10_9_木

朝、保育園の送りの後、図書館へ。目に止まった記事を色々コピーする。8代目三笑亭 可楽が最近気になってしょうがない。

昨日届いたyes,mama ok?のBOXをもう一度取り出すか、棚にしまうか考える。ずっと見たかった「Perfect Young Lady」のPVはyou tubeで見れるし、音は今聴くのは何だかつらい。ライナーは本人、小説家の共、内容が凡庸過ぎて要らないくらいだが、ゲーム作家の文章はよかった。金剛地武志というひとを愛している文章だった。

yes,mama ok?のライブをはじめて見に行き、突然楽屋に訪れたのは97年だったか。下北沢251だった。金剛地さんは、多分僕のような音楽には興味ないだろうと思ったが、とても優しく接してくれた。ライブはアルバムとは違って、はっちゃけ過ぎて破れかぶれだったが好きだった。

それからそんなに時間が経たない頃に、僕はメジャーでのアルバムのレコーディング・セッションに金剛地さんを招いた。曲を作り、デモを作り、プリプロ作業に入っていたが、どうにも見えて来なく、共同プロデューサーの福富幸宏さんも頭を抱えていて、ここは誰か強力なひとに来て貰わないとと思っていた。

金剛地さんは何も考えない感じで、先に送ったデモなんかは聴いてなくて、リハスタでドラムを叩いてもらったりして、何となく遊んで来ているうちに見えて来た。それから溝ノ口のHALスタジオでデモを録音。これがとても良かった。『実験の夜、発見の朝』セッションのピークだったかもしれない。ただ、メジャーでシングルで出すのはクオリティーの部分では厳しくて、本チャンを祐天寺のSOMEWHEREにて再度録音。なかなか上手くいかなく、スタジオであるひとを泣かせたりした。このスタジオは自宅から徒歩2分くらいで、この頃は寝ても覚めても録音のことだった。そんな中で金剛地さんはいつも明るく、優しく、ブースの中では破けた演奏をしてくれて、アルバムに明るいムードを作ってくれた。空き時間に将棋を指したこともあった。

結果、金剛地さんはたくさんの音を焼き付けてくれた。時々『実験の夜、発見の朝』のことを「あれはすごいアルバムでしたね」と言ってくれるひとがいるが、その中で金剛地武志の音について言ってくれたひとは、アルバムを出してもう10年経つが、つい最近やっと一人に会ったばかりだ

それから金剛地さんと親しく遊ぶという感じではなかったが、時々長電話した。酒好きの金剛地さんは、家でよく飲んでいたようだ。「ビ−ルはよく考えたら高いから、最近ワインなんだ。安く酔えるでしょ」と少し自嘲気味に笑う金剛地さんだが、うらびれた感じはしなかった。メジャー契約が切れてお互い大変だったが、何とか食いつなぎ、金剛地さんは新しいレーベルのオーナーに突然なって、そのコンピに僕は誘って貰ったりイベントに呼んで貰ったりしたが、そのレーベルがまた突然なくなったりして、その時はさすがに落ち込んでいた。

しばらくしてエア・ギターでTVで有名になった時は僕はあんまりTVを見ないので知らなかったが、その評判はよく聞いた。ふらっと立ち読みした週刊誌に出ていたり、どこかでFMでDJしているのが聴こえたりして、やっぱりちょっと複雑だった。だが、金剛地さんは音楽表現よりもタレントの方が、その優しさと個性が拡散されて、世の中に必要とされるんだろうなと思った。それはそれでいいことだ。そう思い込もうとしていた。

このBOXを手にして、久しぶりに金剛地さんに電話した。すぐ出てくれて少し喋った。それからアルバムを聴こうとしているが、もうdisc 3の「最終定理」しか聴けない。こればかり繰り返し聴いている。『Q&A 65000』というアルバムのラスト曲だが、このBOXの形だと何のアルバムか一瞬わからなくなる。安くてあまりいい音のしないアコギのイントロから始まるこの曲は、やっぱりたまらない曲である。アルバム発売記念での演奏はこの録音に比べると、全然よくなかったが、そんなことはどうでもいい。あの溝ノ口のHALスタジオの小さなブースで、金剛地武志が命懸けで録音したというだけでいじゃないか。そして、あの頃のように命懸けで、今の金剛地さん、そして自分も録音出来るのだろうかと思う。制作コストの問題もあるが、そんなことはしょうがなくて、あれだけの気概が無ければ、やっぱり録音はやるべきではないのではないだろうか。

そんなことを考えながらも、今日もレコーダーを回した。使えるテイクは2分くらいだが出来た。録音が終わるまで、yes,mama ok?のBOXは手元に置いておこうと思う。