mrbq(松永 良平 blog Q)

2016-03-19 beipana talks about beipana / beipanaインタビュー その3

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  撮影:西恵理


2011年3月11日。


「この日を境にいろんなことが変わった」という言いかたをすることは多い。それに対して、かつて坂本慎太郎さんに取材したときに、坂本さんは「変わった」のではなく「いろんな問題が明るみになったんだと思う」と言ったことを今でも思い出す。


悲しみや怒りに翻弄される人も多く、原発事故への対応も含め、社会の抱える矛盾も浮かび上がった。だが、そのいっぽうで「本当にやりたいことに気がつく」というかたちでの作用を受けたひともいた。


beipanaくんも、そのひとりだった。ある決意が、彼に出会いをもたらし、人生を大きく動かす。


第三回は、たぶん、彼がこの先の人生で忘れることがないだろう2011年、2012年の話。


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──2011年3月11日、地震の瞬間はどこでなにをしてました?


beipana  当時は、原宿にあるオフィスビルで働いてました。地震の瞬間はそのビルの17階で仕事をしてたんです。


──高いビルにいたら、すごく揺れたでしょ。


beipana  揺れましたね! その日は自宅に歩いて帰りました。時間が経つにつれて原発のこともわかってきて。余震も続いたし、「いつ死ぬかわかんないんだったら、やっぱり好きなことをやっておくべきだったな」と次第に思うようになったんです。3.11があって、それまでの「本当にやりたいことはこうじゃないはず」というところから、「じゃあ本当にやりたいことは何なんだ?」ってところまで深堀りできたというか。それで7月くらいに、やりたいことをやろうと思って、スチールギターを買ったんです。


──ここでスチールギターが出てきた!


beipana  スチールギターの話、ここまでまったく出てきてませんでしたよね(笑)。でも、昔からやりたかったんですよ。


──「昔からやりたかった」っていうのは、どれくらいさかのぼる話ですか?


beipana  高校時代です。当時よく聴いていたSUGIZOさんやUAさんのラジオでは、スチールギターが楽曲に使われているNATURAL CALAMITYとかLittle Tempoとかも流れていたんですよ。音が気持ちいいから昔から好きだったんです。いつかやりたいなと頭の片隅でずーっと思っていて。BETA PANAMA名義のアルバムでも「Sleep Walk」というスチールギターの名曲のタイトル引用をしたり、スチールギターをサンプリングしていました。あと、震災直後の頃、音楽をあまり聴けなくなっていたんですけど唯一聴けたのがハワイアン音楽とNATURAL CALAMITYだったんですよね。


──ちなみに、スチールギターはやってみたいとはずっと思っていても腕に覚えはないわけですよね。もちろん高校時代にギターは弾いていたから基本的なことはできるとしても、そこから先も簡単にできるもの、ではなんですか?


beipana  いや、なのでちゃんと先生について習いました。山内雄喜さんの教室に通ったんです。


──今の日本で、オーセンティックなハワイアン・ギターの名手といえば山内さん。


beipana  ネットで調べたら、山内さんがグループレッスンをやっているというのを知って、そこで世代が2まわりくらい上の生徒さんたちに混じって一緒にゼロから学びましたね。ちょっと弾ける程度で飛び道具的に使うつもりではなかったので、スタンダード曲を弾けるようになるまでは毎日練習してました。


──beipanaくんが弾くのは、ペダルがなくて小型のラップスチールですよね。坂本慎太郎さんが『ナマで踊ろう』で使ってるのとタイプ的にはおなじの。


beipana  そうですね。


──スチールギターを手にした時点で、音楽的な方向転換も決意したんですか?


beipana  はい。「ダンス・ミュージックを作るのは一旦やめよう」というのは決めてましたね。スチールギターを使って、自分がやりたいことをちゃんとやろうと。


──それはかなり強い決意ですね。


beipana  ちょうどそのタイミングでVIDEOくんと知り合ったんですよ。2011年の7月後半でした。VIDEOくんが9月に江ノ島のOPPA-LAで〈Slumber Party Enoshima〉って企画をやるときに、面識のなかったぼくがDJとしてブッキングされたんです(2011年9月23日)。ダンス・ミュージックはもう作っていなかったけど、「DJならいいかな」と思って引き受けて、VIDEOくんと顔合わせのために7月に下北ではじめて会いました。そのときに「ちなみに最近、スチールギターを習いはじめたんです」と言ったら、「曲に参加してほしい!」って反応があって。「じゃあ、やります」と返事しました。


──VIDEOくんの話がなかなか出てこないなとは思ってましたけど、初対面が震災以降とは思ってませんでした。


beipana  そうなんです。しかも、あの夜のOPPA-LAにはDorianくん、ビーサン(Alfred Beach Sandal)とceroがライヴで出ていて、ぼくのほかに磯部さんと角張さんがDJでした。ceroもその日はじめて見たんです。だけど、その日のライヴではceroのみんなはテキーラでべろべろ状態で、「21世紀の日照りの都に雨が降る」を何回もトチってましたね(笑)。そんな状態だったけど、曲が良かったしとても感動しました。


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  ※cero@〈Slumber Party Enoshima〉



──結構、運命的な夜じゃないですか。


beipana  そういうことも含めて、VIDEOくんがつないでくれたことに感謝してます。ほかでも「一緒にDJやりましょう」みたいな感じでいろいろ誘ってくれたし、Rojiにも行くようになったし。その年のRojiの忘年会にもDJとしてぼくを誘ってくれたんです。


──2011年のRojiの忘年会は、ぼくもDJしました。VIDEOくんがDJタイムのオーガナイザーの役割をしていたのを覚えてます。夜12時までDJで、深夜はアコースティック・ライヴだった。


beipana  でも、あのときはぼくと松永さんとは話はしてないですよね。


──そうだったかも。


beipana  お店のなかに、みんなの荷物を置くハンモックが下げてありましたよね。朝方に弾き語りが終わった後、VIDEOくんがceroの「(I found it)Back Beard」をかけて、ぼくがその後SAKANAの「ロンリーメロディー」をかけたこととか、細かいディティールも覚えてます。震災の余韻が残っていた時期に、居心地のいい場所にVIDEOくんのおかげでふっと入れたのはよかったなと思ってます。あの夜は、本当に救われた感じがありました。


──はたから見ててもbeipanaくんとVIDEOくんはすごく相性がいいんですよね。空気感が近いというか、シーンとの距離の保ち方が通じてるというか。


beipana  いわゆるクラブっぽいところとライヴの中間にいるって感じですよね。「おなじ人を見つけた」という気はしてました。VIDEOくんのアルバム(『Summer of death』)は出会う前から聴いてはいて、音源もかっこいいし、「自分がやりたいものに近いかもな、自由にやっててうらやましいな」と感じてたんです。


──その流れでいくと、スチールギター奏者としてのBETA PANAMAがはじめて音源デビューしたのはVIDEOくんのアルバム『7泊8日』?


beipana ところが、そうじゃないんです。2011年の7月から年末にかけて、ウエハラ(シュウタ)くんと知り合ってYetiiというユニットをはじめたので。


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  ※Yetii


──そうか、そっちが先。Yetiiは2本のギター(エレキギター、スチールギター)と打ち込みによるエキゾチカ、サイケデリック・カントリーというスタイルのユニットでしたね。


beipana  Yetiiをやるきっかけは、ceroとの出会いも大きかったです。それまでの大半の日本のバンドには“日本のバンド”という括りの中でしか良し悪しを見出せなくて、音楽的なおもしろさを感じたことはほとんどなかったんです。でもceroはその括りを抜きにしてフレッシュな音楽だった。質感は独特だったし構成も今まで聴いたことがない感じで。それにも触発されてYetiiのEP『FARMER GONE TO HEAVEN』の一曲目になった「Grandfather of Idaho」を作りました。古臭い構成のカントリーをダビーな質感で作ろうと思って。それがスチールギターを録音した最初の曲です。VIDEOくんにPVをお願いして、公開したのが2011年11月とかでした。


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──ウエハラくんとはどうやって知り合ったんですか?


beipana  BETA PANAMAの名前で活動してた時代に、人のリミックスも頼まれていくつかやってたんですよ。そのなかで、2010年にある一曲をマスタリングしてたのがウエハラくんだったんです。


──へえ! じゃあ、エンジニアとして知り合ったんですね。


beipana  でも、じつはそのときのマスタリングにぼくが納得いかなくて。それで「担当したエンジニアの連絡先を教えてくれ」ってレーベルに言って、直接メールしたんです。それがウエハラくんでした。


──なんと、出会いはクレームから(笑)


beipana  そうでしたね(笑)。それで、いろいろやりとりをしてるうちに、彼の音源の存在を知りました。大滝詠一さん的なおもしろさのあるインストをやってたんですよ。それがずっと引っかかってて、コード進行とか構造的な部分を補ってもらうためにウエハラくんに参加してもらいました。


──EP『FARMER GONE TO HEAVEN』はよく聴いたし、今も好きな作品です。


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beipana  ありがとうございます。あのEPはVIDEOくんの『7泊8日』のツアーにYetiiが同行することになったときに、急遽それに合わせて作って自主で出したんです。


──今はYetiiは休止中なんですよね。


beipana  そうですね。自然消滅というか、またやるかもしれないですけど。


──ぼくがちょくちょくbeipanaくんと会って話したりするようになったのも、そのあたりからでした。


beipana  まあ、本当にありがたいというか、VIDEOくんが毎回いろんなことに誘ってくれるし、RojiでDJをする機会も多かったから自然と高城くんとも話すようになったし。“VIDEOくんのサポートをする人”という認識で、いろんな人と仲良くできるようになりましたね。その頃にはceroに関しては2011年のWWWでのワンマン(2011年12月25日)ではボロ泣きするくらいの純粋ないちファンになってしまいました。彼らを通じて知ったとんちれこーど周辺の人たちもceroと同じ新鮮さがあって驚きました。


──自分が知らなかっただけで、こんなにおもしろい場や音楽があるんだというのは、ぼくも驚きでした。


beipana  シーンというよりコミュニティというか、変な上下関係もないし、居場所を見つけた感じがしましたね。


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  ※VIDEOTAPEMUSIC『7泊8日』リリースパーティー『延泊』@渋谷7th FLOOR



──ところが、ですよ。やっと居場所を見つけたと思っていたbeipanaくんが、2012年の秋に突然いなくなっちゃうんですよ。日本から姿を消してしまって。


beipana  そうですね(笑)。1年ほど留学をしたんです。


──簡単にいうと、その理由はなんだったんですか?


beipana  震災です。スチールギターを始めたことで自分の志向性のチューニングが徐々に合いはじめて、VIDEOくんと演奏したりceroのワンマンで感動したり、楽しく過ごすうちに、震災以降のいろんな問題も帳消しになった気がしたんですけど、「実際はなにも解決してない」って我に返ることがたびたびあって。昔、Rojiのトイレにはハザード・マップが貼ってあったじゃないですか。それを見たときもいろいろ考えてましたね。そういう時期に「音楽的に自分が好きなことをやる」という決意と同じように、「明日自分が死ぬとしたら、今やりたいこと、やるべきことってなんなんだろう」って考えて、ちょうどワーキングホリデーを使えるぎりぎりの年齢だったこともあって、「海外に行ってみたい」と思い始めたんです。


──わかる気がします……。そして、実行に移せるのはまさにあのタイミングしかなかった。


beipana  海外に行くことを決めた日のこと、本当によく覚えてるんですよ。2011年の大晦日でした。30日の夜にあったRojiの忘年会が楽しくて、超いい気分で帰ってきたんですが、その日に偶然『Spectator』という雑誌で「これからの日本はどうなるのか」という特集をしてる号(24号。特集 「これからの日本について語ろう」)を読んで現実に戻されたんです。「確かに今は気持ちがいいけど、なかったことにはできないな」と思って、行くことを決めたんです。


──そうか。結構早くに決めてたんですね。


beipana  そうですね。ただ、仕事もしていたので本当にそれが出来るかはわからなかったし、ぎりぎりまでだれにも言わなかったんです。VIDEOくんやウエハラくんにも、行く2、3ヶ月前に「行くことにしたんだ」って告げて。『7泊8日』のツアーが終わったらもう日本から出ることを決めました。結構きつい判断でしたけどね。「もったいない。なんで今行っちゃうの?」っていう人もいたし。でも「今しかない」と思ってたんですよね。


──ワーキングホリデーで出国するのを決めたのはいいとして、具体的に何をするかは考えていたんですか?


beipana  行く目的は、新しい視点や可能性の獲得でした。震災と同じようなことが再び起きたり、今の生活を捨てなければいけない状態になったとき、どこでも生活出来るようにしておきたかった。よくない言いかたですが避難訓練のような意味合いも含んだ渡航でした。あと、震災のあった日本がどう思われているのかを知っておきたかったんです。たとえば「自分があのとき国会前に行ったことは、外から見てもちゃんと意味があったのか?」ということも知りたくて。英語がわかったらその反応もわかるし直接伝えられるだろうし。もしかしたらまったく別の方法で解決できることがあるかもしれないし。そういう意味でも、今までとは違う視点を獲得したかったんです。


──これは今だから俯瞰として言えることですけど、当時はVIDEOくんやceroのみんなと知り合って1年くらいで、その時期にできたあたらしい関係は刺激的だったけど、そこであえて空白を設けて、もっと時間をかけて意味を考えてみたことはいろんな面でよかったのかもしれないですね。「ただ楽しいから一緒にいる」みたいな感じだけで終わらない関係を考えられたというか。


beipana  まさにその通りですね。それに、自分は行ける環境にあるんだから、行くべきだろうなと思ったんです。幸い実家が神奈川だから、ワーホリから帰ってきても東京に戻ってこれる。結婚をしたらなかなか行けないだろうし。


──あとすこしみんなと深く交わってしまっていたら、逆に留学するのに踏ん切りをつけづらくなって、とどまってたかもしれない。


beipana  それは思いました。でも、スチールギターを使って始めたYetiiも、結局周りとの距離感を意識したものだったし、個人として「本当に自分がやりたいことは何なのか?」を人間関係とか抜きにして一回考えなきゃダメなんじゃないかという気持ちも同時にあって。もちろんRojiはその時点でもすでに特別な存在だったから、すごく悲しかったですけどね。DJ gossipgirlsのお二人が主宰のお別れ会もしてもらったし。


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  ※BETA PANAMA壮行会での高城晶平@阿佐ヶ谷Roji



──留学先は、最初はフィリピンで、そのあとオーストラリアって聞いてました。


beipana  最初はフィリピンに行って英会話学校で学んで、そこからオーストラリアに行きました。フィリピンからオーストラリアに行くあいだの2012年末に一回日本に帰ってきてるんですよ。「ルミさんが呼んでるから、顔だしたほうがいいよ」って言われて、一時帰国会というか、Rojiに集まって飲みましたね。


──ああ、ありましたね。


beipana  それで、2週間くらい日本にいて、そこからオーストラリアでしたね。


──オーストラリアはどの都市に?


beipana  メルボルンです。オーストラリアに入国するのは決めていたんですけど、街は具体的には考えていませんでした。日本人が少なくて、なおかつ都市部であるという基準で決めました。ショート・ステイで移動しながらじゃなくて、ひとつの街に定住してみたかったんです。東京以外の国で、都市生活者として1年くらい生活したら見えてくる視点があるはずだと思って。そういう感覚を獲得することが目的だったので。


──最初のフィリピンにもカルチャー・ショックはありました?


beipana  ありましたね。K-POPがすごく認知されていて、アジアの娯楽としてとても浸透していることに驚きました。それと、キリスト教徒の、しかもカトリックの人がすごく多くて、宗教の根付き方が日本とは全く違いましたね。でもその反面、田舎の住宅街は道も舗装されてない感じで、昭和の日本みたいでした。自分では体験していない時代なんですけどね。


──メルボルンでは、音楽的にもいろいろ刺激があったそうですね。


beipana  着いたのが真夏の年末だったので、フライング・ロータスなんかが出るフェスがいくつか開催されていたけど、それに行くお金はないので地元のレコード屋さんを回って、ローカルなカウントダウン・パーティーの情報を収集していました。行ってみたらすごくおもしろくて。


──そういうパーティーやライヴで見つけたおもしろいバンドを当時いくつか紹介してましたよね?


beipana  そうですね。バンドというよりクラブ寄りのミュージシャンやDJですけど。カウントダウンのパーティーで、後にワールドワイドに活躍するアンドラス・フォックス(Andoras Fox)やザンジバル・チャネル(Zanzibar Chanel)、ローランド・ティングス(Roland Tings)といった存在を知りましたね。あとはそこから芋づる式に地元の音楽家の情報が入ってくるようになりました。



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──ハイエイタス・カイヨーテもすごく小さいライヴハウスで見たって聞きました。


beipana  あるレストランで開催されたパーティーで、ハイエイタス・カイヨーテのサポート・メンバー(サイレント・ジェイ)がMPCを使ったライヴをやってたんですけど、盛り上がり方がほかの出演者と違ってましたね。ご飯を食べに来ただけのおじさんとかもノリノリになっちゃってて。それで「こいつは誰なんだろう?」と調べたら、ハイエイタス・カイヨーテにたどり着いた感じです。ちょうど彼らがSONYとの契約を発表するタイミングでした。彼らは、まさにぼくがいた家の近くに住んでいたんです。じつは、バンドで彼らを見るより前にヴォーカルのネイ・パームのソロ・ライヴを見たんです。チャージは10ドルでした。むちゃくちゃよかったですよ。マイケル・ジャクソンの「I Can't Help It」とか、サム・クックをカヴァーしてて。「すげえな、天才だな」って思いました。


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──うらやましい!


beipana  メルボルンでは、そういうローカルなミュージシャンのライヴやパーティーを見るのがおもしろかったですね。そのいっぽうで、メルボルンで暮らしていくなかで、自分の文化的なアイデンティティを見直さざるを得なくなってもいました。今まで日本というフィルター越しにあらゆる文化を楽しんでいたので、「自分の感性は正しいのか? 世の中とブレているんじゃないか?」という点までさかのぼって見直そうとしていました。実際見直せたこともたくさんあります。でも、同時に気が付いたのは、ぼくはローカル・ヒーローみたいなものに惹かれる人間だということでした。ceroが好きなのは音楽性はもちろんですけど、東京に住んでいる自分と響き合うものがあるからで、ハイエイタス・カイヨーテにあそこまで熱中したのも、自分が住んでいる街にいたバンドだったからだと思います。「音楽はコミュニティのものなんだ」ということにあらためて気付いたんです。つまりそれは、Rojiで味わった感覚とも似ているなと。


──情報過多な時代の音楽の、ミクスチャーではあるけどある程度情報で割り切れてしまう味気なさみたいな面を有機的かつ人間的なつながりで解決してくれる場所みたいなものを、無意識的に作り手が求めていった部分はあると思うんです。シーンとか流行というより、その感覚は“ローカル”って言葉がしっくりくる。ぼくにとっても、Rojiはそういう発見をさせてもらえた場所だっていう感じかたがあります。


beipana  そうですね。だから、ハイエイタス・カイヨーテを見てて思ったのは「東京に帰りたい」ってことだったんです(笑)


──それ最高ですね(笑)


beipana  周りの人間関係を抜きに自分は存在しないんですよね。やっていることがかっこいいのは大前提ではあるけど、コミュニケーションとしての音楽も僕にとってはすごく大事で。シーンとかメディアとかビジネス的な話の前に、ローカルな感覚を大事にしたいと思いました。自分たちで場所を作って有機的につながっていくことが音楽の本来あるべき姿なんだろうなと。本来、録音文化以前の音楽ってそういう存在だったんじゃないかなと。


──すごくうなづけます。


beipana  アンドラス・フォックスに今まで知った現地の音楽家のことを話すと「みんなもともと普通に地元の友達だよ」って教えてくれました。ある晩、アフロ・ビートのバンドを観た帰りに、そのバンドのメンバーと電車が一緒になったんです。そこでハイエイタス・カイヨーテの話をしたら「こないだまで一緒の場所で演奏してたのに、すごいよね!」とかうれしそうに言ってて。ネイ・パーム自身も、ライヴの直前に会場の外で友達と話していたり。「あ、この感じ、知ってるわ!」って思いました。


──Rojiの感じだって。


beipana  留学して「地元に根付くものが好き」ということに気付けたのは良かったですね。だからこそ、帰国後にアルバムを作ることになったときも、コンセプトや自分のやりたい音楽性に加えて、そういう感覚も大事にしたいと思ってました。


(つづく)


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beipana tumblr



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『Alternative Tokyo』

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  VIDEOTAPEMUSICのサポートで出演。


2016/3/19(土) 東京 新木場STUDIO COAST

OPEN 13:00 / START 14:00

当日券:¥6,500-(税込/スタンディング/1Drink別)

     12:30〜会場当日券売場にて販売


<出演者>

ジム・オルーク

フアナ・モリーナ

Phew

cero

VIDEOTAPEMUSIC

KIMONOS

大森靖子

te'

フロー・モリッシー


(Talk Session)

ピーター・バラカンx野間易通