岩松了『不道徳教室』

岩松了 作・演出の『不道徳教室』初日を観た(5月29日/KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ)。
いろいろあって、だいぶ日にちが経ってしまった。今頃はシアタートラムか。感触を忘れないうちに簡単なメモを記す。

作・演出:岩松 了

配役:
大森南朋(山城)
二階堂ふみ(須佐あかね)
趣里(本木久子)
大西礼芳(有田弥生)
黒川芽以(リカコ)
岩松 了(教頭)

照明:沢田祐二/美術:伊藤雅子/舞台監督:幸光順平/衣装:戸田京子/
音響:徳久礼子/ヘアメイク指導:千葉友子/演出助手:大堀光威/
制作助手:土井さや佳、近藤南美、三井田明日香/制作デスク:大島さつき/
宣伝美術:坂本志保/宣伝写真:三浦憲治/宣伝衣裳:兼子潤子/宣伝ヘアメイク:千葉友子
プロデューサー:大矢亜由美
主催・製作:(株)森崎事務所M&Oplays
提携:KAAT神奈川芸術劇場


たいへん面白かった。岩松了の教頭にはなんども笑わされた。役者はみなうまい。
女子高生3人組の場面は、やっていることがすべて分かるわけではないのに(ジェネレーションがかなり違うので)、とても興味深くかつ印象的。十代女子のリアリティ(?)を感じさせる。還暦を過ぎた岩松に(失礼!)なぜあのようなシークエンスが作れるのか。
チャコ役の趣里は、つんのめった入れ込み方が尋常ではない。身体の動きがいいし(バレエをやっていた?)さすがに2代目の強度がある。大西礼芳は3人組の真ん中の位置取りをよく表現していた。黒川芽以は犯罪に巻き込まれそうなあやうい色香がぷんぷん匂う。主役の大森南朋は、川端康成が造形した桃井銀平ほど危ない感じはないが、独特の存在感。二階堂ふみの台詞回しは表現のレンジが広いが、ストーカーされるようなauraを映像とは文法が異なる舞台でどう発揮するのか。その問題は残る。
セットはシンプルだが効果的で、可動式なのと森(公園)の場面が似ていたからか『海辺のカフカ』(2012年5月/彩の国さいたま芸術劇場)を想起した(もちろん規模は全く違うが)。

川端康成の小説『みずうみ』(1954/55)から着想を得たと聞き、あらかじめ読んでいた。〝美しい日本の私〟のイメージとはまったく異質の世界。文庫のコピーには「現代でいうストーカーを扱った異色の変態小説」とある(もちろん当時の日本に「ストーカー」という言葉はない)。主人公の桃井銀平は、惹かれた女性と初めて相対する場面で水虫がどうしたとかあらぬことを口走る。出自の問題。愛情。コンプレックス。母のふるさとであり、父が自死した「みずうみ」。ざらざらした〝犯罪者〟のリアリティがひしひしと伝わってくる。技巧的にも新しさがあり、中村真一郎は「意識の流れ」に区分する(新潮文庫 解説)。主人公と異なる時期に邂逅した人物たちが、一点で交差する〝偶然〟も新鮮だ。
岩松作品には、川端作品にみられるきな臭さやざらついた感じはない。女子高生たちが帰還兵を秘密の洞窟に匿っているとの設定は『みずうみ』にはない岩松の着想だが、原作の「きな臭さ」を演劇的に創出するディヴァイスかと思いきや、そうではなかった。また、プロットに施された「時間軸の交錯」も、初日に見た限りではやや付け焼き刃的であり、岩松本来の目くるめくような感触は後退気味。今回作者は『みずうみ』から話の大枠だけ借用し、小説の〝闇〟からは距離をとっているように見える。
もっとも、原作を読まないで舞台を見ていたら、ひたすら岩松的愉楽に身を任せただけだったかも。そもそも、犯罪者のリアリティとか人間の闇など、岩松了には似合わない。その後KAATからトラムへ移り、舞台はどんな成長を遂げているのか。確かめたい気がしないでもない。