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翩 翩

August 21, 2017

事実のでっち上げ

事実のでっち上げ

 フランソワ・レイネール

自らの策略を正当化するために「代替事実」などを持ち出してきた体制があっただろうか。いくつかの20世紀の全体主義体制... そしてドナルド・トランプ

彼は今回の選挙戦を通じて、オバマはアメリカで生まれたのではない、と確信していたが、この断定は極右によって捏造されたデマであった。そして彼は、ニュージャージーで何百人ものムスリムたちが9-11を祝うために騒いだのを「見た」と断言しているが、いずれの調査もそれは都市伝説だと示している。新たなアメリカ大統領は、就任以来、こういう御乱心の道を歩み続けている。彼の就任に立ち会うために「今まで歴史になかったくらい」たくさんの人々がやってきたのは確かなことなのであって、それはたとえ、いずれの写真もこれとは反対のことを示しているとしてもそうなのである。彼よりも多くの票をクリントン夫人が獲得していたとしても、それは大規模な不正行為のためなのであって、これについては2ヶ月前に、彼自身の選挙本部が全くそんなことはなかったと公式に発表している。ドナルド・トランプは、この現象を記述すべく多くの政治解説者が用いている「ポスト・トゥルース」の概念と、明らかに非常に複雑な関係を持っている。彼の相談役のある人物は、彼を擁護すべく「代替事実(alternative facts)」という、さらに一層シュールな概念を持ち出した。軍事力世界一位の国が滑落しつつあるとしか思えないイカれた坂に、人々は唖然とし、いうまでもなく歴史愛好家を茫然自失とさせている。こんなことが過去にあっただろうか。こんな馬鹿げたことを、何と類比させて理解しようとすればいいのか。

政治的な嘘という一般的なテーマは、それが新しいものでないことは自明である。この100年間に限ったとしても、実例はいくつも挙げられる。デマについて語るなら、その当時に「脳味噌に詰め込むような大量の洗脳」と呼ばれていたものに関する科学を、さらに高めることとなった第一次世界大戦を思い出す。司令部による国民思想統制は二つの手段によって支えられた。ハサミで行われる検閲、つまり国民のモラルをダメにしかねないすべてのニュースを新聞から削除する一方で、プロパガンダを作る側は、逆に愛国心を焚き付けるようなすべての情報を前述のジャーナリズムに流す。卓越した雑誌「l'Histoire」(1988年1月)のアーカイヴから引用された記事から思い起こされるように、「l'Intrasigeant」(1914年8月17日)には、衝突の起こった数日後から次のようなものを目にすることができる。「ドイツの弾丸であれば、それは危険ではない。それは裂け目を作ることなく肉体を貫通してしまう。」


1948年 ジョージ・オーウェルはその有名なSF小説のなかで、すべての人間に代替事実、代替過去、別の言語を押し付ける体制を作り上げている。

2017年 「ポスト・トゥルース」の概念はこのアメリカの大統領にとって好都合なようである。彼は、写真がいずれも反対のことを示していながら、自分の就任式に立ち会うために訪れた人々が「かつて歴史にはなかった」ほど多かったことを確信している。


そう、明らかに、イタリアのファシズムから現在の北朝鮮に至る、全体主義体制によって実現された体系的な真実の隠滅も思い起こされる。「その嘘が大きいほど、それは受け入れられやすい」という名言は、しばしば私たちが目にするものながら、ゲッベルスのものではない。しかしながら、第三帝国宣伝相である彼の仕事が、いずれも天才と紙一重のシニズムをもって実践されたことを私たちに示している。ソ連では、いついかなる時にも国家の嘘が、「プラウダ」、いわば「真実」と名付けられた日刊紙によって連日広められるという皮肉となって、政府のすべての領域で実践される慣例となっていた。1930年代の終わりには、この愚行を極めていたスターリニズムが、「ブルジョワの科学」の轍から逃れて、「プロレタリアの」本当の科学を生み出すことにも成功した。いずれにせよそれは「人民の父」ルイセンコ(1898-1976)に売り渡されたもので、自称植物遺伝学の専門家は、数多の陰謀を駆使してレーニン農科学アカデミーの親方になった。メンデルの法則は終わった、などと主張しつつ、階級の壁を共産主義でなくすことができるのだから、種の壁もなくすのだという決意をして、彼は小麦をライ麦にすることができると確約していた。迂闊にもそんなことができるわけがないと疑ってしまった人たちは、終身強制労働所に送られた。

今現在、合衆国では、この赤の専制者の時代と対比することが流行っている。トランピズムの楽屋から、「代替事実」というステキな概念がいきなり現れてからというもの、この有名な小説「1984」は、書籍売り上げNo.1になっている。ジョージ・オーウェルのこの主著は、1948年(この作品のタイトルはこの年号をひっくり返したものである)に書かれたもので、そこで彼は、このSF作品によってナチとソヴィエトの独裁政治を非難しようとし、全ての人々に代替事実、代替過去、別の言語(有名な新言語で、原著ではnewspeak)を押し付ける体制を考案した。だからといって、この類比にこだわらなければならないのだろうか。この類比は、trompeuseに人を欺きかねない。全体主義のシステムの特質は、「公式の事実」を、他の事実を禁止することによって強要することである。今のところ、アメリカではこういうことは起こっていない。ドナルド・トランプは、しきりにジャーナリストたちを侮辱しており、就任の翌日にも「事実を最も歪曲する連中だ」と言い放っているが、その業務は禁止していない。そもそもジャーナリズムは、それにも増して世論調査や、記事や、社説によって、自分たちの大統領が押し付ける虚偽の主張を、次から次へと力強くしっかりとすべてあげつらっている。彼の罵る声は、それでもまだやたらと大きいことに変わりがない。これが実に最も気にかかる。

嘘だらけ

合衆国では、聖書に手を置き「忠実に」奉仕すると宣誓した大統領は、嘘を振り回さないとみなされている。

この概念は、ルインスキー事件の核心であった。つまり、クリントン大統領への弾劾裁判が1988年に起こったが、それは彼がホワイトハウスの研修生と関係を持っていたためではなく、宣誓していながら事実を否認したからである。

その5年後の連邦議会は、ジョージ・ブッシュに対してはより寛容であり、彼はサダム・フセインが作った「大量破壊兵器」を叩かなければならないとして、イラクに侵攻しようと考えていた。 攻撃の後でアメリカ政府は、イラクにはそんなものはなかったことを認めたからだ。

(L'Obs誌 No2726-02/02/2017)