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読書メモなど

2017-04-30

【読んだ】東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』

03:15

ゲンロン0 観光客の哲学

■実は論旨はシンプル。西洋哲学ヘーゲルシュミットアーレント)的な「成熟」した人間観を志向した結果、リベラリズムは失墜し、コミュニタリアニズム(トランプ的ナショナリズム)とリバタリアニズム金融エリート的な欲望に基づくグローバリズム)が同時に存在する二層構造になったと。ここでリベラリズム的なドグマとしての「他者」など成立せず、IS的なテロリズムも生み出した。この袋小路を打破するのに「観光客」というコンセプトは有効やと。観光客とは、「(ネグリ-ハート的なグローバルな権力としての)帝国の体制と(旧来の)国民国家体制のあいだを往復し、私的な生の実感を私的なまま公的な政治につなげる存在(P155)」だと。観光客である事は、「無責任である事」「偶然性に開かれている事」を伴う。哲学史を振り返りつつ、カントヴォルテールルソーローティの中に、実は観光客に繋がる契機が含まれていた事を明らかにする。

■ってな具合にガッツリ哲学の本だし、哲学史の読み解きへの納得感もハンパない。ただ多分本書の1番の特徴は、哲学史と並行して、二次創作論や文学論やサイバースペース論等々をパラレルワールド的に動員しつつ、論旨を裏づけていく構成にあると思う。そこで持ち出されるパラレルワールドがほぼこれまでのあずまんの仕事の集積によって構成されており、それがこの本を「集大成」と言いたくなる所以かと。これをワンダーランドと揶揄するのか、あるいは「遂に東浩紀が自分の仕事の集積の上に、(パフォーマティブにも)誰にも邪魔されずに倫理的な誠実さを死守するための言論世界を作り上げた」と感動を覚えるのかは別れる所でしょう。僕は、袋小路に陥った今の社会運動への視座には共感したし、ふつーにすげーと思いました。

■…ってな感じでいいの?(びくびく)

ゲンロン0 観光客の哲学

ゲンロン0 観光客の哲学

2017-04-24

【読んだ】『最後の資本主義』ロバート・B・ライシュ

05:22

最後の資本主義

■ストーリーとしては、、、

【1】今のアメリカの市場はルール設定において超富裕層に超有利だと。要はロビイスト雇う金がある激烈少数派がやりたい放題で、例えば著作権70年的な話が国内的にも国外的にも腐るほどあると。結果として、富の配分が上から下ではなく、下から上への流れで起こっとると。はい、階層固定っすね、と。因みに市場と政府って二項対立で考えてもダメで、結局市場の仕組みって権力配分(=政治)に規定されるんやで、と(この辺は少し説明の解像度下げてる感あった)。

【2】能力主義メリトクラシーっていう訳語も一瞬顔をだすけど、勿論日本的な意味ではなく、労働の対価が能力を反映する、位の意味)はもはや幻想やと。それは組合が完全に構造的に骨抜きにされてるからで、それも経済構造の変化ってよりは大企業意向っすよねと。

【3】全米の中間層よ団結せよ、と(違。とりあえず株主様々モデルとか止めさせて企業のガバナンスちゃんとさせる辺りから始めようか、っていう。

【4】ついでにAI代替するのってルーティーンワーカーじゃなくてシンボリックアナリスト©ライシュ先生)なので、大卒とかますますキツいで、BIでも用意しようや、と。

■つまり基本的に「良い資本主義」と「悪い資本主義」という見立てを立てた上て、現状は後者であり、当たり前だけど前者を目指すべき、という事かと。

■上梓されたのが2015年なので、トランプが勝つのよりは前。読んだのは今のアメリカの感じってどんなんなんやろと思ったからなんだが、状況分析というよりは、アメリカ国内中間層の政治的無力感を受けて明確に政治参加を鼓舞してる感じ。運動のベクトルは違えど、OWSとか、あとはエリジウムとかタイムとかちょっと前のハリウッドのSF映画にこんな話多かったっすよね。因みに僕は両者共に映画としてはあまりノレなかったんだけど、正直この本も読み進めるのはツラかった。無論これは読む側の問題で、海外の人がシンゴジラまどマギも全然面白がれない、ってのと同じ感じかと。構造は共有しているけどディテールを共有していない感じ。

2017-04-13

【読んだ】千葉雅也『勉強の哲学 来たるべきバカのために』

20:52

勉強の哲学 来たるべきバカのために

■「基本的な話として」、勉強とは「アイロニー=ツッコミ=根拠を疑う事」という縦の軸と「ユーモア=ボケ=見方を変えること」という横の軸の双方を拡大する事だと。とはいえ双方ともに拡大し続ける事は不可能で、有限化が必要だと。ここでアイロニーを強制的に切断するのが「決断主義」なんだが、それは他者への絶対的な服従なのでやっぱあかんと。従ってアイロニーユーモアに転化する事が必要だと。でもやっぱユーモアの軸もどこかで切断をせねばならず、そこでは個々人の享楽を使う(=バカになる)といいと。ただ、享楽的なものも変化可能なもので、そこでの切断は「仮固定」みたいにイメージしておくと。で、その享楽的なものを相対化するのに年表とか作ったりするのが有効なんやで、と(P145-P167辺り)。

■色んな読み方に開かれている本だと思うけど、僕はかなり自意識をエグられつつ、元気が出たなー。潔白主義的に物事を捉えすぎたり、関心が派生しすぎたりして具体的なアクションを起こせない感じは結構昔からツラかった。例えば宮台真司が言った感染同期とかってのはまさにアイロニー決断主義的に切断する作法だと思うんだが、やっぱりそれは「強さ」が必要だ(し、どこまでも説教でしかない)よなあ、とか思ってたので。年表を作るとか、ノートを記録ではなくアイデア出しに使うとかってのは、道具として「外部化」を使うって事だと「理解」したけど、なかなか偶然性を信頼できない自分の癖を直すのにこれは結構マジで使えそうだと思った。

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

2017-04-02

【読んだ】白波瀬達也『貧困と地域 あいりん地区から見る高齢化と孤立死』

11:17

貧困と地域 - あいりん地区から見る高齢化と孤立死 (中公新書)

■同じく中公から出てる『社会とは何か』という新書にある通り、「社会」とはシステムではなくてプロセスなんだな、という事を強く感じた。無論、あいりん地区の状況が政策の帰結として生まれてきた側面も無くはないんだが、同時にどの場面でも混在する様々なアクターの働きによって(例えばドヤ街としての純化暴動を含め)状況が生み出されていく、ある意味ではダイナミズムがあるんだと思う。

■特にバブル崩壊以降増加した高齢単身世帯への対応は、のっぴきならない状況の中で、何とかそこにあるものの中で最適解が模索されるプロセスが見れる(反面それはちょっとした状況の変化に左右される不安定さもあり、やはり統合は必要だと。筆者は西成特区構想については両義的なんだが、そこでもボトムアッププロセスが確保されている事が必要条件だとする)。筆者が言う通り、この先貧困が偏在化する事が確実な日本であいりん地区が課題先進地となるのは間違いないんだが、しかしここでの取り組みは、ある意味では濃密な「社会」の厚みが不断に形成されてきた事で可能になっている様にも思う。従ってやがて各地で顕在化する貧困の問題においても、各々の地域ごとの「社会」の厚みが本当に切実な問題になると思う。

■無論筆者もジェントリフィケーションやパターナリズムの危険は指摘していて、例えばあいりん地区ってやっぱり匿名的で流動的な人間関係が生きやすさをもたらしてもいたんだけど、包摂がもたらす管理的な側面が匿名性を剥奪してしまうというジレンマもあると。ここに丁寧に取り組む必要がありつつ、しかし同時に、迅速さも求められる喫緊な局面でもある事は想像に難くないですよね。

社会とは何か―システムからプロセスへ (中公新書)

社会とは何か―システムからプロセスへ (中公新書)

2017-03-22

【読んだ】森山至貴『LGBTを読みとく: クィア・スタディーズ入門』

07:46

LGBTを読みとく: クィア・スタディーズ入門 (ちくま新書1242)

■お題目としてではなく、各論に至るまで「学問知なめんな」というコンセプトが一貫してるのが痛快。冒頭、差別や暴力の問題について「道徳」や「良心」の問題として扱われがちな事を批判し、知識に基づいた判断や行動が必要であると指摘される。無論それは個人の想像可能性の限界等々を見据えた要請というのもありつつ、クィアスタディーズが不断の学問知の議論の積み重ねの上にある事にもよっているかと。なのである意味では学問の有用性の証明を意図してるようにも見える(「学問が意義を持つと主張するためには(P18)」「議論がうまくいけば、[…]重要な論点があることを指摘できるはずです(P158)」等々)。大仰かもしれないけども、ある種メタ的な位置取りをしつつ、同時に切実に、戦略的な方法論とポジショニング選択をする感じはサイード(=グラムシ)が言う所の有機的知識人の振る舞いを体現している様にも見える。

クィアスタディーズに至るまでにはレズビアンゲイ・スタディーズやトランスヴェスタイトトランスセクシュアル、トランシュジェンダー等々様々な運動があると。各運動の中で生じた問題点を解決するために不断に別の概念が生み出されていく感じは、かなり「発展的な」歴史に見える。例えば「同性愛」や「トランスジェンダー」の概念の形成は社会からの抑圧の道具として使われる一方、それによって当事者のアイデンティティの形成にも繋がり、コミュニティ社会運動の形成にも繋がったと。しかしアイデンティティに基づくコミュニティの形成は、同時に排他性を伴ってしまい、また、HIV/AIDSの問題はアイデンティティの獲得をもっては対応できない事態をもたらしたと。そういう問題点を見据えた上で生まれたのがクィア・スタディーズだと。