11月26日発売の『yom yom』vol.23(新潮社)に新井素子さんの新作短編が掲載

新潮社の公式サイトによりますと、11月26日発売予定の小説誌『yom yom』vol.23に新井素子さんの新作短編小説が掲載されるそうです。

また、小説も盛りだくさん。梨木香歩さんの「家守綺譚」、前号より始まった江國香織さんの「ちょうちんそで」、奥田英朗さんの「噂の女」シリーズ、そのほか、橋本治さん、窪美澄さん、朝倉かすみさん、姫野カオルコさん、新井素子さん、石田衣良さん、原田宗典さん、恩田陸さん、椎名誠さんと豪華執筆陣です。

新潮社|yom yom便り「23号は11月26日発売です。」

詳細は不明ですが要チェックですよ!

yom yom (ヨムヨム) 2011年 12月号 [雑誌]

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11月17日発売の『完全読本 さよなら小松左京』(徳間書店)に萩尾望都×新井素子×小谷真理の鼎談が掲載

「WEB本の雑誌」内「NEWS本の雑誌」で大森望氏が紹介していたのですが、小松左京追悼本として11月17日発売予定の『完全読本 さよなら小松左京』(徳間書店)に、萩尾望都×新井素子×小谷真理の鼎談「女性が読み解く小松左京」が掲載されるそうです。

新原稿としては、吾妻ひでお「ゴルディアスにも結べない」と、とり・みき小松左京の"もっとキャラクターして!"」の追悼マンガ2本、笠井潔巽孝之鏡明の小松論、野尻抱介、上田早夕里、北野勇作横田順彌倉阪鬼一郎堺三保によるテーマ別小松作品解題、石川喬司最相葉月高千穂遙伊藤典夫石毛直道由美かおる松本零士的川泰宣へのインタビュー、堀晃×かんべむさし対談「関西の小松左京小松左京の関西」、それに鼎談が4本(山田正紀×瀬名秀明×小川一水小松左京の志を継ぐのは誰か」、萩尾望都×新井素子×小谷真理「女性が読み解く小松左京出渕裕×樋口真詞×庵野秀明「SF映像クリエイター オモロ大放談」、とり・みき×鹿野司×米田裕の「小松左京に振り回されて」)----などなど盛りだくさんの内容だ。

WEB本の雑誌|小松左京追悼本ラッシュ - 大森望

どのようなことをお三方が語り合ったのか、非常に楽しみです。こちらも要チェックですね。

完全読本 さよなら小松左京

完全読本 さよなら小松左京

なお、amazonでは発売日が11月16日と表示されています。まあだいたいこの辺りの発売、ということでしょう。

11月20日追記

11月16日に発売された処が多かったようです。鼎談ではお三方が小松左京作品について女性の立場からの意見も交えて忌憚無く話し合っておられます。萩尾作品と小松作品の意外な関わりなど、興味深い話が出て来ます。
新井素子さんは小学生の時に父親が旅行に持参していた「物体O」を読んだのが小松作品との初遭遇だったそうです。

『文芸別冊[追悼]小松左京』の中にあった新井素子さんの話題

小松左京追悼本としては、11月10日に『文芸別冊[追悼]小松左京』(河出書房新社)が既に発売されています。この中に新井素子さんの名前が二箇所に登場したのでメモしておきます。

「OB編集者座談会」P.100

大作『虚無回廊』はなぜ中断したままになったのかという話題で、掲載誌の『SFアドベンチャー』が休載して載せる雑誌が無くなったという理由が語られた後に。

――あとは時代ですよね。あのころはもうファンタジーがワーっとブームになって。新井素子が『チグリスとユーフラテス』をハードカバーにするときに、営業からSFという文字を入れないでくれと。すごく闘ったみたいですよ。本人は、星さんに捧げるつもりで本格SFのつもりで書いたんだから、絶対に入れたいと。
石井 我々もそのころにはね、SFって帯には使うなっていう言い方をされていて。
森 横田順彌が猛烈に抵抗してたけどね。部数半分でもいいから、SFって書いてくれって。新井さんもそうですね。たまたまその作品は私がSF大賞の選考委員をして、最後の会議のときに票を入れたんですけど、その帯のことは素子ちゃんから聞いてました。SFってやってくれなくなっちゃった、っていう。

初出は『小松左京マガジン』第20巻。「石井」は元『SFアドベンチャー』の編集者の石井紀男氏、「森」は『SFマガジン』二代目編集長の森優氏。司会者が誰なのかは不明です。
「新井素子」表紙GALLERY』で『チグリスとユーフラテス』の帯を確認しますと、初版の帯には確かに表紙側の目立つ位置には「SF」の文字がありません。背表紙側に「人生の意味を問う新井素子の超大作SF」とありますが、これがギリギリの妥協点だったということでしょうか。新井素子さんが闘わなかったら、ここにも「SF」とは書かれることはなかった、と。1990年代は「SF冬の時代」と呼ばれ、”SFは売れない”という言説がまことしやかに囁かれていました。なんとも世知辛い話です。

「知の旅人・小松左京のノンフィクションを語る」P.175

瀬名秀明氏(SF作家・現日本SF作家クラブ会長)の発言中に新井素子さんの名前が出て来ます。

亡くなられたのは七月二六日ですが、ちょうどその翌日に、日本SF作家クラブの実行委員の人たちと飲みました。これまで会長が新井素子さん、事務局長が井上雅彦さんでしたが、こんど、ぼくが会長、翻訳家の増田まもるさんが事務局長になることになり、その引き継ぎの話をしながら、小松先生たちが日本SF作家クラブを作ってから二〇一三年にちょうど五十周年になる、何かいろいろやりたいねとアイデアも出し合いました。その時小松先生はもう亡くなられていたことをあとから知り、井上さんたちと、あのときは小松さんがぼくらの近くにいたのかも知れないねと話したりしました。

この時の話は新井素子さんが日本推理作家協会の会報に寄稿した追悼文でも語っておられました。より詳細な様子が判ります。

小松さんがお亡くなりになったのが7月の26日、訃報が流れたのが28日、その間の27日に、偶然にも、かつて小松さん達先輩が設立した、日本SF作家クラブの事務局は、会合を開いていたのだ。その時点での日本SF作家クラブの会長は私で、でも、9月で交代する、だから、次期会長や次期事務局長やスタッフの皆様達と、引き継ぎや申し送りや懸案事項なんかを打ち合わせていて……。
そして、それが終わったあとで。アイリッシュパブで、二次会やりながら、夢を語り合った。二年後には、日本SF作家クラブは、五十周年を迎える。その五十周年記念事業として、どんなことをやりたいかなあって。
この時。確かに、変だったのだ。
なんだか、もの凄く、気宇壮大な案が次々でてきて、「あの、それは、今のうちの体力で可能なのか?」「ほんっとにそんな大がかりなことできるの?」「マンパワーはどーすんだよっ!」って、常識は言うのに、とまらないぞ、夢の数々。
翌日。
正気になった私が、「あれは夢の一夜だったんだなー」って思った時に、いきなりはいってきたのが、小松さんの訃報だった。
井上雅彦事務局長と電話して……。
「あの時、小松さん、いらしてたんじゃ?」
言われた瞬間、どうしようかと思った。こみあげてくるものがあった。
「……いらした……の……か……なあ」
「SF作家クラブの五十周年記念事業の話をしているんだから、そばでにこにこ見ていらして……」
だからかっ!あの、あまりにも気宇壮大な夢の数々。あれ、小松さんが脇で見ていたからかっ!なら判るぞ、なら、納得だっ。小松さんなら、こんなもん、気宇壮大だなんて思わなくて、SF作家クラブの体力も財力もマンパワーも無視して、やっちゃうよ、絶対。

日本推理作家協会会報2011年9月号|追悼小松左京さん

小松左京---日本・未来・文学、そしてSF (文藝別冊)

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