【読んだ】待鳥聡史『政治改革再考 変貌を遂げた国家の軌跡』
【読んだ】志田陽子『「表現の自由」の明日へ 一人ひとりのために、共存社会のために』
■民主主義という概念が超ロジカルなものなのだと再確認した。民主主義のコンセプトや、表現の自由の必要性みたいな理念と並行して示されるのは、それが法体系の中でどう論理的な整合性をもって運用されているのか、という話だった。むしろ強調されていたその難しさだったように思う。表現の自由は「他者の権利」と衝突する可能性があり(「公共の福祉」の議論)、その解決は簡単ではない。無論本書はそこで議論を終えるのではなく、理念と運用(とレギュレーション)を相互参照しながら、論理性と正統性のある解決策を探るのが肝である。
■「ヘイトスピーチ」と比較的しながら「見識を欠く表現」というのが出てきていて、その解決についても論じられてるんですけど、まあやっぱりこないだの足立区の議員の発言とインタビューを思い出さざるを得なかったっすね。
【読んだ】遠藤周作『海と毒薬』
生体解剖の描写は執拗で露骨でショッキングで、読み進めるのに時間がかかった。そしてこの露骨さは、本作の構造上絶対必要なのだと思う。上田と戸田の内面告白では、例えば宗教による行動規範の欠如を埋め合わせて(しまって)いるものが曲がりなりにも示される。対して主人公の勝呂にはそれが描かれず、代わりに見せられるのは彼が日常の中で、いかに起こった事態に対峙し(せず)、翻弄され、状況に流されるのか、その様子である。だから彼の人生を変える生体解剖の描写は、読者にもショックを与え、その経験を共有させる必要があるのだろう。
【読んだ】暮沢剛巳『オリンピックと万博 巨大イベントのデザイン史』
▼日本に「デザイン」という概念を普及させたのは1960年に開かれた「世界デザイン会議」であり、そこではデザイナーのミッション、とりわけ社会的な責務について確認されたと。1964年の東京五輪と1970年の大阪万博はその概念の実体化をする機会だったと。本書では、丹下健三、亀倉雄策、勝見勝、岡本太郎の4人のスターがどう東京五輪と大阪万博の双方に関わったのかについて、著者の批評的判断を加えつつ、2020年の東京オリンピックの問題点をあぶり出す、というものかと。
▼デザインの観点から東京オリンピックをみた時に、勝因はデザインポリシーを貫徹した事だと。具体的には、勝見勝の統率のもと、オリンピックに関するすべてのデザインを亀倉雄策のシンボルマークと統一感が出るように徹底させたと。他方、東京オリンピックとほぼ同じ布陣で臨んだ大阪万博に関しては、デザインポリシーの統一に失敗したと(この辺は、吉見俊哉の『万博幻想』にも詳しい)。それはイベントとしての性質の違いもさる事ながら、6年の間にデザイン業界の中に起こった勢力図の変化等々に対応できなかったからだと。
▼他方で万博について、万博のレガシー()として後世に残っているものが、開催当時には不評だったものばかり、というのが興味深い。万博の理念を正当に体現したと思われた菊竹清訓のエキスポタワーはその後注目されずに取り壊され、メタボリズムも万博をピークに衰退すると。他方で開催当時不評だった太陽の塔が永久保存されとると。また、松本俊夫や横尾忠則、中谷芙二子といった面々が参画した「せんい館」や「ペプシ館」は開催当時不人気だったものの、その後高く再評価されていると。おそらくこの辺りは、万博当時は「ノイズ」として捉えられていたものが、後々評価されている、という事なんじゃないかと。
▼2020年の東京オリンピックについては、やはりデザインポリシーの不在が問題だと。加えて、ザハ・ハディドや佐野研二郎の問題で露呈したのは、組織としての脆弱さと、責任の所在の曖昧さだと(言わずもがな、ザハ・ハディドは何も悪くない)。加えてこれは僕の予想ですけど、これらの騒動はおそらく運営組織をますます及び腰にさせたはずで、万博の時の様にノイズの様なものが入る余地はますます少なくなってるんじゃないでしょうか。
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- 作者: 吉見俊哉
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【読んだ】中北浩爾『自民党 「一強」の実像』
▼頻繁に言われる様に、かつての自民党政治の特徴は「(1)ボトムアップとコンセンサスを重視する意思決定」と、「(2)派閥政治によって生まれる党内の多様性」であり、これが利益誘導政治をもたらしていたと。それが94年の政治改革、小泉改革、民主党への政権交代等々の転換点を経て崩壊していく過程と、それを経ての安倍政権の政治手法を分析するのが本書のコンセプトかと。
▼例えば小選挙区制度の導入によって生じた事のひとつに、族議員の弱体化があると。中選挙区制度の元では、例えば農林なり建設なり水産なり政策分野一本で勝負しても選挙区内で他の議員と棲み分けができたと。しかし小選挙区制度の元では選挙区内のあらゆる要望に応えなければならず、そんなもん無理やろと。
▼派閥の弱体化もやっぱ小選挙区制度の影響がでかいと。すなわち選挙区内で棲み分けができない以上、公認に際して派閥の影響力は低下すると。加えて政治資金改革で議員への資金配分は派閥経由から議員個人への直接交付になったと。で、こんなんやったら議員が派閥に属するメリットって昔ほど切実なものではなくなってるよね、と。
▼友好団体(業界団体)も、経済縮小と政治改革の影響で影響力を失っていると。因みに業界団体は財界(経団連)とそれ以外では全く意向が異なっていると。後者は利益誘導を求めてきたのに対し、前者は一貫して利益誘導政治を批判し続けており、企業を通じた政治献金を続ける理屈も一筋縄ではなかったんだよ、と。
▼その他にも事前審査制から官邸主導への流れとか諸々あるわけですが、要するに利益誘導政治ができなくなり、固定票も減ってると。そしたらどうやって票を取るかって言ったら右翼っぽい理念とかで浮動票を取るしかないという話ですよねと。なので多分、今の自民党の右傾化については、どちらかというと消極的な成り行きでああなってるんでしょうね。多分それはマーケティングの発想なんでしょう。
▼本書の最後にある、安倍と小泉の比較は面白かった。小泉改革のインパクトはやっぱりデカかったんだけど、小泉の動機は要は田中派を潰す事だったと。それは彼の政治家としての原点が角福戦争での敗北にあり、田中派に象徴される利益誘導政治を解体したかったと。従って人事も派閥に基づく慣行を無視してかなり排他的な事をやったんだと。
▼対して安倍の政治的な原点は自民党の下野であり、そこでの主要敵は民主党だったと。安倍は小泉の後を継いだ訳ですが、改革の結果支持基盤が弱体化している事への危機感がベースにあるのかと。従って必要なのは小泉的な党内改革ではなく、民主党への対抗のための党内結束だと。なので人事もかなりバランスを見ていて、安倍の党内支持が高いのはこの手法の巧さ故だと。因みにアベノミクスって結局、かつての公共事業を通じたインフラ整備と新自由主義的な政策の両立を狙っていると。要は、小泉がやり過ぎだったとしたら、安倍はそこで失われたバランスを取ろうとしている、ということかと。多分、安倍の右翼っぽい感じとか金融政策の過激さとかってのは本人の信条に基づくものではなく、どちらかと言うと行きがかり上やらないといけない役割を引き受けている、という感じなんじゃないかと。
▼改めて感じたのは、戦後の日本にはやっぱり分厚い「社会」というのがあって、それがめちゃくちゃ薄くなっているのが今、という事なんだろうなと。とはいえ、そのかつてあった「社会」ってのはめっちゃ前近代的なものだったんでしょうね。良し悪しは別にして、おそらくは投票行動についても「個人が数百万円得(損)をする」というのとは全く別の投票の動機がかつてはあったんでしょうが、今はそういうの全く無いんだろうなと。
- 作者: 中北浩爾
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