m.r.factory

2018-03-21

[][]いづれ、無かったことになる

マンションの一階の真ん中に、手製の富士山柄がアップリケされた暖簾がさがる。暖簾をはらうと、縫い合わされた布の厚みで手が重い。階段数段おりて半地下の入り口へ。手前左手に傘入れ、自動ドアの引き戸、入ると左手に下足箱、フロントがあり、右手に小さなロビーがある。文京区銭湯の催しの日らしく、入浴料460円を払うと、どうぞー、とこの銭湯白山浴場」の名と外観のイラストが入ったタオルをもらう。

正面左手が女湯の入り口。壁沿いにロッカーと洗面台が並ぶ小さな脱衣所。催しの日だからか、下足箱はほぼ埋まり、脱衣所のロッカーも空きを探すのにしばらくかかる。こじんまりした脱衣所だが天井はそこそこ高く、フロントに面した壁の天井近くに、大きな書の横断幕のような作品が飾られている。

洗い場。右手に立ちシャワーのブースがふたつ、丁寧に入り口にシャワーカーテンがぶら下がる。壁の両脇にカラン、真ん中に島カランが一列。湯船は正面左手から、浅めぬるめの薬湯、深めの泡風呂、左手に座ジェットのあるほどよい深さ、の三つ。正面の壁にはよれよれの長方形のモザイクタイルのような物体で、孔雀の羽の模様が一面に描かれている。最近の銭湯にはめずらしく、若い母親と小さな子どもたちが何組か、ぬるめの薬湯とカランの前とを行ったり来たりで賑やかだ。

ロビーで汗がひくのを待つつもりが、テレビの前に置かれたふたり掛けソファは満席で、テレビの横に置かれた小さな冷蔵庫に缶ビールも見当たらない。居場所もないのでフロントで銭湯遍路の判子をもらう。ここは古いんですか、と聞くと、古いですよ、わたしが子どものころにはすでにあったので、50年か60年か、とまだ年若い彼女が言う。男湯も孔雀の羽なんですか、とさらに聞くと、わたし、あんまり、と語尾を濁しながら笑ったままの目が逃げる。

少しの風ではびくともしない重い暖簾をまたくぐる。暖簾の裏面は洗い場と似た孔雀の羽のアップリケで、はじに小さく「白山浴場」とオレンジ色で描かれている。そういえば表のどこにも銭湯の表記もなにもなかった。ただ道にうっすら焚き火のような匂いが漂い、マンションの裏手に四角い白い煙突が見え、桶をもった人たちが暖簾の先に吸い込まれていく後ろを追った。

東大横の弥生美術館滝田ゆうを観た帰りだ。観たあとすぐに帰る気にもなれず、絵のなかの男のように町をぶらつき、ついでに銭湯に入りたかった。銭湯から一本先の大通りに出ると、共同印刷の赤いネオンが明かりの少ない町の空に浮かぶ。セブンイレブンで缶ビールを買い、桜が咲きはじめた播磨坂を飲みながらのぼる。

家を出るとき降っていた雪は、日が暮れたいま小雨に変わった。坂の途中、満開に近い一枝のしたで、立ち止まってビールを飲む。同じように植えられた桜並木でも、花の開きかたが違うのはどうしてだろう。さてこれからどうするか。坂をのぼって茗荷谷から丸の内線で帰ろうか。それともここからそう遠くない場所に引越した友人を飲みに誘おうか。

数年前に読んだ、林哲夫さんのブログに引用されていた、写真集『われ、決起せず』の写真家のことばがいまでもときどき頭をめぐる。

「全国に13ヶ所あるハンセン病国立療養所も、高齢化した入所者が次々と世を去っていくにつれ、あと10年乃至20年のうちにすべて消滅する。らい予防法が廃止された現在にあって、『絶対隔離・絶対断種』の時代は過去のものとなり、いま撮影したところで、見るからに苛酷な生活実態は写ろうはずがない。それでも、この世から消滅する直前にある療養所の静寂が支配する空気感は、それはそれで撮り残しておく必要があるのではないか。記録されなかったことは、いづれ、無かったことになる。」

東京大空襲で跡形も無く焼けた町・玉の井を、クソババアとまで書く厳しかった育ての母を、滝田ゆうは漫画のなかによみがえらせた。たぐいまれな記憶で描かれた幼い少年の眼から見えていた町と人々は、忘れられない日々として漫画に残されたが、あれが記録かと言われればどこか違う。

わたしが写真に撮れない銭湯のなかを覚えで書き残すのも、記録かと言われればやはり違う。ただ、わたしが見聞きしたものがいづれ、無かったことになる前に、滝田ゆうにははるかに及ばないまでも、留めておけない断片をつなげて書いて残しておきたい。

今日は2018年3月21日祝日で、桜が咲きはじめたのに雪が降り、滝田ゆうの展示を見て「白山浴場」に行きました。そして小雨の播磨坂で缶ビールを飲みながら、ひとりで桜を見上げました。

白山浴場:〒112-0001文京区白山2−7−1

2018-02-26

[]端から端まで

山手線目白から品川まで、京浜東北線に乗り換えて川崎で降りる。駅の西口からそのまま続く巨大なショッピングセンターラゾーナ川崎プラザの二階を抜ける。抜けた先はバルコニーのような場所で、駅前の景色から一転する、ショッピングセンターの裏手に広がるのっぺりと低い住宅地を見渡せる。そのなかに今日の銭湯富士見湯」の煙突を見つける。

煙突を目印に、ビニール製の万国旗が空を飾るニコニコ通りを歩く。商店街の端と端に肉屋が二軒、一軒は軒先にベーゴマの台とコマと紐が用意され、もう一軒は軒先で焼き鳥を焼いている。八百屋、花屋があり、飲み屋がぱらぱら並び、なかほど右手に銭湯富士見湯」が現れる。昔ながらの大きな煙突を背負った宮造りの外観、入り口右手にコインランドリーがある。

牛乳石鹸の暖簾をくぐる。正面に傘入れ、左右に下足箱。左手が女湯の入り口で、自動ドアの引き戸になっている。番台で入浴料470円を払う。番台の前にはぺらっと一枚暖簾が下げてあり、女湯へのゆるい目隠しになっている。格天井、真ん中に島ロッカー、左右の壁にもロッカーと名前入りの常連用ロッカー、マッサージチェアが二台、赤いお釜型の髪乾燥機が一台。洗い場への入り口右手に体重計、左手に仕切りのない三人分くらいのベビーベッドがある。

洗い場。入ってすぐ左手に立ちシャワーのブース、右手には介護用椅子の置かれたシャワーブース。両壁にカランと、真ん中に島カランが一列と半面。湯船は正面左手から、薬湯、浅く広い、深く小さい、の三つ。薬湯は壁に、天然鉱石、カルシウム、と書かれた琺瑯の看板が貼られ、あせもや神経痛に効くらしい。湯の特徴は、乳白、無味無臭と並んで、下によどまぬ、とあり、水を多めで作った薄めのカルピスのような色をしている。浅く広い湯船には仕切りがなく、左手に電気風呂、右手にジェットが二列ついている。

圧巻は、女湯の端から男湯の端まで、銭湯の横幅いっぱいある富士山のペンキ絵だ。男湯との仕切りの壁のうえに水色の富士山がどーんと、その裾野が空の水色にとけ、そのしたの海の青にとけていく。海には所々に松の生えた小さな島々、そのあいだを赤と白の帆のヨットが走る。右下に白いペンキで「ナカジマ」「2018.11.7」のサイン。左端の乳白色の薬湯につかりながら見上げると、水色の景色が横へ横へどこまでも続いて見える。ペンキ絵以外の壁や天井は真っ白、桟が水色、巨大な湯気抜きと合わさり、白と水色で彩られた教会のようにも天国のようにも思えてくる。

体を拭き汗がひいたところで、冷蔵庫から缶ビールを取り出し番台へ。入ったときは女将さんだったがいまは旦那さんが座っている。ここはいつからですか、と会計しながらたずねる。この建物になったのは昭和二十六年。それより前は別の人がやっていたけど、戦火で焼けちゃってね。その後うちがバラックで三年やって、それで二十六年からいまの。女湯のペンキ絵の場所はどこかとたずねると、男湯は石川の見附島だけど、女湯はうーん、暖簾で見えないからなぁ、と言いながら、もしかしたら空想の場所なのかもしれないね、と茶目っ気のある笑顔をこちらに向ける。

またニコニコ通りを抜け、線路下をくぐり東口に出る。線路際のラブホテル街、車の入れないアーケード街や小路、道に飛び出す飲み屋やキャバクラの看板、その隙間に神社仏閣の入り口もあり、西口の昼間の似合う景色とは違う、東口は人と夜の匂いのする、年季の入った景色が広がっている。

地図を見ると銭湯の数も東口のほうが数倍多い。それでも少なくなった、と東口のマンションの十一階に住むTさんが言う。まえうちのお風呂が壊れたとき、探したんだけど近くになくて。幼馴染がやってた銭湯も二軒つぶれたし。でも隣りのブロックに見つけてね。入りに行ったら、なかで胡瓜を食べるなとか、サウナでヨーグルトを食べるなとか、いろんな国のことばで注意書きがあって。ほら、この町は外国の人が多いから。

西と東で町の景色が変われば銭湯の景色も変わるのか。今度来たときは東口の銭湯へ。訪ねる楽しみが増えた。

富士見湯:〒212-0011川崎市幸区幸町4-2

2018-02-04

[][]鏡には映らない

新宿から京王線で幡ヶ谷まで。ゆるいBGMがかかる商店街を北へ抜け、この辺だろうと見当をつけたところを左に曲がる。住宅街のなかに目当ての銭湯「観音湯」を見つけるがシャッターが降りている。入り口横に店主入院のためしばらく休業の貼り紙。仕方なく、今日お邪魔する代田橋の友人宅に向かって二駅分、なるべく細い道を西へ西へとつないで歩く。まだ雪の残る巨大な駐車場の横、振り返ると新宿西口の高層ビル群がひらけた空の向こうにわっと迫る。

笹塚近くの路地の奥を歩いていると、マンションの一階に銭湯「栄湯」の看板を見つける。暖簾をくぐると正面に自動ドアの入り口、右手に下足箱がある。自動ドアの向こう、すぐ左手にフロント、右手にロビー、正面に男湯と女湯の入り口。入り口からゆるい段差が二段ほどで脱衣所へ。まん中に畳敷きの腰掛け。周りをぐるっとロッカーが囲む。洗い場への入り口右手に洗面台、左手に体重計、壁掛けの鏡、月極の有料ロッカーが並ぶ。

洗い場。入って左手に水風呂、通路を挟み、マンションの柱を囲むようにつくられた変形風呂があり、通路の奥には右手に露天風呂、左手に別料金のサウナがある。露天風呂は天井がよしずでおおわれ空は見えないが外の冷たい空気がやんわり感じられる。本日の湯は赤ワイン配合と壁にあり、カキ氷のイチゴシロップのような色をしている。変形風呂には湯が噴出すジェットがふたつ。奥がハイパーで背中に強力な、手前がマッサージで両脇からと、それぞれ湯が噴出す場所と威力が違う。ジェット系はどちらも人気で、空いたそばから次の人が埋めていき、ジェットのあたる位置にあわせて体を上下させている。

右手の壁と、変形風呂にくっつく壁に沿ってカランが並ぶ。カランの前には桶と椅子がセットで置かれ、シャンプーとボディソープのボトルも備え付けられている。脱衣所も洗い場も小さめだが、新しい設備と暗めの照明が、銭湯というよりどこかいい旅館の大浴場にいるような気分にさせる。

今日第一日曜日は入浴代が無料になる渋谷区の高齢者入浴デーのようで、脱衣所ではロッカーを、洗い場ではカランの空きを、次から次に来る人たちが待っている。早めにあがり体を拭いていると、洗面台の鏡に背を向けている老女がいる。白く垂れた尻を鏡に映しながら、あちこちさすっている。寝ると痛いのよ寝ると、と誰に言うでもなく尻をさする訳を言う。つられて尻を見、見た感じはなんともないですけどね、とつい出たことばをさえぎるように、鏡に向けられていた目がこちらを見つめる。いろいろあるのよ。いろいろね。

ロビーのソファに腰掛け汗がひくのを待つ。変形風呂と同じく、ロビーもマンションの柱の周りにぐるっとある。奥に有料のマッサージチェアが二台と、飲料水の冷蔵庫ではなく自動販売機が置かれている。柱には温泉の成分の貼り紙があり、銭湯遍路の判子を押してもらいながらフロントの女性にたずねると、くみ上げて沸かしている温泉なんですよ、と教えてくれた。外に出ると下足箱の前でも人が待っている。空くのを待ちきれない客がフロントに声をかけ、もらったポリ袋に靴を入れて入店していく。

また細い道を西へ歩く。沖縄料理の店が集まる沖縄タウンを抜けて代田橋の友人宅へ。今日は仙台から来た友人がセリ鍋をご馳走してくれる日だ。ボウルにはった水のなかにセリを沈め、歯ブラシと指先で根っこについた土を丁寧にとっていく。具はセリと鶏肉だけ。醤油の濃い目のだし汁に、セリの葉と根っこをしゃぶしゃぶして食べる。鍋に葉物を入れるとつい煮込み過ぎてしまいがちだが、こうして食べるとセリの苦味と歯ごたえを隅々まで味わえる。

アイルランドの映像と、ドライブイン特集のテレビと、「帰ってきたウルトラマン」の問題作をつまみに、セリ鍋と代田橋の友人の手料理を楽しむ。酒がすすむにつれ、親の理不尽さ、やっかいな隣人、体の不調、とそれぞれのいろいろあるがぽつぽつこぼれる。酒でこぼせるいろいろあるのそのうしろに、鏡にも映らないいろいろあるがどれだけあるのか。向けられたまなざしを、思い出すと息が苦しくなっていく。

渋谷笹塚温泉栄湯:〒151-0073東京都渋谷区笹塚2-9-5

2018-01-26

[][]うらわ稲荷湯

浦和駅西口に降り、日が落ちて灯る飲み屋の明かりを追いかけて小さな路地をぬって歩く。昼間の町の賑わいもいいが、夜の賑わいのなかを歩くのは格別に楽しい。道の向こうの歩道を歩く女に、こちらの歩道の女がこっちこっちと手を振っている。どちらも着飾った年配の女たち。横断歩道を渡ってこちらに来た女に、手を振る女が肩に手をおき声をかける。今日もきれい。オーラがきれい。

旧中仙道を北浦和方面に歩く。新刊本屋の須原屋本店の裏手、セブンイレブンのある路地裏に、銭湯「稲荷湯」がある。細い路地に囲まれた、昔ながらの大きな銭湯。瓦屋根のしたの懸魚は羽ばたく鶴が一羽。外の壁に「ランステ登録店」の貼り紙。公衆浴場と彫られた刷りガラスのしたを抜けると、右手と正面に下足箱。どちらも鍵は桜錠だが右手が黒色、正面が赤色のペンキで数字が記されている。左手にガラス戸の入り口、入ると正面奥にロビー、右手に手前から女湯の入り口、フロント、男湯の入り口と並んでいる。

入浴料430円。東京よりも30円安い。女湯の暖簾をくぐる。格天井。ロッカーも桜錠。壁沿いのロッカーとロッカーのあいだに便所の入り口。洗い場への入り口の右横に、乗るとガチャンと音のなる昔ながらの体重計。体重計の横に、3人分くらいの仕切りのないベビーベッドがある。

洗い場。入ってすぐ左手に立ちシャワー。真ん中に島カランがひとつ。右手に水風呂。正面左手から、座ジェットのある深め小さめの泡風呂、か細いジェットが二本噴出す浅め広め、サンルームのようなガラスに囲まれたヒノキ風呂が並んでいる。ヒノキ風呂だけやけに厳重な、とガラス戸を引くとわっと木のいい香りが漂う。一畳ほどのヒノキ風呂と、浅め広めの湯がここでは人気のようだ。

正面、湯船のうえの壁は、下半分が味のある青系のごつごつしたタイル、ところどころに鳥と魚のタイルがはまる。そこからうえはなぜかミッキーマウスの半立体のプラスチック壁掛けが貼られている。真ん中の大きなミッキーマウス、右手のドナルドダック、左手のミニーマウスが、薬師如来像の脇の日光月光のように並んでいる。男湯と女湯を分ける壁は紺色のプラスチック仕様で、奥から親子のパンダの図と、扇で舞う女と鼓を打つ女、ふたりの間にピンクの花びらが散っている図で、正面のミッキーともども見たことのない取り合わせだ。

湯につかりながら天井を見る。古い銭湯特有の巨大な湯気抜き。ここの銭湯はとくに大きく天井が高い。関東の銭湯特有の贅沢な空間だと見上げるたびに思う。

ロビーのソファで汗がひくのを待つ。テーブルのうえには外の壁に貼ってあった「ランステ」のパンフレットが置かれている。「ランステ」は銭湯ランニングステーションの略で、入浴代430円を払うとロッカーに荷物を預けられ、そのままランニングなど外で体を動かしたあと銭湯に戻り、入浴も着替えも出来るという、運動する人たちにはとてもありがたいサービスだ。パンフレットには見開き片面に銭湯の情報と、もう片面にその銭湯から行けるランニングコースを地図入りで紹介している。

稲荷湯には缶ビールが売っておらず、そばのセブンイレブンで今日の一本目を買う。飲みながらなかまち商店街を駅に向って歩く。以前、宮本くんに連れてきてもらった立ち飲み屋の前を抜け高架下に出る。さてどこだろうと見渡すとすぐ目の前に目指す店があった。

店に入ると満席で、四人ほど椅子に座り待っている。横に腰掛け店内を見渡していると、ユニフォームを着た宮本くんがフロアを行ったり来たり、こちらに気がつき驚いている。しばらくすると席が空き、大き目の相席テーブルに案内される。注文を取りに来た宮本くんに瓶ビールを頼むと、いま生が安いですよ、と教えてもらい、生ビールとつまみにネギチャーシューをお願いする。夜8時過ぎ、客は仕事帰りのサラリーマンがほとんどで、ラーメンや定食をつまみにひとりまたは固まりで飲んでいる。

こちらを気にかけてくれる宮本くんが、たびたび注文を取りに来てくれる。餃子を、とお願いすると、ぎょーざー、広東麺をお願いすると、かんとーん、と厨房に向って大きな声を通してくれる。生ビール2杯、ネギチャーシュー、餃子、広東麺、しめて1880円。レジを打つ宮本くんに会計を払う。どうしてだか浦和や桶川で会うとき、ふだん小さな宮本くんの声が隅々までよく聞こえる。

稲荷湯:〒330-0062埼玉県さいたま市浦和区仲町2-18-2

さいたま市/銭湯ランニングステーションを紹介します!

2015-02-21

[][] 入谷コピー文庫「さかえ湯」

「入谷コピー文庫」ある塵シリーズ第3回銭湯に書いた文章を、堀内さんの許可をいただきこちらに転載いたします。街から消えていくものとの付き合い方を考えているときに出会った「さかえ湯」は、消えていくものの多い渋谷という街のなかで、特異な残り方をした銭湯でした。

 JR渋谷駅東口を出て駅沿いを右手に進む。東口交差点にかかる歩道橋を渡り、渋谷川とJRの線路と沿うように走る明治通りを恵比寿方面に向かってしばらく歩く。回転寿司、ラーメン屋、チェーンの喫茶店など、駅前のざわめきが途切れるころ、並木橋交差点が現れる。渋谷駅方面を背に交差点の右手を見ると、渋谷川にかかる小さな並木橋と、渋谷川とJRの線路をまたぐ大きな陸橋、新並木橋が並んで見える。交差点を渡り、大きな新並木橋を代官山方面に進む。渋谷川を越え、橋げただけ残る東横線高架跡の横に、十階建ての大きなマンションが建っている。陸橋の新並木橋に面した二階部分にマンションの入り口があるが、一階にある銭湯「さかえ湯」の入り口に向かって陸橋からも階段が伸びている。

 新並木橋を歩く人にも見えるよう、営業時間の書かれた「さかえ湯」の看板が陸橋に突き出るように立っている。看板は一昔前の喫茶店で見るような、半分が赤いコカコーラの宣伝入りだ。代官山での展示や打ち合わせのあと、渋谷までの帰り道にこの看板を見かけたことが、ここに銭湯があることを知ったきっかけだった。渋谷と代官山という派手な街のあいだの、渋谷川、東横線、JRの線路に囲まれた三角州のような場所に残る、古くも新しくもない小さな銭湯の姿が、頭の隅にずっと引っかかっていた。

 新並木橋から「さかえ湯」を目指して階段をおりる。「さかえ湯」の暖簾のさがるマンション一階部分は、新並木橋のしたを垂直にくぐりながら走る細い道に面している。試しに「さかえ湯」の前を通り過ぎ、新並木橋のしたの薄暗いトンネルを抜けてみると、渋谷川にかかる小さな並木橋の先に出る。

 すぐ横に開いたトンネルの暗い口、マンションの外壁に黒のスプレー缶で描かれたやんちゃな落書き、暖簾の向こうすぐに停まっているグレーの小型トラック、その奥、マンションの半地下に続く先のわからない暗闇が、「さかえ湯」に入ることを一瞬ためらわせる。銭湯の入り口というよりも、マンションの駐車場の入り口に暖簾がさがっているように見えるからだ。

 年配の女性がひとり、風呂桶を片手に暖簾をくぐるのを見て、わたしも後に続くことにする。暖簾をくぐりトラックの横を抜けると、右手にコイン式の洗濯機が並び、左手に銭湯の入り口がある。ロッカー式の傘入れを真ん中に、右手が女湯、左手に男湯の引き戸がある。引き戸を開けるとすぐ左手に石鹸や髭剃りなどに囲まれた番台があり、女将さんがものに埋もれるように座っている。入浴料460円を払い、脱衣所に入る。親戚や友人の家を訪ねたときのような、自分の家とは違う生活の匂いがどことなくする。脱衣所も家の居間くらい小さく、天井も167センチのわたしが跳びあがれば手が届きそうなくらい低い。

 脱衣所は、入ってすぐ左手の番台、男湯との境の鏡の張られた壁、鏡の前から「く」の字型にロッカーが並ぶ。茶色のビニールのソファーがふたつ、向かい合うように置かれている。洗い場の入り口の丸テーブルには、籠に入ったシャンプーセットがいくつか置かれ、どうやら手ぶらで入浴する人用のサービスのようだ。

 洗い場もとても小さく天井も低い。が湯船は大きい。洗い場の半分近くが湯船で占められているようにも見える。島カランが真ん中に一列。ペンキ絵などの装飾も一切ない。湯船とカランしかないようなさっぱりした内装だが、カランとカランの間がゆったりしているせいか、窮屈さはない。湯船は右手に浅めの風呂、左手に深めの泡風呂のふたつ。どちらも体を伸ばしても反対の壁につかないくらい奥行きがある。湯の温度は浅め深めどちらとも温度計によると43度。外から来た冷えた体には熱く感じるが、つかっているとじきに慣れた。

 脱衣所で髪をふきながら周りを見渡す。男湯との境いの壁のうえにある薄型テレビでは、ドラマ「相棒」の再放送が流れている。銀行のカレンダーの裏を再利用したような、つるつるの白い紙に書かれた手書きの告知が、脱衣所の壁を賑やかに彩る。ロッカーとソファのあいだにある10センチもないくらいの隙間には、紫色の家庭用ドライヤーがぶら下がり、おひとり様(3分くらい)使ったら20円払うよう、持ち込んだドライヤーも同様に払うよう、手書きの文字が躍っている。番台横の冷蔵庫には、おのおのの飲み物の値段が書かれているが、手書きの味で判然とせず、缶ビールが1本150円と読める。試しにサッポロ黒ラベルを買ってみると350ml缶250円と、いたって普通の値段だった。

 番台の女将さんに銭湯遍路の判子を押してもらう。

 あちこち周っているの?うちは小さいでしょ。都内で一番小さいんじゃないかしら。もともと銭湯にするつもりはなかったから。変わったつくりでしょ。 

 「さかえ湯」ができて38年、それ以前にここにあった銭湯「高砂湯」の歴史を足すと、90年近く、この場所に銭湯があるという。あのおじいちゃんももう亡くなってしまったけれど、「高砂湯」はほら昔ながらの、と、唐破風の屋根の形を両手でつくりながら女将さんは説明してくれる。「高砂湯」が廃業し、建てなおしてマンションにするつもりが、近隣住民の、銭湯をつくらなければマンションの建設を許可しない、という反対運動にあい、急遽つくることになったという。マンションの半地下の駐車場に無理やり押し込んだような銭湯のつくりは、ここからきているらしい。

 「さかえ湯」の名前の由来を聞くと、弟が品川でやっていた銭湯の名前をそのままもらったという。

 親戚みんな銭湯なのよ。弟がやっていた品川の「さかえ湯」、川崎の「日の出湯」、仙川の「日の出湯」、みーんな親戚。いまはもう全部なくなってしまったけど。

 出身を聞くと予想通り石川県と答える。銭湯は石川、古本屋は新潟、と、職業ごとに、東京で商売をはじめた人たちの出身地が偏るのはどうしてだろう。

 この場所に「さかえ湯」が出来た38年前は、西暦1976年、昭和51年だ。調べてみると、渋谷公園通りの入り口に丸井ファッション館ができたのが1971年、PARCOパート1ができたのが1973年のこと。そんな時代、渋谷のような場所でも、反対運動をしてまで、日々の生活に切実に銭湯を必要とする人たちがまだいたのだ。

 代官山のも、恵比寿にあった銭湯も、みんななくなってしまって。近くで残っているのは表参道にあるとこくらいかしら。ここはいま渋谷駅から一番近い銭湯なの。だからかしら外人さんも来るのよ。グループにひとりは日本語ぺらぺらの人がいるの。だから大丈夫。

 缶ビール片手に表に出ると、「さかえ湯」の前、細い道の向こう、以前反対運動をした人たちが住んでいたという場所に、いまは巨大な渋谷清掃工場が建っている。工場が建つにあたり反対運動もあったというが、もう決まったことだからと、東京都から工場の青写真を見せられた。四十数戸あった家は少しずつ空き地になり、散り散りに越して行った先から、女将さんに年賀状が届くこともあるという。若い人たちはいいけど、年取ってから知らない街で暮らすのは辛かったみたい。この場所に切実に銭湯を望んでいた人たちの家は跡形もなく、しかし「さかえ湯」は、マンションの半地下の窮屈な場所で、いまも湯を沸かし続けている。

 渋谷駅までの帰り道、新並木橋のしたのトンネルを抜け、渋谷川と、その横に沿うフェンスで囲まれた東横線の高架跡を見ながら歩く。渋谷川を暗渠にし、東横線の跡地とともに遊歩道にする計画があると、女将さんは教えてくれた。いつになることやら、と付け足しながら。

 夕方の渋谷川沿いの空気のなかに、ふと懐かしいような焚き火の匂いをかいだ。来た道を振り返ると、「さかえ湯」の煙突と、巨大な清掃工場の煙突が並んで見えた。

 なにを思いながら、女将さんは暖簾の向こうに増えていく空き地を見ていたんだろう。

さかえ湯 

住所:東京都渋谷区東1-31-19

営業時間:15時30分から24時45分まで(女湯は30分まで)

定休日:金曜日(銭湯の日、しょうぶ湯、ゆず湯は営業)