m.r.factory

2017-07-16

[][]わたしのアトリエ 文藝誌『園』

学生時代から三十代半ばまで、自分の部屋で絵を描いていた。中学生のころ建替えた家の、2階の端にあるわたしの部屋だ。窓はふたつ。ひとつはいつも閉め切りで、もうひとつは開けたり閉めたり。窓の前には目隠しがわりの木が一本。ときどき鳩が巣をつくっては、カラスにやられていつの間にかいなくなる。木の向こう、隣りの平屋の屋根のうえに小さな空が見えていたが、数年前に平屋も壊され2階建ての戸建てにかわった。小さな空はいまは見えない。

三十代半ばのころ、新聞に折り込まれていた豊島区の区報を眺めていると、池袋の西口の先、要町近くの廃校になった小学校の理科室を、アトリエとして貸し出すという記事を見つけた。応募し面接をして、応募者が少なかったのか、四名の枠にあっさり入れた。理科室は壁で四分割され、一番奥がわたしのアトリエとして支給された。床に座り、広げた紙に覆いかぶさるようにして絵を描く。描き疲れて顔をあげると、理科室の大きな窓から大きな空が見える。この空を見て、わたしは曇天画を描いた。

快適だった理科室のアトリエは四年で追い出され、生活の場とは違う場所で絵を描く快適さを知った後ではもはや家で描く気にはならず、雑司ヶ谷一丁目の風呂無しアパートをアトリエとして借りた。講談社のある音羽へ歩いてもそう遠くなく、菊池寛の旧文藝春秋社屋へは歩いて一分もかからない場所だった。それだからか、昔からこの辺りには挿絵を描く画家が多く住んでいたと、古本屋を営む知人が教えてくれた。

外階段をあがった2階の一番手前の部屋を借りたのは、床が板張りで掃除が楽そうだったことと、便所や流しの小さなものもあわせれば、七畳半しかない部屋に窓が四つもついていたことだ。便所と流しの窓からは隣りの草ぼうぼうの空き地が、西側の窓からは路地のあいだに細長い空が、入り口横の南側の窓からは隣りの家の三角屋根がよく見えた。

となりのトトロ』に出てくるような、古い平屋の横に洋風の三角屋根の部屋がくっついた、ハイカラということばがよく似合う家だった。三角屋根の横にバラや棕櫚の木が植えられているのもいかにもだった。クーラーもないアパートはこの時期、窓も入り口も開けっ放しでひたすら扇風機を回す。描き疲れると、入り口に置いた紙の束のうえか、南側の窓のした、廊下に突き出た靴箱に腰掛けて、三角屋根と棕櫚の木のうえに広がる空を見ていた。

絵の連載がいくつか終わり、アパート代を払う余裕もなくなり、それでも家で描く気にはならず、今度は昼間ほとんど家にいない知人のもとに転がり込んだ。古いビルの四階の、部屋の外に後からむりやりつくられたようなサンルームがあたらしいアトリエだ。雨漏りはするし、雨が吹き込んだ床板は所々腐って落ちている。夏は暑く冬は寒いと言われたが、西日の差すクーラーのない風呂無しアパートに比べればまだましだった。路地が入り組むこの辺りは、二階建ての戸建てやアパートがほとんどで、四階建てのサンルームから見える空はとても広い。

個展「曇天画」を開催したのは7年前の2010年。空はかわらずいつもあるのに、描く場所ごとに絵が変わっていく。今日の東京の空は曇り。あいかわらず曇天こそが東京の、わたしの青空。

お誘いいただき文藝誌『園』創刊号に、短い文章「靴とサンダル」を書きました。取り扱い店舗、通販などのお知らせはサイトをご覧ください。

文藝誌『園』:http://sono-magazine.jp/

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2017-05-16

[][]前略、ぬいぐるみの中身様。

昨年の12月、飲み友達が死んだ。死んだからって、いい人だったよねと、あれやこれやを片付けお仕舞いにしたくなかった。本が好きで、酒が好きで、不良で、格好付けで、夢見がちな男だから好きになり、本が好きで、酒が好きで、不良で、格好付けで、夢見がちな男だから嫌いになった。彼との関わりをどこかに書いて残したかったが、誰もが気軽に読めるこうした場所に置いておくことは違うような気がした。そうしたときに入谷コピー文庫を発行する堀内さんから、レクイエム特集を出すと連絡をいただいた。世の中に20部くらいしか出回らないコピーを綴じた冊子は、夢見がちな男と振り回された女のまぬけさを残すのに調度いい大きさに思えてありがたかった。気軽に読めない冊子に書いたが、読んで欲しくないわけじゃない。もしどこかで手に取る機会があればぜひ。

入谷コピー文庫

「ひとりぼっちのレクイエム 夜明け前」

発行日:2017年6月13日(通巻83号)

発行者:堀内家内工業(堀内恭、和代、母・一子)

2016-10-01

[]詩、ってなに?前夜

三月の晩、平田俊子さんと新宿の花園神社で待ち合わせ、神社の裏手の平田さん行きつけの店に飲みに行った。穴の空いた階段をのぼった二階、右手に5〜6人腰掛けたらいっぱいのカウンターと、左手に小部屋と便所がある店だった。壁の換気扇のしたに寺山修司のお面がかかり、お面のしたのカウンターの端に女と男が寄り添っている。この街よりも銀座が似合いそうな女と、そうした女を口説ける男の余裕が、穴やシミの多いこの店から少し浮いていた。奥の小部屋の集まりは句会だそうで、それもそろそろお開きの、つまみののった皿が小部屋に運ばれていく。浮いた男とつまみにはさまれたカウンターに平田さんと腰掛ける。

詩を一編書いて欲しい。平田さんからのメールに気がついたのは昨晩のことだ。以前使っていたアドレス宛てにきていたメールに気づかずに、5日近くも放ってしまった。あわてて返すと夜中にも関わらずすぐにことばが返ってきた。明日(日付が変わっているので今日ですが)。詩の話もしたいのでゴールデン街で飲みましょう。花園神社の本殿前に8時頃集合でいかがですか?

はじめはビール。おかわりもビール。その後ずっと、平田さんのボトルキープの焼酎とウィスキーを割って飲む。

どんどん飲んで。何ヶ月も残ってると格好悪いから。

酒がそう得意ではないという平田さんのことばを真に受けて、ラベルに書かれた数ヶ月前の日付を見ながら空けていく。

詩を書いたことがない、詩なんかわからない、歌詞とどう違うかもわからない。ボトルが空くにつれ、わたしは面倒な人になっていく。おそらくわたしのために選んでくれた詩を抜粋したコピーの束を前にして、平田さんはひとつひとつ、わたしの面倒に付き合ってくれる。林芙美子、山之口獏、松井啓子、三木卓、茨木のり子、尾崎翠、ローランサン。貧しさを題材にした詩により目が向くのは、昔もいまも財布の軽いわたしのひがみか。詩を書いてくれと言った平田さんに、ブログが好きだからと言ってくれた平田さんに、詩人とふたりゴールデン街で飲んでいる自分に、わたしはみっともないくらい浮かれている。ひとの酒に寄りかかり、隣りの詩人に甘えている。

書いた詩の、はじめの三行と最後の三行を削ってみたら。

ことばと連れ添ってきた人はあっさりすごいことを言う。以前、新聞で読んだ八代亜紀のことばを思い出す。

「『悲しいね』と笑いながら歌うと心に染みる。『楽しいね』と悲しそうに口ずさむと、グッとくる。銀座のクラブで歌っていた10代のとき、ホステスのお姉さんたちが泣きながら聴く姿を見て、そんな歌の心を知りました。」

花園神社の裏手で平田さんと別れ、わたしは明治通りを雑司ヶ谷まで歩いて帰る。どこかで買った缶チューハイを手に持って、知人に電話をかけながら。

すごいことを聞いちゃった。はじめの三行と最後の三行を削れって。詩の秘密を聞いちゃった。

それらしきものが書けたのは、はじめに言われた締め切りから1ヶ月も過ぎた頃だった。はじめの三行と最後の三行を削ってみても、わたしのことばでは詩にはならない。向き合ってきたことばの量も時間も桁違いなことを、寄りかかり甘えてないことにした。悲しい歌を笑いながら歌うことの難しさ、長年やってきた人たちが簡単に言うことばの困難さは、自分の手を動かしてみるまでわからなかった。

そうして書いたそれらしきものを、平田俊子さん編集の『詩、ってなに?』(小学館)に載せてもらった。すでにある詩とその解き方のような本が多いなか、『詩、ってなに?』は平田さんが一緒になって面倒に付き合ってくれる、あの晩のゴールデン街のような本だ。あの晩もらったコピーの束にも、この本にも、平田さんが作ってきた詩は載っていない。

「答えはまだ見つからないし、これからも見つかるはずはないのです。詩ってなんだろうと自分に問いながら、これからも詩を書いていくしかないのです。」

詩、ってなに?あの晩、カウンターの横に腰掛けていた、平田さんの三行の時間を思う。

コ・ト・バ・を・ア・ソ・ベ!Vol.2

『詩、ってなに?』

編/平田俊子

小学館

https://www.shogakukan.co.jp/books/09104216

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2015-02-21

[][] 入谷コピー文庫「さかえ湯」

入谷コピー文庫」ある塵シリーズ第3回銭湯に書いた文章を、堀内さんの許可をいただきこちらに転載いたします。街から消えていくものとの付き合い方を考えているときに出会った「さかえ湯」は、消えていくものの多い渋谷という街のなかで、特異な残り方をした銭湯でした。

 JR渋谷駅東口を出て駅沿いを右手に進む。東口交差点にかかる歩道橋を渡り、渋谷川とJRの線路と沿うように走る明治通りを恵比寿方面に向かってしばらく歩く。回転寿司、ラーメン屋、チェーンの喫茶店など、駅前のざわめきが途切れるころ、並木橋交差点が現れる。渋谷駅方面を背に交差点の右手を見ると、渋谷川にかかる小さな並木橋と、渋谷川とJRの線路をまたぐ大きな陸橋、新並木橋が並んで見える。交差点を渡り、大きな新並木橋を代官山方面に進む。渋谷川を越え、橋げただけ残る東横線高架跡の横に、十階建ての大きなマンションが建っている。陸橋の新並木橋に面した二階部分にマンションの入り口があるが、一階にある銭湯「さかえ湯」の入り口に向かって陸橋からも階段が伸びている。

 新並木橋を歩く人にも見えるよう、営業時間の書かれた「さかえ湯」の看板が陸橋に突き出るように立っている。看板は一昔前の喫茶店で見るような、半分が赤いコカコーラの宣伝入りだ。代官山での展示や打ち合わせのあと、渋谷までの帰り道にこの看板を見かけたことが、ここに銭湯があることを知ったきっかけだった。渋谷と代官山という派手な街のあいだの、渋谷川、東横線、JRの線路に囲まれた三角州のような場所に残る、古くも新しくもない小さな銭湯の姿が、頭の隅にずっと引っかかっていた。

 新並木橋から「さかえ湯」を目指して階段をおりる。「さかえ湯」の暖簾のさがるマンション一階部分は、新並木橋のしたを垂直にくぐりながら走る細い道に面している。試しに「さかえ湯」の前を通り過ぎ、新並木橋のしたの薄暗いトンネルを抜けてみると、渋谷川にかかる小さな並木橋の先に出る。

 すぐ横に開いたトンネルの暗い口、マンションの外壁に黒のスプレー缶で描かれたやんちゃな落書き、暖簾の向こうすぐに停まっているグレーの小型トラック、その奥、マンションの半地下に続く先のわからない暗闇が、「さかえ湯」に入ることを一瞬ためらわせる。銭湯の入り口というよりも、マンションの駐車場の入り口に暖簾がさがっているように見えるからだ。

 年配の女性がひとり、風呂桶を片手に暖簾をくぐるのを見て、わたしも後に続くことにする。暖簾をくぐりトラックの横を抜けると、右手にコイン式の洗濯機が並び、左手に銭湯の入り口がある。ロッカー式の傘入れを真ん中に、右手が女湯、左手に男湯の引き戸がある。引き戸を開けるとすぐ左手に石鹸や髭剃りなどに囲まれた番台があり、女将さんがものに埋もれるように座っている。入浴料460円を払い、脱衣所に入る。親戚や友人の家を訪ねたときのような、自分の家とは違う生活の匂いがどことなくする。脱衣所も家の居間くらい小さく、天井も167センチのわたしが跳びあがれば手が届きそうなくらい低い。

 脱衣所は、入ってすぐ左手の番台、男湯との境の鏡の張られた壁、鏡の前から「く」の字型にロッカーが並ぶ。茶色のビニールのソファーがふたつ、向かい合うように置かれている。洗い場の入り口の丸テーブルには、籠に入ったシャンプーセットがいくつか置かれ、どうやら手ぶらで入浴する人用のサービスのようだ。

 洗い場もとても小さく天井も低い。が湯船は大きい。洗い場の半分近くが湯船で占められているようにも見える。島カランが真ん中に一列。ペンキ絵などの装飾も一切ない。湯船とカランしかないようなさっぱりした内装だが、カランとカランの間がゆったりしているせいか、窮屈さはない。湯船は右手に浅めの風呂、左手に深めの泡風呂のふたつ。どちらも体を伸ばしても反対の壁につかないくらい奥行きがある。湯の温度は浅め深めどちらとも温度計によると43度。外から来た冷えた体には熱く感じるが、つかっているとじきに慣れた。

 脱衣所で髪をふきながら周りを見渡す。男湯との境いの壁のうえにある薄型テレビでは、ドラマ「相棒」の再放送が流れている。銀行のカレンダーの裏を再利用したような、つるつるの白い紙に書かれた手書きの告知が、脱衣所の壁を賑やかに彩る。ロッカーとソファのあいだにある10センチもないくらいの隙間には、紫色の家庭用ドライヤーがぶら下がり、おひとり様(3分くらい)使ったら20円払うよう、持ち込んだドライヤーも同様に払うよう、手書きの文字が躍っている。番台横の冷蔵庫には、おのおのの飲み物の値段が書かれているが、手書きの味で判然とせず、缶ビールが1本150円と読める。試しにサッポロ黒ラベルを買ってみると350ml缶250円と、いたって普通の値段だった。

 番台の女将さんに銭湯遍路の判子を押してもらう。

 あちこち周っているの?うちは小さいでしょ。都内で一番小さいんじゃないかしら。もともと銭湯にするつもりはなかったから。変わったつくりでしょ。 

 「さかえ湯」ができて38年、それ以前にここにあった銭湯「高砂湯」の歴史を足すと、90年近く、この場所に銭湯があるという。あのおじいちゃんももう亡くなってしまったけれど、「高砂湯」はほら昔ながらの、と、唐破風の屋根の形を両手でつくりながら女将さんは説明してくれる。「高砂湯」が廃業し、建てなおしてマンションにするつもりが、近隣住民の、銭湯をつくらなければマンションの建設を許可しない、という反対運動にあい、急遽つくることになったという。マンションの半地下の駐車場に無理やり押し込んだような銭湯のつくりは、ここからきているらしい。

 「さかえ湯」の名前の由来を聞くと、弟が品川でやっていた銭湯の名前をそのままもらったという。

 親戚みんな銭湯なのよ。弟がやっていた品川の「さかえ湯」、川崎の「日の出湯」、仙川の「日の出湯」、みーんな親戚。いまはもう全部なくなってしまったけど。

 出身を聞くと予想通り石川県と答える。銭湯は石川、古本屋は新潟、と、職業ごとに、東京で商売をはじめた人たちの出身地が偏るのはどうしてだろう。

 この場所に「さかえ湯」が出来た38年前は、西暦1976年、昭和51年だ。調べてみると、渋谷公園通りの入り口に丸井ファッション館ができたのが1971年、PARCOパート1ができたのが1973年のこと。そんな時代、渋谷のような場所でも、反対運動をしてまで、日々の生活に切実に銭湯を必要とする人たちがまだいたのだ。

 代官山のも、恵比寿にあった銭湯も、みんななくなってしまって。近くで残っているのは表参道にあるとこくらいかしら。ここはいま渋谷駅から一番近い銭湯なの。だからかしら外人さんも来るのよ。グループにひとりは日本語ぺらぺらの人がいるの。だから大丈夫。

 缶ビール片手に表に出ると、「さかえ湯」の前、細い道の向こう、以前反対運動をした人たちが住んでいたという場所に、いまは巨大な渋谷清掃工場が建っている。工場が建つにあたり反対運動もあったというが、もう決まったことだからと、東京都から工場の青写真を見せられた。四十数戸あった家は少しずつ空き地になり、散り散りに越して行った先から、女将さんに年賀状が届くこともあるという。若い人たちはいいけど、年取ってから知らない街で暮らすのは辛かったみたい。この場所に切実に銭湯を望んでいた人たちの家は跡形もなく、しかし「さかえ湯」は、マンションの半地下の窮屈な場所で、いまも湯を沸かし続けている。

 渋谷駅までの帰り道、新並木橋のしたのトンネルを抜け、渋谷川と、その横に沿うフェンスで囲まれた東横線の高架跡を見ながら歩く。渋谷川を暗渠にし、東横線の跡地とともに遊歩道にする計画があると、女将さんは教えてくれた。いつになることやら、と付け足しながら。

 夕方の渋谷川沿いの空気のなかに、ふと懐かしいような焚き火の匂いをかいだ。来た道を振り返ると、「さかえ湯」の煙突と、巨大な清掃工場の煙突が並んで見えた。

 なにを思いながら、女将さんは暖簾の向こうに増えていく空き地を見ていたんだろう。

さかえ湯 

住所:東京都渋谷区東1-31-19

営業時間:15時30分から24時45分まで(女湯は30分まで)

定休日:金曜日(銭湯の日、しょうぶ湯、ゆず湯は営業)

2015-02-10

[]入谷コピー文庫

堀内家内工業発行の小部数冊子「入谷コピー文庫」ある塵シリーズ第3回銭湯に、渋谷の銭湯「さかえ湯」について書きました。街から消えていくものとの付き合い方、折り合いのつけ方を考えていたときに出会った「さかえ湯」は、渋谷という移り変わりの激しい街のなかで独特の残り方をした銭湯でした。もしどこかで「入谷コピー文庫」を手に入れる機会があれば、読んでいただけたら嬉しいです。

■「入谷コピー文庫」ある塵シリーズ第3回 銭湯

・脚本家 山田太一さんからの応援メッセージ

・「シナリオライターには、なれなかったけど」 ライター 橋本正樹

・もっと風呂へ行こうよ。 舟橋左斗子(もとフリーライター/現在公務員)

・高知の銭湯、今とこれから 梶原希美(イラストレーター)

・「曙湯の出来事」 堀内和代(堀内家内工業の家内)

・渋谷さかえ湯 武藤良子

・銭湯と下町酒場の幸せな関係 文筆家 大川渉

・「洗い続ける男」 塩山芳明(エロ漫画編集者)

・恐ろしき風呂屋 『映画論叢』編輯長 丹野達弥

・「三の輪湯」でのひととき 赤穂貴志(映画愛好家)

・銭湯に入るときの掛け声は…… 長田衛(おさだ・まもる。62歳、演芸研究家)

・下町銭湯スケッチブック 黒潮カオル(病室474号患者)

・編集後記−永六輔さん、笑福亭鶴瓶さん、吉永小百合さんと銭湯

発行日/2015年3月1日(通巻59号/限定15部)

表紙イラスト/石川正一(島根県出雲出身)

表紙デザイン/元吉治

ロゴ&キャラクターデザイン/椎名麻美

編集協力/赤穂貴志

発行者/堀内家内工業(堀内恭、和代)