明日の朝早く起こしてね

mugisan2005-12-15

昨夜寝るとき姫がそういった。親分が昨日は仕事で戻れなかったので、私が朝一番に起きる。このところ朝まるっきり起きれないので、ラジオを低くかけながらうとうとと寝る。目覚ましもあるのだが何時なるかとびくびくする小心者なので使えない。うとうとしながら、まだxx時だから寝ていて良いなと安心してとろとろ寝るほうが楽。おかしなものだ。とりあえず6時に起こしたが起きない。御飯を炊きながら、起こし続ける。おきてきた彼女に「なんで起きなければならなかったの」と訊くと『朝練習があるらしい。知らないで出なかったら昨日物凄い顔でにらまれた』という。コッチが病気だろうがお構いなし。きちんと説明したの?と訊いたが『ンなモノ薬飲んでるなら大丈夫ってことで」はあああ・
 まあ中学生の想像力って其の程度なのかな。本人は帯状疱疹の痛みよりもクラスで「ジコチュー」のラベリングをされるほうが辛いらしい。そうだったなあ私が中学生の頃も。こうやって理不尽な事を飲み込みながら自分のキャパシテイを大きくしていったのだろうな。あの時この人の言葉を飲み込んで行動した体験が、次のエピソードに耐性を作ってくれる。何はともあれ、病気の子供には厳しいが、彼女が其処を最小限のストレスで乗り越える手段を如何身に付けてゆくか、黙って見守ろう。この黙ってと言うのがいちばん切ない。

師匠の誕生日

今日は師匠の誕生日。日の出の頃生まれたからもうこの時刻には生まれていた。小さな女の子でちゃんと育つのかと一瞬思ったが育ちには問題は無かった。問題は強烈な恥ずかしがり屋で何時も私のスカートの陰から世の中を見ていた。だから彼女が幼いとき、私は子供がもぐりこんだり、かくれたりしやすいようにロング丈の8枚ハギのたっぷりフレヤーのスカートをはいていた。動くときは子供を蹴飛ばさないようにスカート周りを確認してからうごいた。コレってどこか西部劇に出てくるシーンみたい。今の情報過多の私だったら自閉症を疑っただろうし、高次機能障害をうたがって悩んだろうな。其の気配はどの子の時もさまざまな形で現れていた。
 それでも其の事を深刻に悩まなかったのは、若草物語のベスを思い出したからかもしれない。あの物語が大好きで、自分の人生で出会うことを彼女達の知恵を借りて乗り切った事が何度も合った。Eのついたアンや、エミリーやジュデイやサリーやスー姉さんやのっぽのサリーやその他個性的な物語の主人公達が、私の不安を軽くしてくれた。物語の中から私の心の中に住む場所を変えた彼女達の生き生きとした存在は、私にとってライフガイドだった。
 私が、世のお母さん達よりもほんの少しだけ子供をせきたてる事少なく、個性として見守れたとすれば、少女時代にインプットされていた人間の多様性に対する受容と、成長に対する信頼があったからだと思うのです。人は一人として同じペースで育つわけではない。其々の生きる、育つ時間の早さの平均値で子供をせきたててみても仕方が無い。ただ子供の育ちを援助する場所に自分を置く事は何をおいても最重要課題だった。

来年のジブリ

 宮崎ファンで入れ込んでいたのがだんだん子供の成長とともに一年待てばDVDが出るし、と何が何でも映画館に駆けつけることが無くなった。新聞発表に寄ればゲド戦記とか。ナルニアにしてもゲドにしても我が家の愛読書であった。ハリポタが映画にエピソードを詰め込みすぎて少し食べ過ぎた感があるそうで(それでもせっせと見に行くのですが)DVDと本だけでよいかという雰囲気になりつつあり。指輪物語は原作の方が良かった感が強くて2本見た所でDVDに切り替えた。いちばんの理由は私があのどろどろベタベタの描写に耐えられないというだけのこと。どうも粘液が嫌いみたい。本気で気持ちが悪くなるもの。
 生理的拒絶反応というものは努力ではどうにもならないので困ったものだ。

買い物

 スナフキンが買い物に行くというのでモールまで。其のあとケーキを引き取って一旦家に戻り、姫を連れて病院に行く。考えただけでなんだかくたびれた。
 今夜は師匠のお「誕生日おめでとう会』をやるから戻ってこれる子供たちは戻っておいでなさい。と言ってもウイークデイなので勤め人は無理かもね。

姫様は

 あしたの球技大会はドクターストップがかかって欠席になった。ひとまずやれやれ。ワンクール7日間の薬なので残り3日分を処方された。3000何がし。一日1000円強の計算になる。帯状疱疹を軟膏だけでおさえるというのもうなずける。一応一週間で終わりそうだが今きちんと叩いておかなければ直ぐ再発するらしい。師匠のお祝いケーキはフランボワーズ。

またもや電話をつないでの大合唱になった。ジョナサンはこんかいは自室にいた。交差点でなくて良かったね。蛙ちゃんはお風呂に入っていて電話に出なかったため、お風呂から上がった時点で再度歌いなおしでした。

明日の朝早く起こしてね

昨夜寝るとき姫がそういった。親分が昨日は仕事で戻れなかったので、私が朝一番に起きる。このところ朝まるっきり起きれないので、ラジオを低くかけながらうとうとと寝る。目覚ましもあるのだが何時なるかとびくびくする小心者なので使えない。うとうとしながら、まだxx時だから寝ていて良いなと安心してとろとろ寝るほうが楽。おかしなものだ。とりあえず6時に起こしたが起きない。御飯を炊きながら、起こし続ける。おきてきた彼女に「なんで起きなければならなかったの」と訊くと『朝練習があるらしい。知らないで出なかったら昨日物凄い顔でにらまれた』という。コッチが病気だろうがお構いなし。きちんと説明したの?と訊いたが『ンなモノ薬飲んでるなら大丈夫ってことで」はあああ・
 まあ中学生の想像力って其の程度なのかな。本人は帯状疱疹の痛みよりもクラスで「ジコチュー」のラベリングをされるほうが辛いらしい。そうだったなあ私が中学生の頃も。こうやって理不尽な事を飲み込みながら自分のキャパシテイを大きくしていったのだろうな。あの時この人の言葉を飲み込んで行動した体験が、次のエピソードに耐性を作ってくれる。何はともあれ、病気の子供には厳しいが、彼女が其処を最小限のストレスで乗り越える手段を如何身に付けてゆくか、黙って見守ろう。この黙ってと言うのがいちばん切ない。

師匠の誕生日

今日は師匠の誕生日。日の出の頃生まれたからもうこの時刻には生まれていた。小さな女の子でちゃんと育つのかと一瞬思ったが育ちには問題は無かった。問題は強烈な恥ずかしがり屋で何時も私のスカートの陰から世の中を見ていた。だから彼女が幼いとき、私は子供がもぐりこんだり、かくれたりしやすいようにロング丈の8枚ハギのたっぷりフレヤーのスカートをはいていた。動くときは子供を蹴飛ばさないようにスカート周りを確認してからうごいた。コレってどこか西部劇に出てくるシーンみたい。今の情報過多の私だったら自閉症を疑っただろうし、高次機能障害をうたがって悩んだろうな。其の気配はどの子の時もさまざまな形で現れていた。
 それでも其の事を深刻に悩まなかったのは、若草物語のベスを思い出したからかもしれない。あの物語が大好きで、自分の人生で出会うことを彼女達の知恵を借りて乗り切った事が何度も合った。Eのついたアンや、エミリーやジュデイやサリーやスー姉さんやのっぽのサリーやその他個性的な物語の主人公達が、私の不安を軽くしてくれた。物語の中から私の心の中に住む場所を変えた彼女達の生き生きとした存在は、私にとってライフガイドだった。
 私が、世のお母さん達よりもほんの少しだけ子供をせきたてる事少なく、個性として見守れたとすれば、少女時代にインプットされていた人間の多様性に対する受容と、成長に対する信頼があったからだと思うのです。人は一人として同じペースで育つわけではない。其々の生きる、育つ時間の早さの平均値で子供をせきたててみても仕方が無い。ただ子供の育ちを援助する場所に自分を置く事は何をおいても最重要課題だった。

来年のジブリ

 宮崎ファンで入れ込んでいたのがだんだん子供の成長とともに一年待てばDVDが出るし、と何が何でも映画館に駆けつけることが無くなった。新聞発表に寄ればゲド戦記とか。ナルニアにしてもゲドにしても我が家の愛読書であった。ハリポタが映画にエピソードを詰め込みすぎて少し食べ過ぎた感があるそうで(それでもせっせと見に行くのですが)DVDと本だけでよいかという雰囲気になりつつあり。指輪物語は原作の方が良かった感が強くて2本見た所でDVDに切り替えた。いちばんの理由は私があのどろどろベタベタの描写に耐えられないというだけのこと。どうも粘液が嫌いみたい。本気で気持ちが悪くなるもの。
 生理的拒絶反応というものは努力ではどうにもならないので困ったものだ。

買い物

 スナフキンが買い物に行くというのでモールまで。其のあとケーキを引き取って一旦家に戻り、姫を連れて病院に行く。考えただけでなんだかくたびれた。
 今夜は師匠のお「誕生日おめでとう会』をやるから戻ってこれる子供たちは戻っておいでなさい。と言ってもウイークデイなので勤め人は無理かもね。

姫様は

 あしたの球技大会はドクターストップがかかって欠席になった。ひとまずやれやれ。ワンクール7日間の薬なので残り3日分を処方された。3000何がし。一日1000円強の計算になる。帯状疱疹を軟膏だけでおさえるというのもうなずける。一応一週間で終わりそうだが今きちんと叩いておかなければ直ぐ再発するらしい。師匠のお祝いケーキはフランボワーズ。

またもや電話をつないでの大合唱になった。ジョナサンはこんかいは自室にいた。交差点でなくて良かったね。蛙ちゃんはお風呂に入っていて電話に出なかったため、お風呂から上がった時点で再度歌いなおしでした。