血の入れ替えを断行。

シーズンオフには投手陣強化のため、毎年のように故障続きで戦力として計算しにくい多村仁ソフトバンクに放出し、寺原隼人を獲得。数年前から毎年のように移籍が噂されていた巨人の仁志敏久を、小田嶋正邦+金銭のトレードで獲得する。この年チーム唯一の2桁勝利の門倉健が年俸査定に不満を持ち、FA宣言をして巨人に移籍。激動のオフとなった。また「チーム運営統括」というゼネラルマネージャー的ポジションの幹部として日産自動車硬式野球部にて監督を務めた村上忠則が就任。2007年、10年ぶりに大矢明彦が監督に復帰。FA移籍した門倉健人的補償として、当時215勝を挙げ、43歳にして未だ健在の工藤公康を獲得。移籍組やベテラン勢の活躍により、前半戦は一時首位に立つなど上位を猛追し3位で折り返す。後半戦は連敗もあり借金を作るが、最終戦前で返済。最終戦に敗れて勝ち越しを逃し4位に終わるが、村田修一の球団日本人選手桑田武以来31年ぶりの本塁打王及び球団初の2年連続100打点や三浦大輔の35イニング連続無失点、寺原隼人の2試合連続完封など主力選手の活躍が目立った。

1月15日、産業能率大学と業務提携し調印することとなる。ファームの湘南シーレックスをスポーツビジネスの授業に取り入れていくことに決まった。3月30日〜4月13日、プロ野球新記録となる開幕から黒星と白星が交互に続く「ぬけぬけ」が12試合続いた。9月17日、横浜ベイスターズとなってからの初代オーナー中部慶次郎(1993-2002。大洋時代も含めれば1990-2002)が逝去。2008年、開幕投手最有力で阪神キラーの三浦が出遅れ、開幕カードの阪神戦を3連敗する。その後も低迷を続け、2年ぶりの最下位に終わり、貯金もなかった。この年に飛躍した内川に加えて、村田・吉村の強力クリーンアップをもってしても投手陣が壊滅的で最下位に沈み2003年以来5年ぶりの90敗も記録した。内川の打率(.378)がチーム勝率(.338)を上回るという2リーグ分裂後では初となる珍記録も記録された。ヘッド兼打撃コーチの弘田澄男、投手チーフコーチの斉藤明夫、外野守備走塁コーチの青山道雄、走塁コーチの高橋雅裕の4コーチを解任とした。

正捕手の相川亮二がヤクルトにFA権を行使し移籍した。CS放送の本拠地での中継権利をJsportsからTBS運営のTBSニュースバードに移行。2009年、WBCでの村田の離脱や、開幕6連敗など成績面で不振が相次ぐ。5月18日、大矢監督の無期限休養を発表(事実上の解任)。同19日からはこれまで二軍監督を務めていた田代富雄が監督代行を務めていたが、落ち切ったチームを浮上させることができず、2年連続の最下位となり、前年同様1度も貯金はなく、一軍の監督代行の職が解かれ、今季のシーズン終了後には再び二軍監督に就任した。11月11日、後任監督としてこの年まで巨人の投手コーチを務めていた尾花高夫を迎え入れ、横浜港を周遊する「マリーンルージュ」で就任記者会見を行った(船上での監督就任会見はプロ野球史上初)。ヘッドコーチには島田誠が就任。 オフに若林オーナーの命令で選手の育成に限界を感じ、大規模な補強を唱える。11月9日に千葉ロッテマリーンズ清水直行を、斉藤俊雄那須野巧との交換トレードで、11月12日に元ロッテで2007年からはNOMOベースボールクラブに所属していた杉原洋を、11月25日には北海道日本ハムファイターズ稲田直人坂元弥太郎・松山傑を、加藤武治松家卓弘・関口雄大との交換トレードで獲得。

同日にロッテからFA宣言をしていた橋本将、更に11月27日にはソフトバンクから戦力外通告を受けていた篠原貴行を、12月14日にロッテの早川大輔を金銭トレードで獲得、12月17日には日本ハムから自由契約になっていたターメル・スレッジと新外国人クリス・ブーチェック、ホセ・カスティーヨを獲得した。開幕直後には日本ハムから江尻慎太郎石井裕也とのトレードで、またソフトバンクからは井手正太郎吉川輝昭とのトレードで獲得、さらにメキシカンリーグのチームから戦力外となっていた大家友和マイナーリーグでプレーしていたブレット・ハーパーを獲得するなど6月26日現在で新戦力は23名にも上った。2010年、前年まで4年間、読売ジャイアンツの投手チーフコーチを務めていた尾花高夫を監督に迎えた。3月31日、巨人戦の勝利で順位を3位タイとする。同時に広島が単独最下位となったが、横浜の「最下位からの脱出」は2008年4月5日以来284試合目(725日ぶり)となり、これまでの記録(楽天、2005年4月9日-2007年3月24日、262試合)を更新してこの日ストップした。

しかし、交流戦以降は低迷し最下位に転落。一度も浮上することもなく9月7日の巨人戦の敗戦で5年連続のBクラスが確定、9月25日の中日戦の敗戦で3年連続の最下位が確定、9月28日のヤクルト戦の敗戦でプロ野球史上初の3年連続90敗、10月6日の阪神戦の敗戦で130試合制だった1955年(130試合制)以来55年ぶりのシーズン95敗を喫した。8月、2010年シーズン終了をもって、二軍の「湘南シーレックス」の名称を、一軍と同じ「横浜ベイスターズ」に戻すことが、プロ野球実行委員会で承認された。9月30日、TBSHD保有している横浜ベイスターズの株式を住生活グループとの間で売却交渉を進めている旨がメディアで報じられ[15]、10月5日になって住生活グループ幹部がTBSHDとの交渉の事実を認めた。球団も10月4日に若林オーナー(東京放送副社長)が交渉に関し“大筋で合意しており10月中に正式決定”とコメントしていたが、実際の交渉は難航。結局10月下旬、TBSHD住生活グループとの交渉を打ち切り[17]、同月27日TBSHDが2011年度も球団を保有することを発表するに至った。

交渉決裂の理由としてはTBSHD及び住生活グループそれぞれが「条件面での不一致」としているものの、同月28日加地隆雄球団社長は、秋季練習中の選手らへの事情説明に際して「一番大きな問題はフランチャイズ。横浜から出て、新潟、草薙(静岡)、京都と違うところでやりたいと(住生活側は)主張し続けていた」と明らかにした。又同日潮田洋一郎住生活グループ会長も「それを含めていろいろあった。(球団運営など)すべてをゼロからやりたかったが、ゼロからできなかった」と理由を述べた。 ヘッドコーチの島田が1年で辞任し2軍監督の田代はフロント入りを打診されるも退団し投手コーチの野村弘樹も退団した。一軍ヘッドには、日本ハムのフロントだった岡本哲司が就任。一軍打撃コーチには1998年リーグ優勝・日本一の時に打撃コーチを務めていた高木由一が8年ぶりに就任し、一軍投手コーチには木塚敦志、2軍監督には白井一幸が就任した。北海道日本ハムからFA権を行使した森本稀哲を獲得。内川はFA権を行使し福岡ソフトバンクへ移籍した。また、オリックス・バファローズの一輝を野中信吾・桑原謙太朗の交換トレード、同じくオリックス山本省吾喜田剛寺原隼人高宮和也との交換トレード、埼玉西武ライオンズ大沼幸二坂元弥太郎との交換トレードで獲得した。