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パンダ日記

2011-09-09 超久々

あき、あき、あき、あき。


つい先日のような、しかしまだ夏も夏だった頃のある日、私の髪を切りながら美容師が言いました。

パンダさん、夏は好き?」

「いやー、別にっていうか・・・」

「僕もね、ずっと夏が嫌いだったんですよー。でも、もう大人だし、なぜ嫌いか分析してその理由を見つけて、嫌いを克服しようと思って。それで思ったんですよ。夏は暑いから嫌い。じゃあ、なぜ暑いか? ほら、腕がもうこんなだから(両腕中に刺青がしてある)、半袖が着れないでしょ、だから。暑い。そこで思ったんですよ。上がだめなら下だって。それで、半ズボンをね、ほら、買って、穿き始めたんですよ。そしたらもう今までになく快適で。もう毎日これ。一気に夏が好きになっちゃいましたよー」

「あー。ははは」

夏が暑いのは長袖しか着れないせいではなくただ夏だからで、その人が一気に好きになったのは夏ではなく半ズボンであることは間違いないけど、もちろん言わないでおいた。


かように、夏は、嫌いであれ好きであれ直視などできないものなのだ。

いまのこの秋なんか、ただ風が吹くだけで、ただ虫が鳴くだけで、朝起きてすこし肌寒いなって思うだけで、まるで恋してる時みたいにきゅんっとなるというのに、それに比べて夏はタイヘンだ。

海だの、お盆だの、祭りだの、サンダルだの、サングラスだの、冷やし中華だの、半ズボンだの、夏好きだと思い込むために色んなアイテムが必要なのだから。


でもそんなこざかしいアイテムなんか、意味なんかありません。

だいじなのは、「夏は短い」という、経験から学んだこのことを、絶対に忘れないでおくということじゃないかと思います。

私はこの夏の間中、くじけそうになるたびにそう思っては、おのれを奮い立たせていました。

まぁ、かなり暑いというレベルを超えて暑いけど、これも束の間さ。はん。

そう思うようにしてからというもの、なつー!このやろー!ばかやろー!と心の底から思うことは、なくなった。

でもこれもヘンだ。

今にも去っていくことをあらかじめ知っているものに対して、本気でぶつかれるわけがありません。

今にも死にそうな人に向って「ちょっと、リモコンとって」などと、言えるわけがありません。


事ほど左様に、夏と、まっこうから、さしで向き合うことは至難の業であるといえます。



そうして、やはり短かった夏が去ったその場所に吹き込む秋の風の中で思うのは、やはり、移ろいのことです。

巡らず、始まりから終わりへと続く道の途上にあるだけの私はあと何回、このような季節の巡りを目にすることができるのだろう?

私の両親は、姉は、愛する人は?

考えたら、とてもさみしくなります。

私たち自身も、巡ればさみしくないのに、と思います。


しかし、巡らぬ私たちだからこそ、巡るものを眺めることができるのも確かです。

巡るものにとって、同じように巡る他のものは、あたかも停止しているかのように見えてしまうでしょう。

それはとても空しくて悲しい。




お盆の頃に開かれた中学校の同窓会で、私はまたしても言われた。

「みんな変わったけど、変わっていないのは、お前だけだな」

結婚するわけでもなく、相変わらずのらりくらり実家暮らしの私は、確かに変わっていないのかもしれません。

しかしこうして同じ一つのところに居続けている私の胸は日々、移ろうあれこれに打たれています。

同じ場所に立って眺めるということは、必ずしも決まりきった同じものを飽き飽きしながら眺めるということを意味しません。

いや、表面上はひたすら同じものを眺めているといえますが、ほかに眺めるものもないのでしかたなくそればっかりを眺めていると、その奥で移ろい、変わり、また巡ってくるあれこれが、私の心を幾度となく鮮やかに打つのです。



私たちはこのようにして、不完全から完全へと向かう道を進んでいくのかもしれません。

2010-09-25 絶望する?塾する?松ケンする!

すっかり秋だねぇー。

みなさんおセンチしてますか(と、毎年のように書いてる気がするけれども)。

私の場合は、今年は明けてからこっちほぼずっとと言っていいくらい、我ながらめんどくさいっていうか気持ち悪いくらいおセンチしまくっていたので、いざ秋になってみると逆に笑えてきたよ。

惰性でここまでやってきてるうちについにおセンチするのに完璧な季節が巡ってきちゃってなんかもう諸々完璧で、そしたら、あー、そうかこれですべてか、終わりか、と思って、なんだか悲しいやらおかしいやらホッとするやらで、笑えてきたね。

これっていわゆる、絶望ってやつ?(笑)

そんなこんなだから今日なんか、朝ごはん作る時に大根を千切りにするときも我ながら軽やかかつ辛抱強い包丁さばきであったし、晩御飯作る時に茄子を乱切りするときなんか、我ながらもう才気走ってたよね(笑)

はー終わった、終わった・・・。



今日は久々に大学で勉強しました。

やっぱ大学は静かでのんびりしてていいな。

大学の外では到底やっていけないというほどでもないけど、やっぱり大学みたいな場所の方が私は好きだ。

一人でも一人の気がしないしさ。

っていうか、学校の中では基本一人だから、一人であることに意味なんかなくなる。

ここはひとつ、会社なんかやめちまって、も一回入学するかな(笑)

んである程度勉強してゆくゆくは自分で塾とか開いてみるの、どう思う?




ところで最近ハマっている人:松山ケンイチ

ここにきてまさかの松ケン

や、というのもですね、これ↓を観てさ〜。

D

すばらしいね!オレッ!(←松ケ○違い)

彼が言う、

「子供か!」

とか、

「(炭酸飲んで)ゲップしたときとかさ、なんか、うぅわあぁあぁあぁってなるじゃん」

とか、他にも色々、夜中に一人で暗い部屋で鑑賞しながら普通に何回も声出して笑てもた。

どうだキモイだろ(笑)

しかもあんまりハマりすぎてもう十回くらいリピートで観てもうた。

どうだしょっぱいだろ(笑)


んでこれ観た次の次の日くらいにまたあんとく行ったけど、じっさいけっこう迷ったけど、彼が主演とはいえさすがにデスノ○トのアレとか、メタルのアレとか、ウルトラなアレとかは借りなかったよ(ザッツ偏見・笑・結局「人の〜」と同じ監督のやつだけ借りた)。



映画と言えば、こないだこれ観てきたんだった。

D

あんまり期待してなかったからべつにいいけど、普通〜って感じでした。





あ〜。


冬服買いたいな〜。

2010-09-21 From Buenos Aires, in search of me

この週末はこれ↓

D

「このタンゴだけは、西欧の影響を受けない」

だって。超かっけ〜。

あとあと、夜の公園(っぽいとこ)でタンゴを踊りまくる男女も超クール。痺れたじょ。

誕生日の次の日にこれを観に行ったわけだけど、何にしようか考えあぐねた末に・特に欲しい物もないなということで・買えずにいた自分への誕生日プレゼントは結局、あっさりこれのサントラに決まりマクリマクリスティだったよ。

んでさらに翌日、そのCDを買ったあとに立ち寄ったバーで、酔った勢いにも手伝われつつ悪ノリして「昨日映画観て超感動してぇー、んでこれをですね、そのCDなんですけど、これを今日、買ったんですよねぇー、あっ、っていうか、S田さん、これを今ここで流しません!?」とマスターにのたまって半ば無理くり流させたのは、やはり、完全に、悪ノリだった模様(笑)


兎にも角にも、失ったものをめぐって毎日、毎時間のように心は痛むけれど、それにつれて顔はしょんぼり下へ下へと下がる一方だけれど、ふと気付けばその目線の先から、つまり地球の真裏から、こんなバンドネオンの音色が響いてくるんだから、やっぱこの世界はただごとじゃないよね。

こここ、これは、、あー、そうか、この喪失はこのためにあったんだな、っていう、なんつーか、この上ない納得感、つうか、完結感。


そして、だから、世界は続いていくのである。

こんな夢みたいな音色にやさしく包まれて安心しきった私は、すっと眠りにつくように、あの喪失を、その痛みを、そしてこの音色までをも、すっかり忘れてしまうのである。

だから私はまたしても馬鹿みたいに、でもほんとうに切実に、喪失へと続く道を(もちろんそうとは知らずに)再び歩き始めるのである。

そしていつか再びその果てへと辿り着いたとき、この音色が前と同じように、前と同じ新鮮さと驚きでもって、私を熱くやさしく包んでくれるのだ、きっと。

2010-09-13 アディオス・マザー・ファッカー

週末に観てきた↓

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ぷぷっ、おもしれ〜〜〜。

夏の終わりにこれ観て喝!だね。


というわけで今年もまた、夏の終焉と我が誕生日が目前に迫ってきました。

近況としては、自分の誕生日のちょうど一週間前に、友達が彼女への誕生日プレゼントを買うのに付き合っていたりして、ところでテメェの誕生日はと言うと相変わらずのザ・ロンリネス、いつまで続くのロンリネス、っていうかどうせ平日だし仕事だし、でも決めてるの、その日は帰りに仕事場近くの某有名ケーキ店で、あの赤い宝石みたいな「トマトジュレ」を買って帰るって、決めてるんだ・・・、といった、もはや涙さえ追いつかない有様、(や、泣くけれども。夜が来ればきっとおいおいと泣くけれども・笑)、いっそうっかりマジで、心底から、心(しん)の底から、ただひたすら自分以外のみんなの幸せを願ってしまいそうになっています(笑)


つまり私もなんだかんだでもう、来る年も来る年もほぼ同時に二つの終焉に身を晒さなければならないという、なかなかハードな星のもとに生まれてきて早28年目に突入しようとしているわけですが、しかし思えば今回ほど、迫りくる季節や一年よりも、去ってゆく季節や一年が重くのしかかってくることはなかったかもしれません。

秋が来ることよりも夏が終わってしまう(しまった)ということ、28歳になることよりも27歳が終わってしまう(しまった)ということ、今の私をもたげているのは、ただそのことだけです。

夏が落としていった影としての秋がまたすぐに巡ってこようとも、あの夏はもう二度と戻ってこないということ、あるいは、27歳の次に連なる28歳にもうすぐに足を踏み入れるにしても、あの27歳は未来永劫葬り去られてしまったのだということが、ほんとうに痛いほど、この身を突き刺してきます。


振り返るに、私の存在があってはじめて存在できるはずの世界は、しかしながら、ぜんぜん「私のもの」ではありませんでした。

私がこれほど終わりを痛感しているのは、あの夏やあの27歳が私を満たしてくれたからでは決してなく、私をすっかり空っぽにしてしまったからにほかなりません。

やはりこんなにも、世界は他者でありました。

そしていま、あの夏とあの27歳の徹底した捉えようの無さが、勢い、来るべき秋と28歳をも同じ色に染め上げ、それらがそれぞれ四方で互いに窮屈そうにごうごうと聳えるのっぺりとした壁となって、私を囲い込み、身動きを封じ込めてしまいました。


かのゲーテはある書物の中で確かこんな風に書いています。

「ぼくは君が好きだ。君がどう思おうと関係ない。君が好きだ」

彼にはきっと世界がそれはそれはくっきりと鮮やかに見えていたことでしょう。

一方で私にとっての「君」は、すぐそこにあるようでいて絶望的に遥かな蜃気楼以上のものには終ぞなり得ませんでした。

その蜃気楼はそのまま私というものの揺らめきと遥かさを反映したものであり、そしてそれが当然のようにして消失してしまった今、私を捕らえているこの息苦しくも果てしない牢獄もまた、そうした私の行き着いた先として、ある意味でこれ以上ないほど納得のいくものなのかもしれません。


しかしいまのこの光景は、いわゆる「不在の現前」とは違います。

そうだというにはあまりにも単刀直入に過ぎるように思えるからです。

そもそも、じつのところ今の私は、欠如の追及に躍起になっているわけではもちろんなく、あるいは欠如とその追求を否認しているとかいうわけでもなく、ただ欠如に酔い痴れながら、その追求を開始するのに尻込みをしているに過ぎないのでした。

そうだそれだからこその、牢獄なのでした。


ここが牢獄である以上、脱出しなければならないのは言うまでもありません。

その方法はただ一つで、この牢獄を成している四方の揺るぎない壁に、揺らぎの模様を刻みつけることです。

揺らぎながら生きるしか術を持たない人間が救われる道は、揺るぎない何かに寄り掛かろうとするのではなく、自分の力で、その絶えざる揺らぎを、形式はそのままに、しかしあたかもまったく別ものであるかのようにして、自分自身に送り返す以外にないのです。

2010-08-11 Be light!

ギリギリセーフで(?)暑中お見舞い申し上げたいと思います。

狂ったように暑い、とは言ってもその真相は、狂ったように寒い、ってことだったりする(どこ行っても冷房が酷い。とくにモス。ないしはモス。そうでなければ、モス。というか、どこ行ってもとか言って自分、モスしか行ってないのでした)昨今、相変わらず落ち込んだ日々です(また落ちてるアピール(笑)うっぜえ(笑)だって誰かにギュッと抱きしめて欲しいんだもん!エンエン!(笑))。

ちなみにどのくらい落ち込んでるかというと、中坊どもが夏休みに突入した直後のある日のカテキョの際に、出された宿題を一通り整理しつつ、「読書感想画か〜そっか〜。よし、じゃあ私がそれ用に、なんかおススメの本持ってくるから!楽しみにしてて!」とのたまって翌週、教え子君の眼前にズズと差し出したるは、カフカの『変身』だったという・・・。

あぁ暗い、暗い・・。

というわけでそのまた翌週には早速反省して、「あげた本、別にいま読まなくてもいいよ!いつか、でいいから!ちょっとね、暗いから!本屋で君にあげる本を選んでいたとき、ちょっと暗い気分だったんだよね、へへ(笑)」と言っておきました。


しかし世の中はそんな私を見捨てるほど暇ではやはりないようで、思わぬところで救われたりなんだりの日常であります。

たとえば、『変身』はとりあえず置いといて、しかし感想画を書かないわけにはもちろんいかず、じゃあどうするかということで教え子君が自ら学校の図書館で借りてきた本(星新一『ボッコちゃん』)の中に収められていた短編「最後の人類」を、私が朗読し、教え子君がそれを聞くというスタイルでともに鑑賞していたところ、これがなかなかどうしてすばらしく希望に満ちた内容で、読後に二人して「な、なんか、、お、面白かったね・・・」と言い合ったり。

あるいはまた別の教え子さんが、私が課していたレポートの隅っこに“I thank you for teaching me English. I liked your class.”と、遠慮がちな大きさと濃さで書いてくれていたり。

な、なんつーか、ユートゥー・・・。


色々あるけどがんばれよ、俺。

よしきた。



あとは最後に、最近の映画鑑賞記録を記録までに。


D

こりゃあ超面白かったよ!

の○めより断然面白いんじゃないかな?(の○め映画は興味ないので見ないから知らないけど・笑・そういやちなみに玉キン宏の、何かじゃべるたびに最後に喉を小さくコフンっ!させるところが我慢ならないと思いませんか)


D

こりゃあ超つまんなかったよ!(笑)

というか、オープニングからしてなんかダサくて、なんかセリフとかもことごとくダサくて、耐えられず上映開始後30分後には劇場を飛び出してしまったので、鑑賞したとは言えません。




もうすぐお盆休みだね。

みなさん何か楽しい予定などありますか。

私はいつものように、映画観たり、元祖ビバヒルのDVDを見まくったり、花火見に行ったり、すると思うよ。

みんなも良いボン(フランス語で言えば、良い良い)を!