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2018-05-17

[][]観覧車

仙台駅前の高層ビルの最上階には展望台がある。青葉城から仙台市内を眺めたことは何度かあるが、街中から郊外を見る機会はいままでなかったし、あえて見ようと思うこともなかった。それが昨夜の飲み会でいい展望台があると聞いてきたSが、どこの展望台だったかは忘れたが、近くにもあるならのぼってみようかと言い出した。駅中で立ち食い寿司を食べてすぐのことだ。無料だし、駅前の便利な場所で、友人たちとの待ち合わせまでの半端な時間をつぶすのにもちょうどよかった。

エレベーターで最上階にのぼると、展望台はあちらとこちらの二箇所に別れ、こちらからは山側が、あちらからは海側が望めるようだ。山側の展望台に立つと、まずアーケード街の屋根が大きな配管のように街を走るのが見え、その先の山並みからぽこんと突き出た三角形が太白山、その下の丘のあたりが青葉城とフロアに置かれた地図にある。

海側の展望台からは、仙台塩釜を結ぶ太い道、仙塩街道が遠くまで伸びているのが見えるが、その先にあるはずの海はぼんやりした空ととけてよくわからない。仙台港、と地図にはある。

塩釜松島の海には何度も訪れたが、仙台駅から一番近い海には行ったことがなかった。古本市の手伝いと会いたい顔に会ってしまえば、あとはこれといってすることもなかった。明日は仙台港に行ってみようか、そうしようか、とSと決めた。

翌日、同じくすることもなさそうなMを誘い、三人で仙石線に乗った。仙台駅から六駅目、地図を見て仙台港に一番近そうな中野栄駅で降りた。駅前は小さなロータリーブックオフとチェーンの焼き肉屋といった、いかにも郊外の寂れた駅だったが、それにしては若い人たちが固まりで降りていく。なんでだろうね、と固まりの歩く先を見ると、三井アウトレットパークの案内板が見えた。以前この辺りを歩いたことのあるMが、そういえば観覧車がありますよ、と案内板を見ながら言った。

駅から二十分くらいだろうか。高速の高架をくぐると右手にニトリ、正面にカインズ、左手に三井アウトレットパークの入り口が見えた。観覧車アウトレットパークの向こうに半円形に顔を出している。半円形を見上げながら、乗らないんですか、とMが言い、乗ろっか、とSがうなづいた。観覧車の乗り場を探し、アウトレットパークの中に入る。寂れた駅前の景色と違い、巨大な駐車場も建物のなかも、車と人でみっしり埋まっている。ここには買い物を楽しむ人たちと、休日を人ごみで過ごす人たちの倦怠感の入り混じる、子どものころ親に連れて行かれた日曜日のデパートと似た、疲れた華やかさがあった。

観覧車は建物の奥、デパートの屋上にあるような小さな遊園地のなかに建っていた。コーヒーカップ、機関車トーマスドラえもんの乗り物が、子どもたちをのせて揺れていた。券売機でチケットを買おうと一万円札を財布から出すと、面倒だからみんなの分も一緒に買ってよ、とSが言った。ほら六〇〇円払うからさ、とSとMから六〇〇円ずつもらい、わたしは一万円札を入れ、大人三枚分のボタンを押した。

気がついたのは、観覧車乗り場のゴンドラへ向う階段の途中だった。あ、わたしお釣り取ったっけ?声に出しながら財布を開くと、あるはずの釣り銭がなかった。取り忘れたと慌てて振り返ると、すでに階段には何組かの客が並び、真後ろは父親と、小学四五年生くらいの男の子と、低学年の女の子の三人連れだった。

あの、すみません、お釣りありませんでしたか。父親は黙ったままかすかに笑った顔で、束ねて真ん中で折られた千円札を差し出した。ありがとうございます。礼を言いつつ折られた千円札を開き、数えてみると七枚だった。えーと、大人六〇〇円が三枚だから、えーと、お釣りは。口ごもるわたしのかわりに、あと千二百円ですね、とMが答えた。

わたしは父親を見つめたが、父親はもうこちらを見なかった。その横で、小さな女の子はうつむいたままだ。

なにも言わない父親のかわりに、口を開いたのは男の子だった。

これだけしかなかったよね。

からしぼり出すような声だった。

いいんです。七千円返ってきただけでもラッキーです。すみませんでした。

そもそも釣り銭を取り忘れたわたしが悪いのだ。休日の遊園地で、これから観覧車に乗る小さな子どもの前で、こんなやり取りは早く終わらせたかった。面倒に巻き込んだことに頭を下げ、そのまま後ろを振り向かなかった。

周ってきたゴンドラに三人で乗り込んだ。正面に見えると思い込んでいた仙台港は、観覧車がのぼるにつれ、左手にすぅっと現れた。周りを工場とコンクリートで囲まれた、長方形の茶色い海だった。

海、あっちじゃん。あのまままっすぐ歩いていたら、永遠に海に着かなかったね。

観覧車から降り、アウトレットパークのなかの寿司屋で折り詰めを買い、観覧車の上から見えた海沿いの公園に行った。丘のうえの芝生に座り、海を見ながら折り詰めを広げた。公園の下の岸壁には、釣り人たちが等間隔で並び、海に糸をたらしているのが見えた。

食べ終わったらバケツの中を見に行こうよ。釣り人のバケツの中を見るのって、なんであんなに楽しいんだろうね。

丘をくだって、バケツの中を端から見ていく。空のバケツ、空のバケツ、アジ、シャコ、空のバケツ。バケツの中をのぞきながらも、戻ってこなかった千二百円が頭にあった。なくなるにしてもいやに中途半端な金額ではないか。あのとき、観覧車の券売機はどんなだったっけ。大人が六〇〇円で、子どもはたしか三〇〇円か。

あのさぁ、観覧車のチケット、大人一枚と子ども二枚でちょうど千二百円なんだよね。

パズルがはまった気がして声に出た。

あぁ、そういうこと。

バケツをのぞきながら、どうでもよさそうにSが答えた。

2014-05-31

[][]タイムマシン

4月の中旬に秋田へ、5月の連休に長野の山へ行った。東京ではとっくに散ったソメイヨシノが、秋田では咲きはじめ、長野の山ではちょうど散るころだった。

秋田ではよくツクシを見かけた。道路や駐車場の脇にこれでもかと生えていたが、採る人は見かけなかった。秋田の友人に聞くと、ツクシは食べたことがないと言う。きんぴらにしたツクシを食べさせると、ちゃんと山菜の味がする、なんで食べないんだろう、と首をかしげる。

山菜は食べるまでに手がかかる。ツクシはハカマをとるのが面倒くさい。ハカマから出た灰汁で指先が黒く染まるのも厄介だ。袋いっぱい採ってきても、きんぴらにすればげんこつひとつ分にしかならないし、手間の割りにたいしてうまいものでもない。それなのに、ふとしたときに、無性に舌が懐かしむのだ。

朝飯を食べた市場でも、やはりツクシは見かけなかった。フキノトウ、たらの芽、行者にんにく、しどけなど、春の味は並んでいたのに。タクシーの運転手に聞くと、やはり秋田ではツクシは食べないと言う。秋田は春が短いから、短い間にぶわっと一度に芽吹くから、ツクシにまで手が回らないのだと言う。久保田城の石垣が残る千秋公園を歩くと、足元にはフキノトウツクシ、頭上を散りかけの梅、満開のこぶし、咲きはじめの桜が覆う。東京では同じ時期に見ることのない花がいっせいに芽吹いてる。秋田東京では春の長さも違うのだ。

長野の山では山菜採りを楽しんだ。長靴と軍手を借り、山菜採りが大好きだという友人の父親と友人と共に山へ入った。数メートルずつ距離をあけ、藪のなかを歩いていく。コシアブラの木は白いから、と教えられてもどの木も同じように見える。3メートル前方にたらの芽、と教えられても、藪のなかをただ目が泳ぐ。

数十分も経ったころ、ふと目が藪に慣れているのに気づく。コシアブラ、たらの芽、わらび、ツクシを目で捕まえられるようになる。山菜専門のターミーネーターの目みたいに。山菜を採りながらゆっくり歩いていても、藪の斜面を歩き続けると息がきれる。枝や棘がなく平らなだけで、舗装もされていない林道に出るとほっとする。道は発明だね、と友人が言う。藪のなかを進むことを、藪漕ぎというんだよ、と友人の父親が教えてくれた。

春先に北へ向かうたび、新幹線タイムマシンのようだと思う。東京で散った桜が咲いていて、戻ってくると北では赤ちゃんのように小さく薄かった新緑が、東京では青年のように濃くたくましく茂っている。春と初夏を行ったり来たり。春先に乗る新幹線を、わたしはとても気に入っている。

2013-08-09

[][]あの日にかえりたい

陸前高砂駅から蒲生干潟までの七北田川沿い。川沿いの道から、小さな平屋の一軒家が見えた。波にさらわれた跡の残る、人気のない家が並ぶなかに、その一軒だけ、車がとまり、洗濯ものが干され、ひとの暮らしの気配が見えた。開け放された玄関から、周りを気にすることなく、町中に聞かせるくらいの音量で、歌が流れていた。

あの頃のわたしに戻って

あなたに会いたい

聞こえてきたのは、行きも帰りも同じ、荒井由美の「あの日にかえりたい」。

昼飯に寄った食堂で、波にさらわれた男が助かった話と、自転車で見に行ったまま戻らなかった男の話を聞いた。ラッキーな人はなにをしてもラッキーなのよ。食堂の店主の声は、震災のあった日から2年間、さらされ漉され続けた液体のように、澄み、ふっきれていた。日本有数の干潟なの。ふっきれた声が、川沿いを歩けばやがて着くと、蒲生干潟を教えてくれた。

干潟に向かう道は高台で、波にさらわれた町が見渡せた。二階建ての一階だけ泥まみれの家、二階の屋根まで潰れている家、基礎のコンクリートだけ残る家。干潟が近づくにつれ、町は平らに、夏草に埋もれていった。道路標識に書かれた亘理の文字を見て、菅原克己の生まれた町だと、横を歩く男が言った。夏草と、まだ新しい慰霊碑と、無理やりはがしたぼろぼろのかさぶたのような防波堤の先に、蒲生干潟があった。

かさぶたの防波堤にカップルが一組、干潟を背に町を見ていた。町のむこう、ニュースで見たような瓦礫の山の後ろに、小さな観覧車が見えた。子どもや大人、幾人もの釣り人たちがいた。空も雲も草も干潟も人も、さらされ漉され続けたのか、あっけらかんとそこにいた。

ふと、歌っているのは荒井由美ではなく、波にさらわれたこの町な気がした。

ラッキーな人はなにをしてもラッキーなのよ。店主の声がふいに流れた。小さな白いヘルメットがひとつ、波打ち際でいつまでもゆれていた。

2012-11-10

[][]鴨川

個展の搬入、トークショーのほかに、何も予定を立てていかなかった。少しの古本屋とギャラリーを周り、夜に誰かと飲んでしまえば、ほかにすることがなかった。京都にいる間、宿泊先の清水五条から出町柳のあたりまで毎日、鴨川の右岸と左岸を歩いてばかりいた。

歩く人、走る人、自転車の人、歌う人、楽器の練習をする人、台詞を読む人、釣りをする人、煙草を吸う人、犬を連れた人、寄りそう男女、何もしない人、ここに住む人。それぞれが思い思いに過ごしても邪魔にならないだけの広さの土手があり空があり、その真ん中を鴨川が流れていた。

橋の下にブルーシートで作られた家が並び、そのうちの一軒の入り口に、ピンクの造花のバラがさがっていた。青いシートとピンクのバラ。何度も見るうちに気になりはじめ、ある日、二軒先のブルーシートの家から出てきた女に、撮ってもいいかとたずねた。どうぞ、と笑顔で女は言い、写真を撮るわたしの横をすり抜けて、河原で鍋釜を洗いはじめた。

公園や広場のようにとどまるのではなく、水の流れのように、人の横を通り抜けていく川沿いが気持ちよかった。四日も経てば情がうつった。鴨川を連れて帰りたかった。手を引いて、新幹線に乗って、一緒に雑司ヶ谷まで。

2012-11-03

[][]松尾様

個展で京都を訪れたさいのこと。東京から遊びに来た女友達と、仕事で関西に来ていた男友達と、夜に落ち合い、飲む約束をした。しかし目当ての酒場は満席で入れず、地理に疎い街でほかに行く当てもなく、夜の川端通りに立ち尽くし、女友達の広げるガイドブックを三人でのぞき込んだ。そのガイドブックに割り込むようにして、ひとりの男が話しかけてきた。どこ行きたいの、だったか、なに探してるの、だったか。行くはずだった酒場に入れず、安く飲める、大衆酒場を探している、そんな言葉を返した。それならいい酒場がある、と、男はガイドブックの地図をしばらく眺めていたが、小さな地図で教えるのももどかしくなったのか、こっちやこっち、と先に立って歩きはじめた。ひとりで話し、いつまでついて来るのか、男に不安と面倒を感じたころ、それじゃぁと、男は酒場の少し手前の暗闇に、折れて消えていった。

男が教えてくれた酒場は、「コ」の字型のカウンターだけの小さな店で、女将の言動に圧倒されながらも、なによりも酒も肴も安くてうまい、いい店だった。当たりだったね。男を思い出しながら、いい店を教えてくれたと、三人で喜んだ。人見知りしないわたしが、男から離れて歩いていたのを、珍しいね、と女友達が聞いてきた。男友達と女友達とその男が話し歩く姿を、わたしひとり少し離れて眺めていたのは、ついて来る男を面倒に思ったのもあるが、男のはくズボンのチャックが全開で、そこから上着のシャツの裾が、白く三角に飛び出しているのを見たからだ。

女友達は、その日の朝に京都に着き、重森三玲造園の庭を見たいからと、松尾大社を参拝していた。松尾大社は、酒を造る人たちから信仰されている、お酒の神様だ。さっきの男は松尾様かもしれないね。言いながら三人で笑った。人前に現れるとき、神様はえてしてそんな格好をしているのかもしれないね、と。