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還らなかった日本兵  このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-07-14 これから このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

参議院選の結果を見た。

それで、生前退位のニュースを見た

これからどうなるの?

2016-04-20 オリンピック このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

私は1979生まれなので、次にいつオリンピックのライブ映像を見られるか。

現場にはまだ行ったことがない。

たまたまブラジルにいるが、行くかどうか迷っている。

1980年モスクワオリンピック。 全く記憶にない 福岡県大川市にいた。

1984年ロサンゼルスオリンピック 柔道山下。幼稚園か。

1988年ソウルオリンピック 小学校。鈴木大地のバサロスタート。まねて泳ぐ。

1992年バルセロナオリンピック 中学二年のとき同学年の岩崎恭子金メダル。一つ上の学年バレー部の県大会の初日。

1996年アトランタオリンピック 高校生。野村さんと有森さんのゴールシーンを繰り返しニュース番組で見た。

2000年シドニーオリンピック 放浪中。パキスタンのラワールピンディのポピューラーインの屋上ラジオを旅行者と聞く。ライブ映像は全く見ていない。

2004年アテネオリンピック アフガンのジャララバードの某NGOの宿舎にて。野口のゴールを夜夜遅くまで見てそのまま工事現場に。

2008年北京オリンピック 祖母の初盆のため実家で北島の二度目の快挙を見た。

2012年ロンドンオリンピック 東京で編集を始めていた。東高円寺でボルドをみた。

2016年リオデジャネイロオリンピック わざわざ一番狙われる時期にリオに行って強盗にあいたくない。

2020年東京オリンピックは漫画のAKIRAの中でも中止だった。

このまま原発が動き続けると、手塚治虫火の鳥の未来編の世界が始まってしまいそう。

自然への畏敬の念を忘れた人間の知性は原子力エネルギーをコントロールすることはできなかった。

  

2016-03-13 遠藤さん このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

このブログのはじめのほうにインドネシアアチェに行っている。

アチェでお世話になった遠藤さんの今日が誕生日だ。

生きていたら68才か。

だけど、遠藤さんは2011年に逝去されたんだね。

昼間っから瓶ビールを持って事務所に行って

一緒に付き合って飲んでくれる先輩は

いまのところ、あとにもさきにも遠藤さん以外いない。

取材の途中で、こんなやり方でいいのかなと今も

自分のやり方に確信を持てたことがありません。

だいたいこんな感じかと。

事実を積み重ねる。思いを積み重ねるんじゃないんですよね。

遠藤さんのこと忘れていませんよと伝えたいのですが、

どこにもいないので、ここに書いておきます。

ありがとうございました。

2016-03-11 5年前 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

小島慶子のキラキラを聞いていた時でした。

たしかゲストが水道橋博士。

D

毎朝、近所の豆腐屋で買う豆乳コーヒーを飲んでいた頃でした。

これから起きうること、何も想像していませんでした。


追悼

2015-11-01 バレー部だったころ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

昨日のことやったけど、高校の時の友達がJTバレー部の通訳をやっていて、試合を見に行ったとです。

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通訳は通称、カメというあだ名で、良くも悪くも腐れ縁で、

20代のころ、私が世田谷経堂に住んでいた時は、カメは隣の千歳船橋に住んでいて、

金がなくなると、二人で焼酎を買ってちびちびやっていました。

そんなカメが転職して、バレーの通訳をやっているので、恐る恐るバレーの試合を見に行きました。

なぜ恐る恐るかといえば、バレーから逃げていたからです。

福岡県庁のそばにある福岡市立体育館という建物でした。

実はわたしは中学の時バレー部でした。

全国大会にも出てベスト8でした。

優勝したチームを一番苦しめたほど、結構強いチームでした。

そんなかで一番へたくその選手でしたが。

ふと我に帰ったら、1993年に県大会の決勝戦をこの会場で試合をしたんだと思ったとたん、逆算したところ22年も前じゃないですか。

ある選手のプロフィールを見ると93年生まれとなっている。

驚きを越して、自分が生きていた時間を逆に意識しました。

高校の一年の時に交通事故にあって、膝を割って以来、続けて走ると水がたまる癖がつきました、

それでバレーをやらなくなりました。

それは言い訳で、たぶん自分がうまくないことを知っていたからでしょうが。

JTのチームのコーチをなさっている徳元さんは、中学一年のころバレーの九州大会で見かけて以来、

頭のどこかに、天才的な選手というのはこういう人だろうと思っていたところ、

昨日の試合で、JTのコーチをなさっていることを知り、遠くから拝見して涙が出るほどうれしかったです。

あこがれていた選手が、いつの間にかコーチになっている。

しかも、私と同じ年齢の選手なんていない。

宮下さんという同じ高校からJTに行った選手ももう引退していたということを改めて知りました。

同じ年の選手がもうほとんどいないことを考えたら、私はバレーを続けていたら引退していたんだと思いました。

まあ、バレーを続けなかったから、こうやって映画のことをやっているんだなと、つくづく痛感しました。

映画を作っている人としては、まだ、新人の登竜門みたいなものです。

高校の時の同級生は、変わったやつが多く、折に触れて連中のことを紹介したいです。