m.r.factory

2018-02-04

[][]鏡には映らない

新宿から京王線幡ヶ谷まで。ゆるいBGMがかかる商店街を北へ抜け、この辺だろうと見当をつけたところを左に曲がる。住宅街のなかに目当ての銭湯「観音湯」を見つけるがシャッターが降りている。入り口横に店主入院のためしばらく休業の貼り紙。仕方なく、今日お邪魔する代田橋の友人宅に向かって二駅分、なるべく細い道を西へ西へとつないで歩く。まだ雪の残る巨大な駐車場の横、振り返ると新宿西口高層ビル群がひらけた空の向こうにわっと迫る。

笹塚近くの路地の奥を歩いていると、マンションの一階に銭湯「栄湯」の看板を見つける。暖簾をくぐると正面に自動ドアの入り口、右手に下足箱がある。自動ドアの向こう、すぐ左手にフロント、右手にロビー、正面に男湯と女湯の入り口。入り口からゆるい段差が二段ほどで脱衣所へ。まん中に畳敷きの腰掛け。周りをぐるっとロッカーが囲む。洗い場への入り口右手に洗面台、左手に体重計、壁掛けの鏡、月極の有料ロッカーが並ぶ。

洗い場。入って左手に水風呂、通路を挟み、マンションの柱を囲むようにつくられた変形風呂があり、通路の奥には右手に露天風呂、左手に別料金のサウナがある。露天風呂は天井がよしずでおおわれ空は見えないが外の冷たい空気がやんわり感じられる。本日の湯は赤ワイン配合と壁にあり、カキ氷のイチゴシロップのような色をしている。変形風呂には湯が噴出すジェットがふたつ。奥がハイパーで背中に強力な、手前がマッサージで両脇からと、それぞれ湯が噴出す場所と威力が違う。ジェット系はどちらも人気で、空いたそばから次の人が埋めていき、ジェットのあたる位置にあわせて体を上下させている。

右手の壁と、変形風呂にくっつく壁に沿ってカランが並ぶ。カランの前には桶と椅子がセットで置かれ、シャンプーとボディソープのボトルも備え付けられている。脱衣所も洗い場も小さめだが、新しい設備と暗めの照明が、銭湯というよりどこかいい旅館の大浴場にいるような気分にさせる。

今日第一日曜日は入浴代が無料になる渋谷区高齢者入浴デーのようで、脱衣所ではロッカーを、洗い場ではカランの空きを、次から次に来る人たちが待っている。早めにあがり体を拭いていると、洗面台の鏡に背を向けている老女がいる。白く垂れた尻を鏡に映しながら、あちこちさすっている。寝ると痛いのよ寝ると、と誰に言うでもなく尻をさする訳を言う。つられて尻を見、見た感じはなんともないですけどね、とつい出たことばをさえぎるように、鏡に向けられていた目がこちらを見つめる。いろいろあるのよ。いろいろね。

ロビーのソファに腰掛け汗がひくのを待つ。変形風呂と同じく、ロビーもマンションの柱の周りにぐるっとある。奥に有料のマッサージチェアが二台と、飲料水の冷蔵庫ではなく自動販売機が置かれている。柱には温泉の成分の貼り紙があり、銭湯遍路の判子を押してもらいながらフロントの女性にたずねると、くみ上げて沸かしている温泉なんですよ、と教えてくれた。外に出ると下足箱の前でも人が待っている。空くのを待ちきれない客がフロントに声をかけ、もらったポリ袋に靴を入れて入店していく。

また細い道を西へ歩く。沖縄料理の店が集まる沖縄タウンを抜けて代田橋の友人宅へ。今日は仙台から来た友人がセリ鍋をご馳走してくれる日だ。ボウルにはった水のなかにセリを沈め、歯ブラシと指先で根っこについた土を丁寧にとっていく。具はセリと鶏肉だけ。醤油の濃い目のだし汁に、セリの葉と根っこをしゃぶしゃぶして食べる。鍋に葉物を入れるとつい煮込み過ぎてしまいがちだが、こうして食べるとセリの苦味と歯ごたえを隅々まで味わえる。

アイルランドの映像と、ドライブイン特集のテレビと、「帰ってきたウルトラマン」の問題作をつまみに、セリ鍋と代田橋の友人の手料理を楽しむ。酒がすすむにつれ、親の理不尽さ、やっかいな隣人、体の不調、とそれぞれのいろいろあるがぽつぽつこぼれる。酒でこぼせるいろいろあるのそのうしろに、鏡にも映らないいろいろあるがどれだけあるのか。向けられたまなざしを、思い出すと息が苦しくなっていく。

渋谷笹塚温泉栄湯:〒151-0073東京都渋谷区笹塚2-9-5