『サンリオ出版大全 教養・メルヘン・SF文庫』
『サンリオ出版大全 教養・メルヘン・SF文庫』(編:小平麻衣子・井原あや・尾崎名津子・徳永夏子/慶應義塾大学出版会)
電子版もあります。
公式情報
慶應義塾大学出版会 | サンリオ出版大全 | 小平麻衣子 井原あや 尾崎名津子 徳永夏子
https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766429404/
自著を語る『サンリオ出版大全』(サイト「日本の古本屋」内)
https://www.kosho.or.jp/wppost/plg_WpPost_post.php?postid=13375
この本が出たことはすばらしいことだけれど、いろいろと注意が必要な本であることは言っておきたいと思ってこの記事を書きます。
よい点
サンリオはキャラクターそのもの、もしくは企業研究みたいな観点で話題になることが多く、そのなかに出版社としての意義がはあまり触れられてきませんでした。
定番は文庫化もされたこれ。公式情報的内容です。
・『サンリオの奇跡』(上前淳一郎/PHP研究所1979/角川文庫1982)
↑の後の時代をフォローするのがこれ。
・『サンリオ物語』(西沢正史/サンリオ/1990)
総花的につかむのはこの2冊かと思います。その後も企業研究的に取り上げられるのは現在も続いています。
キャラクターについては深入りするとめんどうなのでさくさく行きます。
なので、最初に書いたようにこの本が出たこと自体が最大のよい点です。注も多く、しかもそれが見やすいのも特記すべきことでしょう。一般書の体裁に近い気がします。
よろしくないところ
「一般書」と書きましたが、執筆者は研究者です。版元も大学の出版会ですから論集として出したのかもしれません。もし、これが学術書のつもりであるのならちょっと弱いというのが私の印象です。なぜそう思うのか。重箱の隅で申し訳ないのですがー。
私の場合、どうしてもまんが関係の「マンガ雑誌『リリカ』の挑戦」(村松まりあ)(p.273-303)に目が行きます。他のジャンルはそこまで知らないので、欠点があってもよくわからないというのもあり。
なので、話が「リリカ」の章に集中してしまうのですが、他の論に欠点がないという話ではないし、この論がこの本のなかで特によろしくない、劣っているということではないです。偏った話で申し訳ない。
長い引用をします。
『リリカ』が創刊された一九七〇年代中頃、少女マンガは「少女」に限らない多くの読者を獲得するようになっていたが、そこには大きく二つの潮流があったと指摘されている。第一の潮流は、大島弓子、竹宮惠子、萩尾望都など「二十四年組」と呼ばれるマンガ家たちによる作品群である。『別冊少女コミック』を中心に活躍した彼女たちの作品は、マンガ評論の中で、その「文学性」が評価されてきた。それに対して、第二の潮流としてあったのが、田淵由美子や陸奥A子らによる「乙女ちっくまんが」と呼ばれる作品群である。『りぼん』を中心に展開されたこれらの作品は、「等身大の少女」を描いたエンターテイメント性の強いラブコメ作品が主流をなしていた。(18)
こうした状況の中で、創刊当初の『リリカ』はそこに集まったマンガ家の顔ぶれからは、後者の流れに近い雑誌であったといえよう。
p.283
※「田渕」が正だが、「田淵」ママ。
(18)は『たそがれ時に見つけたもの』(大塚英志/筑摩書房)。
ううーん、となるのは大塚さんの言説が1980年代の知見であることです(本が出たのは1990年代に入ってから)。この本がすぐに出てくる場所にないので、この引用が内容をうまく引用しているかどうかは置いておきます。
これをこのまま2020年代の本に引用するのはどうなのか。このあたりの言説が30年間変化のないものと思われているのなら心外です……。
樹村みのりや市川みさこ、山岸凉子、大矢ちき等は、『リリカ』で長きにわたって活躍したマンガ家たちであるが、同時に『りぼん』誌上でも人気を博した面々である。(19)
p.284
(19)は「芸術新潮」2014年2月号掲載「少女マンガ家はラファエル前派の夢を見るか」(インタビュー・松苗あけみ/聞き手・藤本由香里)。
もっと「?」が飛ぶのがこちら。専門に即して山岸凉子さんについて言えば、「リリカ」創刊号と第2号の2号にわたって掲載された「落窪物語」一作のみである。「『リリカ』で長きにわたって活躍したマンガ家」であるかというと疑問を持つ方は多いのではないか(いやらしい書き方で申し訳ない)。創刊にあたっての有名まんが家枠であったので、この人選がそのころの「リリカ」にとって意味があったくらいならばそうだと思うが、「長きにわたって」は事実としてありえない。ありえなくても断言したい時というのはあるけれど、ちょっと無理があるのではないか。
これは、まんがについて知識が足りなくても「リリカ」について知っていれば書かない記述だ。何も「リリカ」全号隅々まで精読しろと言っているのではない。ネット上にある目次を見るだけでわかることを確認してほしいという話です。
サイト「目次屋仮店舗」(まんぱら内)
「リリカ」総目次が製作者の許諾を得て転載されています。
https://manpara.sakura.ne.jp/lyrica/mokujiya-top.htm
https://manpara.sakura.ne.jp/
「りぼん」サイドからみると、樹村みのり、山岸凉子、大矢ちきは決してこの時代を代表する作家ではない。
いわゆる「24年組」に「文学性」があり、それが「リリカ」の「教養」と比すべきあるいは親和性のあるものだったとして、このラインナップでは説得させることはできないと思います。
次の指摘。
乙女ちっくとサンリオのむすびつきを直截にふろく文化に結び付けている部分も「?」でした。インテリアにおけるカントリー調*1、アイビーといった流行について触れずに結びつけるのは無理があるのではないだろうか。
さらに指摘。
主に小学館で活躍した市川みさこを「『りぼん』誌上でも人気を博した面々」に入れるのもどうかと思う。
「少女マンガ家はラファエル前派の夢を見るか」からとして注の中で「『りぼん』で活躍していたマンガ家のうち、カラーイラストが得意だった者たちが『リリカ』に移っていった」(P.296)とまとめているが、「カラーイラストが得意だった者」と「『りぼん』誌上でも人気を博した面々」は内容が異なる。おそらく根拠となる知見があるのかと思うが、この不正確さはひっかかるところとなる。
またこのような記述。
「睦月とみ」名義は小学館などにも使用されている。よく知らなくても、ちょっと検索してネットで西さんのリストを見ればいいだけの話です。
サイト「矢代まさこ漫画館」(ばくのお宿」内/西みつのりさん)
https://yashiro-fan.nishimitsu.com/
https://nishimitsu.com/index.htm
この数節後に、睦月とみ作品の分析になっていくのだけれど、論旨には「『リリカ』誌上においてのみ用いられた」という内容は関係しないように読める。そもそもこの情報は不要なのではないかというのが私の感想です。
内容がどうという以前にうかつな記述が多いという印象になってしまうのは損だと思います。*2
ミニ情報
これはいい点悪い点でなく、ミニ情報として。
「サンリオSF文庫の小説世界」(加藤優)(p.330-353)で「山野の推薦でサンリオが版権を押さえた作品は二〇〇冊を超え(9)」(p.332)とありますが。
(9)とは『サンリオSF文庫総解説』(編集:牧眞司、大森望/本の雑誌社)掲載の「サンリオSF文庫の伝説 山野浩一インタビュー」(聞き手・大森望)のこと。おそらくここを根拠としています。
大 当時、二百冊の翻訳権を押さえたという噂もありましたが。
山 最終的にはそのくらいになっていたと思います。ディック全部とかレム全部とか、ケイト・ウィルヘルム全部とか、全版権を押さえた作家が何人かいたし、一巻から十巻まであるものは。全部まとめて取らなきゃいけない。そういう形で、実際にすぐには出せないものまで含めると、二百冊くらいになったんじゃないかな。
大 創刊辞典で?
山 いや、最初から二百冊はちょっと(笑)。翻訳者もそんなに集められるわけじゃないし、僕自身の中で出したいって思うものがそんなにたくさんある訳じゃないから。
p.13
このような本がありまして。
・『サンリオ闘争の記録』(全国一般南部支部サンリオ分会/マルジュ社/1984)
おもしろい読み物かというとそうではないのですが、いろいろと見どころがあります。タイトルの通り、労働争議の記録集です。
最初から200点の訳がない、訳者も確保できないなどど、山野さんのおっしゃることは大変現実的です。
この本のなかの情報として以下のようなものがあります。
十月十六日号で日本特集をしたアメリカの業界誌「パブリッシャーズ・ウィークリー」に大きくとりあげられたほどである。その記事はサンリオの出版外活動を紹介したあと、ある翻訳エージェントからわずか六ヵ月の間にSFや映画化ものを中心として三〇〇点の権利をとったと驚きをこめて報じている。
※1978年のこととしての記述
p.22
SF以外を含めた翻訳権を300点押さえていた、と。大森さんが200冊としたのはこうした報道からの記憶でしょうか。
ロードショー映画の原作本、時の話題的なキワモノ、SFブームのなかでのSF文庫など、三百点を超える版権を買い、年間百五十点もの刊行を予定していた(朝日新聞一九七八年六月十二日付参照)
p.68
なんと1年に150点刊行の計画であったようです。月10冊以上の刊行となります。そのために、委託の編集者が劣悪な環境で勤務を強いられ、労働争議に至ったという訳です。
ちなみに「リリカ」についてこんな記述も。
「売上げがあがらなくちゃ責任をとってもらう。高橋健さんもあれも結局リリカの責任をとってやめさせたんだからね。本人はやめたと言っているが……」
(辻社長の発言)
p.59
以下、文中に出した本やサイトとご参考。
*1:『本と女の子 おもいでの1960-1970年代』(近代ナリコ/河出書房新社)で内藤ルネは自分が提案して流行したものとして語っている。この記事は、1972年創刊の雑誌「私の部屋」の仕掛人としてのインタビュー。
*2:海外進出を見据えてフルカラー左とじの雑誌として創刊されたことについて触れられていないのはとても違和感があるのですが、内容のまちがいではないのでツッコまないでおきます(左とじAB判であることは触れられているが「「まったくかわったマンガ雑誌」として売り出すため」(p.274)と「いちご新聞」からの引用を使用した説明を付している)。