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2017-01-20

[]石神井書林目録100号

絵の展示でお世話になっているブックギャラリーポポタムの大林さんと古本屋石神井書林の内堀さんは、子どもたちが同じ時期に同じ保育所に通っていた父兄仲間だ。内堀さんが発行する次号の古書目録に題字を描いて欲しいと、大林さん経由で内堀さんから連絡がきたのはそうしたわけだ。よろこんで返信すると、大林さんがこんなことを言う。

「はじめてムトーさんに会ったときカンチョーされたって内堀さん言ってたよ。」

鬼子母神参道キアズマ珈琲で内堀さんと打ち合わせをした。夏に内堀さんのお父さんが亡くなったこと、子どものころ住んでいた練馬区関町で東京オリンピック聖火ランナーを見たこと、次号で100号になる古書目録のこと。ひとりで聞いているのが惜しいような時間が流れていくが、大事なことを確認したい。

わたし、いつ内堀さんにカンチョーしましたっけ?

2013年4月29日。水道橋近くの編集室屋上トークイベント「古書より野球が大事だと思いたい〜夢のオールスターゲーム〜」がおこなわれた。ゲストは野球好きの古本屋石神井書林古書赤いドリル、青聲社の3人だった。赤いドリルの那須さんが、亜細亜大学のユニフォームを着ながら大学野球の面白さを熱く語っていた。小さな会場で、参加者も知り合いばかり、そのまま近くの居酒屋に流れて打ち上げをした。その帰り際、地下の居酒屋から地上へ出る階段の途中で、わたしは前を歩く内堀さんにカンチョーをしたらしい。ちょうどいい目の高さにケツがあったのか、酔って調子にのったわたしがいかにもやりそうなことだ。

ぼく、ムトーさんの描く字が好きなんです。北園克衛やボン書店のような装丁はもちろん好きだけれども、100号目になる目録の装丁はそれじゃない。破壊のためにはムトーさんが描く字が必要なんです、破壊、破壊を、と、わたしにカンチョーされた男が繰り返す。

打ち合わせから数週間後、クロッキー帳に数冊分たまった文字をキアズマ珈琲で手渡す。石神井書林古書目録100号、2017.1、特集練馬区関町、小山清太宰治井伏鱒二小沼丹木山捷平上林暁庄野潤三尾崎一雄他、村上一郎、内堀さんから頼まれていた文字は以上だ。数冊分の分量にまず唸り、次に1枚1枚ページを繰りながら食いつくように文字を見ていく。

「ムトーさん、小山清の本、読んだことありますか?」

ないです、と小さく答える。

「そういう人でないとね、こういう字は描けないんですよ。」

2017年1月15日、出来上がった目録が届く。100号目の特集は練馬区関町に住んでいた作家たちと村上一郎だ。特集は練馬区関町の作家のひとり「小山清・房子往復書簡」からはじまる。

「昭27年1月、亀井勝一郎宅にて小山清(40歳)と関房子(22歳)は見合いをした。その後、挙式(4月)迄の間に交わされた二人の往復書簡。」

見合いから結婚、夕張炭鉱太宰治の尽力、庄野潤三からのラジオ原稿の依頼、2度の芥川賞候補、関町への引越し、木山捷平自転車で運んでいった庭の植え木、脳血栓失語症、妻の自殺小山清の死、遺されたふたりの子ども。発行年順に掲載された書簡、葉書、著作に細かく書かれた注釈をたどっていくと、どんな人かも知らなかった小山清が目録のなかで立ち上がってくる。

1930年代雑司ヶ谷にあった小さな出版社に光をあてた、内堀さんの著作『ボン書店の幻』を読んだときのことを思い出す。書名や本の状態、古書としての値段を1行にまとめた従来の古書目録とも、本の裏に値段を書きジャンル別に並べて売るのとも違う、練馬区関町で過ごした自身の子ども時代を絡めながら作家たちを紐解いていく、こうした古本の売りかたがあるものなのか。

古本屋を営む知人にそんな話をしていると、いまさらかよという顔をされる。

石神井さんは、背表紙ばかり並べたような古書目録のなかで、本を面出しにした最初の人だよ。」

内堀さんからきた依頼のメールを読み返す。わたし自身が、石神井書林目録100号に絡めたたことによろこびながら。

「今年の夏、老父が亡くなりました。

父は普通のサラリーマンでしたが私が大学を除籍になり、古本屋をはじめたときも批判めいたことを言うことは一度もありませんでした。

その父が亡くなって、100号という区切りを迎えることにいくらかの感慨がありました。

いま、初心のようにこの目録を作っています。」

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石神井書林目録100号は都内2店舗、ポポタム、Titleで販売しています。

■ブックギャラリーポポタム

〒171−0021 東京都豊島区西池袋2−15−17

TEL. 03−5952−0114

営業時間、定休日は展示によって異なります

http://popotame.net/

■Title

〒167-0034 東京都杉並区桃井1-5-2

TEL. 03‐6884‐2894

営業時間:11:00 - 21:00

定休日:毎週水曜・第三火曜

http://www.title-books.com/


※1月26日追記

南池袋古書往来座でも販売開始いたしました。

古書往来座

東京都豊島区南池袋3-8-1-1F

TEL・FAX 03-5951-3939

営業時間:12時半ごろから22時

月曜日のみ18時まで

2016-12-14

[]野溝七生子の青春

小説家野溝七生子肖像画を描きました。粗いモノクロ写真を元に実在の人物の顔をカラーで描く、はじめての仕事でした。女性が学問をすることが難しかった時代に、書き学ぶことを選んだ女性の強さと、少女の不安や柔らかさが同居する、そんな顔が描けたらと思いました。うしろには野溝七生子の代表作『梔子』の花を描きました。講演会を行う東洋大学は、私立ではじめて男女共学を実現してから今年で100年になります。1916年に入学した女性第一号の栗山津禰、1924年入学した野溝七生子。彼女たちが開けてくれた「学問において性別は関係ない」という門を当たり前に通っているいま、当たり前でなかった時代の話を聴いてみませんか。講演会は入場無料、予約不要です。お気軽にご参加ください。

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東洋大学学術研究推進センター講演会 東洋大学男女共学100周年記念 

***野溝七生子の青春―文学少女白山に学ぶ―***

野溝七生子の生涯・作品を通じて、東洋大学白山の地で育まれ、開かれていった近代女性像を解き明かす。

東洋大学男女共学100周年を記念する年に、東洋大学で学び、教鞭をとった、明治・大正・昭和と激動の時代を生き抜いたひとりの女性の生涯を、白山の地から考えたい。


■開催日時

平成29年1月28日(土) 14時〜15時30分 (13時30分開場)

■開催場所

東洋大学白山キャンパス8号館7階 125記念ホール

東京都文京区白山5-28-20 都営三田線白山駅東京メトロ南北線本駒込駅から徒歩5分

■入場無料 予約不要



野溝七生子の生涯・作品を通じて、東洋大学白山の地で育まれ、開かれていった近代女性像を解き明かしたい。

野溝七生子(1897-1987年)は、1921年に新設されたばかりの東洋大学文化学科に入学1924年に卒業するまで西洋哲学を学んだ。彼女が学生として過ごした大正期は日本の女子教育の変革期であり、東洋大学は1916年に私立大学として初めて女性の入学を認めたばかりであった。一方、在学中に『福岡日日新聞』の懸賞小説に入選して以来、七生子は小説家として活躍しはじめる。そして、卒業後も研究生としてドイツ文学の研究を続けた彼女は、戦後になって東洋大学国文学科で教鞭をとるようになり、翻訳を通した森鷗外ゲーテ文学の比較など近代文学を講じた。

女学生として、女性作家として、女性研究者として……野溝七生子が歩んだ道のりは、決して平坦なものではなかった。七生子が大学で過ごした時代、女性たちの学びの場はどのようなものだったのだろうか。代表作「山梔」(1928年)、「女獣心理」(1931年)を読み解きながら、女子教育の歴史を背景に、大正期の女学生の風俗や東洋大学周辺で勃興していた文学の流行など、野溝七生子の青春時代を彩ったモードからその実像に迫る。

■講師

小泉京美

東洋大学大学院文学研究科国文学専攻博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2016年春より武庫川女子大学日本語文化学科専任講師。東洋大学では2011年より文学部日本文学文化学科(通信教育課程)の非常勤講師を兼任。「日本の詩歌A・B」を担当。専門は日本近代文学。著書に『満洲モダニズム』(ゆまに書房、2013年)、『美術と詩?』(ゆまに書房、2012年)、『短詩運動』(ゆまに書房、2009年)などがある。現在は京都市在住。

野溝七生子(のみぞなおこ)

明治30年(1897)兵庫県姫路市生まれ。大正10年(1921)東洋大学入学、大正13年(1924)卒業。昭和26年(1951)東洋大学文学部専任講師、昭和27年(1952)助教授昭和31年(1956)教授になる。昭和42年(1967)定年退職。大正13年(1924)「福岡日日新聞」懸賞小説に『山梔』(くちなし)が入賞しデビュー。その後数々の小説を生み出した。代表作は『女獣心理』、『南天屋敷』、『月影』など。



■問合せ先

東洋大学研究推進部研究推進課

ml-gkk@toyo.jp

2016-12-13

[]シジミパン

夏にご好評いただきましたしじみTシャツですが、その冬版のしじみトレーナーの販売がはじまりました。トレーナーの製作販売通販は秋田の6jumbopinsさん。いつもお世話になっております。しじみTシャツ、しじみトレーナーの販売は今月12月20日までになります。夏もしじみ、冬もしじみ、ご注文お待ちしております。

しじみトレーナーの通販はこちらから:しじみ トレーナー | 6JUMBOPINS

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農文協の雑誌季刊『うかたま』の目次頁に挿絵を描きました。今号の特集は「パンパン友」。固く重いドイツパンを3個、並べてみたらパンの模様が花のようでした。本屋さんでぜひどうぞ。

うかたま.net [季刊 うかたま]

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2016-11-04

[]桶川の焚き火

松本素生さんが作った「東京」という歌をはじめて聞いたのは、昨年9月に行なわれたポポロックフェスのときだ。イッツオーライ。繰り返されることばが、聴き終わったあといつまでも口先に残り続けるのが気持ちよかった。みちくさ市の打ち上げで、「東京」が好きだったと遊びに来た素生さんに言うことができた。でも、と続けた。

埼玉桶川出身の人がどうして「東京」なの?桶川なんてほとんど東京じゃない。

在来線に30分も乗れば山手線の駅に出られる町の人が、「東京」という歌を作るのが不思議だった。もっと遠くの町の人が、憧れや反発や夢や悔恨を歌にするとき、「東京」ということばを使う気がしたからだ。

桶川東京じゃないよ。ホームにおりると焚き火の匂いがする、そんな駅、東京にはないでしょ。」

桶川駅におりたことはないが、縁がないわけじゃない。仙台に越していった友人の生まれ育った町でもあり、宮本くんのブログ「いつまでも生きていたい日記」によく登場する町でもある。そんな友人たちの町で、焚き火の匂いがするという地元で、松本素生さんが歌う姿を見てみたかった。

9月の半ば、ベニバナウォーク桶川という桶川駅から少し離れた場所にあるショッピングモールで、素生さんのバンド、GOING UNDER GROUNDのライブがあることを知った。ベニバナウォーク桶川のなかにあるレコード屋、新星堂の主催で、新しいアルバム「Out Of Blue」の発売記念のライブだった。桶川をよく知る宮本くんと、大宮近くに住むエンテツさんを誘い、わたしはその日、桶川を歩いてみることにした。

エンテツさんはライブ会場に直接来るとのことで、宮本くんと13時に桶川駅のひとつ手前、北上尾駅で待ち合わせた。池袋から赤羽まで埼京線赤羽から北上尾までは高崎線に乗った。久しぶりに乗った高崎線は4人掛けのボックス席で、窓枠に肘をついてぼんやり外を眺めていると、たいした距離も乗らないのに、これからもっと遠くへ行くような気がしてくる。後ろの席から漂ってくるサンドイッチの、車内にこもる食べものの独特の匂いのせいかもしれない。北上尾のひとつしかない改札を出る。上尾の名産やゆるキャラが飾られたショーケースを眺めていると、斜めに首をかしげながら宮本くんがやってくる。

東口に出る。駅前のロータリーを過ぎ、旧中仙道を越え、大型ショッピングモールPAPAの横を抜ける。PAPAのなかの本屋、高砂屋書店が以前は桶川駅前にもあったがいまはここ一軒だけになったことを聞きながら。歩きはじめたときから、どこを目指している、とか、今日はどことどこに行きます、とか、宮本くんの口から一切出ないので、わたしはどこに向かって歩いているかわからないまま、ここが国道17号です、などという宮本くんの解説を聞いている。

はじめに立ち寄ったのは、17号沿いにあるオートパーラー上尾だった。古いゲーセンと、これまた古い、そばうどんトーストサンド、カップヌードルなど食べもの系自販機がいまも現役で活躍している、そうしたものが好きな人たちには知られた場所らしい。自販機でハムチーズのトーストサンドを買って宮本くんと半分こにして食べる。宮本くんの飲む瓶のコーラを一口もらう。建物の真ん中に小さな管理人室、右半分はパチンコの筐体、左半分はマージャンなどゲームの筐体とその奥に自販機コーナーがある。客は我々のほかに、マージャンゲームで遊ぶおじさんが2〜3人、自販機のうどんを食う男がひとりだけだ。建物の右半分は電気が消され、大きな窓から入る自然光が、何十台もの古いパチンコ台を鈍く浮かび上がらせている。自販機もゲームもゲームの前に置かれた椅子も灰皿も、清潔で吸殻ひとつ落ちていなく、長い時間大事に使われてきた古物のような気配がある。宮本くんが黙ったまま千円札を崩しにいく。古いクレーンゲームで安っぽい女もののパンツを取ろうと奮闘し、やがてあきらめる。

17号沿いをまた歩く。大きなトラックが走りさる、歩き慣れた明治通りとは違う音。車道に向かって建てられた大きなチェーン店の看板。宮本くんのお母さんがむかし住んでいたという団地。団地の向こうからのぞく聖火台によく似た形の給水塔。宮本くんが「おいしい」とブログに書く天ぷら屋天治。

天治で昼飯かと思ったが、前までくるとシャッターがおりている。おじさん今日はやるって言ってたのに、と宮本くんがうなだれている。事前に確認していたマメさとあっさり反故にされた様子がおかしくて、宮本くんとおりているシャッターの写真を撮る。

17号の交差点を左折して、住宅街にはいる。子どもたちからリス公園と呼ばれていたリスのいない公園、宮本くんの家族が大晦日にお参りに行く神社のそば、歩行者用の小さな踏切で高崎線の線路を越える。畑の残る住宅街のなかに建てられた、宮本くんの実家と、その並びの宮本くんのおばあちゃんが8年前までやっていたという喫茶店は、郊外の平屋のちょっとしたファミレスくらいの大きさがある。戦前都内で果物商をして儲け、疎開していまの場所につくったという喫茶店は、当時ずいぶんハイカラだったに違いなく、駅前でもないこの場所でよく流行ったらしい。スイスが好きだからと名づけられた店名もまたしゃれている。

いつ見ても誰が誰だかわからないと宮本くんがぼやく、埼玉出身の作家たちの似顔絵が描かれた垂れ幕のさがるさいたま文学館には、隣接して大きなホールがある。ここでGOING UNDER GROUNDもライブをしたことがあるらしいが、今日は世良正則と書かれた大きな垂れ幕がおりている。ここで成人式をやりました。幼稚園、小学校、中学高校と、すべて違う学区に通った宮本くんが、地元の成人式に出るのが不思議だった。中学から私立に行ったわたしは、豊島区成人式に出ていない。一緒に行く友人もいなければ、楽しそうな彼らを見るのも、輪に入れてもらうのもはじかれるのもまっぴらだった。ぼくも行く気はなかったんですが、庄司薫が書いた成人式のエッセイを読んで行くことにしたんです。中学時代、バトミントン部だったこと。学校から帰ったあと、桶川の体育館でひとりでサーブ練習をしていたこと。宮本くんと話していると、かつての自分をよく思い出す。友だちのいない棒が二本、並んで桶川の町を歩いている。遠くにその体育館とベニバナウォーク桶川が見えてくる。会場にはライブ開始10分前に着いた。

ベニバナウォーク桶川のなかにあるスーパーで缶ビールを買い、飲みながら開演を待つ。エンテツさんとエンテツ夫人がやって来る。我々が飲んでいる姿を見て、エンテツさんがあわてて缶ビールを買いに行く。ステージはそう大きくはないが、3階まで吹き抜けているので開放感がある。ステージ前に並べられた椅子はすでに満席で、休日のショッピングモールの無料ライブということもあり、家族連れの姿が目立つ。壁のあちこちに、桶川出身メジャーアーティストGOING UNDER GROUNDインストアライブ、と書かれた黄色いポスターが貼られている。

中学でバンドを組んだこと。桶川では貸してくれなかったので、隣りの市の公民館を借りてはじめてライブをしたこと。今日はライブが終わったらくるまやという馴染みのラーメン屋に寄ること。地元やバンドや新しいアルバムの話をはさみながら演奏した曲は、「トワイライト」「おれ、ねこ」「the band」の3曲だった。ステージのそででメンバーに子どもを見せている人たちは、彼らの幼馴染だろうか。胸に抱いた赤ん坊の背中でとんとんとリズムをとっている母親。車椅子に座りながら揺れていたおばあさんが、ライブが進むにつれ立ち上がり大きな音にあわせて体をくねらせている。小さな子がステージに手をつきながらギターとベースを弾く三人を見上げている。窓硝子さえも割れない奴らが教室の隅で組んだようなバンド。焚き火の匂いがする駅。新宿渋谷のような街のインストアライブでは見られないだろうこうした景色のなかに、3人の歌が流れていく。

ライブ終了後、アルバムを買い、サイン会の列に並ぶ。アルバムの冊子のどこにサインを入れてもらうか悩みながら。番がきて、我々の顔を見て驚きながら笑う素生さんに、俺の恋人へ、と冊子の表にサインを入れてもらう。これから桶川駅前で飲むけれど、と誘ってみるが、今日は戻らなきゃ、と断られる。またみちくさ市で。

スーパーで2本目の缶ビールを買い飲みながら、行きは桶川駅から送迎バスで来たというエンテツさんたちと、今度は4人で桶川駅まで歩くことにする。桶川美女見ますか?めずらしく宮本くんが聞いてくる。ここから2分くらいです、と歩きはじめて本当に2分くらいで着く。道に面した角地に、セメントかなにかでつくられ着色された、稚拙さと土着さのまじる、なんとも言えないビキニ姿の女性像が建っている。像のうえの小さな屋根には、桶川の美少女と書かれた看板と、屋根の桟に男性器を模した白い張形がひとつ置かれている。女性像の左手には同じくなんとも言えないセメント製パンダ像、右手には三越を安くしたような市販品のライオン像が置かれている。しばらくあちこちから眺め写真を撮る。

行きに歩いた道とは違う、高崎線を越える陸橋を渡り桶川駅を目指す。陸橋に面した建替中の桶川市役所。市役所前のつぶれた定食屋。写真栄えする場所があります、と見せてくれた、陸橋の下につくられた駐車場の壁にスプレーで、桶川、とただ描かれた落書き。陸橋の欄干に彫られた桶川の花、ベニバナ

飲みに行く前に金をおろそうと、道沿いにあった郵便局ATMに寄る。カードが古いからおろせるかどうか、とエンテツさんがぼやきつつ、やっぱりおろせなかったと戻ってくる。銀行なら大丈夫、とこんどは道沿いの銀行のATMに寄る。無事におろせたエンテツさんのカードを見ると確かに古く、どこの銀行だかわからない。いまのりそな銀行ですよ、と一番若い宮本くんが即答する。人のことは言えない。私もまた、三井住友銀行のまえ、さくら銀行のカードを使い続けている。

陸橋を越えるとすぐ、旧中仙道に出る。右折して桶川駅のほうに向かう。旧中仙道沿いには古い建物や商店が多く残り、駅の反対側ののっぺりした住宅地と違い、歩いていて景色に見飽きない。昔ながらの大きな瀬戸物屋、古い建築をそのまま利用したヤマト運輸ギャラリー、年季の入ったおもちゃ屋、貼り紙の多い漢方薬屋。道沿いの公衆便所でさえ、旧街道沿いを意識した、入り口に暖簾がさがる旅館のようなつくりをしている。

駅に向かう商店街。つぶれたゲームセンターの看板。少し前まで木造の小学校の校舎が残っていたという更地。駅前の「おいしい」と書くラーメン屋。駅前を右折して現れる、線路沿いの自転車置場と飲み屋が連なる商店街。そのなかの居酒屋美味に入る。開店して間もないからかほかに客はおらず、奥の座敷にあげてもらう。座敷には炊き途中の暖かい炊飯器が置かれていたが、どかして座布団を並べて座る。瓶ビール。焦げていく朴歯味噌。タレの焼き鳥盛り合わせ。簀巻きで巻いた、でも柔らかいというあじ寿司。家族かと思ったけど違うのね。年の離れた我々が飲み話す姿を見て、女将さんがそんな風に言う。年はばらばらだけど友だちっす、そう返す。宮本くんはいつもひとりで来て、カウンターで飲んでいる。座敷の横がすぐ線路なのか、ときおり鉄の塊が通り過ぎていく大きな音がする。

駅前でエンテツさんと夫人と別れ、宮本くんとふたり、駅前の「おいしい」ラーメン高砂に入る。飲んだあとのラーメン一杯。おいしい。踏み切りを渡り桶川駅の反対側に出る。桶川ストーカー殺人の現場の横を抜け、駅前に建つショッピングセンターおけがわマインに入る。遅めの時間のせいか、活気がない。エスカレーターをのぼり、宮本くんがよく行く丸善と、丸善のなかに入り口がある変わった図書館を一周する。マインの屋上への階段を探すが見つからず、宮本くんが最後にどんな景色を見せたかったのか、わからなかった。

マインの2階から陸橋を渡って桶川駅の改札へ。手を振って別れる。桶川駅のホームに立つ。焚き火の匂いはしない。棒はずっと棒のままだ。

宮本くんのブログ「いつまでも生きていたい日記 」:http://nemurico.exblog.jp/26006313/

2016-10-01

[]詩、ってなに?前夜

三月の晩、平田俊子さんと新宿花園神社で待ち合わせ、神社の裏手の平田さん行きつけの店に飲みに行った。穴の空いた階段をのぼった二階、右手に5〜6人腰掛けたらいっぱいのカウンターと、左手に小部屋と便所がある店だった。壁の換気扇のしたに寺山修司のお面がかかり、お面のしたのカウンターの端に女と男が寄り添っている。この街よりも銀座が似合いそうな女と、そうした女を口説ける男の余裕が、穴やシミの多いこの店から少し浮いていた。奥の小部屋の集まりは句会だそうで、それもそろそろお開きの、つまみののった皿が小部屋に運ばれていく。浮いた男とつまみにはさまれたカウンターに平田さんと腰掛ける。

詩を一編書いて欲しい。平田さんからのメールに気がついたのは昨晩のことだ。以前使っていたアドレス宛てにきていたメールに気づかずに、5日近くも放ってしまった。あわてて返すと夜中にも関わらずすぐにことばが返ってきた。明日(日付が変わっているので今日ですが)。詩の話もしたいのでゴールデン街で飲みましょう。花園神社本殿前に8時頃集合でいかがですか?

はじめはビール。おかわりもビール。その後ずっと、平田さんのボトルキープの焼酎ウィスキーを割って飲む。

どんどん飲んで。何ヶ月も残ってると格好悪いから。

酒がそう得意ではないという平田さんのことばを真に受けて、ラベルに書かれた数ヶ月前の日付を見ながら空けていく。

詩を書いたことがない、詩なんかわからない、歌詞とどう違うかもわからない。ボトルが空くにつれ、わたしは面倒な人になっていく。おそらくわたしのために選んでくれた詩を抜粋したコピーの束を前にして、平田さんはひとつひとつ、わたしの面倒に付き合ってくれる。林芙美子山之口獏、松井啓子、三木卓茨木のり子尾崎翠ローランサン。貧しさを題材にした詩により目が向くのは、昔もいまも財布の軽いわたしのひがみか。詩を書いてくれと言った平田さんに、ブログが好きだからと言ってくれた平田さんに、詩人とふたりゴールデン街で飲んでいる自分に、わたしはみっともないくらい浮かれている。ひとの酒に寄りかかり、隣りの詩人に甘えている。

書いた詩の、はじめの三行と最後の三行を削ってみたら。

ことばと連れ添ってきた人はあっさりすごいことを言う。以前、新聞で読んだ八代亜紀のことばを思い出す。

「『悲しいね』と笑いながら歌うと心に染みる。『楽しいね』と悲しそうに口ずさむと、グッとくる。銀座のクラブで歌っていた10代のとき、ホステスのお姉さんたちが泣きながら聴く姿を見て、そんな歌の心を知りました。」

花園神社の裏手で平田さんと別れ、わたし明治通り雑司ヶ谷まで歩いて帰る。どこかで買った缶チューハイを手に持って、知人に電話をかけながら。

すごいことを聞いちゃった。はじめの三行と最後の三行を削れって。詩の秘密を聞いちゃった。

それらしきものが書けたのは、はじめに言われた締め切りから1ヶ月も過ぎた頃だった。はじめの三行と最後の三行を削ってみても、わたしのことばでは詩にはならない。向き合ってきたことばの量も時間も桁違いなことを、寄りかかり甘えてないことにした。悲しい歌を笑いながら歌うことの難しさ、長年やってきた人たちが簡単に言うことばの困難さは、自分の手を動かしてみるまでわからなかった。

そうして書いたそれらしきものを、平田俊子さん編集の『詩、ってなに?』(小学館)に載せてもらった。すでにある詩とその解き方のような本が多いなか、『詩、ってなに?』は平田さんが一緒になって面倒に付き合ってくれる、あの晩のゴールデン街のような本だ。あの晩もらったコピーの束にも、この本にも、平田さんが作ってきた詩は載っていない。

「答えはまだ見つからないし、これからも見つかるはずはないのです。詩ってなんだろうと自分に問いながら、これからも詩を書いていくしかないのです。」

詩、ってなに?あの晩、カウンターの横に腰掛けていた、平田さんの三行の時間を思う。

コ・ト・バ・を・ア・ソ・ベ!Vol.2

『詩、ってなに?』

編/平田俊子

小学館

https://www.shogakukan.co.jp/books/09104216

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