もちもちおねいまんと4枚の絵

もちはもちや おねいまんはもちもちおねいまんです

アニメは愛に溢れていた。

夕方になるとたくさんのアニメが放送されていた1970年代に少女時代を過ごしたわたしは幸せだった。

泣いたり笑ったり、その物語に没頭することもあれば、主人公の言動に共感できないと文句を言ったり、
「どうしていつも同じ服を着ているの?」
「ああいうセリフは普通子どもは言わないよ。」・・・なんて突っ込みをしていた。
感じたことを大人にいくら訴えても、笑って流されてしまうので、
「ああ、大人ってどうしてこうも、子どもを子どもと思う生き物なんだろう」とため息をついていた。


先日BSアニメ夜話を見ていたら、「勇者ライディーン」について討論していた。*1
http://www.nhk.or.jp/manga/main.html
その番組の中でスタッフが「子どもは意外に良く見ているものだ。いい加減につじつまを合わせても物語の矛盾をみぬいてしまう・・・だから今まで以上にしっかりした話づくりをしよう・・・というような思いでアニメ創りに携わっていました」というようなことを話していた。
そうそう、って共感する一方、「ライディーン」を子どもの頃見ていた時に感じた違和感が蘇ってきた。なんとなく、わからないけれど夢中になれなかった、ライディーン・・・。どうしてだろう。


もし「ライディーン」が矛盾のない完全な世界を求めていたとしたら・・・・?
・・・たぶん、わたしが求めていたのはそういう世界ではなかったのだ。


わたしは、大人が子どものために作ってくれた矛盾だらけ・隙だらけのアニメが好きだったんだ。物語の世界にどこからでもすっと入って、さっとぬけることが出来る。自分が違うと思ったところをばかにして、そうすることで大人より偉くなったと感じられる。その甘い世界。
隙間だらけで不完全で矛盾に満ちた世界。
あれは、この世の縮図だったのだ。

*1:1975年(昭和50年)の放送というと、わたしは数年後の再放送を見たのかな?