富山県民伝説 2011.8.19〜21 SUKIYAKI meets the warld2011@富山県南砺市


21年間、地元民でワールドミュージックフェスティバルを作り続ける、富山県南砺(なんと)シティ

Hugo Fattoruso & Rey Tambor(Uruguay)

19日、電車に乗り継いで福野駅に到着、キャンプ場行きの最終ローカルバスに飛び乗ると、斜向かいの席にいたツルンとした顔のオバーちゃんが「どこから来なすった?」と話しかけてきて、関東です、と答えると、しばしの会話の終わりに「遠いとこからよう来なすった、これもなにかの縁やから」と言って自分の財布からバスの回数券を2枚出して、わたしとともだちにくれた。ありがとオバーちゃん!しかし最後に「でもあそこのキャンプ場、去年クマが出たが」うーん汗・・・
そこから2キロ先のキャンプ場に歩いて辿り着くと、キャンプ場の管理人のおっちゃん夫婦が車で先乗りしてわたし達の到着を待っててくれて、小屋の鍵を開けてくれたのだが、「こんな山ん中おいてけんから、今日はうちに泊まりなさい。去年クマも出たし」といって、さっき会ったばっかなのに田んぼの真ん中にある自分ちに泊めてくれる。フェスの会場からおうちまでの送迎付き・風呂付き・ビール付き。その晩は前夜祭で盛り上がったあと、管理人夫婦とキリン飲みながら愛する孫の写真など見て大いに和む。翌朝は富山米・近所の野菜・富山の魚の、奥さん手作りの朝食を頂いてからおもてに出ると、おっちゃんがピカピカに洗車した2台のママチャリを「しばらく出してなかったから、洗っといたから」といって、わたし達を待ち構えている。
「晴れてたらここから真正面に立山が見えるよー」と、おっちゃんは庭の盆栽群とともに、とおくの立山をわがことのように胸を張る。車の中でも「日本で一番高い山やから」と自慢して、山のふもとにすむひとは、山を自分の親戚のように思っているのだなとうらやましくなった。富山の人にとって日本一高い山は当たり前のように立山なのだ。稲穂の中を洗い立ての自転車でともだちと会場になってる植物園まで走る。空気きれい、空もきれい、もうなんもかんもきれいで、道を間違えてさえ気分が良い。

翌日の20日は、フェス特製のもの凄い美味しい白ビールと黒ビールを交互に飲みながら朝から深夜まで楽しむ。
アルジェリアのミュージシャン、Amazigh Katebのステージが始まると、わたしの目の前にフランス人の中年女性と、70代のおばあと、30代くらいの女性の陽気なグループがノリノリで現れ、さっきからひとりで踊ってた10歳くらいの男の子とそのおばあが、ハイタッチしながら顔真っ赤にしてくるくる回り始めた。地元のテレビ局も新聞社も、絶好の被写体の彼らを映し始めた。
「うわー、富山県民って沖縄くらい楽しむことに貪欲だなー最高〜」と、この孫と祖母に負けないくらい自分らも大はしゃぎした後、深夜のステージへ移動する最中、件の祖母がひとりでスタスタと歩いてるのに追いついた。
「さっきめっちゃ楽しそーでしたねー!!」と挨拶すると、
「いやなー、あの男の子なあ、「お父さんとお母さんが離婚して、ぼく寂しい、今日はおばあちゃんと踊れて、すごく楽しかった、来年もここで会って、一緒に踊ってねえ」って言うてなあ、もうかわいそうでかわいそうでなあ、あたしもこんだけ遅くまでいたのは初めてよー」
といって笑ったような泣いたような顔をした。ええっあれ孫じゃないのっ!?さっき会ったばっか!?まさかのまさか!!
しかも一緒に踊り狂ってたあとの2人も、そのとき気が合った赤の他人であったと。酔っているのかと思いきやおばあは完全にしらふであり、「じゃーあんた達もまた来年なー!!」と笑顔で手を振ると、山の方へスタスタと歩き去っていった。

フェスとか、レイブとか、パーティとか、楽しいけど時々うんざりする。昔よく行っていた地方の祭事が残ってれば必要なかったのかも?と感じる時はある。そういう意味で、初参戦だったんだけどSUKIYAKIすごいいいと思った。地元民が祭として楽しんでいる。21回目ということは、いま大学生の人たちは生まれた時からすでに始まってる訳で、「英語よりスペイン語フラ語の方がじっさい使えんな」と思って育つのかも。踊るの楽しいのも、袖触れ合うのは何かの縁なのも知って育つのかも。「来年の今日、またここで会いましょー!」って、翌日キャンプ場に一緒に寝泊りして酒盛りした(山下りる車にも便乗させてくれた〜)富山県民青年会ともした受け答えで、なんか、「山へ行って、お祭に迷い込んで、帰ってきた」って、日本昔話とか、ポランの広場の夏祭りにでくわしちゃったような、そんな3日間だった。水と空気きれいだからかな?富山県民最高伝説誕生。