(354)鈴鹿山麓での農的創成(9)私の体再生(3)・ドイツの限界集落(3)・ともに生きる(5)・不正(内部告発)を克服した韓国

私の体再生(3)

秋も深まり朝夕は涼しさを通り越し、ここではもう暖房が必要となって来ており、前回載せた薪ストーブが心地よい温もりを恵み始めている。
森の畑も里芋の収穫を迎え、3分の2を猪に掘られて失った里芋の区画も、あれ以来荒らされることもなく見事に育った。
大きな2株の里芋で、写真の青バケツが一杯になるほど収穫でき、このところ毎日美味しく食することができている。
ブログ更新が遅くなったのは、妙高へ冬仕度に行っていたからである。
もちろん妙高は、朝夕はストーブなしでは過ごせないほど秋が深まっていた。
驚いたことに過疎化が進むなかで、昨年まで外国人経営者の増加は赤倉まであったが、今年は池の平や杉野沢に広がり、私の暮らしていた池の平では3件の宿泊施設がニュージーランド経営者に売却されていた。
訪れたところでは、冬だけの営業で普段暮らさないことから、益々暮らし難くなることを訴えられていた。
私の脳裏には、たとえ表面上インターナショナルに復活できたとしても、人が殆ど住んでいない豪雪地妙高のイメージが過っていた。
それを確かめるためではないが、少なくともあと10年は生き、現在の社会に希望の兆しが見えてくるかどうか見届けるためにも、雪解けの春と冬支度の秋には妙高を訪れ黙想したい。
そう思えるようになったのも、450キロ離れた現在の鈴鹿山麓の住まいに疲れもなく帰ってこれるからである。
それこそが、私の体再生である。
もっともそれは、中途半端なものではなかった。
実際ベルリンでの暮らしの後半で、美味なビールやソーセージを控え、極力散歩するだけでは体の再生はもたらされないだけでなく、私の糖尿や狭心症も一進一退であった。
それを裏付けるように、私の体重は70キロ台の増減に留まっていた。
すなわちアルコールや美味なるものへの欲求を控えるだけでは断つことが出来ず、ドイツからの帰国後3年間は時々欲望に負け、リバウンドを繰り返していたと言っても過言でない。
そして2014年冬の終わりの3月末に、夜間水道漏れから修理していた際激しい狭心症に襲われ、死を間近に感じた。
その際思ったことは、飲食の欲望にまかせてこのまま命を終わりにするか、今しばらく家族、社会、世界の将来を見届けるために飲食の欲望を断つか、二者選択しかなかった。

ドイツの限界集落(3)

ドイツの限界集落となっているところでは、地域全体が衰退しているわけではない。
それを実証するかのように今回のフィルム冒頭では、黄金の小麦やトウモロコシの収穫を迎え、ビオ発電や風力発電がフル回転している。
しかしそれは巨大企業に支配され、限界集落ポストロウに全く恩恵を与えていない。
それがこの地域での選挙結果、シリア避難民拒否を明言し、「ドイツのお金はドイツ人のためだけに使わなくてはならない」とする極右の流れをくむ右派政党AfDの急進であると語られている。
しかしZDF37°は、番組自体が様々な人の生きざまをあるがままに直視する目的であることから、それ以上踏み込もうとしない。
自給自足の暮らしを楽しむ老人は、企業が村に来てくれることに再び村が勢いずくことを夢見る。
歩くことに問題が出てきた老婦人は、限界集落ポストロウから去ることを選択する。
しかしここへ帰ってきた若者たちは、消防団を子供たちが楽しめるクラブにするだけでなく新年にはパーティーを開き、ここでの暮らしを楽しむことで未来に希望を繋げている。
事実消防団の集会所建設は、財源に問題があるにしても着実に進展している。
またリンゴ果汁製造販売のマリス夫婦は、秋のリンゴ収穫の不作から事業の継続さえ危うんでいたが、春のリンゴ収穫が見込めるようになり、新たな展望も開こうとしている。
それはポストロウの人たちが一緒に集い、喜びを分かちえる場所農家カフェの開設であり、既に出来上がった農家カフェでその抱負を語るマリス婦人の表情には、未来への希望と自信が輝いている。
このフィルムでは描かれていないが、ポストロウに戻ってきた若者たちが仕事に通う9キロほど離れたポストロウの属するフォアポメルン・グライスバルト郡の中心都市アンクラムにはエネルギー転換の波が押し寄せている。
それは郡のホームページを見れば一目瞭然であり、2017年5月30日にはアンクラム市近郊のン同じ限界集落ブーゲヴィツツ(人口275人、ちなみに2018年現在のポストロウ人口は298人)で、『エネルギー転換と市民参加』の題目で討論セミナーが開催されている。
https://www.lpb-mv.de/veranstaltungen/veranstaltungsarchiv/details/energiewende-und-buergerbeteiligung-fuer-alle-ein-gutes-geschaeft/
それは、北ドイツの多くのエネルギー自給率100%以上のゲマインデ(村)のように、村が北ドイツの強い風を利用してエネルギー自立することで生業も取り戻し、本質的に限界集落から抜け出すことを示唆している。
それに比べ日本の場合は、既に述べたように政府は夥しい将来の自治体消滅を広域化とコンパクト都市建設で乗り切ろうとしており、当事者である地方自治体は移住1%戦略に見るように都会から移住者を呼び込むことで自治体機能維持に努めようとしている。
それは私から見れば、本質的な解決ではなく対症療法に過ぎず、益々早まるグローバル化のなかで稲作さえからめとられて行き、地域破綻の波が押し寄せてくることを覚悟しなければならないだろう。

尚次回からは、エネルギー自給で未来に輝いている北ドイツの村や南ドイツの村を見ていきたいと思っている。

ともに生きる(5)・不正(内部告発)を克服した韓国


 
油圧機器大手KYB等の免震装置検査データ改ざんが、止めどもなく噴き出してくる不正のように、今年も大きな波紋を投げかけている。
しかも一千にも上る不正は役所や病院などの公共の場が多く、人々の命にかかわっており、絶対にあってはならない不正である。
それにもかかわらずこうした不正がなくならない理由は、産業の発展を人の命より優先する明治以来の富国強兵、殖産興業政策にあり、その政策が行き詰まるなかで益々噴き出してきているように思える
それは人の命よりも産業発展が優先された水俣の公害で象徴されており、福島原発でもシュラドに無数の原発が見つかった際、例えば新潟日報の追及で、委託検査会社の技術者の有りのまま事実報告に対して、そのような報告書は受け取れないとした官僚の返答からも明らかである。
すなわち国策推進のためには、表ざたにされない限り不正も容認されていると言ってもよいだろう。
それは上に載せた私の見た動画53(216年1月21日クローズアップ現代内部告発者知られざる苦悩』)で見るように、既にブログで載せた雪印冷凍食品不正を契機として、10年前に施された公益通報者保護法が罰則のないザル法であることから、年間4000件の内部告発があるにもかかわらず、その半数近くが報復を受けている事実のからも明らかである。
消費者庁の担当課長は「通報者が違法な行為を目の当たりにして萎縮してしまうというのは、社会の利益に反する。制度の見直しも、必要に応じてしっかりと検討していく。」と、真摯に正論を述べている。
しかし官僚用語では「検討する」は、「努力するだけで何もしない」と言われており、事実それ以降も本質的に変わっておらず、本質的に変えようとする動きも見られない。
それに比べ現在の韓国では番組で見るように、内部告発者を守り、不正を許さない強い決意が感じられる。 
日本において韓国のイメージは決してよくないが、戦後の長い軍事独裁政権のなかで絶えず弾圧されてきた市民の民主化を熱望する思いは強く、1980年の杭州民主抗争を契機に燃え上がり、1987年6月抗争で軍事独裁政権を屈服させ、民主憲法を確立することで大統領直接選挙制を導きだし、大統領の弾劾や憲法解釈などに責任を持つドイツ型の憲法裁判所を設置している。
また官僚の過ちを裁く行政訴訟法でも、1984年から国民権利を最優先し、利用し易く、事前の執行停止で救済される行政訴訟法が目指され、1994年、2006年、2008年、2013年改正を続け、その目標に近づいているように見える。
事実民主化が始まるまで1000件足らずの行政訴訟が飛躍的に増え、1994年には1万件を超え、2012年には日本の10倍の16942件に達し、現在も国民一人当たりの年間行政訴訟数では50倍にも及んでいる。
それはドイツのように年間50万件、国民一人当たり500倍にも達する官僚奉仕の国と比べれば、まだまだ未熟と言えようが、既に述べたように内部告発報復に法的整備がなされていないドイツに対して突出して前を進み、全体として国益より国民利益を優先しようと歩もうとしている姿勢が感じられる。
今年は民主国家として歩み出した韓国と、日本が21世紀に向けて新たなパートナーシップを求めた日韓共同宣言から20年であり、両国を行き交う人は一千万人を超えると聞くが、日本の国民は全体としてイノセントであり、相互理解には程遠い。
特に日本が学ぶべきは、不正を許さない内部告発保護から国益よりも国民利益を優先しようとする国民の熱望であり、ともに生きるという隣国韓国への思いこそ、日本が未来に向けて取るべき道と思える。