが、「業界」話には全くなっていない。


業界とは、作品があって購買層がいて流通があるのが前提だ。
どんな作品が誰にどれだけ売れているか、というのが業界の話をする時の根本にあるが、彼は全くそれについて無頓着だ。


それは、サブジャンルであるシナリオ重視系を、単純にエロゲと言う無神経さにも現れているし、また彼が「ぶっちゃけ今のエロゲ業界はライターでいえば5人くらいで回っている(象徴的な意味では)」と語るライターにも現れている。


奈須きのこにせよ、田中ロミオにせよ、寡作であり、最後の作品は、4〜5年前である。丸戸は堅実だが、それにしても最後の作品は2007年年末。
私は彼らのゲームが大好きだし価値があると思うが、「業界」について語るのであれば、彼らを中心に回ってるとは言い難い(さもなくば、2008年以降の業界は存在していないことになる)。
セカイ系」や「伝奇系」の興隆について語りつつも、それらのプレイヤー層、売り上げ、数の推移については何も書かれていない。単に「自分の目にとまった範囲」の感想でしかない。


コメント欄では、スパナさんには「相手の理論を補完して見てそこから溢れる物を提示」したらどうかと言われた。東浩紀の議論については、少なくとも彼の理論を私なりに理解しようとはしたが、この日記に関して言うならば、補完するような内容は全く見当たらない。

おまえはどうなんだ

望月自身、じゃぁ、エロゲ業界について、大局的に語れと言われたら、それをするほどのデータは、今のところ持ち合わせていない。
なんだが、そうである故に、業界について大所高所から語ることはしないようにしている。
「このゲームが面白い」とか「この作者は好きだ」とか、その程度の話を、別のところでしている。


坂上秋成氏のやってるのも、そういうことだ。「ノベル重視のエロゲ=ビジュアルノベル*1」の「ジャンル」について、自分の見た範囲での感想を述べている。そこに自覚的であれば問題ない。


ただ、感想レベルの話を振り回して「業界」やら「市場」やらを語り、挙げ句の果てに「ライターでいえば5人くらいで回っている」というのに至っては、「出直して来い」の一言で済ましておく。