EF58 運用が一部解明する

今月発売の「国鉄時代」Vol.25のEF58特集に、興味深い新事実(ワタシにとっての、ですが)が記載されていました。

たとえば、

1.客車特急時代(東海道全線電化後)の「つばめ」「はと」牽引は共に、「下りは東京区」「上りは宮原区」のEF58が受け持ち、基本的には青大将機による運用で、夫々の機関車は帰区の際には急行列車等を牽引して戻った。

2.同じく客車特急時代(姫路電化後)の「かもめ」牽引は、「上り下り共に宮原区」のEF58が受け持ち、基本的には一般色機による運用ながら、青大将機も充当された。


この二つのことから、

1.当区の「つばめ」「はと」はいずれも上り列車であるため、37、41、46、47、52、58、70、86、89、
90、95、99、100、140号機のいずれかでなければならない。

2.同じく当区の「明星」「銀河」「月光」「彗星」はいずれも東海道の下り列車であるため、上記宮原区の青大将機も牽引して下った可能性が高い。

3.当区の「かもめ」を、上記宮原区の青大将機が牽引しても不自然ではない。


という事が判明しました♪


ただし、その他の山陽、山陰、九州まで足を延ばす寝台急行列車群「安芸」「瀬戸」「出雲」「阿蘇」「雲仙」「高千穂」「霧島」「西海」「筑紫」等にまで、この運用が当てはまったのかどうかは不明です。

また、1960年10月の倉敷電化の際、京都ー岡山間まで延伸された「かもめ」牽引のEF58が、何故、わざわざ「浜松区」に移管されたのかが分かりません・・・