「その日」に向けて

なんのことかと思ったら昨日、戸辺と将棋ソフトのボナンザとやらが対戦して戸辺が3局目で負けたらしいんです。本人は「油断して一発食ったんですよーー」と言い訳していましたが、負けは負け。

そんなバカなと思ったのですが見ているとこれが意外に強いので驚き。既にプロ棋士が数名平手で餌食になったとか奨励会有段者もコロコロ負けているらしいんです

対局を終えた某棋士が対戦。「いつか負けるとは思ったけどこんなに早くコンピューターに負ける日が来るとは・・・」と言っていました。見た感じでは出来不出来がかなり激しいのですが、安定して力を出すようになったら・・・。

現在の将棋ソフトの実力なら何度も対戦していれば1度は勝てる。自宅で指して負けた経験のあるプロ棋士もいるはずだとは言われていましたけれども、それが明らかになったのは初めてではないでしょうか。

プロ棋士が将棋ソフトに負ける棋譜が公開されるのはもはや時間の問題となっています。将棋ソフト TACOS が橋本崇載五段に平手で善戦で指摘したとおり、どうしたら「コンピュータが人間に勝った」ことにするのかを早急に議論しておく必要があります。

将棋ソフトは人間の作ったものであり、本来ならば人間対コンピュータという対決図式で見るのは誤りでしょう。内藤国雄九段が『コンピュ−タと勝負する』で書いたように、コンピュータはコンピュータにすぎません。

しかし、機械はどんなに優れても機械であって、人間が主人。

将来、指し将棋で人間を負かすようになってもこのことは変わらない。本当に畏敬すべきなのはそういうものが作れる人間の頭脳である。こんなふうに考えるのが本当ではなかろうか。

そして、プロ棋士を凌駕する実力を持つソフトが開発されれば、それを活用して人間は将棋というものをさらに深く理解できるようになります。これまでの対局で優劣不明とされていた局面でも新たな最善手が発見されることもあるでしょうし、序盤の定跡手順で従来なかった構想を支える変化を読み切るのに利用されたりもするでしょう。先崎学八段が『やりなおしの将棋』の中で(プロに勝つような)「そういうソフトが出てきたら、将棋は今よりもさらに人々に愛されるようになるのではないでしょうか。」と書いているのも、その意味では正しいと思います。

ただ、上で書いたようなことに理解のある人ばかりならいいのですが、現実にはそうでもありません。コンピュータがプロより強くなれば、将棋を指す人がそうでない人に「でも、将棋ってコンピュータが勝っちゃったんだろ?」と言われるだろうことは目に見えています。そうなったときにどう説明するのか。今のうちからしっかりと理論武装しておかないと後々困ったことになるのではないかと思います。

そして、その現実はすでに進行しつつあるわけです。今なら、まだコンピュータはプロに勝っていないと言い切れます。誰も見てないところでちょこっと指しただけだから本気じゃなかったんだよ、と。しかし、これが先日の橋本崇載五段が苦戦したときのように公開の場の対局なら反論は難しくなってきます。あれは公式戦じゃないからとか、もっと強い棋士がいるからとか、持ち時間が短いからとか、いろいろ言えるわけですがだんだん言い訳じみてきますからね。

ですから、どうせいつか負けるのであれば言い訳できない形で負けた方が良い。それがどんな形式なのかを、まだプロが強いと言える今のうちに決めておいた方がいいだろうということです。具体的には、誰が対戦相手になるのか、対局形式をどうするかといったところでしょうか。

対戦相手をどうするかですが、これは将棋界で一番強い人ということになるでしょう。1997年に行われたチェスの対局では、当時世界最強だったカスパロフが対戦相手となりました。将棋でもそれと同程度の棋士を対戦相手にするべきでしょう。具体的には、名人か竜王か、あるいは羽生か。誰にしても歴史的な対局となることは間違いありません。

トップの棋士を対戦相手にできれば、おそらく普通のタイトル戦とは比較にならないくらいの注目が集まるでしょう。スポンサーもつくでしょうし、NHKで生中継ということもあるかもしれません。もちろん、賞金もタイトル戦並みかそれ以上になるでしょう。それだけの舞台が整えば、非公式戦であっても出場する棋士はそれに応えられるくらいの準備をしてくれるはずです。

ここで問題となってくるのは、トップレベルの棋士は多くの対局を抱えていて非常に忙しいということです。せっかくの対局ですから、悔いなく指せるだけのコンディションを整える環境が求められます。そのためにはそれ相応の準備期間が必要です。タイトル戦などで連戦が続くと疲労が蓄積して本来の実力を出し切れなくなるという話はよく耳にしますが、そうならないようにしなければなりません。そのためには、他の対局の日程を強引にずらしてでもまとまった期間を空けなければならなくなるのではないかと思います。

対局形式は、コンピュータ将棋の目標としてよく言われるのが「名人に勝つ」ということからすると、名人戦の「持ち時間9時間の七番勝負」が妥当かもしれません。しかし、テレビ中継があればその都合に合わせてもいいのではないかと思います。

長々と書いてきましたが、必要なのは今のうちに「その日」に備えておくことです。それは確実に近づいてきており、決して遠ざかることはありません。