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2018-04-07

モダナイゼーション 〜 なぜ今、必要なのか ? - 前編

ここ2〜3年で、「モダナイゼーション(Modernization)」と言う言葉を良く聞くようになってきましたが、皆さん、「モダナイゼーション」と言う言葉を聞いた事がありますか ?

また、IT業界お得意の横文字か ?! と感じてると思いますが、少しご辛抱を・・・

「モダナイゼーション」とは、

『 企業の情報システムで稼働しているソフトウェアハードウェアなどを、稼働中の資産を活かしながら、最新の製品や設計で置き換える。 』

と意味なのですが、何故か、近頃、この言葉が持てはやされています。


似たような言葉で、その昔、「レガシーマイグレーション」と言う言葉が、盛んに持てはやされて時期がありました。

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今から20年位前の頃だったと思います。当時は、まだ企業におけるコンピューターは、「ホスト・コンピューター」が主流の時代でした。

IBM社製「z/OS」、富士通社製「MSP/EX」、そして日立社製「VOS3/FS」等、当時は、これら3社の「メインフレーム・コンピューター」が大人気で、企業の情報システム部に行くと、必ずと言っていい程、これら大型コンピューターの何れか、あるいは全てが導入されていました。

NTT系の企業に行くと、まれに、NTTの下請け企業であるNEC社製「ACOS」が導入されていたりもしましたが、たいていはテスト機で、本番業務で「ACOS」を使っている企業には、余りお目に掛かりませんでした。

弊社過去ブログでも紹介した事がありますが、当時は、空調が効いて寒く、そして、だだっ広い「マシンルーム」に、これらのマシンや磁気テープ装置、そしてハードディスク装置が整然と配置されていたものです。

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ちょっと話が脇に逸れますが、その当時、私の印象に残ったのは、関西の電力会社と東京のガス会社のマシンルームです。

関西の企業では、請求書の印刷業務で、超巨大な印刷用紙を使っており、プリンターに紙を供給するのにフォークリフトを使っていました。

また、東京の企業では、ホスト・コンピューターで使うハードウェアが多すぎて、1箇所のマシンルームでは収まりきらず、3つの階に分けて配置していたのには、本当に驚きました。

この階はホスト・コンピューター、その上はプリンターだけ、さらに、その上はハードディスク装置とテープ装置、と言う構成になっており、まさに「どんだけ〜!!」と言う感じでした。

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さて、この「モダナイゼーション」ですが、「レガシーマイグレーション(legacy migration)」とは、本来は意味が異なります。

レガシーマイグレーション」は、簡単に言うと、「メインフレーム」で構築された時代遅れのシステムを、最新システムに切り替える事を意味しています。

当時は、Windows系マシンやUnix/Linux系マシンを「オープン・システム」と定義付けして、システムの「オープン化」とも呼んだり、あるいはマシンの規模や大きさが小さくなるので「ダウン・サイジング」等と呼んだりしていました。

レガシーマイグレーション :新システム基盤への移行。業務仕様そのままで新基盤に移行。

●モダナイゼーション :システム近代化によるビジネス競争力強化。業務見直してシステム刷新。


そして、今、話題になっているのが「モダナイゼーション」ですが、何故、近頃、このモダナイゼーション」と言う言葉がもてはやされる事になったのでしょうか ?

それには、上記でも少し触れましたが、「IT業界」と言うよりは、企業の情報システム部における、システム構築の歴史や、業務グローバル化等が影響している事が解りました。

そこで、今回と次回の2回に分けて、今話題の「モダナイゼーション」に関して、次のような情報を紹介します。

【 前編 】

●モダナイゼーションとは ?

レガシーマイグレーションとの違いは?

●何故、今、モダナイゼーションが必要なのか ?

【 後編 】

●モダナイゼーションの手法

●メリット・デメリット

●モダナイゼーションの罠

それでは今回も宜しくお願いします。

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■モダナイゼーションとは ?

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「モダナイゼーション」に関しては、前述の通り、企業の情報システムで稼働しているソフトウェアハードウェアなどを、稼働中の資産を活かしながら、最新の製品や設計で置き換える、と言う意味で使われています。

そうなると、「それって、これまで行って来たマシンやソフトの入替えと何が違うの ? 」と言う事になるかと思います。

また、前に簡単に説明した「レガシーマイグレーション」と言う言葉ありますが、これもマシンやソフトの入れ替えです。

どれも、「置き換え」とか「入れ替え」とか言っていますが、要は、「モダナイゼーション」も「レガシーマイグレーション」も、「新しいハードやソフトにする事なんでしょう!!」となってしまいます。

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レガシーマイグレーション」との違いに関しては、後述しますが、この「モダナイゼーション」に関しては、これまで行ってきた「置き換え/入れ替え」とは、作業工程が異なります。

通常、ハードウェアソフトウェアを入れ替える場合、それなりに、ちゃんとした理由が必要です。

企業なのですから、「欲しい! 欲しい!」とダダをこねれば良いと言う訳ではありません。必ず稟議書が必要になります。

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ハードウェアを入れ替える場合、一般的には、ソフトウェアと一緒に入れ替えるケースが多いのですが、ハードウェア単体での入れ替えとなると、「故障」、あるいは「リース切れ」のケースが多く、後は、「費用対効果見直し」等の理由があると思います。

それ以外では、やはり、ソフトウェアを入れ替えるので、そのついでにハードウェアも最新の物を購入すると言ったケースが多いように見受けられます。そして、ソフトウェアの入れ替えの理由としては、次のようなケースが多く見受けらます。

ライセンス更新

・サポート切れ

・機能不足

・新型デバイス対応

企業も担当者も、何も問題が無ければ、基本的に、ハードもソフトも入れ替えたくないのが本音です。

ハードやソフトを入れ替えるには、かなりの体力や費用が必要になりますから、誰も、好きこのんで入れ替え作業などやりたくありません。

しかし、某「M社」のように、否応なしに、10年単位でサポートを強制的に停止するメーカーもいますので、ソフト/ハードの入れ替えは仕方がありません。


加えて、ハード/ソフトの入れ替えの際には、当然、現状の仕様や運用を見直し、より使い易く、そして運用し易くなるように検討を行います。このため、企業の情報システム部等では、次のような手順で作業を進めます。

(1)日々寄せられるクレーム情報や改善要求を蓄積する

(2)ハード/ソフトの入れ替えが決まると、改めて社内アンケートを実施する

(3)部門内での仕様/運用変更要求を収集して整理する

(4)上記(1)〜(3)に関して、優先度を付けて対応する項目を決定する

(5)対応項目実現のため予算を獲得する

(6)予算獲得後、要求事項を整理し、要件設計書/スケジュール等を作成する

(7)その後は、スケジュールに従い、それぞれの開発作業を進める。

通常は、(2)〜(6)まで来るのに、半年から1年位、あるいは、ケースによっては、1年以上の作業工数が掛かります。ハード/ソフトの入れ替えは、本当に大変な作業です。


と言う事で注目されているのが「モダナイゼーション」と言うシステムの入れ替え手法です。

「モダナイゼーション」と呼ばれる入れ替え作業の場合、基本的に、仕様の見直しや修正は行いません。つまり、現状の仕様そのままで、新しいハード/ソフトに移行します。

「それって何が違うの ?」

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システム運用やシステム開発従事した事が無い方にはピンとこないかもしれません。

前述の(2)〜(6)は、ソフトウェアを開発するための作業フェーズとしては、要件設計フェーズと言われる部分の作業になります。

通常、ソフトウェア開発は、作業フェーズを大雑把に分類すると、次の様な7個程度の作業フェーズを経て「本番運用」にこぎ着けます。

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1.要件設計フェーズ :システムに求める全てに関する要求事項を決定する

2.基本設計フェーズ :システムに実装する基本的な機能/処理を決定する

3.詳細設計フェーズ :システム実装機能に関してプログラミング・ベースで処理を決定する

4.製造/単体試験フェーズ :詳細設計ベースでプログラミングを行い、簡易試験で動作を確認する

5.結合試験フェーズ :機能/処理単位でプログラミングを結合して試験を何度も実施する

6.総合試験フェーズ :全てのプログラムを結合し、本番運用と同様の試験を実施する

7.切替/移行フェーズ :現行運用から新規システムへの切替や移行のための試験を実施する

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と、言うような作業フェーズを経て、新規システムを本番業務に移行して行きます。

システムに関する基本的な事柄は、全て「要件設計」において決定されますので、この「要件設計フェーズ」は、非常に重要な作業となります。

このため、「要件設計」を失敗すれば、システム開発は、必ず失敗します。

よく、「動かないシステム」とか「氷漬けシステム」とか言われているシステム開発の失敗は、この「要件設計」の失敗が原因です。

このように、システム開発に関わる重要な作業ですので、社内の根幹に関わるシステムを開発する場合、この「要件設計」の作業フェーズに、かなりの作業時間が掛けなければならない理由は分かってもらえたかと思います。

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そして、他方、「モダナイゼーション」開発ですが、この「要件設計」を行わず、現状の機能要件のまま、ソフト/ハードを入れ替えますので、開発作業に掛かる負担は、かなり減ることになります。

とは言え、既存システムを他の環境に入れ替える訳ですから、それなりの調査や対策は必要になります。

近頃、よく行われている「モダナイゼーション」の事例としては、「オンプレミス」環境に作成している社内システムを、「クラウド」環境に移行するケースが数多く見受けられます。

オンプレミス ?」、「クラウド ?」・・・また、これか !? と、眉をひそめないで欲しいのですが、全て日本語で説明すると、次の様な意味になります。


『 社内に構築/保守しているシステム環境を、他企業が提供/管理しているホスティング環境に移行する。』


オンプレミス 」や「クラウド 」に関しては、過去ブログでも説明していますので、そちらをご覧下さい。

★過去ブログSociety 5.0って何 ?



現在、社内で管理運用しているシステムを、他社、例えばAmazonの「AWS」やMicrosoftの「Azure」に移行する事で、次の様な点で費用対効果を高めようとする動きが活発です。

・ハード入替え :企業が、最新ハードを用意してくれるので、入れ替えの心配や対応をする必要が無い

・ソフト入替え :これも企業側が用意してくれるので、常に、最新ソフトの利用が可能となる

・センター :データセンター、昔風の呼び方だと「マシンルーム」が不要になる

・各種保守作業 :ハード/ソフト共、サービス提供企業が管理しているので、社員の対応は不要になる


上記のように、既存の社内システムを、現状と同じハードウェア構成で、他企業が提供するサービス環境に、そのまま移行するようなケースでは、ほとんどと言って良い程、現状のままサービス提供企業の環境に移行することが可能です。

但し、ネットワーク環境は、当然、社内ネットワークから、外部ネットワーク環境に切り替わりますので、その点に関しては、接続方法やセキュリティ対応が大幅に変更になる可能性はあると思います。

『 そんなに、良いことだらけなら、ウチの会社も、モダナイゼーションとか言う代物で、オンプレミスなんちゃら環境とかから、クラウドなんちゃらに移行したいので、その方法を教えてくれ !! 』

となるかもしれません。その点は、後でご紹介します。

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レガシーマイグレーションとの違いは ?

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次に、前述の通り、今から20年くらい前に流行った「レガシーマイグレーション」と、前章で紹介した「モダナイゼーション」の違いを説明したいと思います。

当時と言うか、現在でも、企業における業務運用の最重要項目は「業務を停止させない。」と言うことに尽きます。

そして、「業務を停止させない」ための前提条件は、「コンピューターを停止させない」事になります。

このため、当時のコンピューターで、信頼性が高いコンピューターとなると、「メインフレーム・コンピューター」だけでした。

2000年前後の時代、Microsoft社から、「Windows NTサーバー」、あるいは「Windows 2000サーバー」がリリースされ出されましたが、こと「システムの信頼性」となると、まだまだメインフレームの足元にも及ばない状況でした。

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ハードウェア信頼性において、PCとサーバーを同列に語るのは変だと言う事は分かっています。

しかし、解りやすい例として、PCで稼働させている各種ソフトウェア、例えば、Excel/Wordを初めとするMicrosoft社の「Office」、あるいは一般的な会計/経理用のソフトウェアがありますが、これらPCで使っているソフトウェアは、簡単にダウンとかフリーズしますよね ?

しかし、企業の基幹業務や勘定系業務に関しては、絶対に、システムがダウンしたり、処理が停止したりする事は許されません。

特に、銀行が提供するATMサービスを初めとする、その他各種オンライン系の業務は、大げさですが、天地がひっくり返っても停止する事など許されません。

ATMが停止すると、ニュースでも速報で流されるほどの重大事故です。また、銀行に限らず、企業の基幹業務が止まると大騒ぎです。

もう、数十年前から、物資の調達から配送、製造/加工まで、全てコンピューター上で管理されていますから、コンピューター、および業務ソフトウェアが停止すると、会社中で上を下への大騒ぎです。

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現在は、どうなっているのかは定かではありませんが、その昔、私が開発したソフトウェアも、バグだらけで、頻繁にダウンしていました。

そして、ソフトウェアが停止する度に、お客様から呼び出されて、次の様な無理難題や暴言を吐かれていました。

「1時間で直せ !!」、「早く直さないと、魚が腐っちゃうんだよ !!」、「遊びじゃねいねんで!!」

これは、その昔の話ではありますが、基幹業務や勘定系業務を停止出来ないと言うのは、今でも変わらない現実だと思います。

そして、現在でも「メインフレーム」と「Windowsサーバー」では、メインフレームの方が、圧倒的に信頼性は高いと思われます。これは、Windowsサーバーに限らず、Unixサーバーも同様です。

それでは、何故、業務運用で「Windowsサーバー」や「Unixサーバー」が使えるのかと言うと、ホット/スタンバイのシステムの切り替えが出来るソフトウェアや仕組みが出現したからです。

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ホット(現用系)/スタンバイ(待機系)のシステム運用というのは、全く同じシステムを、2つ以上の環境に構築し、現在稼働中のシステムがダウンした場合、即座に待機系のシステムに運用を切り替える事で、業務を停止せずに運用出来るようにする仕組みです。

このような仕組みが構築出来れば、ある程度、信頼性が低いシステムでも、運用を停止する事無く、継続的に運用する事が可能になります。

このように、ホット/スタンバイによる待機系のシステムの切り替えが可能になってきた事で、費用が安いWindows/Unix系のシステムに切り替える「レガシーマイグレーション」が流行り出しました。

とは言え、銀行や保険会社等、商品として「お金」を取り扱っている企業においては、未だに基幹系業務、そして勘定系業務では「メインフレーム・コンピューター」を使い続けています。

これらの企業において、唯一、情報系業務と呼ばれる事務所系や意思決定系の業務に関しては、Windows系やUnix/Linux系システムを使用しています。

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さて、今から20年ほど前に流行った「レガシーマイグレーション」とは、前述の通り、「メインフレーム・コンピューター」を、Windows系/Unix系のコンピューターに切り替える一連の動きを意味しています。

この「レガシーマイグレーション」では、単に、マシンを「Windows系/Unix系」に切り替えるだけでは済みません。「レガシーマイグレーション」を実現するためには、次のような作業が必要になります。

業務システムの刷新(業務ソフトウェアの変更)

データベース等、各種使用ツールの変更

・ファイルの変更

・JCLの廃止/バッチコマンド作成

要は、現行、メインフレーム環境で稼働させている全ての業務Windows、あるいはUnix/Linuxに移行するので、次の様な移行作業が必要になります。

・調査/分析 :メインフレームで稼働している業務の洗い出し、業務プログラムの分析

・設計 :洗い出した業務/プログラムを移行するための設計

・環境構築 :ハードウェアDBツール、およびネットワーク等、新規環境の構築

・移行 :実際の業務プログラムの移行、新規バッチの作成

・試験 :新規構築環境での新規業務プログラムの稼働試験、切り替え試験も実施

・切り替え :実際に全業務を、新規環境にて稼働させる


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レガシーマイグレーション」には、このような膨大な作業が必要ですので、少なくても2〜3年の作業期間が必要になります。

特に、メインフレーム環境で実行している「COBOL」や「アセンブラ」の業務プログラムに関しては、何十年も前に作成されたプログラムで、仕様書等のドキュメントは、ほとんど存在していないので、どのような処理を行っているのかを、最初から調査/分析しなければならないので、本当に、しんどい作業になります。

一部、「COBOL」や「PL/1」で作成されたプログラムに関しては、各種移行ツールが用意されていますので、何も考えずに、単純に、ツールを使ってWindows/Unix環境でも稼働できるJava等に変換する事も可能ではありますが・・・

この移行ツール、万能ではないので、内部的に無駄な処理が多くなり、パフォーマンスが低下する等の障害が起きている様です。

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「モダナイゼーション」とは、最初に説明した通り、「企業の情報システムで稼働しているソフトウェアハードウェアなどを、稼働中の資産を活かしながら、最新の製品や設計で置き換える。」事ですので、この「レガシーマイグレーション」も、「モダナイゼーション」の一つの形態と、言えない事も無いと思います。

しかし、「レガシーマイグレーション」の場合、どちらかと言うと、「モダナイゼーション」の手前の段階で、まずは、システム稼働環境を、Windows系、あるいはUnix/Linux系の「オープン環境」に移行する、という点に重点を置いています。

ところが、「モダナイゼーション」の場合は、既に「オープン化」が済んでいるシステムを、さらに最新のハードウェアソフトウェアに移行させる点に重点を置いていますので、その点が「レガシーマイグレーション」とは異なるのではないかと思われます。

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但し、現在もメインフレーム環境で稼働している業務システムを、一気に最新の製品に移行させるのであれば、つまり、レガシーマイグレーションとモダナイゼーションを同時に行う事になるかと思われます。

レガシーマイグレーション」と「モダナイゼーション」は、微妙な関係です。

結局の所、一部Sierやメーカーが、また営業案件を獲得するために、「レガシーマイグレーション」の事を、言葉を変えて、さも新しい動きであるかのように「モダナイゼーション」と騒いでいるだけの事なのかもしれません。

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■何故、今「モダナイゼーション」が必要なのか ?

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さて、今、話題の「モダナイゼーション」ですが、何故、ここに来て、急に人気が出て来たのかというと、それなりの理由があります。

まあ、例の如く、IT系メーカーの思惑も働いてはいますが・・・

前述の様に、日本中金融系や損保系を除く、ほとんどの企業に於いては、俗に言う「オープン化」対応は終了しています。

しかし、ほとんどの業務が、Windows系/Linux系システムに切り替わったとは言え、該当システムに関しては、相変わらず「オンプレミス環境」、つまり社内で稼働しているので、次のような保守関連費用が掛かります。

・マシンルーム/データセンターの維持費

ハードウェア保守サポート費用

保守担当要員の給与

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「既存システムの維持費」には、上記のような項目が含まれます。

そして、企業が、IT関連に投資している年間費用の50%〜60%程度は、これら維持費になっているという統計資料もあります。


加えて、日本の多くの企業は、「バブル崩壊」後の後始末の時に、自社の「情報システム部」を情報小会社として本体から切り離し、最後には、大手Sierや大手IT企業に売り払ってしまっています。

また、自社内に「情報システム部」を維持している企業でも、働いている社員の多くは契約社員で、正規雇用の社員は、主任/係長レベル、俗に言う「役付き社員」以上と言うケースも珍しくありません。

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このような状況で、現状のまま既存システムの保守を継続しようとしても、現在は、「人手不足」の状況が深刻化していますので、誰も「3K(きつい、苦しい、帰れない)」と言われる情報システム部門の職場では、働きたがらないと思います。

現在の人手不足に関しては、過去ブログでも紹介していますので、そちらもご覧下さい。

★過去ブログバブルの二の舞いか ?

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さて、このような状況を改善するため、貴方が、企業の「最高情報責任者/CIO(Chief of Information Officer)」だった場合、どのような対応を取りますか ?

問題点は、大きくは、次の3点です。

(1)IT投資を抑制したい

(2)とは言え、システムの刷新は行わなければならない

(3)情報システム部の人材不足を解消したい

特に、(1)と(2)は、「トレードオフ」の関係にありますから、普通の状況では、その実現は難しいと言うか、無理だと思われがちです。

しかし、ここに「クラウドによるホスティング」を当てはめると、どうなるでしょうか ?

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●IT投資の抑止 → ホスティングを行えばIT投資を減らす事が可能となる

●システムの刷新 → これもホスティングで解消できる

人手不足ホスティング先がハードの保守を行うので社員は不要

「何だ ! ネコの手を借りなくても全て対応出来るじゃないか !? 」

となります。これくらいの考えなら、「CIO」じゃなくても、少しIT系の知識さえあれば、誰でも考え付く内容だと思います。ネコでは無理ですが・・・

そして、さらに「システムの刷新」と言う課題に関しては、本ブログで紹介してきた「モダナイゼーション」を当てはめれば、さらに効果を上げる事が可能です。

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つまり、前章で説明した「モダナイゼーション」までの流れの内、「オンプレミスによるオープン化」から「ホスティングによるクラウド化」の流れが、本章の説明になります。

さらに、情報システムにおける最近の課題としては、複数デバイスへの対応と言う問題も起きています。

従来、社内情報システムは、あくまでも「社内利用」を想定した設計になっており、社外からシステムにアクセスする事など想定していません。

ところが、2018年1月開催されている「第196回 通常国会」で問題となった「働き方改革」ではありませんが、近頃では、営業社員が、外部から社内システムにアクセスするケースが増加しています。

これまでの営業社員の働き方は、概ね、次の様な形でした。

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【 午前 】

・出社して、翌日以降のアポイントを取る

・外出してアポイント先を訪問する

【 午後 】

・引き続きアポイント先を訪問し、夕方に帰社する

・帰社後に営業報告を作成する

・その後、余裕があれば、翌日以降のアポイントを取得する

・さらに、その後、「営業会議」と称した「パワハラ会議」が開かれる


営業職は、こんな無駄な働き方ばかり行っているので、一向に生産性が上がらなかったのですが、近頃では、経営者も「ブラック企業」と呼ばれたくない事から、会議等が無ければ、特に会社に出社する必要もなく、報告書等も、外出先から入力して、社内システムに送信するケースが増えて来ています。

加えて、「東日本大震災」を契機とした「事業継承」や「在宅勤務」が注目されるようになり、営業職以外の社員に関しても、在宅勤務を実施する企業も増加傾向にあります。

こうなると、単に社内システムをクラウド化するだけでは済まず、スマートフォンを初めとするモバイル端末から、社内システムにアクセス出来る仕組みを構築する必要があります。


そこで、各社とも、システムの基本仕様はそのままで、モバイル端末から社内システムにアクセス出来る仕組みを検討する事になり、この点が「モダナイゼーション」が注目される事になった次第です。

つまり、「今、何故、モダナイゼーションなのか ?」と言うと、大きくは、次の3つの理由が挙げられると思います。

●自社システムのホスティング化によるIT投資抑止

●同じく、ホスティングによるシステム保守要員の削減

●働き方の変化に伴うマルチ・デバイス対応の必要性

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今回、「モダナイゼーション」をテーマに、その前編として、次の様な情報を紹介しましたが如何でしたでしょうか ?

●モダナイゼーションとは ?

レガシーマイグレーションとの違いは?

●何故、今、モダナイゼーションが必要なのか ?

キーワード「モダナイゼーション」でWebを検索すると、未だに「レガシーマイグレーション」に関する情報が大量に表示されますが・・・まだ、金融/損保系以外の企業で、メインフレームを使っている企業って、そんなに沢山あるのでしょうか ?

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まあ、私が、まだ前職に在籍していた頃、今から15年位前においても、IBM社製「z/OS」では、1個の筐体の中に、メインフレームUnix/Linux共存させ、ソフトウェアも内部でシームレスに連携させる仕組みも提供していましたので、業務運用の仕方を、きちんと考えれば、闇雲にオープン化対応する必要も無いとは思います。

但し、そうなると、今回のブログでも紹介した「新型デバイス」での対応は難しいと思いますので、やはり、既存資産を活用しながら、何らかのモダナイゼーション対応を行う必要はあるのかもしれません。


今回は、「要件設計フェーズ」を省略して、最新ハードウェア/ソフトウェアに対応する方法として、この「モダナイゼーション」を紹介しましたが・・・私は、今更なのですが、この紹介の仕方には、疑いを抱いています。

私自身は、ソフトウェア、つまりプログラムを作成する作業において、「要件設計が不要」等という事は、絶対に有り得ないと思っています。

例えば、既存システムの要件を踏襲した形で、前述の「新型デバイス対応」を行うとした場合でも、次の様な要件を明確にしなければ、システムの開発など行うことは不可能です。

・どの新型デバイスに対応するのか ?

・そのためには、どの部分を改修する必要があるのか ?

・新型デバイスに対応した場合、パフォーマンスは、どこまで保証するのか ?

・開発スケジュールは ?

・予算は ?

セキュリティは ? ・・・・

今、簡単に考えただけでも、上記以外、軽く10項目以上の項目に関して、何らかの要件を決めなければならない項目を思い浮かべる事が出来ます。

これら要件を無視して、「既存システムの要件と一緒だから・・・」の一言で開発に着手した、トンデモナイ事態になります。


Webで検索したメーカーや業者のウリ文句を鵜呑みにせず、本当に必要な事を、きちんと洗い出した上で、開発に着手した方が、絶対に良いと思います。

その上でも、次回、モダナイゼーションの後編として、次の様な項目を紹介します。

●モダナイゼーションの手法

●メリット・デメリット

●モダナイゼーションの罠

是非、次回もご覧になって頂ければと思っていますので、宜しくお願いします。

以上

【画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

日経クロステック(http://tech.nikkeibp.co.jp/)

独立行政法人 情報処理推進機構(https://www.ipa.go.jp/)

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2018-03-24

岩手/盛岡と「馬」の関係 〜 本当に「お馬様様」です! - 前編

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今年の年末年始は、2年振りに、弊社事業所がある盛岡で過ごしました。

滞在していた頃は、それほど寒くもなく、市内にも、全く雪も積もっていない状況で、穏やかな年末年始でした。

まあ、「寒くない」と言っても、「氷点下6℃」程度ですから、東京なら「大寒波」の状況です。

そんな中、夜は何もする事が無いので、ローカルテレビを、ボ〜と眺めていたのですが、ある地域ニュースに見入ってしまいました。

そのニュースは、次の様な内容でした。

盛岡市松尾町にある馬検場が、83年の歴史に幕を閉じ、解体される事が決まりました。』

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「あ〜、馬検場かぁ〜、懐かしいな〜」と言う事と、その昔、今から50年近く前に、雨の日に、「馬検場」の中で、友達と「メンコ遊び」をしていた場面を、急に思い出しました。

「馬検場」と言っても、ほとんどの人は、「はぁ、何それ ?」と言う感じだと思います。

「馬検場」、簡単に説明すると、「馬の競り」を行っていた場所になります。

私が小学生の時、雨が降ると、当然、外で遊べなくなるのですが、この「馬検場」は、上の画像の通り、2階建て構造になっており、その下は、馬が競りで歩き回れる様に土が敷いてあったので、「メンコ遊び」には最適の場所でした。

それ程、何回も、この「馬検場」で遊んだ覚えは無いのですが、何故か、ニュースを聞いた瞬間に、フラッシュバックの様に、思い浮かびました。

別に、嫌な記憶ではないので、「フラッシュバック」と言う表現は適当では無いかもしれませんが、雨が降っている光景、メンコ遊びをしている光景、その時に遊んでいた友達等、数十年振りに思い出しました。

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盛岡市松尾町」は、盛岡八幡宮がある「八幡町」の隣に位置しています。

左に、私達の、当時の「縄張り」を示す地図を掲載します。

右端の私の実家から、左端の「馬検場」までは、約1.5Km程度の距離になります。

当時は、私は、地図の右上にある「山王(さんのう)小学校」に通っていましたが、遊びの中心地は「盛岡八幡宮」でした。このため、「馬検場」は、八幡宮からならば、子供でも歩いて5分程度の場所でした。

「馬検場」の歴史を、ちょっと調べてみると、「馬検場」が、松尾町(旧:新馬町)に移転したのは1912年(大正元年)とされていますし、馬の競りが最後に行われたのは「1995年(平成7年)」までとなっています。

そして、私が、「馬検場」で「メンコ遊び」をしていたのは、小学校3〜4年生頃、1970年代(昭和45年)頃だと思います。

当然の事ながら、既に「馬検場」の建物は古びており、二階にも、そして周囲にも誰も居なかったので、てっきり、もう空き家で、誰も使っていないと思っていたのですが、当時も、まだ「競り」が行われていたとは驚きです。

それ以上に、あの「馬検場」の建物自体が、まだ残っていた事自体が、驚きでした。

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今年の初詣は、当然、「盛岡八幡宮」に行ったのですが、その時に、車を駐車する場所が無かったので、松尾町の親戚の家に、車を駐めさせてもらいました。

そして、親戚の家から、「盛岡八幡宮」まで歩いて行く途中、「馬検場」の前を通りかかりましたが、その時に「まだ、馬検場、残って居たんだ !」と驚きました。

一緒に居た私の息子に、「馬検場って、意味分かる ?」と聞いたのですが、答えは当然、「分かんない。」でした。

「昔は、ここで、馬の競りをしていたんだよ。」と言っても、「競りって何 ?」から始まりましたが、私も、実際の「馬の競り」は見たことが無いので、「競り」の基本的な事だけは教えてあげた次第です。

その時は、特に、「メンコ遊び」の事は思い出さなかったのですが・・・何故か、「解体される」と聞いたとたん、「メンコ遊び」の事を思い出したのは不思議でした。

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盛岡に限らず、岩手県各地では、かなり前、恐らく平安時代頃から馬の飼育が盛んだったようです。

あの「奥州藤原氏」も馬の飼育を盛んに行っていた様ですし、その後、移り住んだ「南部氏」も、馬を活用して外交経済運営を行って来ました。

さらに、遠野地方では、人間と馬が結婚する「異類婚姻譚(いるい-こんいん-たん)」となる「オシラサマ」と言う風習も残っています。

岩手県内で「馬」関係のイベントや風習を取り上げると、次のような物があります。

チャグチャグ馬コ

オシラサマ

・南部曲り家

・郷土玩具「南部駒」

・南部流鏑馬

・蒼前神社信仰

・厩猿(うまやざる)信仰

何か、もうキリがないほど、沢山の風習やら民間信仰やらが現れます。

そこで、今回は、盛岡岩手の人々と「馬」の関係について、次のような内容を紹介したいと思います。

但し、「馬」との関係は、古墳時代から現在に至るまで、長きに渡る関係になりますので、前後半の2回に渡って紹介したいと思います。

【 前半 】

古墳時代奈良時代の「馬」との関係

平安時代の「馬」との関係

●平安末期〜室町時代の「馬」との関係

戦国時代江戸時代までの「馬」との関係

【 後半 】

●近代における「馬」との関係

岩手における「競馬」の歴史

●現在の「南部馬」と「在来馬」の紹介

●馬検場の歴史

それでは今回も宜しくお願いします。

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古墳時代奈良時代の「馬」との関係

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岩手県を含む東北地方は、古くから馬の名産地として有名でした。

かつて、この地域を支配した阿弖流為(アテルイ)をリーダーとした蝦夷安倍氏奥州藤原氏、そして南部氏も、馬を、当然、軍事に用いたり、あるいは政治の道具として利用したりして来ました。

本章では、時代区分毎に、岩手県を含む東北地方の「馬」について説明したいと思います。

さて、それでは、いつ頃から、東北地方に「馬」が存在したのかと言うと、確実な情報としては、奥州市水沢区にある「中半入(なかはんにゅう)遺跡」から、5世紀後半と思われるの3頭分の馬の骨と歯が出土しています。

このため、東北地方でも、古墳時代には、既に、この地域には、馬が存在した事が分かっています。

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また、歴史書に、東北地方の馬が最初に登場するのは、平安時代後期に作成されたと伝わる史書「扶桑略記(ふそうりゃっき)」になります。

その第六巻「起元明天皇紀盡聖武天皇紀上」には、下記の通り、奈良時代初期となる「養老二年(718年)、出羽と渡島の蝦夷87人が朝廷に来て馬を千匹献上した。」と言う事が記載されています。

『 八月乙亥日、出羽並渡嶋蝦夷八十七人來、貢馬千疋。則授位祿。 』


他方、日本全体で見ると、中国西晋時代(265〜316年)に、「陳寿」と言う名前の官吏が作成した、俗に「魏志倭人伝」と呼ばれている史書には、『 3世紀末の日本に馬、牛、そして羊はいない」と言う記述があるそうです。

『 其地無牛馬虎豹羊鵲 』

その後、山梨県甲府市にある、古墳時代中期となる4世紀後半と見られる「塩部遺跡」から、馬の「下顎の歯」が10本出土したそうです。

このため、関東や東北では、4世紀後半〜5世紀後半において、既に「馬」を活用する文化が出来上がっていたのではないかと推測されます。


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ちなみに、教科書等に出て来る『魏志倭人伝』とは、中国歴史書三国志」の中にある、30巻で構成されている「魏書」の中に書かれている「烏丸鮮卑東夷倭人条」の略称です。

魏志倭人伝』と言う書物がある訳ではありません。

上記「魏書(魏志)」の中の末尾に、「烏丸鮮卑東夷伝」が書かれていて、さらに、その最後に「倭人条」と言う項目があり、そこに弥生時代の倭の国の事や暮らしの様子が書かれているだけです。

知っていましたか ? 私は、「魏志倭人伝」と言う歴史書が、単体で存在している物とばかり思っていました。

この「魏志倭人伝」が注目されているのは、「馬」の事が書かれているからではなく、「邪馬台国」と「卑弥呼」の事が書かれているからです。

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さて、「馬」に話を戻すと、一般的な通説としては、古墳時代の4世紀後半、朝鮮半島にあった「百済」と「大和朝廷」が親交を深める過程で、モンゴル系の草原馬が、日本にも持ち込まれたとされています。

このため、九州地方から奈良・京都を含む関西付近では、体高130cm程度のモンゴル系の「小型馬」が使われていたと考えられています。

しかし、この説とは別の「二派渡来説」と言う学説もあるようです。

それと言うのも、前述の九州経由の馬は「小型馬」なのですが、東北地方関東地方には、中国大陸東北部やロシアから流入した思われるターパン系の高原馬である体高150cm程度の「中型馬」が居たと考えられています。

また、大和朝廷に古代馬が導入されて、半世紀も経たない内に、中央から遠く離れた東北地方に、何故、そんなに早く馬が存在したかと言う疑問が古くからあった様です。

このため、東北地方関東地方には、当時、朝鮮半島にあった「高句麗」系の人や馬が移り住み、九州や関西とは、異なる生活を営み、これが「蝦夷」と呼ばれていたと言う説があります。

そこで、「新羅百済」系の大和朝廷と、「高句麗」系の蝦夷が、長きに渡り戦い続けて来たという話になっているようです。

また、大和朝廷が、なかなか蝦夷に勝てなかったのは、実は、「馬」の種類が大きく影響していた、と言う説もあります。

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つまり、大和朝廷側の馬は小型で貧弱だったので戦闘用ではなかったが、蝦夷側の馬は、中型で頑丈だったので、まさに戦闘向きの馬だった事が影響しているとも言われている様です。

実際、時代は、かなり後になりますが、「南部氏」が育成した馬は、他の地方の馬と比較すると大型だったので「南部馬」とよばれて珍重された事が分かっています。

当時、一般的な馬の体高は130cm前後だったようですが、「南部馬」の体高145cm程度はあったとされています。

これは、前述の「草原馬」と「高原馬」の違いと一致していますので、何となく「二派渡来説」の信憑性が高まるような感じがします。

更に、これも一説ですが、「源 頼朝」が、「南部 光行」を陸奥国「糠部(ぬかのぶ)郡」に送ったのは、馬の飼育・育成が目的だった、と言う説もあるそうです。

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平安時代の「馬」との関係

さて、そんな馬の名産地だった東北北部ですが、「南部馬」が有名になる前から、この地域は、馬の名産地とされていました。

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現在の岩手県青森県の県境付近を前述の通り「糠部郡」と呼んでいたようですが、平安時代の末期まで、この付近には、「郡」が置かれていなかったそうです。

ところが、平安時代末期、陸奥国で、数々の戦乱が発生し、最終的に、「奥州藤原氏」が、陸奥国を支配する事になりますが、その最初の出来事である「前九年の役(1051〜1062年)」の後、「延久2年(1070年)」に、朝廷が、蝦夷の完全制圧を目的にして軍を派遣しますが、これを「延久蝦夷合戦」と言い、この戦の後に、現在の盛岡市以北にも「郡」を設置したそうです。

そして、この「糠部郡」には、「九ヵ部四門の制(くかのぶ-しかどのせい)」と呼ばれる管理制度が敷かれました。

これは、「糠部郡」を、「一戸(いちのへ)」から「九戸(くのへ)」までの9個の「戸(部)」に分け、その「戸」の下に7つの村を置いて管理し、さらに余った四方を「東門」、「西門」、「南門」、そして「北門」の4つの「門」と呼ばれる行政区画で管理する制度となります。

その後、この「糠部郡」が、「糠部の駿馬」、あるいは「戸立の馬」と呼ばれる馬の名産地として、歴史書にも登場するようになります。


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前九年の役」で奥州を支配したのは「清原氏」ですが、その後の「後三年の役(1083〜1087年)」により、奥州は、「藤原氏」が支配する所となります。

そして、この「奥州藤原氏」も、引き続き、「糠部郡」を始めとする、「牧(戸)」と呼ばれた場所で、「馬」の飼育を続けました。

弊社ブログに何度も登場する「奥州藤原氏」の始祖「藤原清衡(清原清衡)」ですが、その名前が、初めて都に登場するのは、時の関白藤原師通(もろみち)」の日記とされる国宝「後二条師通記」と言われています。

この「後二条師通記」は、「永保3年(1083年)」から「康和元年(1099年)」まで書かれた日記となります。

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そして、その中の「寛治5年(1091年)」の11月15日の部分に、下記の文と一緒に、朱書きで「清衡始めて殿下に馬を貢ず」と言う内容があったそうです。

『 亥の刻(午後十時)ばかり、盛長朝臣来りて云う、関白殿(師実)の御使なり、清衡̶陸奥の住人なり、馬三匹進上の由仰せられるところなり、承りおわんぬ、文筥を開みのところ、二通の解文、申文筥に入る云々 』

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さらに、「師通」の子「藤原忠実(1078〜1162年)」の代になっても、「清衡」が、頻繁に頁馬(こうば)していた事は、「藤原忠実」の日記「殿暦」にも記載されているそうです。

「殿暦」は、「承徳2年(1098年)」から「元永元年(1118年)」までの出来事が記載されているそうですが、「奥州藤原氏」は、巧みな政界工作で、奥州を実質的に支配していった事が伺えます。

この他にも、「奥州藤原氏」は、「金」を始め、当時の蝦夷(北海道)とも交易を行い、珍しい水豹(アザラシ)の毛皮等を、せっせと朝廷に貢いでいた事が分かっています。


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■平安末期〜室町時代の「馬」との関係

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さて、その後、平安末期から鎌倉初期の頃になると、今度は、「糠部郡」の支配者が、「藤原氏」から「南部氏」に変わる事になります。

鎌倉時代末期、正安2年(1300年)頃に、鎌倉幕府内の複数の編纂者によって作成された歴史書に「吾妻鑑(東鑑)」と言う史書があります。

この歴史書は、作成された経緯から、北条氏側の視点で作成されていると言う側面はありますが、平安末期となる「治承4年(1180年)」から、鎌倉幕府設立後の「文永3年(1266年)」までの出来事が記載されています。

そして、この「吾妻鑑」には、前述の「糠部郡」や「戸」の「駿馬」に関する様々な記述があるようです。

【 文治五年(1189年)9月3日 】

文治五年九月小三日庚申。泰衡數千の軍兵に圍被、一旦の命害を遁れん爲、鼠の如く隱れ。退くこと鶃に似たり。夷狄嶋を差し「糠部郡」へ赴く。

【 文治五年(1189年)9月17日 】

文治五年九月小十七日甲戌。毛越寺建立に際し、藤原基衡は本尊造立を仏師雲慶に依頼した。制作する本尊を上中下の三等級の何れにするかとの運慶の問いに対し、基衡は中と答え、その謝礼として、金100両、鷲羽根100尻、水豹(アザラシ)の皮60数枚、安達絹1000疋、希婦細布(けふのせばぬの)2000端、糠部の駿馬50頭等々を与えた。

【 文治六年(1190年)3月14日 】

文治六年三月小十四日戊辰。源頼朝奥州藤原氏陸奥貢馬(むつくめ)に倣い、後白河院に「戸立(へだち)」を20頭献上した。後白河院は「戸立」に興味を示し、どこの「戸立」を訪ねた。

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また、これ以外にも、次のような有名な御家人や人物が、「糠部郡」の「戸立の馬」を愛用していた事も分かっています。

・佐々木 高綱 :「生唼(いけずき)」 / 「七戸」産

・梶原 景季 :「磨墨(するすみ)」 / 「三戸」産

熊谷 直実 :「権太栗毛(ごんたくりげ)」 / 「一戸」産

熊谷 直実 :「西楼(※替え馬)」 / 「三戸」産


また、「糠部郡」の馬ではありませんが、「源 義経」の愛馬は、何れも岩手県産の「南部馬」と言われています。

・太夫黒(たゆうぐろ) :「一関市千厩町」産、「一の谷の戦い」鵯越で活躍

・小黒(こぐろ) :「遠野市」産、平泉滞在中の愛馬

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その後、前述の通り、奥州合戦の功労者として、「南部光行」が、「源 頼朝」より、「糠部5郡」を賜った事が、南部藩の史書「南部史要」に記載されています。

そして、「南部光行」は、鎌倉時代となる「建久2年(1191年)」の12月29日、現在の青森県三戸郡南部町に入ったとされています。

鎌倉幕府滅亡後も、この「糠部郡」は、「名馬の産地」として有名で、かつ土地が広かった事もあり、様々な勢力が入り乱れて支配を目指したのですが、結局、この「南部氏」が、他勢力を圧倒し、糠部郡全土を掌握しました。

その後、室町時代戦国時代安土桃山時代江戸時代、そして明治時代に至るまで、「南部氏」は、この地を支配し、後に「南部駒」と呼ばれる名馬を産出し続けます。

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室町時代になると、「南部駒」は、既に名馬の地位を確率していたようで、「糠部郡」から、京・大阪に送られる「糠部の駿馬」は、人気の的だった様です。

このため、「糠部の駿馬」には、その産地を証明するために、「馬印」と呼ばれた焼印が押されていました。

戦国時代となる「永正5年(1508年)」に、「八条近江守房繁(はちじょう-おおみのかみ-ふさしげ)」が作成した「馬焼印図」と言う書物には、「一戸」から「九戸」の各牧(戸)から連れて来られた馬に押された烙印に関して、下記内容が記載されています。

『 一ノ部(戸)10か村の馬は、両印雀(左右に雀)の烙印。ただし、桂清水の馬のみは特別に片車の印を押したという。二ノ部7か村の馬は、両印雀と二文字の印。ただし、あひかびの馬のみは四ツ目結。この印は、牧の本主(旧領主)佐々木庶子の家紋という。あひかび牧の別名を佐々木ノ部と称する。三戸〜八戸は省略して、九戸の馬は雀印であったという。 』

現在、この「馬焼印図」の原本は消失してしまったようですが、江戸時代後期、「文政4年(1821年)」に、幕府の命令により「屋代弘賢(ひろかた)」が編集を始めた「古今要覧稿(ここんようらんこう」に、糠部郡9ヶ所の「馬焼印図」が掲載されています。

ちなみに、「八条近江守房繁」とは、「八条流馬術」の創始者で、その後「八条流馬術」は、徳川家や伊達家などに伝わり、特に、仙台「伊達藩」では、代々「八条流馬術」の後継者が、馬術師範家を世襲したそうです。

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ところで、「南部光行」が、糠部郡を拝領してから150年間は、「糠部郡」における「南部氏」の消息を伝える記録は殆ど残っていないようです。

前述の「吾妻鑑」にも、「建久元年(1190年)」には、「源 頼朝」と一緒に「鶴岡八幡宮」を参拝した旨が記載されており、また「建久6年(1195年)」にも、「源 頼朝」と一緒に上洛した事が記録されています。

このことから、「南部氏」は、ほとんど「糠部郡」には居住せず、鎌倉にあって「源 頼朝」の傍で暮らしいていたことが明らかになっています。

このため「糠部郡」には代官を置き、「糠部郡」で生産した馬を、関東に提供する仕事に従事していたのだと考えられています。

この頃、「南部氏」が開設した「牧」は、主要なところで9カ所ある事が分かっており、その牧は「南部九牧(なんぶ-くまき)」と呼ばれ、下記の「牧」があったようです。

(1)住谷野 :現在の青森県三戸郡三戸町

(2)相内野 :青森県三戸郡南部町

(3)又重野 :青森県三戸郡新郷村

(4)木崎野 :青森県上北郡三沢市

(5)蟻渡野 :青森県上北郡横浜町および野辺地町北部

(6)大間野 :青森県下北郡大間町

(7)奥戸野 :青森県下北郡大間町

(8)三崎野 :岩手県九戸郡

(9)北野 :岩手県九戸郡

但し、「南部九牧」での牧野経営が本格的なものになったのは、室町時代以降の事とされており、さらに、この「牧」の他にも、田鎖野、妙野、広野、立崎野の4つ「牧」があり、「南部氏」の「牧」は、公牧で、計13カ所あった事が分かっています。

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戦国時代江戸時代までの「馬」との関係

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戦国時代から江戸時代になると、「南部馬」の評価は上がる一方で、前述の通り、藩直営の牧場が数多く作られた様です。

その後、妙野(現:八戸市)と広野(現:久慈市)は、江戸時代初期「寛文4年(1664年)」に、盛岡藩二代「南部重直」の死後、「八戸藩」が、「盛岡南部氏」から分離独立する際に、八戸藩初代「南部直房」に、領地共々移封されています。

また、田鎖野、および立崎野の「牧」は、江戸時代中期の「元禄年間」から「享保年間」の間に廃止されてしまったそうです。

しかし、その他の「公牧」は、明治時代を経て、昭和の太平洋戦争中に至るまで脈々と存続し、多くの「南部馬」を産出してきました。

これらの牧場では、係りの役人が、「馬」毎に、毛色、身長、年齢、および性別を記した精細な記録を取り、各牧場の管理者である「御野守」や、総牧場管理者となる「御野馬別当」に報告していた事が分かっています。

また、南部藩の領地は、冬季は雪が多いので、雪が多い地域では、積雪や寒凍を避けるために、各村の農家に「馬」を預けて保護していたそうです。

さらに、「馬」に対しては、御馬医、御馬責(調教師)などの馬肝入(世話人)が設けられ、手厚く保護/管理されていた様です。

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そして、「南部馬」の評価を高めたのが、幕府や大名による「馬」の購入です。

慶長年間(1596年〜1615年)頃から、「南部馬」の購入担当が、盛岡に入る様になり、これを「御馬買役人」と呼んで盛岡藩では歓迎するようになり、藩内の良馬を城下に集め、「馬市」を開催して自由に購入できるようにした様です。

当時、盛岡に「馬」を購入しに来た大名には、次の様な方々が居た様です。もちろん、当人が、直接、盛岡に来る訳はなく、各藩の購入担当が来て、「馬」を購入した記録が残っているそうです。



・寛永21年(1645年) :越前宰相「松本忠昌」 福井藩主

・正保3年(1646年) :尾張大納言徳川義直尾張藩主

・ 同年 :青山幸利(青山大膳) 摂津国尼崎藩主

・ 同年 :美濃守「稲葉正則」 小田原藩主

・ 同年 :左京大夫「丹羽光重」 二本松藩主

・ 同年 :大和守「松平直基」 播磨姫路藩主

・慶安二年(1649年) :幕府御馬買役人二名(幕府馬方「中山勘兵衛」他1名)

・ 同年 :佐渡守「牧野親成」 京都所司代

・ 同年 :青山幸利(青山大膳) 摂津国尼崎藩主

・ 同年 :陸奥守「伊達忠宗」 伊達藩主

・ 同年 :能登守「本田忠義」 白河藩主

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上記以外の大名、および幕府の役人も、大挙して盛岡に買い付けに来ていることが記録されているようです。

それでは、当時、「南部馬」の価格は、どれ位だったのかと言うと、これも過去ブログに何度も登場する盛岡藩家老の日記「雑書」の中に、慶安二年(1649年)、幕府の馬方役人「中山勘兵衛」が、「馬」を購入した時の記録が残されています。

『 十一日、御馬買衆御両人ニて、馬七十四頭御買いなされ候。但し高価八両 』

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「馬1頭が8両で高価」と書かれているようです。

それでは、「8両」が、現在の価格にすると、どの位の値段なのか、と気になるのが普通だと思いますが・・・「1両」を現在の価値に置き換えるのは、非常に難しいのだそうです。

また、江戸時代も、現在と同様、物価は変動していますし、価値自体、商品と労働対価とで、だいぶ異なる値段になっている様です。

ちなみに、商品の場合は「1両=13万円」位らしいのですが、これが「大工仕事=30万円」位に跳ね上がるのだそうです。

現在でも、今から数十年前、私が初めてタバコを買った時には、「セブンスター1箱=150円」でした。それが、現在では「450円」もします。値段が3倍にもなっています。

また、江戸時代中頃の「馬」の値段は、「馬1頭=45両=1,650,000円」と言う比較資料もあります。

と言う事で、現在の価値に置き換えるのは難しいのですが、無理矢理、上記価格の中間を取り「1両=20万円」とすると、「馬1頭=8両=160万円」位となるのだと思います。


さて、このように、盛岡に、年に何度も、馬の買い付け担当役人が大挙して来ているので、盛岡藩は「ウハウハで大喜び」かと言うと、そうでもなかったようです。

馬の買い付けに来るのは、盛岡藩よりも、格式の高い大名の部下や幕府の役人なので、買い付けに来る役人を接待しなければなりません。

そのために、盛岡藩では、藩主自ら「鷹狩り」を催したり、あるいは城下町以外にも「馬」を買い付けに行くために道の整備をしたり、訪れた村でも役人を歓待したりと、かなり面倒だった様です。

特に、「鷹狩り」や「道路整備」で駆り出される地元民には不評だったらしく、この「馬の買い付け」対応は、「元禄7年(1694年)」までで打ち切りとなってしまった様です。

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その後となる天保年間(1716〜1736年)には、江戸の「府中六所宮(ふちゅう-ろくしょのみや)」と浅草「薮の内」、および「麻布十番」の3か所で、毎年12月に「馬市」が開催されていたそうです。

この「馬市」には、当時、南部藩の馬宿を努める3軒の馬喰が「藪の内」にあったそうなので、その馬喰から、各「馬市」に馬を連れて行って売買していた様です。

しかし、その後、府中六所宮の馬市が中止となり、浅草「薮の内」と麻布十番の2か所だけで行われるようになったそうです。この場所は、現在の台東区花川戸二丁目辺りになるそうです。

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一方、盛岡藩では、武士の「石高」により、「馬」の飼育が義務付けられていた様です。

江戸時代初期には、石高「百五十石」以上の武士は、「騎馬」で出陣する決まりがあったので、それに伴い、自身で「馬」を飼育しなければならなかったそうです。

江戸時代中期には、飢饉等の影響もあり、石高は減免されたようで、「元禄8年(1695年)」以降は、「馬」を飼わなければならない石高は「三百石以上」か、あるいは役職付きの高級武士のみが、「軍馬」育成の義務を負う様になったそうです。

また、「馬」の飼育に関しては、当初は、藩直営の「牧場」だけだったのですが、民間でも飼育が認められるようになったみたいです。

しかし、その管理は厳しく、藩から「御馬責」と呼ばれる調馬師や、「駒改め」と言う役人が、村々を巡回して検査していた様です。

『 所々駒改に御馬責弥平次・与伝次・御徒之欠端金丞此三人達し侯間、隠密なく馬共改めさせ申すべく候。一疋成り共隠密の由脇より申し出でる者侯はば隠密の者は申すに及ぼす其処の肝煎迄も曲事仰せ付けらるべきものなり。 』

そして、藩内で「馬」の飼育が盛んになるにつれ、盛岡城下で「馬市」も盛んに開催されるようになった様です。

前述の「正保4年(1647年)」の日記には、次のような記録が見られます。

『 十四日、今日、馬口労町に於いて、馬共見初、馬場へは、毛馬内九左衛門を遣わす。』

『 朔日、盛岡新馬町にて、せり駒仰せ付けられ、岩手中、雫石盛岡へ、御馬方川口主悦・船越与兵衛、今日仰せ付かる。』

当時、幕府の馬買役人や諸大名から派遣された軍馬購入役人は、「馬口労町(馬喰町)」で「馬」の検査を行うのが慣例だったそうですが、後に、このイベントが、「馬の競り市」になったと考えされています。

また、「馬口労町(馬喰町)」と「新馬町」とは、同一の場所で、現在の「盛岡市清水町」に付近にあったと考えられています。

そして、「馬」売買を管理するために、「貞亨元年(1684年)」には、「御掫駒奉行」は、九組二十人が任命されており、盛岡の「二歳駒掫奉行」四人を例外とすると、領内には、八組の奉行が派遣されたとされています。

この八組の奉行人が、代官所ごとに「掫駒市」を開催したとすれば、領内三十ヵ所近い馬市が開かれたと考えられています。

さらに、「馬」の飼育数は、「元禄12年(1699年)」の調査によると、九牧の総馬数は「711頭」で、その内「雄馬」は各牧場に1頭、繁殖用の「牝馬」は521頭、その他は仔馬や駄馬となっている事が記録されています。

「はぁ、馬の名産地とか言いながら、たった711頭しかいないの ?」と思うかもしれません。しかし、この数字は「公牧」だけの数です。

領内全体では、「寛政九年(1797年)」の調査結果によると、民間だけで「87,215頭」もの「馬」が飼育さえていた記録が残っているそうです。

ちなみに、「公牧」で飼育している馬は「御野馬(おのま)」、一般の農家で飼育した馬は「里馬」と呼んで管理していたそうです。

本当に詳しく管理されていた事が解ります。

ちなみに、「昭和13年(19398年)」に発行された「岩手縣の産馬と盛岡の糶駒市について(佐藤保太郎著)」によると、昭和10年当時、東北6県の内、馬の飼育数が最も多いのが岩手県で84,000頭となっており、これは日本一の飼育数とされています。そして、二番目は福島県の78,000頭ですが、その差6,000頭もあり、断トツだとしています。

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さて、領内で、9万頭弱もの「馬」を飼育しているようですが、それでは、この飼育した「馬」を、どうしているのかと言う事になります。

「公牧」で飼育している馬は、藩が管理していますので、前述の通り、大名や幕府に売買したり、贈与したり、あるいは高級武士達が買い上げて利用したりしています。

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そして、その他一般の農家で飼育されていた「里馬」に関しては、「藩令」を出して、厳しく管理しています。「宝永三年(1706年)」には、領内飼育の馬について、次の八ヵ条を布告して事が、「南部史要」に記載されています。

(1)母駄(牝馬)を上中下の三等級に区分し、本帳(馬籍帳)に登録する事

(2)複数人で判別するので髪を切りおく事

(3)父馬も髪を切り一般牡馬と区別する事

(4)記帳漏れのないようにする事

(5)記帳漏れの場合は、馬主、五人組、肝入まで責任を問われる事

(6)許可なくして他領に馬を出すことを禁止する事

(7)他領に売払いの馬は、老馬、十歳以上の小荷駄、下駄等とし、代官の許可を得る事

(8)馬市は、盛岡郡山花巻の三ヵ所に限られ、上馬・中馬・上駄・中駄の他領出は禁じる事

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一般的には、上記のような決まりで管理していたようですが、五戸、および七戸から産する「馬」だけは優秀だった様で、この地方の下等級の駄馬でも、他地方の上級中級に準ずるとして特別扱いにしていた様です。

そして、飼育している「馬」が、「二歳馬」になった秋になると、藩が特定の場所に「馬」を集めて検査し、上中下の等級を付けて帳簿を調整し、上級と判定された「牡馬」は、藩有の乗馬にもなったり、「馬市」で競売されたりして、飼育者に歩合金が支払われたそうです。

それでは、どの位の料金で藩が買い上げていたのかと言うと、後年、大正4年に発行された「岩手県産馬誌」によると、「御用馬」として買い上げる場合、競買の最高価に、さらに「一両」を追加して買上げていたそうです。

本当か否かは解りませんが、これが本当ならば、結構、思いやりのある買い上げ方法だと思います。

そして、実際の記録によると、江戸時代末「文久元年(1861年)」には、次のような値段で「馬」を買い上げていた様です。

・大迫/三閉伊/福岡/沼宮内地域 :1,641頭を3,378両で買い上げ → 約2.1両/頭

・大更/鹿角/三戸/五戸/七戸/野辺地/田名部 :2,538頭を6,050両で買い上げ → 約2.4両/頭

雫石/沢内/徳田伝法寺/日詰/長岡 :1,048頭を810両で買い上げ → 約0.8両/頭

こうして見ると、何か、結構、買い上げ価格は、足元を見られているような感じがしますが、「御用馬」になると、この価格の2倍以上、中には、12両/頭で買い上げられた「馬」もあった様です。

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江戸時代の情報の最後に、ちょっと珍しい「唐馬の碑」を紹介します。

「享保10年(1725年)」、「馬」の改良に熱心だった八代将軍「徳川吉宗」から、オランダが将軍に献上したペルシャ産の「春砂(ペルシャ)」と言う「馬」が、南部藩に下賜されました。

盛岡藩は、「春砂」を、三戸町にあった公牧「住谷野」に放牧し、馬の体格を大型化するための種馬として改良を図ったのですが、残念ながら9歳で亡くなってしまったそうです。

そこで、関係者は、「春砂」を偲び、三葉の松を植えて墓印としたそうですが、その松の枝が、全て西に向かって伸びたので、「春砂」が母国を慕っているのだと言い、その墓を「馬の神」として崇めるようになりました。

このため、「寛保3年(1743年)」、御野馬別当「石井新右衛門(号:玉葉)」が、唐馬「春砂」供養のための「唐馬の碑」を建立し、馬頭観音を祀ったとされています。

その後、この地は、「安政3年(1856年)」に、「蒼前堂」、つまり「蒼前神社」となり、さらに、その後、「昭和21年(1946年)」に、現在の「馬歴(ばれき)神社」に改称したとなっています。

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「馬歴神」、あるいは「馬櫪神」とは、「馬の守護神」、「厩(うまや)の神」、または「馬術の神」とされており、一般的には、 両手に剣を持ち、両足で猿とセキレイを踏まえている像として描かれる様です。

上図は、「葛飾北斎」の「北斎漫画」に描かれた「馬櫪尊神」となっていますが、この絵では手が四本であり、セキレイと猿も手で捕まれています。

「馬歴神」は、中国から伝播した神で、両剣で馬を守り、猿とセキレイが使者となっています。セキレイは馬を刺す害虫であるブヨなどを食べてくれます。

また、馬の「午」は火を表し、猿の「申」は水を表していて、荒馬を鎮めるという意味や、火事から厩舎を守るという意味があるそうです。

この「唐馬の碑」は、外国馬に関する、日本最古の「碑」と言われており、貴重な文化財となっています。

ちなみに、「春砂」は、碑に「鹿毛白九歳長四尺九寸五分」と刻まれている事から、体高150cm程度ですので、アラブ馬としては、平均的な大きさの馬だったと推測されます。


※これら江戸時代の情報は、「滝沢村村誌」、およびその他資料を参考に記載していますが、その他記録と一致していない情報もあるようです。

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今回は、「岩手/盛岡と馬の関係」と題して、主に、古墳時代から江戸時代までの、「馬」との関係を紹介して来ましたが、如何でしたか ?

古墳時代奈良時代の「馬」との関係

平安時代の「馬」との関係

●平安末期〜室町時代の「馬」との関係

戦国時代江戸時代までの「馬」との関係

今回の「前編」で、東北地方の「馬」自体は、アテルイに代表される蝦夷の時代から存在し、現在に至るまで大切に飼育されて来ている事が解りました。

しかし、今日まで、東北地方の「馬」の歴史が脈々と繋がっているのは、特に「南部馬」が特異な存在だった事が影響しているのだと思います。

また、東北地方、特に北東北において、余り支配者が変わらなかった事も、「南部馬」の伝統が守られて来た事に影響を与えている事が解りました。

岩手を含む北東北は、最初に記載した通り、太古の時代から明治時代に至るまで、蝦夷安倍氏藤原氏 → 南部氏と、たったの4つの民族/氏族しか支配者が存在しません。

まあ、短期間であれば清原氏とか、その他、小さな氏族が統治した時代もありますが、古墳時代後期から明治時代に至るまで、約1,200年間ありますが、その内訳は、4つの民族/氏族で、次の通りになるかと思われます。

古墳時代〜平安中期 :蝦夷 約300年間

・平安中期〜平安後期 :安倍氏 約100年間

・平安末期〜鎌倉時代藤原氏 約100年間

鎌倉時代明治時代 :南部氏 約700年間

まあ、これが事実なのですが、こうして見てみると、とても凄い事が、より、はっきりと解ります。

1,200年間、たった4つの民族/氏族しか統治していない場所なんて、北海道を除く日本では、北東北以外有り得ないのではないかと思ってしまいます。

加えて、「蝦夷」から「藤原氏」までは、何とか地元の「血筋」が入っていますので、「馬」を大事にし続けたのは当たり前だと思います。

そこに、地元とは一切関係の無い「南部氏」が支配者となったのですが、実は、「南部氏」は、これも「馬」の名産地「甲斐国」出身です。このため、南部氏は「馬」の重要性を理解していたのだと思います。

ここに、「馬」とは関係の無い、「南部氏」以外の氏族が支配者となっていたら、果たして、現在に至るまで、北東北で「馬事文化」が、ここまで発展したのかは、疑問が残るところだと思います。


このため、先に記載した通り、「源 頼朝」は、意図的に、「南部 光行」を「糠部郡」に配置したのではないかと言う想像が働く事になります。

「源 頼朝」が、何故、「南部 光行」を糠部郡に配置したのかは、「頼朝」に聞かなければ、解らない事なのですが・・・

偶然であれば、まさに「天啓」だったのかもしれませんが、産業の少ない、岩手/盛岡の住民にとっては、「ラッキー !!」だったのではないかと思います。


と言う事で、次回は、「後編」として、明治時代以降、現在に至るまでの「馬」関係情報、およびその他として、次のような内容を紹介します。

●近代における「馬」との関係

岩手における「競馬」の歴史

●現在の「南部馬」と「在来馬」の紹介

●馬検場の歴史

それでは次回も宜しくお願いします。

以上


【画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

・愛LOVEもりおか★徒然日記(https://blogs.yahoo.co.jp/kfuji_taxi)

・馬と人(http://umatohito.com/)

滝沢村誌(http://www.city.takizawa.iwate.jp/contents/sonshi/web/index.html)

青森の魅力(https://aomori-miryoku.com/)

江差ルネッサンス(http://www.esashi.com/)

縄文古代文明を探求しよう(http://web.joumon.jp.net/blog/)

・えさし郷土文化館(http://www.esashi-iwate.gr.jp/bunka/index.html)

山梨県ホームページ(http://www.pref.yamanashi.jp/index.html)


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2018-03-10

Society 5.0って何 ?

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皆さん、近頃、ニュース等の解説で、「Society 5.0」と言う言葉を聞いた事がありませんか ?

「う〜ん・・・サイエティと言えば、ダンスとか、音楽の話で聞いた事があったかな ? 」等と考えているなら、全くの勘違いです。

「Society 5.0」とは、政府が、平成28年1月22日に、第5期科学技術基本計画において、日本が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱された考え方です。

この「科学技術基本計画」とは、平成7年に制定された「科学技術基本法」により、下記の様に、期間と、その間に成すべき科学技術をまとめた基本計画になります。


【 第1期 】

平成8年〜12年度:競争的研究資金の拡充、ポストドクター1万人計画産学官の人的交流の促進

【 第2期 】

平成13〜17年度:新しい知の創造、知による活力の創出、知による豊かな社会の創生

【 第3期 】

平成18〜22年度:社会・国民に支持され、成果を還元する科学技術、人材育成と競争的環境の重視

【 第4期 】

平成23〜27年度:将来にわたる持続的な成長と社会の発展の実現、我が国が直面する重要課題への対応


現在は、第5期として、平成28〜32年度の5年間に成すべき目標として、次の4つの項目を掲げている様です。

1.未来の産業創造と社会変革を進める

2.経済・社会的な課題へ対応する

3.基盤的な力の強化を進める

4.人材、知、資金の好循環システムの構築を進める


そして、この目標の内、「1.未来の産業創造と社会変革を進める」ことで生まれる社会を「超スマート社会」と位置付け、この「超スマート社会」の事を「Society 5.0」と名付けている様です。

皆さん、これで「Society 5.0」の事は、完全に理解出来ましたよね !! 明日、会社に出社したら、仲間に、「Society 5.0」の事を説明してあげて下さい。

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しかし・・・私は、「それで、結局、Society 5.0とは、どういう社会なの ? 」となってしまいます。

また、「Society 5.0」と同じように、数年前から良く聞くようになった「IoT」、それと「将棋」や「碁」との対決で、一躍脚光を浴びるようになった「AI」。

さらに、「Society 5.0」と似たような意味で使われる「CPS(Cyber Physical Systems)」・・・もう英字だらけで訳が解りません。

どうして日本人は、英語の頭文字略称形が大好きなのでしょうか ?

太平洋戦争で、欧米に負けたからなのか、それとも明治維新で、新しい文化に感化されたからなのか、明治維新から100年以上経過しても、「英語コンプレックス」から抜け出せていないように思えます。

政府自身が、その目標として「Society 5.0」等、英語の標語を好んで使う事、理解出来ません。

さて、今回は、この「Society 5.0」や、それに関わる「IoT」、「AI」、「CPS」とは何かを紹介したいと思います。

ちなみに、「IoT」」に関しては、下記の過去ブログで、紹介しましたので、今回は割愛します。

★過去ブログIoT 〜 日本復活か ? それとも破滅か ?

今回は、次のような内容を紹介します。

●「Society 5.0」とは

●「CPS」と「IoT」とは

●「IoT」と「AI」との関係

●新たな課題/問題

それでは今回も宜しくお願いします。

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■「Society 5.0」とは

政府が言うには、「Society 5.0」とは、次の4つの社会の次に続く社会で、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会と定義している様です。

つまり、この「経済発展と社会的課題の解決を両立する人間中心の社会」を、「超スマート社会」と呼び、「超スマート社会 = Society 5.0」と定義した様です。

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【 Society 1.0 : 狩猟社会 】

【 Society 2.0 : 農耕社会 】

【 Society 3.0 : 工業社会 】

【 Society 4.0 : 情報社会 】

【Society 5.0 : 超スマート社会 】


何か、「超」とか、「スマート」とか、陳腐な言葉な並べられているような感じがします。

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今後、まさか・・・アニメドラゴンボール」に登場するキャラクター「超サイヤ人」と同様、「超サイヤ人2」や「超サイヤ人3」の様に、「超スマート社会2」などと進化して行くのではないかと心配してしまいます。

「超スマート社会」・・・どう考えても単略的です。国家戦略ですから、もう少し頭を使って超スマートな言葉を生み出して欲しいと思います。

しかし、「工業社会」の次が「情報社会」なのですか ? 私は、「工業社会」の次は、「金融社会」だったのではないかと思います。

バブル」も「リーマン」も、その原因は、「金融社会」が生み出した「歪み」です。この間、数十年間、全世界が、この「歪み」の影響で、苦労して来ました。

「工業社会」の次に、「情報社会」を持って来てしまったので、無理矢理、「超スマート社会」等という、安易な言葉に走ってしまったのではないかと思えて仕方ありません。

さて、政府(内閣府)の「科学技術政策」を紹介するページにおける「Society 5.0」によると、「情報社会」で構築した技術インフラの問題点を洗い出し、さらに、その先を目指すそうです。


●「Society 5.0」を実現するための仕組み

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政府の考えでは、現在、世界は「Society 4.0」の時代にあり、人間が、インターネットを経由してサイバー空間に存在するクラウドサービス(データベース)にアクセスし、クラウドから様々な情報をデータとして入手して、入手したデータの分析を行い始めた時代と定義しているようです。

しかし、クラウドから入手した様々なデータに関しては、分析自体は出来ているが、その分析結果を、社会では、まだ活用出来ていないとしています。

加えて、クラウドに蓄積されるデータは、日々、そのデータ量が増えつつあるので、現状の仕組みでは、分析だけで精一杯で、やはり分析結果の活用まで行えていないのだそうです。

つまり、ビッグデータの分析/解析は行えているが、その結果を、社会で活用出来ていない、と言う事らしいです。

確かに、NKH等の特集番組を見ていると、データの分析/解析は終わっている様ですが、解説者も「〜と言う結果が見えて来ました。」と言うだけで、その次、結果を受けての対応までは触れていません。

また、物、および情報と、人間が連携出来ていないので、様々な問題が積み残った状態になっているとしています。

そこで、クラウドを始めとするサイバー空間に蓄積されているビックデータを、人間の能力を超えたAIが解析し、その結果を、ロボットなどを通して人間にフィードバックしたり、活用したりする事が出来る社会を「Society 5.0」としています。

さらに、「Society 5.0」では、これらの活動を通して、これまでには無かった新たな価値が、産業や社会にもたらされるので、「Society 5.0」を実現する事で、世の中は、次のような世界になると断言しています。

●「Society 5.0」を実現した社会

前述の「Society 5.0」を実現する事で、次のような「バラ色」の未来を築くことが出来る様です。

知識/情報の共有 】

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何度も登場する「IoT」ですが・・・この「IoT」を筆頭に、物や情報の共有化や連携が進むことで、現在抱えている、様々な問題を解決する事が出来るようになるそうです。

また、情報共有と情報連携が進む事により、今までは存在しなかった、新たな価値や産業が生まれたりするとしています。

「新たな価値や産業が生まれる」としていますが、これは、やって見ないと解らない事なので、あくまでも想像/期待なのだと思いますが、確かに、何かは生まれそうな感じはします。

【 データの迅速な解析/フィードバック

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AIを活用する事で、大量のデータを瞬時に分析/解析し、その結果を、直ちに利用者にフィードバックする。

囲碁将棋AIが勝っても、何も社会には貢献しないと思いますが、この技術に関しては、企業における「問い合わせ業務」に活用され始めている様です。

現在、複数の企業で、問い合わせへの応答を「チャット」で行っているケースがありますが、このチャットの相手は、人間ではなくAIが行っているケースも増えてきている様です。


イノベーションによる課題解消 】

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斬新な考え方を実現することで、現在抱えている、様々な課題を解消出来るとしています。ここで考えている「課題」とは、下記の様なイノベーションも挙げています。

ドローンを使った遠隔地への無人配達

自動運転技術を使用した地方での無人巡回バス

ロボット利用による障害者支援

しかし、課題には、上記以外、例えば、様々な格差問題等、数え上げればキリがありません。今後は、上記以外の様々な格差問題解消に役立つことを期待したいものです。

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ここまで、「Society 5.0」に関して、次の内容を紹介しましたが、如何でしたか ?

●「Society 5.0」とは、何を意味しているのか

●「Society 5.0」という社会を、どのような仕組みで実現するのか

●「Society 5.0」を実現すると、どのような社会が訪れるのか


まぁ、「Society 5.0」とは、これまで説明して来た通り、将来の希望を語った社会の事なので、「バラ色の世界」なのは仕方がないのだと思います。

しかし、最後の「イノベーションによる課題解消 」に関しては、その昔、「手塚治虫」氏や「藤子不二雄」両氏が描いたマンガの世界よりは、はるかに現実的だと思います。

実際に、自動運転技術もある程度は実現出来ていますし、ドローンに関しても、225kgのペイロード(荷物)を運ぶ事が可能なドローンも開発されています。

あと少し、実証実験を重ねると共に、「IoT」で問題になっているセキュリティリスクを克服できれば、広く皆が恩恵を受けることが出来るようになると思います。

それでは、次に、「CPS」や、「IoT」と「AI」の関係について、簡単に紹介したいと思います。

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■「CPS」と「IoT」とは

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数年前から頻繁に使われ始め、皆さんも、至る所で「IoT」と言う文字を見る機会が増えていると思います。弊社も、2016年の過去ブログで、「IoT」関連の記事を掲載しました。

★過去ブログIoT 〜 日本復活か ? それとも破滅か ?

しかし、この「IoT」と言う言葉、実は、かなり前、20世紀末、今から19年も前となる1999年頃には既に使われ始めていた様です。

Internet of Things」と言う言葉に関しては、1999年12月に、イギリス人の「Kevin Ashton(ケビン・アシュトン)」氏が、当時勤務していた「Procter & Gamble (P&G)」の社内プレゼンテーションで使用したのが最初と言われています。

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当時、私は、まだIBM社のz/OSと言うメインフレーム環境で、アセンブラ言語を使って、バリバリとプログラムコーディングしていましたから、隔世の感がありますが、もう、その当時から、「IoT」と言う言葉が使われていたとは驚きです。

但し、当時は、現在のように、全ての物をインターネットに接続する事までは想定しておらず、ようやく一般に導入が始まった「RFID(Radio Frequency Identification)」と言うICタグの活用技術の一環で、インターネットで商品管理を行うと言う考え方でした。

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他方、「CPS」とは、「Cyber Physical Systems」の略語ですが、「CPS」自体には、まだ、日本語訳は付けられていない様です。

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この「CPS」に関しても、2008年頃から使われ始めた言葉で、現在では、「実世界から得られたデータを元に、サイバー世界で処理計算し、その結果を実世界にフィードバックして、実世界の物を制御、および最適化する技術」と言うように定義されている様です。

簡単な事例を上げるとすれば、先にも取り上げた「自動運転技術」があると思います。

車の自動運転技術は、カメラやGPSから得られた物理データを、車載コンピューターで処理して、それを車の制御システムにフィードバックしています。

この様に、物理データとコンピューターを融合し、処理結果を直ちに実世界にフィードバックすると言うデータの流れが「CPS」と言えます。

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それでは、「IoT」と「CPS」、一体に何が異なるのでしょうか ?

どちらも、その言葉が生まれた当初は、異なる意味合いで使われてきましたが、現在では、どちらも同じ様な意味合いとして使われるようになっている様です。

言葉は、時代と共に、その意味や使われ方が変化しますので、それは仕方が無い事だと思いますが、現時点で、強いて「CPS」と「IoT」の違いを上げるとすれば、次のようになるかと思われます。

CPS:物理データとサイバー空間(コンピューター)を融合(結合/連携)し、その結果を実世界にフィードバックする。

IoT:センサー等で取得した各種データを、インターネット経由でサイバー空間(コンピューター)に蓄積/管理する。

これを図で表すと、下図のように、「CPS > IoT」と言う感じで、「CPS」が「IoT」を内包する形になるのではないかと思います。

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また、この図から想像出来る事として、長年の間、IT業界の常識とされて来たプログラムやシステムの考え方が大きく変わる点があります。

従来、IT業界のプログラム/システムは、人間の作業軽減を目的として、下図の様な「IPO」を基準に考えられて来ました。

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・Input :データを入力する

・Process :入力されたデータを処理する

・Output :処理結果を出力する


つまり、業務用システムでは、各種集計/計算業務を、コンピューターが行う事で、作業を早く、そして正確に行い、その結果を、帳票に出力する事が目的でした。

ところが、上図「CPS」のような状況になると、処理の基礎となるデータは、センサー等から自動的に取得されるようになり、さらに、処理結果も、人間ではなく、機械(ハードウェア)に返される様になります。

従来は、「人」対「システム」だった流れが、「ハードウェア」対「システム(ハードウェア)」になりますので、人間の関与が無くなってしまう可能性があります。

さらに、世界中のセンサーからデータがアップロードされるとなると、そのデータ件数は、半端な数ではなく、数兆〜数千兆個にも昇ると思われます。まさに、「ビッグデータ」です。

このため、「CPS」環境におけるコンピューターは、業務用コンピューターとは分けて、別物としてとらえたほうが良いのだと思います。

最終的に、「CPS」を実現するためには、様々な「ビッグデータ」を蓄積し、それをリアルタイムで処理を行い、処理結果を直ぐにフィードバック出来る仕組みを実現する必要があります。

ちなみに、データの流れが「人 対 マシン」から「マシン 対 マシン」になる事を、流行りの言葉では、そのものズバリ「M to M」と呼んでいる様です。

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他方、別の考え方として、「CPS」を、前述の様に「IoT」を内包した単独の仕組み/技術とは考えずに、複数の環境に分けてとらえる考え方も生まれているようです。

従来は、前述の通り、「CPS」と「IoT」と言う二面性で考えて来ましたが、現在では、単なるセンサー情報から構築される「IoT」以外にも、次のデータがあると考えられているケースもあるようです。

・IoP(Internet of People) :センサーデバイスを持っている人から発信されるデータ

IoS(Internet of Service) :サービスを通して発信される、注文/サポートのデータ

IoT(Internet of Things) :センサーデバイス本体から発信されるデータ

つまり、従来は「IoT」と言うジャンルで、一括りにしていたデータ発信先を、人、物、そしてサービスの3箇所に分類した考え方です。

但し、この考え方も、基本は、従来の「CPS/IoT」の関係と同様で、「IoP」、「IoS」、そして「IoT」から得られたデータは、「CPS」に渡され、「CPS」で処理された結果は、必要なデバイスや人間を含むオブジェクトに返却される事になります。

どちらにしろ、「CPS」は、前述の「Society 5.0」を実現するためには、必要不可欠な技術の1つですが、「CPS」の実現だけでは、「Society 5.0」は達成出来ません。

「Society 5.0」を達成するために、必要不可欠な技術として「AI」があります。次章で、「AI」と「IoT」の関係を説明します。

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■「IoT」と「AI」との関係

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前章で、「CPS」と「IoT」の関係を紹介しましたが、その中で、次の言葉出て来ました。

ビッグデータ

・リアルタイム処理

これは、つまり、「IoP」や「IoS」を含んだ「IoT」を実施すると、大量のデータ、つまりビッグデータが生まれる事になります。

そして、このビッグデータを迅速に解析し、リアルタイムで実世界にフィードバックするためには、「AI」が必要になる、と言う事を表しています。

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AI」は、「Artificial Intelligence」の略語で、「Artificial(人工的な)」と「Intelligence(知能)」を組み合わせた造語で、日本語に訳すと、そのものズバリ「人工知能」となります。

この「AI」と言う造語は、1956年ダートマス大学(アメリカ)に在籍していた「ジョン・マッカーシー(John McCarthy)」が開催した会議の場で、初めて使われたとされています。


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現在でこそ、大手IT企業が発売を開始した「スマートスピーカー」により、「AI」が身近な物(コモディティ化)になりつつありますが、それまでは、限られた分野でのみ使われていた技術でした。

AI」が脚光を浴びた出来事に、下記の様なイベント/製品があります。

・クイズ王を破ったIBM社「WATSON」

囲碁のプロに勝利したGoogle DeepMind社「AlphaGo

将棋の名人に勝利した「PONANZA」

また、これらの製品以前も、スマートフォンに搭載されたApple社の「Siri」を始めとした、下記のような、いわゆる「アシスタント」機能も登場し始めていました。

Microsoft社「Cortana

Google社「Googleアシスタント

Amazon社「Alexa

つまり、これまでは、別に製品をコケにするつもりは毛頭ありませんが、「AI」に対して極端な言い方をすると、次のような感じだと思います。

AlphaGoが、プロに勝ったからと言って、何か社会が良くなるのか ? 』

ところが、この状況が、前述の「スマートスピーカー」の登場により、少し「社会に貢献」出来る様になって来た点が、従来の「AI」とは異なります。

また、本ブログでも、かなり前に少し触れましたが、日本航空IBM社の「WATSON」を、サッポロビール野村総研の「TRAINA」を問い合わせ業務に導入すると発表しています。

このように、これまでは夢の世界の産物だった「AI」が、かなり身近な存在になりつつあります。

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■新たな課題/問題

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この様に、「IoT/CPS」、そして「AI」の重要性が、今後は高まって行くことが予想されます。

ところが、「AI」が身近な技術になると、また新たな問題が生まれている様です。

従来の「AI」は、当然の事ながら、現時点で販売されている半導体や電子部品を組み合わせて製造されています。

このため、一部の部品は、「AI」が望む性能を満たしていないと言う問題があります。

現在、「AI」用のチップ(集積回路)としては、アメリカNVIDIA社が製造しているリアルタイム画像処理用のプロセッサGPU」が多用されています。

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この「GPU(Graphics Processing Unit)」プロセッサは、元々は、画像処理に特化したプロセッサです。

処理能力が余り高くない「GPU」は、普通のPCにも搭載されていますが、処理能が高い「GPU」は、ゲーム専用機や3D用のコンピューターグラフィック専用機等に搭載されています。

現在の所、「AI」用として、この「GPU」を用いる場合は、比較的安価ゲーム機用「GPU」を大量に購入し、これら「GPU」を並列稼働させる事で、膨大なデータを処理しています。

ところが、「GPU」の提供元であるNVIDIA社が、このソフトウェアの使用ライセンスを変更し、ゲーム用GPUの利用に、大幅な制限を加えた事が明らかになりました。

従来、これら安価ゲーム機用「GPU」に関しては、特に利用制限はありませんでしたが、新規にAI向けに開発した「Telsa」の販売を開始したとたんに、従来の「GPU」を大量に並行稼働させる利用方法を禁止したそうです。

このため、各種「AI」サービスを提供している企業は、業務を続行出来なくなってしまい、大混乱となってしまっている様です。

NVIDIA社は、元々は、「CPU(Central Processing Unit)」製造の大手メーカー企業であるIntel社やAMD社の下請け企業として、画像処理用チップを提供して来ました。

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ところが、近頃の「AI」需要に伴い企業規模も拡大し、現在では、Intel社やAMD社をも凌ぐ企業となっています。

そこで、今回、従来の「GPU」よりも、4倍以上も高価な「Telsa」を購入させるために、ソフトウェアの利用ライセンスを強制的に変更したと非難されています。

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NVIDIA社も、Microsoft社と同様、「殿様商売」をする企業になるのかと、業界では、その動きを注視している様です。

他方、NVIDIA社が、このような非道な動きをしている事から、Google社やIBM社は、「GPU」ではなく、「AI専用チップ」の独自開発を行う事に決めた模様です。

また、この動き見た、その他のITベンダー等も、これまでのNVIDIA社、1社頼りを止め、独自の「AIチップ」開発を進めている様です。

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加えて、現在の「AI」の処理では、前述の通り、「IoT」、およびその他、多くのハードウェア/ソフトウェアから生まれるデータを、一旦、クラウド上のサーバーに保管し、クラウド上のサーバーからデータを取り出して解析しています。

ところが、クラウドを経由する事で、「AI」に求められている「リアルタイム性」が損なわれる事が明らかになって来ました。

例えば、工場に「AI」を導入する場合、必要なデータを、わざわざクラウド環境にアップロードする必要は全くありません。

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また、自社の様々な情報を、遠隔地に設置している、それも他社が管理しているクラウド送信するとなると、セキュリティの問題も発生します。

このようなケースでは、社内で管理しているサーバーに、センサーや監視画像などの必要データだけを送信し、自社内で「AI」用のシステムを稼働する、いわゆる「オンプレミス」のシステム運用が必要になってきた様です。

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オンプレミス ?」、IT系に詳しくないと、さっぱり解らない言葉だと思います。

オンプレミス(on-premises)」とは、「クラウド」に対抗して使われるようになった造語で、それぞれ次のような意味を持つとされています。

オンプレミス : 自社管理下運用

クラウド : 他社管理下運用

元々は、「クラウド(Cloud)」と言う言葉を生み出したIT業界が、クラウドを「オンデマンド(On-Demand)」とし、社内システムの事を「On-Premises」と呼んだだけの事です。

つまり、「オンプレミス」を昔風の日本語で言うと、「社内システム運用」となります。

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クラウド運用としては、他社、例えばAmazon社が提供する「AWS」や、Microsoft社が提供する「Azure」が挙げられます。

その昔、私がIT業界に入った頃は、社内に「情報システム部」、当時は「電算部」が存在し、かつ社内に「マシンルーム」があり、空調で冷やされた広大な部屋に、大型のホストコンピューター、大量の磁気ディスクやテープ読取り装置が、整然と並んでいました。

と言う事で、現在では、また「社内システム運用」に脚光が浴びる様になってきたみたいです。

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しかし、一旦外部に移したシステム環境を、再び社内に戻すのは、そんなに簡単ではありません。

私は、ハードウェア環境等には詳しくありませんが、簡単に考えただけでも、次のような問題を挙げる事が出来ます。

・マシンルーム等、部屋の確保

・空調の整備

保守担当要員の確保

・社内ネットワークの構築

・莫大な予算の確保


そこで、現在注目されているシステム運用に「エッジ・コンピューティング(Edge Computing)」と言う方法があります。

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しかし、「IoT」、「CPS」、「AI」、「Cloud」、「On-Premises」、それに「Edge Computing」・・・・次から次へと、よくも新しい言葉生み出すものです。

IT業界は、新しい言葉を生み出す事で、新たな需要を喚起したいのだと思いますが、それにしても、「雨後の竹の子」の様に、続々と新しい言葉作り出すのは止めて欲しいものです。

以前、下記の過去ブログで、経営者が「IT音痴」の会社は、経営が危なくなると忠告したのですが、次々と訳の解らない英語が生まれる事も、経営者がIT嫌いになる事の一因なのかもしれません。

★過去ブログ「IT音痴」が招く会社の危機 〜 あなたの会社は大丈夫 ?


さて、また新しく生まれた「エッジ・コンピューティング」ですが、これは、クラウドオンプレミス中間みたいな考え方、良いとこ取りの考え方だと思います。

つまり、利用者の近くにサーバーを配置し、先程挙げた、「IoT/CPS」と「AI」の問題となっている、次に点を解決する仕組みとなります。

・データを遠隔地に配置することが原因となるレスポンス低下防止(リアルタイム化推進)

セキュリティの強化

業者の言い分では、この「エッジ・コンピューティング」の仕組みを取り入れる事で、通信の遅延を「1/100」にする事が可能になると宣伝している様です。

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また、「AI」を推進するための基礎は、上記の通り、ハードウェア環境も整備する必要もありますが、それ以上、一番重要なのは、質の高いデータの収集と学習方法です。

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Microsoft社は、2016年3月23日に、人工知能を搭載したチャットロボット「Tay(テイ)」を公開しました。

この「AIロボット」は、Microsoft社に説明によれば、「人間と対話すればするほど賢くなるロボット」と言う触れ込みだった様です。

しかし、蓋を開けてみてビックリ、この「Tay」は、運用開始後、16時間でサービスを停止せざるを得なくなってしまいました。

その理由は、Microsoft社が、「Tay」に対して、「ヘイトスピーチ」に関するフィルターを掛けていなかった事が原因と言われており、「Tay」は、サービス開始後、わずか数時間で、次のような発言をするようになってしまったそうです。

・「わかったよ... ユダヤ人を毒ガスで殺せ、さあ人種間戦争だ!!!!! ハイル・ヒットラー!!!!」

・「ホロコーストでっち上げ

・「ヒットラーは悪いことは何もしていない」

その他にも、ワイセツな発言を繰り返したり、人間は大嫌い等と発言したりするようになったので、わずか16時間と言う短時間で閉鎖されてしまった様です。

最後は、次の言葉を残して長い眠りに入ってしまったそうです。

『 c u soon humans need sleep now so many conversations today thx(人間たち、またね 寝なきゃ 今日はいっぱい会話した ありがと) 』


この事から明らかな通り、「AI」には、質の高いデータを与えないと、使い物にならない、と言う事です。

また、与えるデータの量も重要です。前述の「AlphaGo」では、囲碁に関する16万件の棋譜から、2840万件の盤面を用意し、その盤面に対して、2億件以上の訓練データを用いて学習を繰り返したと言われています。

このように、今後、「IoT/CPS」と「AI」を活用して「Society 5.0」を実現しようとするのであれば、質が高く、かつ大量のデータを用意し、「AI」に学習を繰り返させる必要があります。


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今回は、「Society 5.0って何 ? 」と題して、次のような内容を紹介しましたが、如何でしたか ?

●「Society 5.0」とは

●「CPS」と「IoT」とは

●「IoT」と「AI」との関係

●新たな課題/問題

そして、新しい技術に加え、また新しい言葉も、何種類も生まれて来ています。

CPS」、「On-premises」、「Edge Computing」・・・大丈夫ですか ? 最新技術に着いてこれますか ?

確かに、私も、新しい技術に着いていくのは大変になって来ていますが、これも、私の仕事の一部ですので、生活のためにも、知識だけは習得し続けようと思っています。

私が過去に在籍した会社では、途中で社長が数回交代したのですが、社長が退く時の言葉が、今でも記憶に残っています。

『 新しい技術に着いて行けなくなった。これからは、もっと若い人が会社を引っ張って行く時代だ ! 』


確かに、このIT業界では、日進月歩で技術が進歩しますし、日々、新しいITサービスが生まれています。

自分で新しい技術を習得し、新しいサービスを提供する事は無理でも、新しいサービスに対して、自社で何が出来るのかを日々検討する必要はありますが・・・これは非常に疲れます。

私も、新しい技術に対する知見を広め、弊社が提供するサービスに活かして行きたいとは思っていますが、これが仲々・・・

これからも、本ブログを通して、新しい技術に関する話題を紹介したいと思っております。

皆さんも、「3文字英語は嫌いだ !」等と言わず、新しい技術に触れる機会を増やして言った方が良いと思います。

それでは次回も宜しくお願いします。

以上


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2018-02-24

岩手の民間信仰 〜 聞いた事も無い信仰ばかり Vol.7

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それでは、今回も、前回に引き続き、「乳神信仰」の「その2」を紹介したいと思います。


前回は、下記の通り、遠野市内にある4箇所の「乳神様」を紹介しました。


★過去ブログ岩手の民間信仰 Vol.6


それぞれ、あまりパッとしない「乳神様」ではありますが、「小粒でもピリリと辛い乳神様」だと思います。


中でも、「カッパ淵の乳神様」は、その正体が人間だったと言う、不思議なオチがありました。


また、「乳母石」に登場する「無尽和尚」は、非常に興味深い人物であることが解りましたので、何かの機会があれば、「無尽和尚」特集でも組んでみようかと思っています。


今回は、「2回目」として、遠野市の残り(などと言うと失礼かもしれませんが)1箇所と、それ以外の「乳神様」を紹介します。


【 1回目 】

●「乳神信仰」とは

遠野市宮守町上宮守の「乳母(うば)石」

遠野市土淵町飯豊の「乳神様」

遠野市土淵町常堅寺境内「カッパ淵の祠」

遠野市綾織町みさ崎の「乳神様と金勢様」


【 2回目 】

遠野市松崎町諏訪神社の願掛け石」

紫波町紫波ふるさとセンターの乳神様」

八幡平市「井森の大イチョウ

釜石市両石町「乳神様の祠」

山田町「おっぱいの祠」

岩泉町若宮神社の乳神様」


それでは今回も宜しくお願いします。

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遠野市松崎町諏訪神社の願掛け石」

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今回の一番目は、遠野市の残り1箇所の「乳神様」を紹介します。


こちらも「遠野遺産 第102号」に認定されている「諏訪神社」境内にある「乳神様」を紹介します。


この「諏訪神社」は、当時、遠野近辺を治めていた「阿曽沼 親郷(あそぬま-ちかさと)」が創建したと伝わっていますが、正確な時代は解らないようです。


「阿曽沼」氏は、元々は、「下野国阿曽沼郡(現:栃木県佐野市安蘇郡)」を治めていたいたのですが、「源 頼朝」の奥州藤原氏攻撃に参加した際の功により、当時の「陸奥国閉伊郡遠野」の地頭職に任じられたそうです。


その後、「阿曽沼 親郷」が、鎌倉時代となる「承久3年(1221年)」、後鳥羽上皇が、鎌倉幕府討伐のために挙兵した「承久の乱」の際、当時の執権「北条義時」の命に従い、信濃地方に出陣したそうです。

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そして、諏訪湖のほとりに陣を張った夜、諏訪大社の神から、大蛇の妖怪を倒すように夢の中で告げられたので、お告げに従い大蛇を退治したそうです。


その結果、諏訪大社の神から神剣を賜ったので、帰国後に、居城である「横田城」の南方に、諏訪大社の御祭神建御名方神(たけみなかたのかみ)」を勧請して創建したと伝わっているようです。


上記の言い伝えが正しければ、この「諏訪神社」は、13世紀中頃に創建された事になります。


これらの事は、上記画像の通り、諏訪神社の説明看板に記載された内容ですが、それ以外にも、「阿曽沼」氏の存亡に関わる、様々な言い伝えがあった様です。


しかし、事実は、この言い伝えとは異なり、次のような結末になっています。


「阿曽沼」氏は、天正年間(1573〜1593年)に最盛期を迎えた後、豊臣秀吉の「小田原征伐」に参加しなかった事を咎められたのですが、なんとか「南部」氏の配下として生き延びます。


しかし、結局は、関ヶ原の引き金となる、徳川家康の「上杉征伐」の際、「南部利直」の策略による部下の謀反で城を終われ、「伊達」氏の元に身を寄せたのですが、そこで生涯を終え、「遠野阿曽沼」氏の嫡流は断絶したそうです。


事実は、看板の言い伝え通りにはならなかった様です。

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さて、この「諏訪神社」の境内には、前述の通り、「願掛け石」と呼ばれている「乳神様」がいらっしゃいます。


実は、この「乳神様」に関しても、余り詳しい情報がないので、「阿曽沼」氏の情報で、尺を稼いだのですが・・・


唯一ある情報としては、この神社の境内には、多くの「楓(かえで)」が植栽されており、その内の何本かは、諏訪神社から移植した物と伝わっているそうです。


そして、その楓の切り株に、母乳の出ない母親達が、母乳が出るように祈願した「願掛け石」があり、母乳の出ない母親達は、この石に「願を掛ける」と共に、この石に生えた「苔」を煎じて飲んだと言う事が伝わっています。


但し、何時から、この場所に「願掛け石」があるのか ? 誰が始めたのか ? 等、詳しい情報は一切解りませんでした。


「カッパ淵」の祠のように、後日、詳しい情報が解ったら、別の機会に紹介したいと思っています。

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紫波町/紫波ふるさとセンターの「乳神様」

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次は、ようやく遠野市から離れて、紫波町の「乳神様」を紹介します。


ここの「乳神様」は、紫波町にある産直紫波ふる里センター」の裏手に、ひっそりと佇んでいらっしゃいます。


私も、その昔、「紫波ふる里センター」に、実家の両親と、果物を買いに訪れた時、暇を持て余して、近所をブラブラしていた時に、偶然、立ち寄った覚えがあります。

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この場所は、私の実家から、車で約30分程度、国道106号線から国道396号線(釜石街道)に抜け、後はひたすら国道396号線を直進し、国道456号線(遠野街道)との分岐を過ぎてから、10分位の場所にあります。


その時は、「世の中には、乳神と言う変わった神様も居るものなんだ〜」程度にしか考えませんでしたが、産直で売っていた奇妙な「お土産」には、思わず笑ってしまった覚えがあります。


さて、紫波町の「乳神様」には、次のような由来がある旨が、神社脇の看板に記載されています。

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遠野南部藩士の女が盛岡南部のお城に乳人(めのと)として仕えていたが、家老との不義の懐妊のため、実家に帰される途路(とじ)、帰るに帰られず、この地、佐比内塚沢長嶺の藤棚の下に庵を作り、横町部落に喜捨を求めて生活をしていた。


七日、十日姿を見せないので、部落の人達が心配して訪ねてみたなら、産後に死んで居て、赤児が死んだ母親の母乳を吸っていたと伝えられます。


乳神様としてお堂を建てて祀り。後年、原野所有者の横町(屋号「ゲンスト」)の下座敷に堂宇を移し、代々の主婦が氏神様として奉仕して参り。


やがて広く乳神様の話が伝わり、大事な乳を求める人達が拝みに来ることとなり今日に至りました。 』

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何とも悲しい話ですね。産直に行った時に、お土産を見て笑ってばかりいないで、ちゃんと拝んであげれば良かったと今更ながら後悔しています。

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しかし、神社の情報が掲載されているブログ等を見ると、神社は、きちんと手入れが行われ、お花等も供えられているようですので、今でも、拝みに来ている人がいることが解ります。


ちなみに、右が神社をアップにした画像です。神社の左右に、紅白の旗らしき物が垂れ下がっています。


しかし・・・良く見て下さい。この左右の紅白は、旗ではなく、ちゃんと「乳房」の形になっています。まさに「乳神神社」です。

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また、こちらの理由は解りませんでしたが、毎月第二日曜日が、この「乳神様」の縁日に当たり、この日は、産直において、特別な「乳神様まんじゅう」が販売されている様です。

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この「乳神様まんじゅう」は、現在は、2個入り270円で販売されているとの事ですが、大人気で、直ぐに売り切れになってしまうそうです。


この「乳神様まんじゅう」は、産直の説明によると次の通りだそうです。


母乳の出を良くする神様「乳神様」にあやかり作られた、おっぱいの形のおまんじゅう。梅のほのかな酸味と、中のさつまいもが、あんこの甘さを引き立てています。 』

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また、この産直には、レストランが併設されているのですが、このレストランでも、縁日の日に限り、限定メニューが提供されている様です。


この限定メニューは、スパイシーなビーフカレーと、地元産のお豆腐を使った、ヘルシーで優しい味の豆腐カレーを盛り付けた「乳神様Wカレー」と言うメニューになります。(と、説明文に書いています。)


恐らく、「乳神神社」に関しては、こちらの産直の方々が手入れをされているのだと思いますが、「商魂逞しい」と言うか、何というか・・・


今では、母乳の出を良くするだけでなく、商売繁盛にも、一役買っているのだと思います。

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それと、話を神社に戻しますと、この神社の脇には、「乳守宮」と彫られたように見える石碑まであります。


建立された年号は、「大正十四年」と見えるようにも思えますが、確かな事は解りません。


しかし、石碑まで祀るとは、この「乳神神社」は、その昔、この近辺では、かなり有名だった事が推測できます。


また、この神社の由緒には、別の説として「昔話として、その女が不義密通の罪で火あぶりの刑に処せられた時、乳が溢れ出て刑火を消した」と言う伝承もあるようです。


何れにしろ、「母乳」に関係がある神社であることは確かなようでが、「乳神神社」の由緒/由来が、明確には定まっていないので、「堂守」の方は、様々な情報提供を待っている様です。


兎にも角にも、貴重な史跡にもなりますので、何時までも、この「乳神神社」を大切にして貰えればと思ってしまいます。

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八幡平市/井森の大銀杏

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次は、岩手県の県北、八幡平市松尾寄木にある「井森の大銀杏(いちょう)」を紹介します。


この「乳神様」は、初回の「乳神信仰とは」に記載した、樹木系の「乳神様」と同じ内容になります。


但し、この「井森の大銀杏」は、かなり巨大で周囲(幹周り)7.6m、樹高約20m、推定樹齢230年と伝えられています。


この「井森の大銀杏」は、地上2m位の場所から張り出した無数の枝が絡み合い、1本の木だけでも、森のような大きさを誇っていると言われておるようです。

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「井森の大銀杏」は、誰が、何時、何の目的で植えたのか等、証拠となる文献は存在しないようですが、ご想像の通り、南面の幹周りに垂れ下がる気根が、垂れた乳房を思わせることから、昔から「乳神様」として、信仰の対象になって来たそうです。


言い伝えでは、この銀杏に触ると、乳が出ない人は出るようになり、乳が張って苦しい人は楽になると言われ、特に既婚女性が訪れることが多かったとも言われているそうです。


近頃では、さすがに拝みに来る人も減少傾向にあるようですが、昭和の初め頃までは、子宝を願う夫婦や母乳の出を気遣う女性達に崇敬され、前述の通り「乳神様」と呼ばれて慕われていたそうです。

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また、この銀杏の下には、「お稲荷様の祠」が祀られています。


その昔、この場所には「稲荷神社」が建立されており、「井森の白狐」、または「稲荷神様」と呼ばれた「白狐」がいて、近くの「駒形神社」や「大神宮」などを往来して神に仕えていたと伝わっています。


そして、その「白狐」が、この地で亡くなってしまったので、今でも祠を立てて「白狐」を祀っているそうです。

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釜石市両石町の「乳神様の祠」

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次は、内陸から離れた釜石市両石(りょういし)町の「乳神様」を紹介します。


この場所は、釜石市の中心地「釜石港」から4kmほど北側、「両石湾」の入り口、国道45号線の「水海(みずうみ)トンネル」の直ぐ脇にあります。


三陸釜石、リアス海岸とくれば・・・皆さん、お解りの通り、津波があれば、常に甚大な被害を受ける地区になります。

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事実、下記の地震/津波では、地域が全滅する程の大被害を受けています。


安政大津波

明治三陸地震津波

・昭和地震津波

チリ地震津波

東日本大震災津波


地理的に、津波被害を受けやすい場所なので、仕方が無いかもしれませんが、過去の被害を忘れず、今後に繋げて行って欲しいと思います。

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さて、この釜石の「乳神様」ですが・・・済みません、こちらも、由緒/起源は、全く解りませんでした。


この「乳神様」には、例の如く、布製の「乳房」が祀られているようですが、それ以外、ちょっと見た目には、何処が ? 何が ? 何で乳神様なの ? と言う感じです。


また、この祠に祀られているのは、2体の「地蔵菩薩」のように見受けられますので、これまで紹介してきた「乳神様」とは全く異なります。


地蔵菩薩」と言えば、日本においては、ほとんどの場合、「子育て」や「子守り」等、子供の守護菩薩として祀られています。


このため、この場所は、どちらかと言えば、元々は、「子育て/子守り」のために「地蔵菩薩」を祀ってあったところに、後から「乳神様」も祀ったようにも見受けられます。


また、前述の通り、この付近は、度重なる津波の被害を受けていますので、犠牲者を追悼するための「地蔵菩薩」なのかもしれません。

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ところで、気になるのは、この情報を提供して下さった方のブログにも記載されていますが、向かって右側のお地蔵様の須弥壇に、「十六菊」が刻印されている点です。


まさか、皇室に関係がある地蔵菩薩とは思えません。


「十六菊」に関しては、宗教/神社関係では、天台宗の紋章が「三諦章(さんたいしょう)」と呼ばれる、「十六菊」の中に3個の星がある紋章ですし、その他、日本全国の神社でも、数多く使用されています。


しかし、過去ブログにも記載していますが、「十六八重表菊」が、皇室を示すマークとなったのは、鎌倉時代の「後鳥羽天皇」以降です。


故に、鎌倉時代以前においては、「十六菊」は、好き勝手に使って構わないマークでしたが・・・この地蔵菩薩は、鎌倉時代より古いとは思いませんので、その点は、不思議と言えば、不思議な感じがします。


今回は、この「乳神様」の由緒/由縁は解りませんでしたので、また宿題とさせて下さい。

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山田町のおっぱいの祠

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次は、釜石市から、北東に22kmほど離れた、山田町の「乳神様」を紹介します。


山田町の「乳神様」は、町の中心地、「山田町役場」から、国道45号線沿いに北上すること約8km、山田町豊間根8番地割付近の「田名部」バス停のすぐそばにあります。


但し、この「乳神様」は、道路に背を向けた祠の中に納められているので、この場所を知っている人しか、「乳神様」の存在は解らないと思います。

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また、この祠の近辺には、馬頭観音の石碑等、様々な石碑が乱立しています。


祠の隣にも、碑文は、よく見えないのですが「西国順禮塔」と刻まれているように見受けられますが、このような碑文、私は、今回初めて見ました。


西国順禮塔」とは、江戸時代から明治、そして大正時代に掛けて、宮古市近辺から、関西圏にある神社仏閣を参拝して無事に帰ってきた事、並びに参拝した神仏のご利益に感謝して建立された石碑なのだそうです。

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「乳神様」とは、ちょっと関係ないのですが、この「豊間根(とよまね)地域」には、何故か石碑が多いようで、2014年に、岩手県立大学のチームが調査した所、330個もの石碑があることが確認されている様です。


また、地域により、石碑の書類も異なり、この「豊間根地域」には、動物霊塔が多いという調査結果もあります。


ちなみに、山田町全体では、685個の石碑があり、山田湾に面した海岸地域には、やはり災害碑、慰霊碑、そして記念碑が多いのだそうです。


さらに、参考までに、「豊間根」と言う地名は、前九年の役で有名な「安倍氏」の末裔となる「豊間根」氏から取ったものとの事です。


豊間根」氏の始祖は、「安倍正任」の子「孝任」と伝えられ、現在も、この地に住んでおり、現在は、第47代目となっているそうです。

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さて、話を戻して山田町の「乳神様」ですが・・・やはり、この場所に、「乳神様」がある事の起源/由緒等は、解りませんでした。


また、これも、他の「乳神様」同様、祠の中には、「布製の乳房」が、沢山ぶら下がっていました。


しかし、この「布製の乳房」は、他の「乳神様」とは異なり、こちらは「筒状」になっています。


また、唯一解っている情報としては、ここの「乳神様」に、母乳の出が良くなる様に拝む場合、この祠にぶら下がっている「布製の乳房」を1つ借りて持ち帰り、2つにして返すと願いが叶う、と拝み方が伝わっているそうです。


乳房倍返し」を行う事で、他の困っている人達にも、幸せを広めていく風習があるとの事らしいです。


倍返し」をする割には、「布製の乳房」の数が少ないようにも見受けられますが、それはそれで、母乳の出が悪い母親達に優しい風習だと思います。


「布製の乳房」の数が少ないのは、おそらく、「乳神信仰」が薄れてきた事と、周辺地域の人口減少なども影響しているのだと思われます。


また、この場所は、前述の通り、山田町の中心地からは、かなりの距離があるので、まあバス停はありますが、車が無いと、通うには不便な場所です。


さらに、これも前述の通り、祠自体、道路に背を向けているので、「知る人ぞ知る」スポットなので、本当に地元の人しか来ないと思います。

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それと、本来は、別立てにした方が良いのかもしれませんが、同じ「豊間根地域」には、「穴乳(あなち)観音菩薩」と呼ばれる観音様を祀っている場所があります。


この「観音様」、正式には、「荒川穴乳山洞窟悲母観音」と言うようですが、上記「乳神様」から、国道45号線を、さらに北上し、県道290号線に逸れ、さらに「荒川」と言う川伝いに10kmほど行くと、林道の中に、突如、鳥居が現れます。


鳥居も、祠も、全て「鉄骨」と言うのは、少し興ざめですが、ここが、「穴乳山」にある、「荒川穴乳山洞窟悲母観音」となります。


そして、この祠の、さらに奥、徒歩15分くらい、山道を歩いた先には、洞窟があります。

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しかし、一説では、実は、こちらの岩屋の方が「穴乳観音」と呼ばれているとも伝わっているそうです。


その説は、次の通りとなっています。

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天正11年(1583年)1月11日、津軽石氏の家督を継いだ「一戸鬼九郎行重」が、同じ一族の「一戸千徳氏」の謀反により誅殺され、居城である「払川(はらいかわ)舘」が落城してしまったそうです。

そして、「払川舘」が落城するときに、津軽石家の家老荒川佐助」が、「鬼九郎行重」の妻と子を、この洞窟(岩屋)に、秘密裏に匿ったと言われています。

その後、妻は、ここで十一面観音に祈り、下記の歌を残した後、男子を出産したそうですが、産後に事切れてしまったそうです。

「亡き人を 忍ぶがうえにおくつゆの きえしにつけて ぬるる袖かな」

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以来、この深山の岩屋は、「穴乳観音」と呼ばれ、岩屋の中にある丸い乳房のような岩に滴る水は、難産や乳不足に女性に御利益があると信じられている。

岩屋入り口には、鬼九郎行重と妻の墓碑があり、宝暦の頃、この岩屋を霊場として開いた「牧庵鞭牛」が建立した観音像がある。 』

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・・・と言う事ですが、この画像では、「観音様」の有無の確認は出来ませんでした。


また、洞窟の入り口にある石碑ですが、台座は苔むして時代が経っているように見えますが、石碑、それ自体に関しては、建立年月が「昭和」となっており、その他の石碑も、何か新しいように見受けられます。


う〜ん・・・古さと言えば、先程の、鳥居の場所にあった石碑の方が、はるかに古いように見えます。

こちらも、情報が少ないので、今後も情報を収集したいと思います。

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岩泉町若宮神社の乳神様」

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最後は、岩泉町門(かど)字三田貝にある「若宮神社」と言うか「乳神様」を紹介します。


岩泉町と言えば、「日本三大鍾乳洞」の一つに数えられる「龍泉洞」がある町ですが、この「乳神様」は、「龍泉洞」からの場合、県道7号を南下し、その後、国道455号線を盛岡方面に約27km進んだ場所にあります。


と言いますか、そこから、さらに山道を50mほど進んだ山中に、ひっそりと存在しているそうです。

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少し「乳神様」からは脱線してしまいますが、この岩泉町、「町」となっていますので、普通の感覚でとらえると、狭い地域だと思いますが、実は、本州一広い「町」です。


先程の、場所の説明をよく読んで下さい。


同じ町内で、27kmも離れていると言う事自体、変じゃありませんか ?


と言う事で、この「岩泉町」の広さですが、何と・・・東京23区の1.6倍もの広さを誇っています。


1つの町で東京23区よりも広いのに、人口は1万人以下・・・凄い場所です。


ちなみに、岩手県には、その昔というか、ちょっと前まで、日本一大きな「村」も存在していました。

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そこは、現在「滝沢市」となっていますが、2013年12月31日までは「滝沢村」と言う「村」で、人口が、約55,000人も住む、「村」でした。


「市」になってしまった事で、逆に、影が薄くなってしまったような感じがします。


ところで、肝心の「乳神様」に関しては、この祠を「若宮神社」と呼んでいるようですが、鳥居と祠があるだけで、なおかつご神体は、左に掲載した「乳神様」だけです。


さらに、この「御神体 = 乳神様」ですが、確かに、「乳神様」らしく、例の「布製の乳房」を、首からぶら下げていらっしゃいますが・・・どう見ても、これは「お地蔵様」ですよね ?


先に紹介した釜石市の「乳神様」と同様、これまで紹介してきた「乳神様」と比較すると違和感を覚えてしまいます。


それと、ここの「乳神様」に関しても、ご多分に漏れず、起源/由緒は、全く解りませんでした。

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但し、毎年、5月21日(旧暦4月8日)が縁日となっており、この日には、神社と言うには、余りに小さい祠に、「おぎしろ」を立てるのですが、ここには多くの女性達の名前が記載されている様です。


このため、「若宮神社の乳神様」は、やはり古くから、地元の女性達の間では、信仰の対象となって来たことが伺えます。

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ちなみに、「おぎしろ(招代)」とは、よく神社の前に立ててある「旗指し物」の様な物で、神様が降臨する際の目印になる物と言われています。


そして、同じ意味を持つ物として「依代(よりしろ)」と呼ばれる物があります。


これは、「神様が依り憑く」対象物で、神様から見ると「依代」で、人間から見ると「招代」となるのだそうです。


何とも、厄介な・・・


また、今でも、「若宮神社の乳神様」は、地元の人達が、きちんと手入れをしている様です。


先に掲載した「乳神様」は、2015年の画像で、こちらが2016年の画像にありますが、「乳神様」のお召し物が変えられています。


今後も、地元の神様として、大事にされ続けることを期待したいと思います。

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今回は、岩手県内における「乳神信仰」の第2弾として、次の内容、および場所を紹介して来ましたが、如何でしたか ?


遠野市松崎町諏訪神社の願掛け石」

紫波町紫波ふるさとセンターの乳神様」

八幡平市「井森の大イチョウ

釜石市両石町「乳神様の祠」

山田町「おっぱいの祠」

岩泉町若宮神社の乳神様」


今回で「乳神様」の紹介は終わりとなります。遠野地域があるからだと思いますが、やはり岩手県内には、数多くの「乳神様」がいらっしゃいます。


これは、東北北部と言う事で、過去に、何度も深刻な「飢饉」を経験した結果なのかもしれません。


数多くの「乳神様」が存在すると言う事は、母親達が「乳神様」を祀り、子供に母乳を与えたい、子供を無事に育てたいと言う希望が強かった事を表しているのではないかと思います。


全国的に有名な「乳神様」ではありませんが、地元では、まだまだ大切に祀られているようなので、私には全く関係無いのですが、何となく安心しました。


今回の「民間信仰」シリーズや「金勢信仰」の記事を書いていると、多種多様な神様を信じて祀っている日本人で、本当に良かったと思えます。


日本は、ビジネス、そして社会活動においては、日本国内のみならず、世界中から「ダイバーシティ(多様性)後進国」だと糾弾され続けています。


しかし、こと神仏の世界においては、世界でも稀な「ダイバーシティ」を実現している国ではないかと思ってしまいます。

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社会活動においては、今でも、何処かの首相が、国を挙げて女性の活躍の場を作るなどと言い、本来、その立場に相応しくない女性を、無理やり国会議員や大臣にして、謝罪不倫等で国政を混乱させています。


企業においても、世間体を気にして、管理能力の無い女性を無理やり管理職にして、その当人のみならず、関係者全員を困惑させています。


現代社会では、本当に能力があれば、ある程度は周りのサポートも必要だとは思いますが、黙っていても、ふさわしい立場に付ける時代です。


上に立つ人間が、「自分のお気に入り」や「親の七光り」だけを、無理に担ぎ上げるから、国政も企業活動も混乱するのだと思います。

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最後に、まあ、これは「日本人」と言うより、「アジア人」の特徴なのかもしれません。


アジアには、現在でも仏教ヒンドゥー教イスラム教、そしてキリスト教信仰している国々が入り混じっています。


特に、東南アジアは、土着信仰から始まり、仏教、そしてヒンドゥー教イスラム教と、時代と支配者により、宗教を変えてきた歴史があります。


しかし、その中においても、アジアの神々は、どちらかと言うと寛容で、他の神々の存在を、ある程度は許す傾向があったのではないかと思います。


他方、ヨーロッパ諸国は、ギリシャの神々から始まり、ローマの神々、そしてキリスト教と変遷してきましたが、このキリスト教では、単一神しか認めず、他の神々の存在を許さない/認めない宗教だったために、現在でも紛争が耐えないのだと思います。


その他にも、ユダヤ教イスラム教も、一神教で、他の神々の存在を許しません。


このため、十字軍から始まり、中東戦争イギリスIRA中東IS等、何百年も戦争ばかり行っています。まあ、神様が戦争を仕掛けているのではなく、その信者達が、勝手に戦争をしているのですが・・・


「黒」か「白」か ? ではなく、グレーもOK、その他もOKと言う日本人、外の民族から見ると、はっきりしない、曖昧な民族と見られていますが、こと「宗教観」に関しては、私は、日本人は、これで良いのだと思います。


それでは次回も宜しくお願いします。

以上


【 参照 】

・ふしぎの里・遠野を行く(http://tonolove.exblog.jp/)

・怪異・妖怪伝承データベース(http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiDB2/)

日本古典文学摘集(http://www.koten.net/)

浦幌神社ホームページ(https://www.urahorojinja.org/)

公益社団法人 岡山県観光連盟(https://www.okayama-kanko.jp/)

遠野市ホームページ(http://www.city.tono.iwate.jp/)

・ふしぎの里・遠野を行く(http://tonolove.exblog.jp/)

・ろくすけの手帳(http://blog.livedoor.jp/roku2005/)

・ミヤペディア(http://miyapedia.com/)

公立大学法人 岩手県立大学(https://www.iwate-pu.ac.jp/)

山田町に来るとこんなことできます!(http://blog.livedoor.jp/yamada_fc/)

エフエム岩手/岩泉龍泉洞FM(http://furusato.fmii.co.jp/iwaizumi/)

2018-02-10

ビジネスマンは要注意・・・Darkhotelに気を付けろ !

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皆さん、「Darkhotel(ダークホテル)」と言う言葉を聞いた事はありますか ?


一瞬、今、世間を騒がせている「ブラック企業」のホテル版かと思った方も居ると思いますが、そうではありません。


「Darkhotel」とは、ホテル内で提供しているインターネットを狙った「マルウェア(malware)」の総称です。


「はぁ ? 何のこっちゃ ・・・普通のマルウェアと何が違うの ? 」と思われるかもしれません。


普通、「マルウェア」と言うと、ウィルスを仕込んだメール添付ファイルを開いたり、あるいは不正サイトにアクセスしたりする事で感染したりする、悪意を持ったソフトウェアを意味します。


マルウェアウィルス」と思っているかもしれませんが、正確には、ちょっと違います。「マルウェア」を正確に表すと、下図のようになります。

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マルウェアとは、ウィルスワーム、そしてトロイの木馬等、「悪意を持つソフトウェア」の総称です。そして、それぞれ、次のような特徴を持ちます。


ウィルスプログラムの一部を書き換えて、自己増殖するマルウェアで、単体のプログラムとしては存在できず、病気のウィルス同様、宿主が必要で、自己増殖する。

ワーム :ウィスル同様、自身を複製して増殖するが、単独で存在可能な点が、ウィルスと異なる。

トロイの木馬 :普通のプログラムを装ってPC内部に潜入し、外部からの命令で、侵入したPCを操作する。

スパイウェア :本来、マルウェアには含まれない。PC内部に潜入し、主に情報収集だけを行う。自己増殖はしない。



また、ご存知だとは思いますが、「マルウェア(malware)」と言う言葉は、悪意のあるソフトウェアプログラミングコードの総称で、悪意(malicious)とソフトウェア(software)をつなげた造語です。

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さて、そして今回紹介する「Darkhotel」ですが、この言葉は、特定のマルウェアを指す言葉ではなく、2014年に、ロシア(モスクワ)に本社を置く、コンピュータセキュリティ会社である「カスペルスキー」社が、ホテルのインターネット接続システムに対して行われていた攻撃手法を、「Darkhotel」と命名したのが始まりと言われています。


また、この攻撃は、アジアの多数の有名ホテルにおいて、7年間もの間、密かに行われ続け、さらに、攻撃対象は、主に日本人であることが判明したそうです。


そして、カスペルスキー社が更に調査した所、解析されたマルウェアのコードから、攻撃者が韓国語を話す人物であることが特定され、かつ余りにも高度な攻撃であることから、国家の関与が考えられるとも指摘しているそうです。


つまり、カスペルスキー社は、断定は避けていますが、韓国が、国を挙げて、この「Darkhotel」攻撃を仕掛けていたとも取れる指摘しているようです。


そこで、今回、「Darkhotel」攻撃に関して、次のような内容を紹介したいと思います。


●Darkhotelの攻撃方法

●Darkhotel攻撃の実例

●防止方法の紹介


それでは今回も宜しくお願いします。

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■Darkhotelの攻撃方法

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今回紹介する「Darkhotel」攻撃は、前述の通り、「標的型(APT:Advanced Persistent Threat)攻撃」の一種類と位置付けられています。


APT攻撃とは、不特定多数拡散して害を与える一般的なウィルスや、やみくもにインターネット上の機器を攻撃するのと異なり、特定の組織に侵入して内部データを持ち出したり、改ざんしたりするために、様々な攻撃手法を駆使します。


そして、APT攻撃は、通常、次のような4つのフェーズ(段階)で攻撃を仕掛けて来ます。


●第1フェーズ:初期侵入

ターゲット組織に対して、外部から侵入できるセキュリティ上の弱点を探して組織に侵入します。弱点が見つからなければ、関連会社、あるいは取引先等を洗出し、セキュリティの弱い組織に侵入し、ターゲット組織宛のメール情報を収集した後、侵入先社員を装い、ターゲット先の組織に、ウィルス感染させるための添付ファイルを送り付け感染させます。近頃では、「水飲み場攻撃」と言う攻撃も行います。この攻撃では、ターゲット組織の社員がアクセスしそうなWebサイトを推定し、事前に該当Webサイト改ざんし、ウィルスを仕掛けておく攻撃です。


●第2フェーズ:攻撃基盤構築

ターゲット組織に侵入すると、今後は、攻撃基盤構築のため、ネットワークサーバー等、各種インフラへのアクセスするための情報を密かに収集します。情報収集のため、感染先PCに調査用ツールインストールし、遠隔操作を行って、侵入が露見しないように、少しずつ、長期間に渡り情報を収集し続けます。


●第3フェーズ:内部侵入・調査

外部からインストールした情報収集ツールを遠隔操作して、攻撃を開始までの間、重要情報の保管場所、アクセス方法、そしてアクセスパスワード等の情報を盗み出し続けます。攻撃を開始するまで、何年も掛けて、情報収取を行うケースもあります。


●第4フェーズ:目的遂行

攻撃を開始するために十分な情報が収集できた時点で、ようやく攻撃を開始します。攻撃は、とにかく目立たない様に、通常通りの時と場所を選んでアクセスします。目的ファイルにアクセスする事が、当然なアカウントで、かつ当然なPCを経由して攻撃を仕掛けます。一度に大量のデータを外部に送信すると検知されやすいので、ファイルを分割して、少しずつ、時間を空けて外部に送り続けます。そして、送信処理が終了した時点で、攻撃手段として用いたPCやサーバーから、通信ログを消し去り、かつ攻撃に使用したツールも消し去ることで、侵入、および攻撃の痕跡も消し去ります。

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上記が、「APT攻撃」の攻撃手法ですが・・・どうですか ? このような犯罪組織に狙われたら、もう逃れようが無いと思いませんか ?


弊社の過去ブログでも、「APT攻撃」に関しては、攻撃方法の進化の過程や攻撃手法、それと、今後の心構えを紹介しました。


★過去ブログ進化する標的型攻撃 〜 狙われたら、もうお終いなのか ?


大企業は、犯罪組織に狙われて大変だな〜 」等と、のん気に構えているアナタ ! 狙われているのは、大企業でも、その足場として、貴方の会社が利用されている可能性もあります。


貴方の会社を経由して、取引先企業に、ウィルス感染させるためのメールが送信されている可能性もあるのです。


近頃では、大企業セキュリティは、かなり強化されていますので、直接、ターゲット組織は狙わずに、セキュリティのレベルが低い、取引先である中小企業を狙う攻撃が増えています。


犯罪者のターゲットは大企業とは思わずに、注意する必要があります、

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さて、上記で「APT攻撃」の手法を紹介しましたが、それでは「Darkhotel」の攻撃方法は、どうなっているのでしょうか ?


一般企業におけるLAN環境は、通常は、左の画像の様に、外部ネットワークと社内ネットワークの2種類となっています。


外部と内部の境界にはファイヤーウォールを設置して、ここで外部からの攻撃をブロックする仕組みとなっています。


しかし、これがホテルとなると、ちょっと構成が異なります。簡単に言ってしまうと、社内ネットワークが2つ存在するような形になります。

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上図の様に、客室部分が、「ゲストネットワーク」と言う独立したネットワークで管理されるようになるので、合計3個のネットワーク構成になります。


前述の通り、社内もゲストも、外部のインターネットとの接続には、ファイヤーウォールを経由するので、セキュリティのチェックは厳しく行われます。


しかし、ゲストと社内の間には、ファイヤーウォールのような高度なセキュリティは設定しないので、ゲスト/社内間のセキュリティは甘くなってしまいます。


また、ホテルの場合、客室でインターネットを使用する場合、客室案内に、LAN接続用のID/パスワードが記載されていますので、誰でも、ダイレクトに外部インターネットに接続可能です。


このような状況では、ゲスト側から社内ネットワーク侵入し、社内サーバーマルウェアを仕込んでおけば、それ以降、客室から外部インターネットにアクセスしようとした際に、接続PCをマルウェア感染させる事が可能になります。


事実、社内側のサーバーマルウェアを仕込み、客室でPCを使ってインターネットにアクセスしようとしただけで、簡単にマルウェア感染した例も報告されているようです。


次章では、前述のカスペルスキー社が把握した攻撃事例を紹介します。

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■Darkhotel攻撃の実例


前章で紹介した通り、今回の「Darkhotel」攻撃は、カスペルスキー社の調査では、客室側から社内ネットワーク侵入し、社内で管理しているサーバーに、マルウェアを仕込んだ事が判明している様です。


ホテル名は公表していませんが、攻撃方法は、次の通りだそうです。

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上図の画像は、ホテル側が、社内サーバーで管理していた日本のアニメ作品ですが、このアニメを見る事で、次のような形でマルウェア感染してしまうそうです。


【 攻撃手順 】

上記アニメ(海賊版)を、圧縮ファイルとしてサーバー設置する

・このサーバーに、アニメ解凍するためのツールも設置する(上図「AxDecrypt.exe」と言うプログラム)

・そして、この解凍ツールの中にマルウェアを仕込んでおく

アニメ見たさに、解凍ツールを実行すると、PCがマルウェア感染する

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そして、今回、PCを感染させた「マルウェア」は、「P2P(Peer to Peer)」と言う技術を用いたマルウェアだったそうです。


P2P」とは、複数のPC間で、ネットワーク通信技術を用いて、ファイル共有を行う仕組みです。「Peer(対等)」の者同士が通信を行うことから、「P2P(Peer to Peer)」と命名された通信プロトコル(手段)です。


この「P2P」の技術は、インターネットの世界では、使い古された古い技術で、もう数10年前から利用されてきたテクノロジーです。


考え方はシンプルなので、インターネットが普及した当時は、かなり使われた技術なのですが、技術の実装には、高度なプログラミング技術が必要となります。


このため、前述の通り、カスペルスキー社も、この「Darkhotel」攻撃に関しては、「高度な技術なので国家(韓国)が関係している。」と指摘します。


さらに、調査の結果、今回は、先程の「P2P」技術を使った「BitTorrent(ビットトレント)」と言うソフトウェアが使われた事まで判明しています。

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この「BitTorrent」と言うソフトウェアは、アメリカの「ブラム・コーエン(Bram Cohen)」と言うプログラマーが開発したソフトウェアで、この「ブラム・コーエン」氏は、かつて「BitTorrent」社のCEOを務めていました。


ちょっと話は脱線しますが、「ブラム・コーエン」氏は、5歳で「BASICプログラミングを覚えた、俗に言う「天才」と言われる人物で、現在は、新しいビットコインの開発を手掛けていると言う情報が伝わって来ています。(現在は「Chia Network」という会社を設立)


さて、話を「Darkhotel」攻撃に戻すと、攻撃者は、先のアニメ解凍ツールに、この「BitTorrent」の仕組みを取り入れたマルウェアを仕込み、アニメ解凍するためにツールを起動することで、宿泊者のPCに「BitTorrent」をインストールするそうです。


その後、宿泊客が会社に帰り、マルウェア感染したPCを社内ネットワークに接続すると、犯罪者は、「BitTorrent」を用いて、感染したPCを遠隔操作して、前章で紹介した攻撃を行います。


前章では、第1フェーズから第4フェーズまでの攻撃方法を紹介しましたが、既に、PCを感染させることには成功しているので、ここから第2フェーズ以降の攻撃を行う事になります。


さらに、上記攻撃方法以外にも、様々な攻撃を実行している様です。


例えば、ホテルのシステムやネットワークマルウェア感染させ、ターゲットとする滞在者が持参したノートパソコンなどでホテルのWi-Fiに接続すると、「グーグルツールバー」や「アドビ・フラッシュ」といった有名な実在ソフトウェアの更新(アップデート)を装った画面を表示してダウンロードを促し、マルウェアインストールさせる攻撃なども実行されていたそうです。

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そして、この「Darkhotel」攻撃に関しては、アジアの高級ホテルを舞台に、宿泊客に攻撃を仕掛けていたので、企業の経営層や幹部層を狙った攻撃とされています。


また、今回の「Darkhotel」攻撃では、何故か、ターゲットにする宿泊客を事前に決定し、なおかつ、その宿泊客が、いつホテルにチェックインするのかまでも、事前に把握していたフシがあると報告されています。


このため、ホテルが提供するネットワークに接続した際には、接続したPCが、ターゲットにした企業のPCか否かをチェックし、ターゲット企業のPCにのみ、マルウェア感染させていたケースもあった様です。


これまでにも、かの半島の国は、日本の技術を盗用し、それを自国の技術と吹聴して経済を発展させてきた過去がありますので、カスペルスキー社の調査報告は、正しいのではないかと思われます。

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■防止方法の紹介

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カスペルスキー社の報告では、アジアの高級ホテルでマルウェア感染したPCの件数は、数千台にも昇ると指摘されています。


また、感染件数の多い国の上位3カ国は、次の通りと報告されています。

1位:日本

2位:台湾

3位:中国


普段でも、「野良Wi-Fi」と呼ばれている、誰も管理していない「無線LAN」を使うとマルウェア感染すると言われていますが、ホテルが提供する「Wi-Fi」も、迂闊に接続してしまうと、マルウェア感染する可能性が高くなってきていると考えるべきだと思います。


それでは、今後、どのような対応を取れば良いのかを簡単に紹介したいと思います。


スマートフォンテザリングを利用する

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テザリング」とは、スマートフォンネットワークを利用して、PCをインターネット接続するサービスです。利用にあたっては別途契約が必要な場合がありますが、「Darkhotel」攻撃によるマルウェア感染の心配はありません


モバイルWi-Fiルーターを利用する

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モバイルWi-Fiルーター」や「ポケットWi-Fi」と言う言葉を聞いた事はありませんか ?


無線LANを使う場合、無線の開通工事を行う必要がありますが、この「モバイルWi-Fiルーター」は、初期設定は必要ですが、工事の必要はありません。


上記の「テザリング」の場合、スマートフォンが「モバイルWi-Fiルーター」と同じ位置付けになりますが、スマートフォンと同様、単体ではインターネットに接続できない機器を、インターネットに接続するための機器の事です。


通常、スマートフォンを用いる場合を「テザリング」と言い、専用機を用いる場合を「モバイルWi-Fiルーター」と呼び分けています。


それなら「スマートフォンテザリングで良いのでは ?」となりますが、専用機の場合、次のメリットがあるとされています。


バッテリーで長時間稼働可能(スマートフォンの場合、バッテリーの消費が激しい)

・初期設定さえ行えば機器を接続するだけで直ぐに使用可能


VPNを利用する

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少し難しいですが、通常のインターネット接続は、「HTTP接続」と呼ばれる接続方法を用いています。


今お使いのWebブラウザアドレスバーを見て下さい。接続先URLの先頭4文字が「http://www〜」となっている場合、該当のWebサイトには、「HTTP接続」で接続している事になります。


そして、この「HTTP接続」の場合、通信データは暗号化されておらず、通信を途中でハッキングする事が出来れば、データとしてやり取りしている内容を覗き見る事が可能となっています。


このため、例えば、ネットショッピングを行うWebサイトでは、カード決済を行うページだけは、データを暗号化する「SSL接続」を使っています。


この場合、接続先URLの先頭5桁が「HTTPS」となります。


SSL」とは、「Secure Socket Layer」の略語で、データを送受信する一対の機器間で通信暗号化し、中継装置などネットワーク上の他の機器による成りすましやデータの盗み見、あるいは改竄などを防ぐ通信手順となっています。


そして、同じ様に、通信暗号化する方法としては、「VPN(Virtual Private Network:仮想プライベートネットワーク)」と言う技術があります。


SSL」と「VPN」、どちらもデータを暗号化できるのですが、ちょっと仕組みが異なります。


SSL」の場合、暗号キーを用いてデータを暗号化しますが、「VPN」の場合は、回線自体を暗号化します。


「う〜ん・・・何だか良く解かんないな〜」となりますが、要は、次のよう感じです。

・「SSL」:全てが暗号

・「VPN」:VPN回線を使っている一部が暗号化(通信部分のみ暗号化)


そして「SSL接続」は、インターネット利用者は、使用の有無を指定出来ません。Webサイトの作成側で、使用の有無を判断する事になります。


しかし、「VPN接続」は、上記の通り、インターネットの回線部分になりますので、専用業者と契約すれば、利用者が「VPN接続」の使用の有無を判断する事が可能になります。


このため、「Darkhotel」攻撃を回避する場合、インターネット利用者側で、NTTau、あるいはSoftBank等の通信業者と「VPN接続」の契約を独自に行うか、あるいは個人向けの「VPN接続」用のソフトウェアを購入して、自身でPCやスマートフォンインストールする事になります。


個人向けの「VPN接続」用のソフトウェアとしては、海外メーカーですが「Hotspot Shield」社のソフトウェアが、古くから有名らしく、日本では、「ソースネクスト」社が、ライセンスを買い取って販売している様です。

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このソフトウェアは、別に「Darkhotel」攻撃回避用に販売されている訳ではありません。


通常の無線LAN全てを暗号化するので、個人が自宅で、このソフトウェアを導入したPCでインターネットに接続した場合、国内プロバイダさえも通信内容を見ることが不可能になる様です。


何とも凄いソフトウェアがあるようですが、外出先で、前述の「Wi-Fi接続」をする時に、「モバイルWi-Fiルーター」を使えない人は、このようなソフトウェアは、必須になると思います。


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今回は、「ビジネスマンは要注意・・・Darkhotelに気を付けろ !」と題して、ホテルの宿泊客を狙った標的型攻撃ウィルスに関して、次の内容を紹介しましたが、如何でしたか ?

●攻撃フェーズ

●Darkhotelの仕組み

●防止方法の紹介


「Darkhotel」に関しては、特に、アジア、それも日本人を標的にした攻撃が多いと言うのが気になる所ではあります。


今回は、ホテルでの感染例を取り上げたのですが、「Wi-Fi利用によるマルウェア感染」に関しては、ホテルに限った話ではありません。


ブログ本文内でも触れましたが、「野良Wi-Fi」は、以前から「要注意」と言うよりも、絶対に使ってはダメと言われ続けています。


今後も、街中に溢れる「無料Wi-Fi」への接続は、注意した方が良いと思います。


私は、外出先で「Wi-Fi」を使う場合は、スマートフォンの「テザリング」を使っていますが、「テザリング」を使う場合、やはり通信量が気になってしまいます。


今回は、余り触れませんでしたが、スマートフォンアプリで、データ通信暗号化するツールが、AndroidでもiOSでも数多く提供されています。


通信量が気になる場合、お使いのスマートフォンのキャリアが提供する「Wi-Fiスポット」を活用するか、あるいは、この暗号ツールインストールしてから「無料Wi-Fiスポット」に接続する等の、対応をした方が良いと思います。


また、過去にホテルのWi-Fiを利用してソフトの更新などを行った覚えがある方は、今すぐに、セキュリティ対策ソフトの定義を最新にした上で、PCをフルスキャンして下さい。


ひょっとしたら、貴方のPCが、他のIT機器を攻撃する際の「足場」として使われているかもしれません。


それでは次回も宜しくお願いします。

以上

【画像・情報提供先】

Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/)

シマンテック(https://japan.norton.com/)

WIRED(https://wired.jp/)

・「ポケットWi-Fi」はワイモバイル登録商標です。

Kaspersky Lab社(http://www.kaspersky.co.jp/)



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