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なにかあり/とくになし

フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド

昨日目にしてびっくりしたニュース。


シャッグスのドット・ウィギンがファースト・ソロ・アルバムを出します


え! マジ?


とドギマギして、ちょっと落ち着いて、ちょっと思い出す。


いや確か、今年の初めにドットはドット・ウィギン・バンド名義でニューヨークでライヴをやってたぞ。



これが伏線だったのか。


10月の発売に向けて(アナログでも出るそうです)今から心がワクワクドタバタしている状態。


さて。


ドット・ウィギン・バンドのデビュー・アルバム発売を記念して
6年ほど前にシャッグスの日本盤が紙ジャケットで発売された際にぼくが書いたライナーノーツを
発売元のキャラウェイ・レコードのご厚意を得て転載します(とっくに廃盤だそうなので)。


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シャッグス「フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド」



 ことはロックに限らない。


 歴史上の大発明や大発見が、その当時は理解されず、人々の嘲笑にさらされ、後世になって大きく評価されるというケースは少なくない。


 シャッグスが1969年に世界の片隅でひっそりと発表したアルバム『フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド』と、その中に収められた12曲は、現代では幸運にもそういうフィールドで語られている。いや、それどころか、「ローリング・ストーン」誌の認定(1996年時点)によると、“最も影響を与えた空前のオルタナ・レコード100選”に堂々と割り込み、“20世紀における一番すごいガレージ”にすべりこみ、“最も重要なインディーズ50選”に輝いている。もっと言うと、今でもシャッグスを初めて聴く人は爆笑を禁じ得ないだろうから、笑われながら尊敬もされるという両端を体現していると言った方がいいのかもしれない。


 発売から38年(そのうち、ほとんど忘れ去られていた期間が11年)。ファースト・インパクトの威力という意味で言えば、発売からこの先何十年、何百年が経過しても、この衝撃が衰えることはないだろう。このショックは、ロックとかJ-POPとか、ひとつの時代限定のそうした狭いジャンルをはるかに超えている。現代においてさえ、シャッグスの作り出すサウンドは、音楽にまったく詳しくない女子高生や、しかめ面の会社重役に聴かせても、相当の反応(拒否反応も含め)を得ることが出来るだろう。ひょっとしたら、妙なツボに入って、ほろっと笑い出すかもしれない。3歳児に聴かせたらどうか? 手を叩いて大喜びするんじゃないかな。


 ともあれ、シャッグスだってガールズ・バンドだ。さらに、彼女たち3人は同じ家に生まれ育った姉妹。拠点となったのはアメリカ北東部、豊かな緑に囲まれたニュー・ハンプシャー州の田舎町フリモント。左からベティ(ギター、ヴォーカル)ヘレン(ドラムス)そして事実上のリーダーであるドットことドロシー(ギター、ヴォーカル)のウィギン姉妹。ここには映っていないが、後年には末娘のレイチェルもベースで加わる。


 そして、ここに映っていない、もうひとりの偉大なるウィギン一族こそが、彼女たちの文字通りの生みの親である実父オースティン・ウィギン。ファミリー・グループを作ること、あわよくば大当たりを取ってツアーに出ることは彼の夢であり、ハーマンズ・ハーミッツに夢中の姉妹にとって、それがロック・バンドになることは自然な成り行きだった。


 ただ一点、オースティンの風変わりな教育方針を除けば。オースティンは、他人と交わることで姉妹の純粋さが汚されることをおそれ、彼女たちを学校に通わせず、通信教育を受けさせていた。さらに、生演奏の類は一切体験させないという独自の理念に基づく音楽教育の集大成として、ギターとドラムを買い与え、オリジナルなバンドを結成させた。そして、一家に宿る天賦の才を信じて疑わないこの父は、私財をはたいてレコード制作に乗り出し、69年のある夜、娘たちをスタジオに放り込んだ。


 鉄は熱いうちに打て、という。この日、打たれた鉄は、音楽史上もっとも生焼けだった。だが、確実にバンドの演奏は、記録され、発売された。


 かつては、このアルバム『フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド』の裏ジャケ(オリジナルのサード・ワールド盤、及び、80年に再発売をしたレッド・ルースター盤でも同じ)に、オースティンらしき人物が匿名で記した手放しの賞賛と、後年にフランク・ザッパボニー・レイットジョナサン・リッチマンらが残した実直な祝福の言葉と素直な驚嘆を除けば、彼女たちの経歴を知る手がかりは、ほとんど無かった。だが、アメリカの風変わりな音楽研究家アーウィン・チュシドが、アウトサイダー・ミュージックという新奇なカテゴライズを標榜して著した評伝集『ソングス・イン・ザ・キー・オブ・Z』(1999年/2006年にmapより邦訳刊行)したことにより、その謎の多くは明らかになった。何故、こんなことが起こってしまったのか、非常に興味深い証言と考察が提供されているので、是非、ご一読をおすすめする。


 なので、ここではその本に書かれていないことを書いておく。


 1969年にサード・ワールド・レコードで1000枚プレスされたオリジナルの『フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド』は、そのうち900枚が紛失、または廃棄されたと伝えられている。だから、シャッグスとウィギン一家の音楽は、アルバムが発売されてもまったくセンセーショナルに採り上げられることなく、姉妹は地元の体育館で寂しい演奏を続けていた(1975年頃まで)。しかし、奇跡的に難を逃れたうちの一枚を、ボストンのFMラジオ局のDJが面白がって何回もかけているのを、当時NRBQのホーン・セクション、ホール・ウィート・ホーンズでサックスを吹いていたキース・スプリングが耳にして、その興奮をQ(NRBQをファンはこう略す)のリーダー、テリー・アダムスに伝えた。フランク・ザッパが雑誌『プレイボーイ』のインタビューで、シャッグスを賞賛したのは76年だが、ザッパは言及こそすれ彼女たちに接近したわけではない。だが、テリー・アダムスは違った。ロック史の極北にけぶる霧の中の、そのまたもっと遠い奥に暮らすウィギン一家への連絡先を辛抱強くたどり、Qが主宰するレッド・ルースター・レーベルの一枚に加える契約を結んだのだ。そして、オリジナルのファースト・アルバムを、レッド・ルースターのロゴ・マークを加える以外は、ジャケも音も一切いじらずに再発した(Red Rooster 103)。1980年のことだった。とにもかくにも、そこからシャッグスに関するすべてがリセットされたのだ。


 82年には、ファースト・アルバム以降に行われたレコーディング・セッション(カーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」とか!)や体育館でのライヴ演奏などを収めたセカンド・アルバム『シャッグス・オウン・シング』(Red Rooster 105)もリリースされた。


 そして、テリーはシャッグスに対する彼の敬愛の究極のかたちを表すために、1999年11月にニューヨークのボウリー・ボールルームで行われたNRBQのデビュー30周年コンサートのゲストにシャッグスを加えた。つまり、彼女たちに再結成をうながしたのだ。シャッグスこそデビュー30周年だったのだ!


 ぼくは幸運にも、そのときその会場に居合わせた。ドラムスのヘレンが体調不良ということで、その代役はQのドラマー、トム・アルドリーノが務めた。客席には熱心なQファンに混じって、ヨ・ラ・テンゴの3人の姿が。バルコニー席にはルー・リードも姿を見せていたという。


 この日の演奏について、当時書いた文章がある。当時の記憶が鮮明に記されているので一部を引用して紹介したい。


 ステージに譜面台(!)と2本のストラトが置かれ、NRBQ全員のエスコートで、ついにシャッグスが登場した。ステージ衣装と言うよりも、ちょっとした外出着をまとった2人のシャッグスは、ストラップの付け方もおぼつかない。でも、その一挙一動のすべてに会場を揺らすほどの歓声が送られた。(中略)「ヘーイ、みなさん、このイントロ、知ってる?」信じられないかもしれないけど、それは30年前と同じようにたどたどしくも自信に溢れたコード・カッティング。『世界哲学』のタイトル曲。彼女たちの声はキーすら変わっていない。楽譜を丹念に見ながら演奏する姿を見て、今さらながら、あの曲が「作曲された」という事実に仰天し、(中略)天然の変拍子で、すべてのお客さんが体を揺する。ベティのナンバー「ペインフル・メモリーズ」、同じくセカンドから「マイ・キューティー」をつっかかりながら演奏し終え、ドロシーが叫ぶ。「オッケー。次はあなたたちが一番聴きたかった曲をやるわよ」会場からは「ウォー」、そして「フーアーピアレーンツ!」と一際大きなリクエストが。でも、ほとんどのお客さんの心はもう決まってたみたいだ。「マイ・パアル・フット・フウーット!!!」
(初出「Soft, Hell」10号 → 加筆訂正後、CD『アウトサイダー・ミュージックのおもろい世界』(em Records)ライナーノーツに掲載)


 この晩、シャッグスは4曲を演奏した。ぼくの目の前では、彼女たちのお母さんアニーと、ドットとベティの息子たちが、全曲を一緒に口ずさんでいた。翌日も同じセット・リストで演奏し、「もっと勉強してくるわ」という名言を残し、舞台を降りた。ぼくが知る限り、その後、シャッグスとしての演奏は行われていないが、メタリカが好きだと言う息子は、これからバンドを始めるつもりだと言っていた。その言い方があまりにも普通なのが、何だかとてもグッときた。


 たぶん、かつて『フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド』という一枚の途方も無いアルバムを作ってしまったウィギン一家の数奇なストーリーの始まりも、このちょっとデブっちょの坊やが言ったひとことと、そんなに変わりはない。ぼくたちだって、人生のどこかでシャッグス的な段階を踏んでいるだろう。


 それは、未熟とか、ダサいとか、恥ずかしいとか、そういうことじゃない。きみは何かを始められるのか? という根源的な問いかけのことだ。シャッグスが作った音楽が、どんなロック・ミュージックよりも人の耳に確実に届くのは、その根底にそういう理由があるからだ。「癇に障る」と書くと悪い言葉だが、では「感に触る」と書き換えてはどうか。人の心に直接触る魅力を彼女たちは生きながらにして持っているんだから!


 人はシャッグスを笑うだろうが、シャッグスは人を笑わない。彼女たちのまごころがあなたに届くとき、手足は知らず知らずのうちに不規則なリズムを刻み始め、いつしか「フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド」を鼻唄してしまっているだろう。


2007年7月 松永良平


参考文献:
『ソングス・イン・ザ・キー・オブ・Z』(map)
アウトサイダー・ミュージックのおもろい世界』ライナーノーツ(em Records)


(一部、字の間違いや言い回しなどを最低限修正しました)



リズム&ペンシル「NRBQ issue」(1999.4)のおまけ冊子として制作したシャッグス本に掲載した架空の日本盤。