トランプを襲撃するナオミ・クライン

トランプを襲撃するナオミ・クライン

急進的サヨクの偶像的存在であるナオミ・クラインが、新たな闘いの書を出版する。『No is Not Enough』(ノーと言ってるだけでは不十分)において、このカナダの著述家がアメリカの状況を解読し、「惨事便乗の達人たち」に立ち向かうための政治的な一連の手段を提起している。


10年前にあなたは『ショック・ドクトリン』において、「惨事便乗型資本主義」が、大規模な心的外傷に対して経済的もしくは社会的な改革をいずれも「ショックに対する治療である」として提示し、それを適用させるためにいかに心的外傷を利用するかを示しましたね。『これは全てを変える』では、この領域で搾取の対象となる最も新しい危機は、気候温暖化であると解析しています。あなたの新しい著書『ノーと言ってるだけでは不十分』では、あなたはドナルド・トランプの戦術を暴き出しています。このアメリカ大統領は、ショック・ドクトリンが生み出したものなのですか、それとも彼自身はショックを作り出すものなのですか。
彼のやり方は、ツイッターや他のコミュニケーション手段によって、1日に何度もショックを起こすことにあります。人々は、新たなショック、最新の扇動的な発表を待ちながら時間を潰しています。そしてこれは、注意が逸らされることによって、その裏でずっと目立たないように進んでいく経済計画に寄与するのです。彼はその周囲にゴールドマン・サックスのトップを何人かおいていて、彼が経済計画を下請けに出しているのは彼らなのです。いずれの事例においても、彼は自らの個人起業家固有の関心から切り離されてはいません。彼とその家族は、彼の大統領としての地位を利用しています。大統領の周囲の人々に根を張りめぐらせた、化石燃料のロビイ活動についても同様です。このロビイ活動は、トランプが国家環境保護局のトップに任命したスコット・プルイットを掌握しており、彼は最近、気候に関するパリ議定書へのオバマの主要な貢献となる、グリーン・ニューディール・プロジェクトを放棄しました。メディアの注目は全てトランプ・サーカスに集中させられていたため、それは気にも留められませんでした。

しかしトランプ自身も同様に、このショック・ドクトリンが1970年代から生み出したものなのです。彼の父親が後ろ盾になっていたころ、彼の不動産開発業者としての最初の幸運は、あるニューヨークのホテルを、実質的に課税を免除されるという極端に有利な条件で入手したことでした。というのも当時この町は、今日のプエルトリコのように破産寸前で、民主的に選ばれた代表者たちではなく民間の管理に委ねられていたからです。これは、危機的状況がエリートの利益のために悪用された見事な一例です。


「トランプというトレード・マーク(ブランド)」をどう定義するのでしょう。
トランプの新しいところは、ここ20年あまりの企業モデルを自分で体現したということです。他の指導者たちは、すでに企業からいろいろなブランド戦略を取り入れています。トニーブレアが労働党を「ニューラバー」と呼び換えたり、「クール・ブリタニア」というスローガンを提唱したように。しかし、大統領自らが市場に訴えるブランドとなり、そのブランドと大統領としての政策とを混同するというような事態、これは前代未聞です。

以前、いろんな企業が、製品のメーカーもしくはサービスの提供者として競合他社から差別化するために、同じトレード・マークを作って売っていたものは、彼らの製品なりサービスだったのです。20年前に『ブランドなんか、いらない』を書いていた時、製品やサービスだけでなく、アイデンテティーや生活のモードを売るある種全く新しい企業があることに気がつきました。この新たな営利団体にとって、トレードマークのアイデンティティーは、スポーツや音楽、さらには革新を基盤とした文化に立脚しています。そういう意味では、ナイキはそのパイオニア的な企業でした。自社工場を持つつもりすらありませんでした。これが私が「反り返ったマーク」と呼んだものです。こういう企業は、どこにでもありながらどこにもなく、現場の労働者はどうでもよく、製造は一貫して下請けに出していました。ナイキはスポーツによる超越性の観念を、スターバックスは共同体の観念を、アップルは革新の観念を売るのです。トランプはこのアプローチを採用しました。彼は家族に資産があったおかげで不動産業に乗り出しましたが、彼のトレードマークとしての名前とイメージとを売るために、彼を一つの生活のモードに結びつけ、不動産建築に関連した具体的なあらゆる金銭的リスクを引き受ける他の開発業者たちと結びつけていた不動産を、建てたり売ったりすることはさっさと止めてしまいます。彼は人間と大企業との融合を身をもって示していて、そこからその妻や子供たちが派生したブランドとなる、これは1人の人間の巨大なブランドなのです。


トランプ・ブランドに関連する価値とは何でしょうか。
トランプが売っているイメージは、「金さえあればやりたい放題」(impunité par l'argent: 金銭による免罪)であって、通常の人間には手の届かない自由と権限です。この資本主義的な夢は、私たちの世界における究極の権力の記号を伴います。女性たちをはべらせているということです。つまり、愛人と一緒に登場したり、ニューヨークのスキャンダル紙に彼らの夫婦問題と不貞に関するウワサを提供したり。彼が選挙で示したメッセージは、俺と同じ憧れの生き方をしろよ、だったのです。彼は、自分のノウハウを金を払って学んで、この世界に加わるためのインチキ大学(université bidon)を作りました。彼のカジノでも、同じように美味しいことが言われています。さらにこの戦略は、彼のテレビ・リアリティーショー「ザ・セレブリティ・アプレンティス」で頂点を極めます。この番組は、ゲームの勝者に彼の富、権力、贅沢ぶりをチラつかせつつ、それをひけらかすものでした。そして彼にとって、権力を現す最高の記号は、女性たちをもてあそぶ力です。トランプは、やりたい放題をやっています。居合わせた人を誰かれ構わず捉え、もてあそび、好きな時に好きな相手を辱しめていて、最高位の捕食者です。

トランプは、1980年代のレーガン時代に始まるネオリベラリズムの勝利とともに台頭しました。あらゆる規約をすり抜け、彼自身のリアリティに生き、現実世界もしくは科学の拘束に至るまで否定するというこの夢を、彼が売ることができたのは、世の中が不安定となってランクが下がっていくという、この状況を背景としているのです。彼のプロレスやイカサマ勝負への誘惑は、ここからくるものです。自分の選挙キャンペーンでは、競技の原則を入れ替えました。彼がテレビ番組でゲームの候補者たちに約束したのと同じ見返りを、彼は中下層の有権者にも約束しました。敗者を、移民を、黒人を、女性を、踏みにじってもいいぞと。


トランプは、あなたが前著の3冊で告発したものを完全に備えているのでしょうか。
もちろん、『ブランドなんか、いらない』は、超巨大ブランドが公共の空間に広がっていく方法について記述しています。トランプが大統領執務室を占有するということが、この動向の頂点となるものを象徴的に現しているのです。権力があれば処罰を受けないという観念の上に、アメリカの外交政策が規定されました。国際刑事裁判所もしくは国連のその他の機関に対する報告を拒否するという、アメリカ例外主義。ショック・ドクトリンに関しては、大金持ちの少数派エリートの利益のために経済対立を激化させるべく、トランプは経済危機を悪用します。彼は、下卑た物言いで人々を不安にし、彼らの目を真の問題点からそらせるのがお好きです。それがショックドクトリンでもあり、安上がりなドクトリンでもあるのです。大げさな彼の物言いには、ジャンクフードのような常習性があります。しかしそれによって、人々は彼が法人税や動産課税を減額することに気付かず、このことが彼の家族、そして彼の閣僚の億万長者たち、つまりは、ほとんどゴールドマン・サックス社が招いてそこから利益をせしめた金融危機に引き続いて、下層の人々からの搾取の上にさらに彼らの資産を築いた「惨事便乗の達人たち」に、直接利益をもたらしたのです。このスキャンダルは、歴史に残るようなトランプのあざとさよりもさらに悪く、「惨事便乗型資本主義」を、もしくはその悲惨な状況を見事に示すものです。石油産業が、自らに利益をもたらす慢性的な経済危機を引き延ばしたように、エクソン・モービルは気候温暖化に関する情報操作を行っていて、山頂の白い雪が溶けることを利用して、新たな油田を掘ろうということなのです。エネルギー分野、エコロジー分野における法的規制は、いずれも激しい攻撃を受けています。けれど、私たちのエネルギー産生システムや交通輸送システムは、右翼が望まない税制からの税収を前提とし必要としているのです。


あなたは3つのD、破壊(destruction)、規制緩和(déréglementation)、脱構築(déconstruction)について語っているのですか。
ショック・ドクトリン』を書きながら、それにもましてネオリベラリズムが外国人嫌悪と移民の排斥をうまく悪用している方法を強調しなければなりませんでした。それがマリーヌ・ル・ペンやブレグジットの信奉者たちに対して真実であるのと同様に、それはトランプについても真実なのです。ネオリベラリズムが労働者を分断するためにどれほど人種の対立を激化させているかを強調せずに、ネオリベの飛躍を理解することはできないのです。レーガンに始まってクリントン政権下でも、人々は移民や民族的少数派を、社会的援助の資源を圧迫して社会に養ってもらっていると非難しました。


レーガンは、「国家は我々の問題を解決しない、国家が問題なのだ」と言いました。トランプはその後継者なのでしょうか。それとも「disrupteur (?革新的破壊者)」を偶像視し、法をあからさまに無視することによって資産を作る、改革者としての起業家の新たな文化の産物なのでしょうか。
トランプは、その両者を同時に兼ね備えています。レーガンの遺産、それは社長たちがアメリカの活力なのだとみなして、実業界と政界の境界線を消し去ることです。レーガンはこの過程を考え出したのではなく、それを加速させたのです。トランプは、政界の退廃に直面していれば当然でもある有権者の嫌悪感を、国家による介入主義に対する、また同様に市民社会に対する猜疑心に利用することによって、公権力をまさに悪役に仕立て上げることを加えました。

そのうえ彼は「革新的破壊者」とともに、すべての規定を無視した容赦ない技術革新を崇拝し、いかなる異議や非難も考慮しません。彼の暗黙の了解事項は、ある段階の裕福さに至れば、それを獲得するまでの非合法な手段に関してはあらゆる問題を回避することができるということです。同様の「やりたい放題」は、グーグル、フェイスブックもしくはウーバーもやっています。


私たちの問題を唯一解決しうるものは「億万ドル長者」たちであろうという、紋切り型の先入観がありますが、トランプ現象はそれが形となったものなのでしょうか。
私は、とりわけ神話は一掃したいと思っていました。完全に分離した2つのアメリカがあるかのごとく、今回の状況の責任を全て共和党員のせいだとする神話です。というのも、このシステムが確立されるにあたって、民主党員たちも貢献したからです。もしトランプが人種差別、女性差別、同性愛差別を有効に悪用していても、そこに進歩主義者も含めたメディアが情報ショーにかまけ、選挙運動をテレビ上のリアリティとして拡めた手段がなければ、決して彼は権力を得ていなかったでしょう。彼は登場して来ました、しかしそのシーンを作ったのは彼ではないのです。この種の役柄に対して、彼は単に伝統的な政治家たちよりも優れた役者なのです。人寄せの見世物(La spectacle racoleur)が彼の世界なのです。

こういう篤志家の富裕層という神話では、私たちの時代で最も議論となる全体の問題点(例えば環境や教育に関する問題点)は、国家財産をも凌ぐような財産をもつ少数の支配者たちからの施しによって解決しうるのだとほのめかされていて、この神話は、進歩主義者たちの階層にも存在します。クリントン財団がその良い実例です。透明で民主的な機関に頼るのではなく、これらの富裕層に頼って、民主的な機関をこれらの問題の解決から回避させる。彼にはたとえこの分野における経験が全くなかったとしても。彼らにとって資産は権威に取って代わります。トランプの下地を作ったのは、クリントンビルゲイツやリチャード・ブロンソンやマイケル・ブルムバーグような、マヤカシの進歩主義者たちだったのです。

しかしその逆に、バーニー・サンダースジェレミー・コービンの選挙陣営は、その根底にあるもの、すなわちその政治方針の内容が、医療、住宅、教育、運輸の分野の人々の要請に応えるものであるならば、真の政治的インパクトを与えることが可能です。私はこの意味で、コービンは何よりも「反ブランド」だと考えています。若い有権者たちの信頼と熱意を彼にもたらしているもの、そして彼らの間でロックスターのようなオーラを逆説的に与えているもの、それはテレビで演出されたような信頼性などないことなのです。右翼と同様に左翼にも、トルドーと同様にマクロンにも採用された、内容のないスローガンの力に頼るようなこの中味がないブランドという危険なモデルを取りいれなくても、政治に関与することは可能なのだということを、コービンとサンダースの例ははっきりと認めています。


あなたにとって、トランプが気候変動を危機的状況のままに維持できたのは、本質的に過剰で誇張的なコメントを続けたからなのでしょうか。人々のリスクとなっているのは、どのような悲惨な状況もしくはその連鎖なのでしょう。それは彼の繰り出す、戦争についての衝撃的なショック、経済についてのショック、気候変動についてのショックですか。
私は、それらのリスクをいずれも懸念しています。トランプ政権下での最初の衝撃的なショックは、気候に関するものです。カリフォルニアでの山火事はまるまる一夏続きましたが、こんなに秋まで続いてさらに悪化し続けなければならなかったものではありません。そしてハリケーンが続いて、アメリカ大陸の広大な領域が、プエルトリコのように再建されなければならなくなりました。ここで公共工事労働市場の割り当てが、決定的な問題点となります。ヒューストンの再建はシェルの前会長に任されました。プエルトリコになされたショックドクトリンは、地方公債からの援助によって電力と交通網が民営化されることを狙っていました。アメリカに定住したプエルトリコ人の側からも、現地においても、抵抗運動が起こることとなりました。今回の危機は、天候が引き起こす災害と、ネオリベラリズムから引き継がれたもの、そして植民地主義から引き継がれたものとの間にある有機的な連関をわかりやすく示しているのですが、それはプエルトリコが、いまだに人権、とりわけ選挙権が根本的に認められていない植民地のままだからです。災害への対応は、選挙で選ばれていない民間のチームに委託されています。私は、公債は取り消してプエルトリコを正当に再建し、とるべき決断に対して民主的に参加することを目的として運動するグループに所属しています。とりわけ農地政策によって雇用を創出することにも貢献しうる人々が参加すること、化石燃料への依存性を下げること、エネルギー自給を促進すること。

そして私は、北朝鮮との緊張した状況を危惧しています。もちろんトランプは、既に存在していた危機的状況を利用しているのですが、しかし彼は、核戦争を引き起こす権力を一方的に意のままとしています。彼は、派手な規模の戦争に魅せられているはずです。「ショーの中のショー」のためにアメリカの軍事兵器を利用してしまう欲望に、黙示録のような阿鼻叫喚の暴力に、彼が抗うでしょうか。つまりは、ゴールドマン・サックスのメンバーが彼の取り巻きにいること、そして彼らが新たな経済危機を悪用しうる手段がどういうものかと考えれば、私は新たな財政危機を懸念せざるを得ません。


いろいろな分野から活動に参加してもらうべくあなたが闘っているのは、バラク・オバマが、上からの改革が行われるというその期待を裏切ったためですか。トランプへの有効な抵抗手段となるものについて、例としてあげていただけませんか。
私は自分の本のタイトルを『ノーと言ってるだけでは不十分』としたのですが、それは抵抗だけしていても、単に自分たちがオバマの時代にいた地点に戻るだけでしょう。そして、その場しのぎの経済、大規模な移民の強制退去、黒人に対する警察の暴力、気候変動の危機的な悪化です。私たちがしようとしていることは、より困難で野心的です。それは、抵抗運動に、状況を変える具体的な提案を組み合わせているのです。トランプが当選してしまったのだとすれば、それは単純に彼が獲得した投票数によるものではなく、投票に行く気をなくしたり、主義として棄権したためです。

何にもましてイラリー・クリントンが落選したのであって、それは自分の選挙組織の大部分が政策方針を見失ったためなのです。私は、医療保険制度を守るために着実に闘うことで、同じ時に喧々諤々にものを言える人々がますます増えていることに、希望を得ています。国民皆保険制度を要求する津波のような激動は、明らかに盛り上がっており、それは州のレヴェルと同様に連邦レヴェルでも、すでに17名の上院議員が、ネオリベラリストであるにも関わらずバーニー・サンダースのこの提案を支持しています。同様に若い移民たちは、トランプの移民排斥措置に抵抗するだけではなく、オバマが施行した移民少数派を擁護するシステムも、子供の世代と国外排除のリスクに瀕したままの親の世代との間に分裂を引き起こしたものであると主張して、批判しているのです。それゆえ彼らは、新規の移民にも全て同じ社会的地位を要求しています。次にやらなければならないことは、スタンディング・ロック居留区のインディアンと生態学者たちを、環境破壊を許容する資本主義と白人至上主義に対抗すべく参加させることです。ピッツバーグ市長からの後押しを受けた何百もの地方自治体が、気候変動に関するパリ協定からの撤退を認めず、地方のレヴェルでエコロジカルなイニシアチヴをとっているのです。問題は、これらの全ての問題、つまり環境問題、人種的公正、社会的公正などが、得てしてずっと分断されたままでいることです。闘争がまとまっておらず、政治的介入主義は(とてもネオリベラル的に)民営化されてしまっているのです。これは労働組合の弱体化と結びついていて、労働組合は、闘争や異議の申し立てを再結集するインフラを提供するのではなく、自分たちの加入者を同業組合主義の基盤の上に守るにとどめたのです。グローバルかつ総体的な展望という基盤、そして社会の価値を決定するような、連帯、相互扶助、共生、地球への配慮の上に築かれた基盤の上に、私たちの代表が様々な立場からトランプ後の世界を見通すことができるような、隔壁のない空間を創らなけれればならないのです。


あなたは『The Leap Manifesto』(1)を共同で書いていますが、これは政党のない政治方針を提案しています。その理由は?
私たちはカナダの選挙戦の最中で、大政党の政治方針は、経済的格差、気候変動の問題、原住民の人権といった問題点を分断していたのです。そして気候変動の危機に対する彼らの取り組みは、化石燃料業界のロビイ活動による圧力を受け、科学的な警告にはずっと耳を貸しませんでした。私たちのグループは、労働組合の活動家、グリーンピースのようなエコロジー運動の代表者たち、さらには居住権や移民の人権に賛同し活動する領域の活動家たちもまとめました。私たちは、代替え案を、そして何よりも新しい展望を提案すべく、反対意見を乗り越えながら前向きな議論を重視しました。ネオリベの攻撃手段の一つは、他に選択肢はない、私たちはここで歴史が終焉する地点に来てしまったのだと信じ込ませることで、想像力に宣戦布告をすることです。この政党なき政治方針にはメディアが当惑したにもかかわらず、私たちは議論を作り出すことに成功し、いくつかの政党は私たちの提案を受け継いでいます。パラダイムを変えなければなりません。それは、人間とこの星を無尽蔵で使い捨ての資源ででもあるかのように考えている、金融投資と大衆消費を基盤としたイデオロギーを置換すること、つまり一人一人の人間、それぞれの場所を擁護し敬愛する文化です。そのためには、これから30年間で再生可能エネルギーに100%移行しなければならないのですが、しかしこの期間のなかで、より公正な経済システム、大企業にエネルギーを任せるのではなく民主的で公平に管理執行する体制を作り上げなければなりません。現地の人々や移民が、エネルギーへのアクセスを自分で管理することができ、汚染物質にこれ以上曝露されないために、公金が給付されなければなりません。これは私たちが「横列線(les lignes de front)」と呼んでいるものです。医療的ケア、補償、再建の政策が確立されなければならないのです。汚染など引き起こすことのない活動で、まだエコロジーだと認められていないものが多すぎるのです。例えば育児や高齢者の介護、もしくは芸術的な創造などもそうです。これらの活動がそのものとして認められなければならず、dans le cas des premières (?)、搾取のシステムに従うのではなくさらに報酬が得られることが必要なのです。エコロジーの観点からみたあらゆる不公平を避けるためには、汚染を進める者が金銭的負担をするという原則とともに、こういった全ての活動に出資する進歩の経済制度(économie de progrès)を発展させなければならないのです。工場労働者たちがしばしばエコロジーに敵対するとすれば、それは彼らの利益が、そこには出資しない富裕者たちによって独占されるからなのです。そして私たちのマニフェストは、例えばカナダで、ついでアメリカで、ロサンジェルスで、州や市町村といった地方のレヴェルにおいて他者にインスピレーションを与えましたが、そこではこれらの問題点、特に環境問題は危険な状況にあります。


あなたが参加された2017年6月のシカゴの人民サミットにおける前進についてお話しいただけませんか。
このサミットは、看護師たちの労働組合であるアメリカ看護師協会によって準備されたもので、これはアメリカ最大の労働組合で、その会員の15万名が非白人の女性、とりわけ移民出身です。まず私たちは、Black Lives Matter、Fight for $15 (最低賃金の引き上げを要求している)や他の10あまりの組織との実りの多い共同作業から始めています。看護師たちは、介護者としての立場から、健康保険の給付を得てして受けていない患者たちの人権を守るのだと話しています。そして彼女たちは、健康を環境保護と関連付けています。彼女たちは、信じられないエネルギーで、オバマ・ケアの廃止、増え続ける炭鉱・油田とパイプライン、プエルトリコ人看護師たちの強制退去と闘っています。彼女たちは全ての生命の価値を認め、肯定しています。伝統産業の労働組合の代表たちによる運動ではなく、こうしたグループが主導する運動が、新たな活力をもたらしているのです。


そのためにあなたは楽観主義者なのですか。
あまりそうでもないのです!さりとて、悲観主義を気取ることは避けていて、敗北主義となるには問題があまりに切実です。発言するための機会と、金銭的、社会的、文化的な手段を持ち合わせている全ての人々には、自分の殻に閉じこもることなく、政治の地図を書き直させるために発言する義務があるのです。私は次の世代、サンダースやコービンの若い支持者たちに大きな希望を見いだしており、彼らはネオリベのおとぎ話はもう信じていません。彼らの想像力は私たちよりもずっと大きく、彼らの怒りはもっと激しい。彼らのアンガジュマン、彼らが社会の領域で行っている積極的行動主義を、政治の舞台、政党制と選挙制の内部に持ち込もうという意志はとても感動的です。

これは社会参加にとっては決定的となる瞬間で、甲板上に全員集合せよ、なのです。ショックへの対抗戦略が必要なのです。大きな社会運動に魂を吹き込んだ、理想を目指す熱情を再び見いだすこと。基盤となるものを共有し、人々の生を革新的に改善するために行動すること。共同して積極的な行動をとるために、怒りを乗り越えること。彼らから仕組まれた敵対関係や憎悪にかかわることなく、肯定的でポジティブな展望を提案することです。
(L'Obs誌 No. 2764- 26/10/2017)
1) https ://leapmanifesto.org/fr/un-bond-vers-lavant.