Hatena::ブログ(Diary)

The Sounds Of Science

2018-09-14

Arctic Monkeys / Tranquility Base Hotel + Casino

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グルーヴィなベースとドラムにピアノを中心として

オルガンハープシコードヴィブラフォン等の

チェンバーな器楽音で装飾を加えたコンポジションはGrizzly Bearに近い感覚だが

決して破綻がある訳ではないものの

そこまで演奏がテクニカルだとは思えないし

音響面ではエコーを始めとした残響処理に工夫の跡が聴き取れるが然して驚く程のものでもない。

M7のイントロ、ヴァースはThe Beach Boysのようでもあるが

その手のサウンドにはここ10年で聴き飽きたし

ソングライティングに光るものを感じる訳でもない。


グラムロック調のヴォーカルはDavid Bowieと言うより

酔いどれたRobert Pollardようで決して嫌いではないし

ムード歌謡のようなパブロックのような曲調も手伝って

Deerhunter、もっと言えばAtlas Sound「Parallax」に通じるような感覚もあるが

Bradford Coxが醸し出す狂気のような鬼気迫るものは感じない。


グライムをインディ・ロックに持ち込んだというパブリック・イメージとは随分違う。

過去にはJosh Hommeプロデューサーとして招聘した事もあり

作品毎に大きくスタイルを変えるタイプのバンドだというのは理解出来るが

これが1st だったとしたら果たして

00年代を代表するブリティッシュ・ロック・バンドになっていただろうか。

要するにバンドの特色もストロング・ポイントも本作を聴く限りではまるで解らない。


コンポジションや音色のドラスティックな変化がチャレンジングだとして

長年のファンや批評家から一定の評価を得るのは良くある事だが

そのアーティストの音楽に初めて触れる側からすると

何が特別なのだか良く解らないというのもまた

変化というオブセッションが半ば目的化したポピュラー・ミュージックに於いては必然だろう。

かと言って「Kid A」で初めて90’sを代表するブリティッシュ・ロック・バンドである

Radioheadを聴いた人達が同様だったかと言うとそんな筈はない訳で

Radioheadと較べるのは確かにフェアではないとしても

それが格の違いというやつなのではないだろうか。

2018-09-08

Grouper / Grid Of Points

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一見フォーク・ミュージック的な意匠を纏っていても

歌やギターやピアノに起因する残響が一つに溶け合う瞬間にこそ力点が置かれていたという点で

Grouperの音楽はテン年代アンビエントドローンの潮流の一部として受容されてきたのだと思うが

本作には明確に電子音と呼べる要素は一切登場せず

ピアノ弾き語りによるフォーク・ミュージックと言い切ってしまって差し支えないように思う。


全編を通底するピアノは独特の篭った音響を有しているが

特段エクスペリメンタルな印象は無い。

敢えて特異な点を絞り出すとすればやはり拡散して空気に溶け込んでいくような歌声で

リテラル情報=メッセージを伴うという意味での歌という感じは全くせず

寧ろシンセサイザーストリングス等に近い機能を果たしている。

とは言えその声によるアンビエンスというアプローチ自体

Julianna Barwickを始めとした同時代の女流アンビエント作家達と共に彼女自身が確立し

昨今では最早特段目新しいものではなく

もっと言うなら幾分飽和状態に陥っていると言っても過言ではない。


その点に自覚的だからこそLiz Harrisは前作を更に推し進め

敢えてシンプリシティを追求しようとしているのだろう。

確かに音響がどうとか実験性云々よりも先ず

朴訥としたピアノ和音と歌がシンプルに胸に沁み渡るという点で

その試みは成功していると言える。

ただ同時に22分というアルバムとしては異常にも思える程の短さに

彼女なりの反骨精神が隠れているような気もしてならない。


無意識の内に何かが起こるのを期待してしまうせいなのか

アルバムの終わりで聴こえる列車か何かの乗物の駆動音と思しきフィールド・レコーディングが

最初インダストリアルノイズにしか聴こえなかったり

また時折とてもそれがつい直前まで人間の声だったとは思えない残響にハッとする瞬間があり

それが極稀にひっそりと施されている事によって

認識出来ない程の細やかな異化効果が生じているように思える。

アルバム全体を俯瞰するとそれらが

点描によるグリッドが微かに規則性を変化させた時のような効果を生んでおり

そのまるでマイクロハウスに相応しそうなアルバム・タイトルは

彼女の深い思索の顕れなのではないだろうかと想像させられたりもする。

Kamasi Washington / Heaven And Earth

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オーケストレーションや男女混声のコーラスが齎す荘厳でスピリチュアルなムード等は

基本的に「The Epic」を踏襲しているが

ビバップやヴォーカルもののソウル・ジャズは比較的減って

代わりにパーカッシヴでシャッフルしたリズムのアフロ・キューバンや

キーボードを多用したフュージョン

(Thundercatのエレクトリック・ベースが絡む曲は特に)が台頭を見せている。


前作は割とオーソドックスなアドリブ→テーマの展開が多かった印象があるが

アレンジはより複雑になり

単一の楽器がリードを交代する展開が勿論メインではあるが

よりバックの楽器が創造性豊かで自由度の高い演奏で応酬し

拮抗し合う場面が増えたというが気する。

怒涛のポリリズムにファジーシンセサイザーが漂う上を

無調のテナーサックスの超絶テクニックタンギングが駆け回る

M3の混沌としたアレンジ等は前作には無かったものだろう

(特に後半のドラムの凄まじいこと)。


Disc2-M2ヴォコーダーシンセベース等

クラシックピアノやローズ以外の鍵盤の音色も多様化しており

M4のコーラスに施されたダビーなエコー処理やM6の終盤で演奏を〓き消すコラージュ

確実に前作よりも音響面でのギミックや創意工夫は多くなっている。

Disc2-M3のヒップホップ的な8ビートにサブベースを模したようなベースの音色

後半のドラムンベースめいたビートも新鮮だ。


個人的にジャズの再発見に近い体験だっただけに

流石に「The Epic」を聴いた際程の驚きは無いが

着実にそのアイデアを拡張・発展させ歩みを進めた充実作だと言えるだろう。

思えば自分にとってリアルタイムでジャズ・ミュージシャンのキャリアを追う事が初めての経験

菊池成孔という存在が居るには居るが純粋にジャズとして興味を持ったかは怪しいし

第一そんなに熱心な彼のリスナーという訳でもない)で

その意味でもKamasi Washingtonのこれからのキャリアがとても楽しみだ。

2018-09-06

DJ Koze / Knock Knock

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Bonobo等にも通じる叙情性と

それを帳消しにするような珍妙でファニーなノイズSEやヴォイス・サンプルが

装飾音と呼ぶには必要以上の音量で

と言っても機能性を完全に失わせるところまではいかない絶妙なバランスで融和していて

ロマンティックだけれども風変わりな(まるでジャケット宛らの)世界が拡がっている。


ガラージっぽいバウンシーなビートの

ここぞとばかりにヴォルテージを上げるカウベル使いが格好良いM7や

パーカッシヴなビートとストリングスのループの組合せがバレアリックなM8等

ハウス・ミュージックとしての機能性は充分だが

その気になれば未だ幾らでもフロア・アンセム化出来そうなところを抑制が効いており

遊び心が満載で甘美な中にも毒がある。


サンプリング・ループをベースに敷いたハウスはヒップホップDJという出自を伺わせるもので

M14のレイドバックしたダウンテンポLuke Vibertにも通じる。

M6の生っぽいドラムの乾いたスネアシンバルの音やピアノ

アルトの女声ヴォーカルが醸出するジャズのフィーリングには

Herbertを彷彿とさせるところもある。


かと思えば突然M5のような小鳥が囀る牧歌的なサイケ・フォークのような

本気なんだか巫山戯ているのか良く解らない楽曲が挟み込まれる辺りは

Airラウンジみたいな感覚もある。

様々な要素が安易に調和し過ぎず良い意味で歪さを残したまま共存しており

洗練され過ぎて中庸になってしまうという

特にベテランになる程陥り易い轍が周到に回避されている。

2018-09-01

Beach House / 7

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M1の男女混声のヴォーカルとビートボックス風に淡々と刻まれるドラムが聴こえた瞬間に

フラッシュバックする「Loveless」の亡霊。

M2低周波で唸り続けるノイズ然り

勝手にチルウェイヴのバンドだとばかり思っていただけに

そのシューゲイズ的意匠には新鮮な驚きがあった。

夢見心地で微かに漂うデカダンスにはDeerhunter

特に「Fading Frontier」に通じる感覚もある。


M3以降のシンセ主体のトラックは比較的チルウェイヴのイメージに近いが

My Bloody Valentineフィードバックにばかり依拠している訳ではないにせよ

引き続きギターが重要な役割を果たしている事には変わりがない。

アコースティックな音色やアルペジオまでその音色や奏法は多様で

M5のギター・ソロ等はMark McGuireを彷彿とさせたりもする。


M8のアコースティック・ギターシンセの組み合わせや

M6のドライヴするビートと陶酔的なギター・ストロークはEmeraldsを思わせたりもして

もしもEmeraldsに魅力的な女性ヴォーカルが居たらという妄想に駆られたりもする。

何れもエレクトリック・ギター特有のいなたさは皆無で

その灰汁の強い音色をこれだけ淡白に響かせる事が出来るというのは

一種の才能だろうと思わされる。


他にもM4の幾重にもレイヤーされたポリフォニックなコーラスとシンセマリアージュ

M7のマイナー調のアンニュイなメロディ・センスからはJulia Holterが想起されたりもして

実に多様なイメージを喚起させる。

特段新しさがある訳ではないしこれと言ったワン・アンド・オンリーな特徴も無いが

ドリーム・ポップのブームが過ぎたからと言って見過ごすのは勿体無い作品だと思う。

2018-08-27

Jon Hopkins / Singularity

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倍音を多く含んだざらついた質感のアトモスフェリックで深淵な響きの上物と

ミニマル・テクノ風のイーヴン・キックのビートの組合せには

The Fieldシューゲイズ・テクノに通じるものがある。

各トラックのスケールには統一感があり

特に裏拍にアクセントを置いた類似のコード進行を持つM2M4

シームレスに繋がった1トラックのようで

ビートレスのアンビエントダンサブルなビートが満ち引きを繰り返す様は

DJミックス的なそれと言うよりも

Fishmans「Long Season」を思い出させるようなヒプノティックな組曲的なもので

アルバム全体を通じてもある種のストーリー性を感じさせる意味で映画音楽的でもある。


アタックの強いビートはフロアで機能するに充分な強靱さを備えてはいるものの

長く持続させるにはややアイデア不足の感があり

やはり上物のレイヤーやアンビエンスの方に肝要がある感じがする。

ビートが無くても充分に聴き応えがありそうという意味で

純然なテクノと呼ぶには違和感がありやはりBrian Enoを継ぐような存在感がある。


クラシカルなピアノクワイアのような男女混声コーラスによるアンビエントのM5や

リリカルピアノの独奏に仄かに電子音が寄り添うM9からは

クラシカルな教養が滲み出していて

やはりこちらの方が本当の姿なのだろうという感じがする。

コンポジションの基盤にあるピアノの存在やメランコリックなメロディ・センスには

何処か坂本龍一を想起させるところもあり

ダンサブルだが不思議と必然性を感じないビートの在り方は

「B-2 Unit」的と言っても良いかも知れない。


総じて言えば潔癖で優等生的な感じのIDM

ユーモアには欠けるしお友達になり辛い感じに思わず茶々入れしたくなるが

ピアノがポリリズミックにレイヤーされるM8等は確かに美しい。

ただその美しさは宛らジャケットの写真ように邪気が無く

言い方は悪いが月並な感じは否めない。

2018-08-23

Kali Uchis / Isolation

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M1ボサノヴァM2レゲエ

M6の気怠いダンスホールにM8のアンニュイなレゲトン

自身の出自である南米カリブ海サウンドをふんだんに盛り込む一方で

M5のネオ・ソウル風からM7のブギーファンク

如何にもDamon AlbarnらしいM9のクラフトワーキッシュなシンセ・ポップまで

とにかくスタイルのヴァラエティは豊か。


特にAnderson .Paak「Malibu」にも通じるオーセンティックソウル趣味は顕著で

M4のディープ・ソウルやTyler, The CreatorBootsy Collins招聘した

M13〜M15に至る流れはモータウン黄金期さえ思わせる。

Tyler, The Creatorの唯一無二の声の印象もあって

何処か「Scum Fuck Flower Boy」に通じる雰囲気もある。


エレクトロニックな要素は希薄で

近年のR&Bで言えばSolangeやSZAに通じるオーガニックでスムースな肌触りがあるが

もっとよりレトロスペクティブで

ThundercatやBadBadNotGoodにSteve LacyやSa-RaのOm'Mas Keithから

すっかりオルタナティヴR&Bの要人になったDave Sitekまでのビッグネームが

一同に会してこれをやっているというのだから面白い。


Sounwaveが手掛けたM6やM12のモダンなプロダクションを聴けば

単なる懐古趣味ばかりの作品でない事は明白だが

それでも作品全体を覆うレトロな感覚は

恐らくKali Uchis自身のソングライティングの素養に依るところが大きいのだろう。

加えてやや弛緩したようなレイドバックした歌唱が

同時代のオルタナティヴR&Bのシンガーから彼女を差別化する要素となっており

リヴァービーな音像も伴って

喩えるなら真夏の午睡で観る夢のような

少しエキセントリックな倦怠感と密やかな官能を醸出している。

2018-08-21

Janelle Monáe / Dirty Computer

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Brian Wilsonのとても76歳とは思えないファルセットがコーラスを添えるM1

まるでシーンが切り替わるように唐突にフェードアウトする様は

如何にもJanelle Monáeの新しい物語の幕開けに相応しいシネマティックなオープニングだ。

架空の映画のサントラ宜しく幾つかの同じコード進行がモチーフとして繰り返し登場したり

前の曲のフレーズを次の曲が継承してシームレスに繋がっていく構成からは

本作が「Metropolis」シリーズに引き続き

何かしらのストーリーテリングを導入している事が解る。


サウンド面では「The Archandroid」が

60’s・70’sのソウルファンクを下敷にしていたのに対し

本作はシンセ主体エレクトリックな80’sポップやディスコを採用して

これまでのフィメールOutkast的イメージからの逸脱も見せている。

ディスコティックなM3〜M5は宛らAbbaBlondieのようで

M8には生前本作に関わっていたというPrinceが深く影を落としている。

まるでHuey Lewisみたいな能天気な曲調のラストのM14は

何ともアイロニックでともすれば誤解を与え兼ねないという意味で

現在のアメリカで堂々と「I’m American」と歌えるその勇気に畏れ入る。


80’sレトロスペクティヴなのは確かに顕著な特徴だが決してそれ一辺倒という訳ではなく

随所にトラップ風のハイハットアンビエントR&B的なシンセ等の

モダンなプロダクションを聴く事が出来るし

トロピカルなムードのダンスホールのM9や

ブルージーなネオソウルのM11とスタイルには一定の幅がある。

M6では堂に入ったラップでナスティを気取ったり

M7では囁くような歌声で可憐さを垣間見せたかと思えば

M10では「Remonade」のBeyoncéに引けを取らない力強い歌唱を聴かせる等

一人何役も熟すような千両役者振りは流石でその歌唱の器用さは相変わらず魅力的だ。

中でもM8後半のファンキーでエロティックなシャウトが齎す高揚感は半端なく

本作のハイライトの一つと言って差し支えない。


強烈なフックを持った曲が矢継ぎ早に繰り出される「The Archandroid」の

ジェットコースターのようなスリリングさと較べるとやや物足りなさは残るし

Whitney Houstonばりに高らかに歌い上げる

M13のバラード等は少々蛇足かとも思うものの

確かに完成度の高いポップ・アルバムである事は間違いない。

2018-08-19

Courtney Barnett / Tell Me How You Really Feel

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深淵なフィードバックによるドローンと淡々としたギターが徐々に熱を帯びるM1こそ

ややアーティで勿体付けたオープニングではあるが

その後に続く衒いの無いロックンロールの数々には思わず頬を緩めずにはいられない。

驚きこそまるで無いが聴く度に益々好きになるような魅力がある。


M5やM8の脱力した歌声はLiz Phairを彷彿とさせ

確かにアルバム全体を通じて10年代の「Exile In Guyville」といった趣きがあるし

M3やM9の喜怒哀楽の良く解らないメロディ・センスは

PavementStephen Malkmusのそれを思わせる。

とは言え破綻を売りにするようなところは全く無く演奏は寧ろタイトで安定感さえあり

極めてシンプルだがしかし丁寧に紡がれる楽曲には好感しか無い。


M4のメロディやクワイエット・ラウド・ダイナミクスWeezer「Pinkerton」を彷彿とさせ

良い時のRivers Cuomoに比肩するくらいのソング・ライティングの才能を感じさせる。

更には嗄れたぶっきらぼうな歌声(特にビッチの発音)が

Courtney Loveそっくりでメタ・グランジ的なM6と言い

Kim Dealのコーラスに胸が弾むM7と言い

総じて90’sオルタナティヴ・ロックの最良の部分を蒸溜したような内容で

確かに新しさは全く無いがそんな事はどうでも良い気さえしてくる。

(因みにラストはNumber Girl「我起立唯我一人」に酷似しているが

これは単なる偶然だろう。)


それは1988年産まれの彼女の年齢からすると

物心付く頃にはほぼ終わっていたムーヴメントな訳だが

ロックンロールの歴史にとっては辺境と言っても良い

メルボルンの中古レコード屋のワゴンセールでそれらの音楽を再発見した少女が

彼等への憧憬からバンド始めやがて世界中を席巻し …

思わず頭を擡げるそんな他愛の無い妄想に心は踊る。

2018-07-08

Ryuichi Sakamoto / Async - Remodels

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予想外に原曲のメロディを手付かずのまま残したM1

Daniel Lopatinなりのリスペクトの顕れなのか手抜きなのか。

続いて同じ原曲の主旋律をそのまま使用したエレポップのM2のドラムは

高橋幸宏のそれそのもので完全なるYMOへのオマージュと言って良いだろう。

他にも様々なエフェクトによる加工・変調ノイズSEを加えたMotion Graphicsと言い

歪んだストリングスとピンク・ノイズによる幽玄なカバーのような

故Jóhann Jóhannssonと言い

元のメロディやコンポジションを生かした楽曲が目立つ点は本作の一つの特徴と言える。


Yves Tumorが手掛けたリミックスリワーク等には

恰も坂本龍一の楽曲の一部をただ流したりループさせたりしながら

それとは全く無関係に自身のマテリアルを配置しているような感覚があり

新たな楽曲として成立させようという意思が欠落しているという意味で

ミュジーク・コンクレート的にも感じられる。

リミックス・アルバムを聴く事自体が随分と久し振りだが

あろう事かリミックスの名手たるCorneliusまでもが

その傾向に与しているのを聴くと隔世の念を禁じ得ない。

デュオでは坂本龍一ピアノの背景に隠れがちだった

Fenneszが痙攣的なノイズを前面に押し出し

ある種の主従関係をここぞとばかりに転覆させているのも意外性があり

2人の関係を思うと微笑ましくもある。


一方で本編でも印象的だったピアノの打撃音等の物音を抽出し効果的に組み合わせ

緊張感漲るインダストリアルアンビエントといった雰囲気に仕上げた

Alva Notoの仕事にはこれぞリミックスといった貫禄がある。

Andy Stottのアンビエントテクノダウンテンポ

流石に唯一の(あくまで比較的だが)ダンス系アクトだけあって

原曲のフレーズを完全に自身のコンポジションに溶け込ませたという点で

正統派のリミックスに分類して良いだろう。


OPN等とは対照的に判り易い元のメロディは一切使わずに

音色のみを取り出して完全に自身のコンポジションに組み入れたArcaのトラックは

嘗て金の為に嫌いな楽曲を原型を留めない形に再構築した

Aphex Twinリミックスを思い出させる。

尤も吐き気がする程グロテスク極まりない日本語の歌は

Arcaなりのリスペクトの顕れなのだろうが出来る事なら止めて欲しかった。

2018-07-07

Young Fathers / Cocoa Sugar

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DiscogsもWikipediaもこのバンドをヒップホップカテゴライズしているが

Death Gripsと同じくらいかそれ以上に猛烈に違和感がある。

M9等は辛うじてBig Dada辺りからのリリースならば未だおかしくない

オルタナヒップホップだが

それにしてもラップらしいラップは殆ど無くあったとしてもお世辞にも巧いとは言い難いし

そもそもそこに力点が置かれているとは全く思えず

歌唱のヴァリエーションの一つくらいの印象しか無い。


ビートにしても不自然な程極端にボトムが弱く明確にスネアが打たれる事も稀で

ヒップホップらしいサブベースの効いたキック等も全く登場しない。

敢えて言うなら未だしっくり来るのはトリップ・ホップ

Massive Attackとのコネクションも何となく腑に落ちるが

変調された声や躁的で騒々しいヴォーカル/コーラス等

ジャケットが表象するようなユーモアが際立っており

90’sブリストルに通じるメランコリア微塵も無い。


壊れたクラリネットのような音色に乗せて歌われるM1

宛ら巫山戯たゴスペルと言った趣きで

M5のピアノやコーラスにM6オルガン等の音色、M12ではマーチ風のリズム等が

Bon Iverにも通じるクワイア的な感覚を齎しているが内省性は皆無で

螺子の外れた聖歌隊とでもいうようなイメージを喚起させるという点で

崇高且つチープという離れ業を成し遂げている。


一方でM7やM11等のポスト・パンクニューウェーヴ風は

LiarsやTV On The Radioなんかを想起させる(M7はまるで「Wolf Like Me」)

という意味でロック・バンドに近く

方やM8のファンクに到ってはPrinceを飛び越えて岡村靖幸を思い出させたりもする。

他にもトライバルR&B喚起させるイメージは実に多彩で凄まじくエクレクティックだが

主旋律は至ってポップでフレンドリーという

完全にカテゴライズ不能のサウンドが全編に渡って展開されており

極めてユニークな存在だと思う。

The Breeders / All Nerve

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Steve Albiniの録音特有の飾り気の一切無いロウなサウンド

直線的で単調なベースとローファイなギターの隙間だらけの構造

メジャーともマイナーとも言い難いメロディとKim Dealのニュートラルな歌声

それらは紛れも無くThe Breeders以外の何者でもなく正直それ以上の感想は出てこない。

開き直ったようなロックンロール回帰は昨今の一傾向だが

At The Drive-InQueen Of The Stone Ageの近作が足元にも及ばない程の

圧倒的な一貫性に時間の概念は吹き飛ばされる。


M8はまるで「Cannonball」ようで10年前の「Mountain Battles」に較べると

よりストレートにロックしており「Last Splash」に近い感覚がある。

とは言え10年振り故の気負いをまるで感じさせないどころか

スタジオでのセッションをベースに作られたようなラフさが充満しており

ほぼ 1ヴァース+コーラスのみのアンチ・クライマックスなソングライティングに

練り込まれた様子は一切無くここまでで行くと清々しくもある。


お世辞にもフックに富んでいるとは言い難く

正直似たり寄ったりの曲が多く聴いている内にだれてくるが

そのミニマムな構成が装飾過剰のインディ・ロックに飽きた現在だからこそ

新鮮に響くのも確かで

本作にも参加しているCourtney Barnettが熱烈に評価される背景にも

そのような時代の無意識の存在があるのではなかろうか。


ただ数多くの参照点を見出せるCourtney Barnettとは違い

The Breedersのサウンドは(Pixiesを除いては)如何なるバンドも連想させる事は無いし

況してノーマルロックンロールとは到底表現し難い。

こんなにもシンプルであるにも関わらず(寧ろそれ故に?)

比類すべき音楽がまるで思い当たらないというのはそれだけで偉大な事だ。