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2016-12-14

[]野溝七生子の青春

小説家野溝七生子肖像画を描きました。粗いモノクロ写真を元に実在の人物の顔をカラーで描く、はじめての仕事でした。女性が学問をすることが難しかった時代に、書き学ぶことを選んだ女性の強さと、少女の不安や柔らかさが同居する、そんな顔が描けたらと思いました。うしろには野溝七生子の代表作『梔子』の花を描きました。講演会を行う東洋大学は、私立ではじめて男女共学を実現してから今年で100年になります。1916年に入学した女性第一号の栗山津禰、1924年入学した野溝七生子。彼女たちが開けてくれた「学問において性別は関係ない」という門を当たり前に通っているいま、当たり前でなかった時代の話を聴いてみませんか。講演会は入場無料、予約不要です。お気軽にご参加ください。

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東洋大学学術研究推進センター講演会 東洋大学男女共学100周年記念 

***野溝七生子の青春―文学少女白山に学ぶ―***

野溝七生子の生涯・作品を通じて、東洋大学白山の地で育まれ、開かれていった近代女性像を解き明かす。

東洋大学男女共学100周年を記念する年に、東洋大学で学び、教鞭をとった、明治・大正・昭和と激動の時代を生き抜いたひとりの女性の生涯を、白山の地から考えたい。


■開催日時

平成29年1月28日(土) 14時〜15時30分 (13時30分開場)

■開催場所

東洋大学白山キャンパス8号館7階 125記念ホール

東京都文京区白山5-28-20 都営三田線白山駅東京メトロ南北線本駒込駅から徒歩5分

■入場無料 予約不要



野溝七生子の生涯・作品を通じて、東洋大学白山の地で育まれ、開かれていった近代女性像を解き明かしたい。

野溝七生子(1897-1987年)は、1921年に新設されたばかりの東洋大学文化学科に入学1924年に卒業するまで西洋哲学を学んだ。彼女が学生として過ごした大正期は日本の女子教育の変革期であり、東洋大学は1916年に私立大学として初めて女性の入学を認めたばかりであった。一方、在学中に『福岡日日新聞』の懸賞小説に入選して以来、七生子は小説家として活躍しはじめる。そして、卒業後も研究生としてドイツ文学の研究を続けた彼女は、戦後になって東洋大学国文学科で教鞭をとるようになり、翻訳を通した森鷗外ゲーテ文学の比較など近代文学を講じた。

女学生として、女性作家として、女性研究者として……野溝七生子が歩んだ道のりは、決して平坦なものではなかった。七生子が大学で過ごした時代、女性たちの学びの場はどのようなものだったのだろうか。代表作「山梔」(1928年)、「女獣心理」(1931年)を読み解きながら、女子教育の歴史を背景に、大正期の女学生の風俗や東洋大学周辺で勃興していた文学の流行など、野溝七生子の青春時代を彩ったモードからその実像に迫る。

■講師

小泉京美

東洋大学大学院文学研究科国文学専攻博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2016年春より武庫川女子大学日本語文化学科専任講師。東洋大学では2011年より文学部日本文学文化学科(通信教育課程)の非常勤講師を兼任。「日本の詩歌A・B」を担当。専門は日本近代文学。著書に『満洲モダニズム』(ゆまに書房、2013年)、『美術と詩?』(ゆまに書房、2012年)、『短詩運動』(ゆまに書房、2009年)などがある。現在は京都市在住。

野溝七生子(のみぞなおこ)

明治30年(1897)兵庫県姫路市生まれ。大正10年(1921)東洋大学入学、大正13年(1924)卒業。昭和26年(1951)東洋大学文学部専任講師、昭和27年(1952)助教授昭和31年(1956)教授になる。昭和42年(1967)定年退職。大正13年(1924)「福岡日日新聞」懸賞小説に『山梔』(くちなし)が入賞しデビュー。その後数々の小説を生み出した。代表作は『女獣心理』、『南天屋敷』、『月影』など。



■問合せ先

東洋大学研究推進部研究推進課

ml-gkk@toyo.jp