Tyler, The Creator / Scum Fuck Flower Boy

ギターやローズ・ピアノにブラス、ストリングス等の多彩な楽器音と、盟友Frank Oceanを始めとする煌びやかなシンガー達による歌のオーガニックな質感と、揺蕩うような目の粗いシンセ音等のエレクトリックな要素のプロダクション上のバランスは、James Blakeが提唱するモダン・ソウルとも共振するようで、嘗てPVでゴキブリを喰らっていたラッパーの作品とはとても思えない。

M6やM12のつんのめったビートとシンセ・ベースの組合せのコズミックな感覚はJ DillaSa-Ra Creative Partnersを彷彿とさせるし、M7のディープ・ソウルはD'Angeloのようでもある。
M8やM13のスウィートなソウルはAnderson .Paakと並べて聴いても違和感は無いが、オーセンティックなだけでもなく、目まぐるしく移り変わるエキセントリックな展開や、籠もったようでいて抜けの良い独特のビートの音響にプログレッシブさも兼ね備えており、トラックメイカーとしてのTyler, The Creatorの才能を改めて認識させられる。

トラックの多くはこれまでの露悪的なパブリック・イメージと懸け離れたものであるが、故に低音のナスティなラップとの対比は鮮やかで、メロウネスが横溢したアルバムにあってM5に於けるトリッピーなトラップ風のトラック上で繰り広げられるA$AP Rockyとの邪悪な競演や、軽薄でありながら何処か不穏なダンスホール調のM9等も有効なアクセントとなっている。

曲によっては本人が殆ど登場せず、ラップが占める時間も極短い点はDe La Soul「And The Anonymous Nobody」と共通しているが、同作が最早誰の作品なのか判然としない程であったのに対して、本作ではTyler, The Creatorのコンダクターとしての存在感がしっかりと保たれておりネガティヴな印象は全く無い。
頭からお尻まで捨て曲は一切無く、シームレスな展開も手伝って、澱み無く濃密なポップ・アルバムに仕上がっており、Tyler, The Creatorのブレイクスルーと呼ぶに相応しい作品である。