なんだそれでよかったんだ。ミッフィーやガスパールとリサやそのほかの何かに似ちゃうところも。意図的で尊敬があれば。むしろその文脈が現代美術の正体であると。
すべて教える。ARTとはなにか。全部ぼくが知ったこと、考えてきたこと。手を打ちを明かすよ、だから仲間になって、同志になって、友達になって。ぼくをこれ以上孤独にしないでと叫んでいるようにも思えた。
真夜中に郵便ポストを作っていたら、ふと先日のとあることを思い出していまどき穴あけパンチでとじるとかって。ははっばかじゃんとかいい人達がまじめにやっていることを嘲笑ったら床に置いたセロハンテープカッターのふちを足のおやゆびにひっかけて切った。速!
おかまほられて切れ散らかしているもちもちおねいまん。ようやく神社の枝垂れ桜の木の下にたどりついた。燃える鉄球のように。てめえが警察にでんわすんだよとか、ごめんなさいねさっきは怒鳴ってしまってとか。声に出して読みたい日本語で覚えた慣用句で対応したつもりではあるのだが。
ひとつ保険に入ってさらに資産をつくるべくもうひとつ保険に入ることになった。毎月3万円ずつ80歳まで積んでゆく計画である。泥眼のような顔でハアそろそろ隠居できるかなァと相談しただけのはずなのにおかしい…そんな生きられないし御冗談を…と言いながらも、顔はにんまり般若のようにうれしいうれしい。頭はどうしたらそこまで働けるだろうかと猛烈に回転し始めた。
伝達方法を言葉だけに頼ることはもういいかな、と思った。というのもほかでもない言葉より、わたしに頼るのはそろそろもういいんじゃないと告げられたから。それからというものどんな文章を読んでもその告白が隠れているように感じる。言葉に背を押され手を引かれている。こうやってしていてあげるからそうしてみて、って。これまでよりも親密であるようにさえ思える。
忘れたくはない。今日の楽しかったことを、二度と戻らない人生のだとしても、みんなが楽しくしていてそれにわらいをこらえきれない。そのことを忘れてしまっていいと思うきもちと、思い出して大切にしたいと思う気持ちの両方のはざまで、やくるとを飲もうと思う現実も好きなことを。