2012-02-05
『はつゆきさくら』でクラシック
『はつゆきさくら』体験版でロドリーゴ作曲「アランフェス協奏曲 第2楽章」のテーマを用いた曲がBGMとして使用されています。
しかもボーカル入りBGMだったりするわけだけど、ただ初出は『はつゆきさくら』ではなく『I've Girls Compilation vol.2「verge」』というものに収録された「freak of nature:end」という曲をそのまま転用しているようなので、エロゲBGMとしてはちょっと変わった出自の曲と言えるかも。
文章が読点がこころもち多めでやや書き言葉ちっくな台詞回しとかに独特の雰囲気が読めて、このシナリオライターは意識的に読んだことはなかったけど気になる感じです。クラシック成分だとか絵柄だとか声優だとかシナリオライターの気になり具合だとか、個人的に『素晴らしき日々』を思い浮かべる要素が強くて、はつゆきさくらも素晴らしき日々ていどに期待が湧いてきました。
2012-02-03
ユッシ・ビョルリンク/Jussi at Gröna Lund Complete Recordings 1950-1960(BLUEBELL ABCD114)
CDレビュー | |
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ビョルリンクのGröna Lundでの録音がこうやってまとまった形で聴けるということが非常にうれしい。細かいCDは持っていたが3枚組だなんて!
演奏会場が写真で見るかぎり、日本で言うとヒーローショーとかバンドの演奏などがあるような屋外のひらけたスペースだからなのか、伴奏はすべてピアノ。Gröna Lundがどういうところか今まで気にしてこなかったが、グローナルンドっていうのはずいぶん古くからある遊園地のようで。
Gröna Lund - Wikipedia, the free encyclopedia
収録されている演奏は、ビョルリンクの喉のコンディションがよくなさそうなものが多いのに、それでもどれも愛すべきもの。オペラ全曲とかの録音でなく、また観客との距離が近い演奏会だからだろうか、調子がよくなく日の録音でもむりくりやっている感じがうすいのが良さにつながっているかと思った。
観客との距離が近い。アンコールで歌う曲で観客と声を掛け合ったりしている様子がそのまま収録されているのは聴いていて思いを馳せさせられる。
CD1のトラック19であまりに衝撃をうけたのでこのレビューを書いているのかもしれない。
グローナルンドが屋外だからだろう、静かな歌のむこうにカモメの鳴き声が聞こえるのは、それはもう。
2011-12-18
唐辺葉介『死体泥棒』 感想
本 | |
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過去作とは逆の構成をした作品。
内容的には現代人あるある。
ネタバレ注意
「内臓がないぞう」の時点でこれどうするんだと思ったら、予想だにしなかった地点に物語が収束した。
読後の第一印象は”これって純文学みたい”。純文学がなにかはよく分かってないけど。別の言い方だと”新潮文庫あたりの体裁で読みたい内容じゃんこれ”という。
過去作とは逆と言い切るには考えるところがあるが、まあ逆と言うのが一番わかりやすいかと。
唐辺の近作は全般的に分かりやすい状況・素直に読める内容から始まって、後半に行くと加速度的に物語の焦点が拡散していくというか着地点が見えなくなるという構成を取っている。で、本作はその逆で分かりにくい状況から始まってすごく素直な着地点に落ち着く。
今作のそうした構成の影響を特に感じた部分は2点。
一つ目は死体泥棒の動機。作品名の時点で明示されている死体泥棒の動機が読み始めて読み進めても中々語られなくて、こいつはサイコパスなのか物語はどっちに行くんだと思っていたら芙美子に死体を見せたあたりからあれよあれよと展開し、着地点はまさかの現代人あるあるというか死の受容というか。
これは着地点が真っ当で健康なところに落ち着く分、物語の前半部が構成的によりショッキングに見えるように書かれているのではないかと読んだ。唐辺ファンの方々におかれては実際死体泥棒程度では全然ショッキングじゃあないような気もするし導入部の設定の状況的なひどさはいつも通りかとも思えるけど、死体泥棒という分かりやすく倫理的にもとる行為で始まる上に動機が語られないことにはやはりそうした構成上の理由を見たい。
二つ目は遠慮のなさ。前半部を読んでいる時点で、今作はどのキャラクターも思ったことを発言するのに直截であるというか、過去作に比べても事物に対する感想に一段と遠慮がないなあと感じた。一段と遠慮がないというのは体感ではあるけれど、特に会話においてはキャラクターみんな過去作以上に何かと直截な発言をしている。
こうした直截さは読んでいる途中はそういうものかくらいに捉えていたが読み終えてみれば、穏当な終結部に至るまで主人公自身や物語の雰囲気をぴんと張ったものにしておくための構成上の要請だったのではと思います。読み終えてみれば今作のキャラクターは優しい人ばかりでいつもの作品を読み返して確認したくなるほどに表面上しかすれ違っていないつながりを感じさせる内容なので、だから前半部はキャラクターが辛口なのかと。
それはそうと、序章として冒頭に短く内容的にもまとまったイントロがあるという構成。『PSYCHE』『犬憑きもさん』『ドッペルゲンガーの恋人』『死体泥棒』の全てに似たような読み口で同じような長さのイントロが付いていて、過去作のほとんどこの形じゃないかと思うんだけど、否定したいわけではないけれどこういうものなのだろうか。読んでいてイントロだからと先読みしてしまう部分が出てきてしまっていてなんとも。
・まとめ
唐辺作品に共通する世界観を現代人あるあるという枠に収めた結果、唐辺的な部分はそのままに穏当な読み口の物語となった。
びっくりするほど真っ当な内容。
2011-12-14
グルメエロゲを夢想する
読んでいて辛い料理・食事描写は多い。料理が壊滅的に下手なヒロインを筆頭に、味音痴もいれば激辛激甘好き。そうした料理を食べて言下に辛辣な否定をする主人公も見ていて辛い。
もっとシンプルに、おいしそうな料理、おいしそうな食事が見たいとは思う。
食事描写がおいしそうなエロゲというのはたまにある。Fateやパルフェなんかが有名どころだろう。
じゃあもっと食事描写がおいしそうなエロゲが増えれば満足なのか?・・・ここが違っていた。食事がおいしそうな描写だなんてわざわざ遠回りなことを考えるから遠ざかっていた、直球に考えればいい。グルメなエロゲがあれば良いじゃないか。
・・・グルメ漫画は多い。グルメ漫画ができるのだからグルメエロゲだってできないことはないのではないか。
料理店が舞台のエロゲはいくつもある。ただそういったのは料理店が舞台ではあるもののグルメエロゲとまで言うようなものはなかった気がする。もっと、ヒロイン全部が異なった料理分野のキャラだったりすればグルメエロゲは可能だろうか。洋食屋の娘、フレンチの見習い、グルマンなお嬢様、B級好きな大食いっこ、そうしたヒロインを取りそろえればあるいはグルメエロゲに。
そもそもおいしそうなエロゲとグルメエロゲをどこで分けているのか。グルメ漫画のことを思い浮かべながら考えた。再現、かもしれない。
単においしそうな描写があるのとグルメ○○を峻別しているのは「出てくる料理を再現できる・再現したくなるかどうか」ではないだろうか。
漫画の料理を再現している人は数多い。エロゲはない、気がして少しググったら一人。数はきっと少ないと思う、たぶん。
料理を再現できるかどうかの壁はレシピがあるか、あるいは詳細な料理描写があるかどうか。グルメエロゲを考えたときに料理店が舞台で料理人がヒロインなだけでは必ずしもグルメ○○な感は出ないはず。料理が魅力的であるかどうかでなく、料理が詳細であるかどうかが大きい気がする。つまり再現できるかどうか。
料理が魅力的だけど詳細じゃなくて再現性が低い漫画について例が思い浮かばない。なので例えば戯画のパルフェ。パルフェは料理がとてもおいしそうだったけど個人的にはグルメエロゲには分類できない。それはきっと、オムライスの作り方が分からなかったからであり、プリンのレシピが解説されなかったからであり、カントリー風なケーキや繊細な和菓子の調理過程に材料と分量がなかったから。そしてパルフェの料理が再現できないから。
食事がおいしそうというだけではグルメ○○ではない、というのはドラえもんでもなんでも枚挙に暇がないはず。仮にアンパンマンのパン生地とあんこが毎回異なっていて相手に合わせたおいしさであったなら、それはグルメ○○だっただろうか。
Kanonをプレイした後にたいやきを食べたことはあったけどグルメエロゲではなかった。
ただし具体的な料理店を挙げての食事描写は、そこに食べに行くという再現が可能になるからこそグルメ○○に収まる・・・のかなあ。
再現は、料理に限らず色々ある。
一番多いのはコスプレだろう。舞台探訪も再現の一種だし、楽器や道具、曲にダンス。
クラシック音楽のエロゲという区分を考えるのに一番便利で的確なのは既存のクラシック音楽が流れるかどうかで判断することだった。クラシック音楽が題材となっているけれどクラシック音楽のエロゲとは区分できないエロゲはとても多い。演奏がどうだとだけ描写されても再現はきっと困難であるけど、クラシック音楽が流れるならプレイ後に自身の手で再現できる、からだろうか。
夢想するなら。
エロゲをプレイしつつ、おいしそうな料理が出てきて、今日の晩ご飯はこれを作ってみよう、ということが起きたなら、それはグルメエロゲだろうなあ。
2011-11-22
「キンコンカンコン」のチャイムの音について考えてみた
『七つのふしぎの終わるとき』の体験版をやってたんです。そしたらなんか作中で使われているチャイムの効果音が妙に気になって…。その流れでこの記事を書きます。
「キンコンカンコン」のチャイムがあります。
あの有名なメロディーはウェストミンスター・チャイムと言いますが、みなさんご存じのように全国の小・中・高等学校でチャイムの音として多く使用されています。「キンコンカンコン」の音といえば学校というイメージはごく一般的でしょう。そのせいか学園物エロゲでは「キンコンカンコン」の効果音がすごく頻繁に使用されています。
……ここまでは一般的な話ですね。
では本題。
「これまでエロゲではキンコンカンコンの効果音が学園物では当然であり必須かのように使用されてきたけど、少し考え直すべきではないか?」というのが今回の話です。
この記事ではエロゲにおけるキンコンカンコンの効果音が再考されるべき原因を3つにまとめてみました。
1.チャイムの音はウェストミンスター・チャイムだけではない
ウェストミンスター・チャイムが一般的ですが、そうでないチャイム音もめずらしくありません。
郷愁を誘う音楽にはけっこう種類があるようです。
2.ウェストミンスター・チャイムをそのまま流すと長すぎて情景描写と食い違う
一般的なチャイムの音は長いです、その通りに流すと20秒くらいはあります。音声が流れている場面なら良いですが地の文の描写であれば20秒もあったら授業が3回は始まって終わってしまいます。それほどウェストミンスター・チャイムの音は長いのに、長いまま効果音として使っている作品が多くあります。結果として、どの場面においても効果音は最後まで聞くことなくぶつ切りになる・場面が転換してるのにチャイムの効果音が流れ続ける、といった何とも言えないことになっているエロゲも珍しくないです。
3.チャイムの”音”がコレジャナイ
私も記事を書いている過程で気づいて納得したのですが、学校のチャイムの音は多様ではありません。というのも考えてみれば当然です、学校で流すチャイムの音は「メーカー品」です。どこそこのメーカーの機械を使用している学校ではあのチャイムの音、じゃなければあの音という感じです。
決まった機械から流れる音だからこそどこへ行っても同じような音(というよりも全く同じ音)を聞いているため耳に残っています。つまり、学校のチャイムは”メロディー”が同じという面もありますが”音色”や”音質”といった面も大きいかと思います。そこを考えずにウェストミンスター・チャイムのメロディーだけをなぞってシンセで打ち込んだような効果音、これは納得がいきません。今回『七つのふしぎの終わるとき』の効果音にはこのケースの違和感を覚えました。
以上です。
効果音としてのチャイムの音を使用する際には上述の3通りの可能性にのいずれにも気を配っていてほしいです。ただ全部考慮してチャイムの効果音を使用するのは手間のかかることだと思います。
・・・・・・つまりチャイムの音は効果音としてぽんぽん使うにはむずかしいものなんじゃないのか、というのが私の見解です。
あくまで個人的にですが、チャイムの効果音があって違和感を感じたことは何度もありますが、チャイムの効果音がなくて違和感を感じたことは一度もありません。
竹田の新作ということで『七つのふしぎの終わるとき』のシナリオに期待したいと思います。
2011-10-22
それはペンではありません
雑誌で読んだときは気になりようがなかったけど、一冊の本の表紙にばばーんと「これはペンです」と書いてあると「いいえ、それはペンではありません。これは本です」と思える。というかこの書影にはそういうギャグも込めてあるのかしら。
2011-10-16
かぐや姫「妹」ってこんなに寝取られだったのか…
雑記 | |
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かぐや姫(南こうせつ 伊勢正三 山田パンダ)による往年の名曲「妹」のあまりの寝取られ性に今更気づいて驚いたので書き留める。
歌詞を冒頭だけ引用すると
妹よ ふすま一枚隔てて今
小さな寝息をたててる妹よ
お前は夜が夜が明けると
雪のような花嫁衣装を着るのか
といったような内容。
あらためて見るとそのあまりのエロ漫画導入っぷりにびっくりするほかない。全く同じようなシチュエーションのエロ漫画がいくつあることか。
こんな前振りをされたらいくつでも寝取られ系の展開が思い浮かぶ。
・ふすま一枚隔てた向こうで妹はウェディングセックス
・ふすま一枚隔てて今小さな声を押し殺して兄を思ってオナニーをする妹
・花嫁衣装を着るなんて許せないからこれからレイプに赴かんとする兄
・雪のような花嫁衣装を最初に血で染めるのは自分だという兄
というわけで「妹」は寝取られ。あーびっくりした。
2011-09-08
Icilio Calleja
声 | |
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イチリオ・カレヤ、でいいのだろうか。日本語の情報がネットに全然ない。
Symposium (2008-10-14)
録音少なそう、4種類しか確認できない。
前時代の発声の良いところがこれほど顕著なのに総体として古くない。素晴らしい。録音が少ないのが惜しまれる。












