オレオレ主義


先日レギュラーで出ていたラジオの収録に行った。実はオレは番組レギュラーを今年一杯で降りることになっていて、最後の収録も終っていたので、もう行くことはないだろうと思ってたのだが、特別企画があって急遽呼ばれたのだ。

先日、会社の業務終了のことを書いたが、この番組もその関係のものである。そういう意味では最後のお勤めだったともいえる。

そんなわけだがスタジオに着いた早々、もう一人の番組パーソナリティが、どこから連れて来たのか、数人のスタジオ見学者を前に「自作曲」を歌い、必死にアピール中の場面に出くわす。アンタさ、オレがもうひとりのメインだろが。時間ねえんだしさっさと収録準備しろよ、と思ったが、その気配なし。


うちの会社には「元アーティスト崩れ」みたいな人たちがプロデューサーとして所属していた。表向きは自分が歌うことを諦め、若者をプロデュースするために第2の人生を、みたいなスタンスだったが、実際会ってみると、今でも野心ありありで、隙さえあれば自分を売り込むことに必死になるのだった。

元々才能があり「今こういう不遇状態なのは運がなかったんだね」という人も中にはいたが、殆どは「ちょっとどうかと思う」という人ばかりだった。そんな人が他人のプロデュースなんかやっても上手く行くはずない気がするんだがね。


そのラジオの彼もそんな一人だった。表向きはオレの事を立てていても、いざとなると毎回こうなのだ…。この場面でオレが歌い出だせば、オレが全ての空気を持って行くことはわかってる。そうなれば彼が不機嫌になるのも、火を見るより明らか。必死なアーティストほど扱いにくいものはない。オレは知らん振りして放置プレイを貫いた。


社内もいつもそんな状況だった。問題なのは、その状況を客観的に判断できるスタッフがいなかったことだ。そういう「オレがオレが」言う人は大概、人格的にも面倒な人が多いので、みんなが避けるようになる。結果的に誰も何も言わないので、その人の思い通りになってしまうのだ。

どこの会社でも在るのではないだろうか。社内で浮いているが外向きには顔が知られている人とか。

そんな状況に何も対処しなかった自分にも、もちろん責任はある。責任があるのは分かっていたが何もしなかった。実は心のどこかで、さっさと会社がなくなってほしいと願っていたのかもしれない。少なくとも自分以外は全員辞めてほしいとは思っていたな。明らかにそのほうが会社のためだったから。

だからオレだけが残った時、部門閉鎖が決まったのはちょっと残念だった。しかし新たな道を歩き出すきっかけかも試練と思い、前向きに考えることにした。


ラジオの彼は、ひとしきりアピールし終わると、おざなりのようにオレの話題に触れ「実に才能のある人なんですよ」とか言う。しょうがないのでオレも見学者(全員女性)に「よろしくです。来月ライブもあるし良かったら是非♪」とか言うと、「チケットはタダですか?」などととんでもないことを言う。「てめえセクハラするぞごら」と内心思ったが、それには答えず素敵な営業スマイルを返し、話題を強制終了させた。


前回書いたこととも通じる話だけど、困った大人の「オレオレ」アピールってのは、本当に痛い。それは、全てのことが本人の中で未消化だから痛く感じるのだ。オレは好きだったアーティストをとことんしゃぶり尽くし、次々に卒業した。その延長上にあった仕事でも、出来ないことは徹底的に自己究明し研究し、全てひとりで可能、という段階に至るまでやり続けた。どんなことでも、「途中で終わらす」ということは決してしなかった。全て最後までやった。

ちょっと前までは自分も「オレオレ」という部分がある痛い大人だったが、少なくとも本業に関しては、今のオレはそんなことはないと思っている*1


自分が必死で頑張って通り過ぎて来た世界に、大の大人のオマエラが未だ留まり続け、つまらない「オレオレ」をアピールする。昔の自分を見るようで本当に辛い。そしてウザイ。半端なヤツがいちばん酷い。


ってことで、これは次の話題への壮大なネタフリである。

*1:ここでこんなブログを書いてることからも判るとおり、それ以外に関してはまた遣り残してることがたくさんあると思ってる。だからここはちょっと痛いのだ