2012/02/09 (Thu) パソコン
■パソコン買い替え 
用途は限られているので、3〜4年前のものでも充分使える。
ヤフオクを物色しているうちに、自分のPCもそろそろ買わないと...と思う。
ムイカリエンテのPC購入履歴は
十数年前、PCに詳しい後輩のM君からPentium?のPCをモニター付2万円で買ったのが最初。
その後、秋葉原でDELLのワークステーションを中古で買い、次もDELLのでっかいワークステーション。
自分でOSをインストールして、セットアップして...というところから始まった。
ベンチャーの単身赴任時代は、移動ばかりでLET'S NOTE を持ち歩くようになり
2代目のLET'S NOTEを4年使って、バックライトが逝ってしまって、現在に至るわけである。
本来は、重厚なワークステーションのほうが好きなのだが、部屋も手狭になってきたしということで
最近はやりの一体型を買うことにした。
電気屋に行っても、最新式を薦められるばかりなので、とりあえず話だけ聞いて参考にして
あとは一世代前のものを探す。
で...1年前の2011年春モデルのdynabookを見つけた。しかも売れ残りの新品。保証は一年。
価格.comの最安値は、130,000円 これをヤフオクで65,000円で落札。
http://kakaku.com/item/K0000218177/spec/
↑ 自分の用途には充分すぎるくらいのスペック。Officeもフルでついているし...
21.5インチの液晶画面で地デジも映るし、ONKYOのスピーカーもなかなかいい音出してるし...
セットアップで夜中になってしまった。。。
2012/02/04 (Sat) 居酒屋『豚匠』
■[青年]息子..再び中国へ 
昨日は、救急車騒動の後仕事をこなして
料理を作って、息子の帰りを待つ。
夜中の1時にかえってきた息子と
2時に就寝...
春節の休暇を終えて、息子は中国の昆明に再び旅立って行った。
3週間の日本滞在中、少しはゆっくり話ができるかと思ったが、日本にいる間は日本のスタッフとの打合せが詰まっており
毎日、終電ぎりぎりまで東京の事務所で打合せと作業を続け、休みもほとんどなく、一度食事に行ったきりだった。
帰国した時に開けようと買っておいたシャンパンは、結局最終日まで開けられることなく...
それで、昨夜は頑張って起きていて、一緒に飲んだ。
息子の研究室の先輩であり、中国の会社との橋渡しをしてくれたYさんは、設計事務所を経営しているが
中国でのビジネス展開にも挑戦していて、某都市の病院建設のコンペに参加することになりそうだ。
そうなると息子は、そこに移り住んでコンペの設計に参加することになる。
仕事のフィールドが益々広がって、良い経験になりそうだ。
何もしてやれない駄目親父は、いつも遠くから息子の成長を祈るばかりである。
現地では日本語の本も入手が難しいだろうと思い、
宮本輝のシルクロード旅行記『ひとたびはポプラに臥す』全6巻を文庫本で持たせる。
玄関を出ていく息子の後ろ姿を見て、逞しくなったなと思う。
夕方...近所の友人ぱぱさんとAさんの3人で、市が尾の居酒屋『豚匠』へ...
ちょっと先輩のお二人に囲まれて、楽しく飲む。
ただ、前日の寝不足で疲れが残っていたのか、早々に酔っぱらってしまい
「今日は、あまり飲みませんね〜」と言われる。
息子はもういないんだな...と思ったら、急にさびしくなった。
りゅう
わんぱくでもいい。逞しく育って欲しい。
という伊藤ハムのコマーシャルを思い出しました。
うちの息子も逞しくなって欲しいっす。
ムイカリエンテ
♪りゅうさん
懐かしいコピーですね〜
うちの息子は、わんぱくではなかったんですが...
いつの間にか、逞しくなってました。
あたしは何もしてません。
りゅうさんの息子さんは、まだまだこれから楽しみですね。
りさゆりれいぱぱ
久しぶりのコメントです〜。土曜はお疲れ様でした〜。
なんかおもいつくままに話していたら終バスの時間でしたね!
リラックスできました。
さて、
息子さんも男一匹がんばっているようですね!
今のうち、色々体験して将来のベースになることと思います。将来楽しみですね。
ムイカリエンテ
♪ぱぱさん
ありがとうございました。
開始時間早いかな〜と思ってましたが、過ぎてみるとあっという間でした。
楽しい時間は、早いものです。
息子も、もう大人なので、あとは自分で切り開いていくでしょう。
2012/02/03 (Fri) 救急車
■[食]名古屋B級グルメ 
昨夜は缶チュウハイを3本ほど...
...朝、いきなり内線電話が鳴って目が覚め
慌てて出ると、一緒に出張に来ている営業のS氏
数年前に同じ症状で救急車で運ばれたので、
S氏は63歳..肥満体形なので持病もあるかと思い、救急車を呼ぶ。
救急隊に問診されるが、普段は持病もなくただ目眩がするだけと応える。
救急隊は明らかに「そんなことくらいで呼ぶな」といった表情...言葉もきつくなる。
行きがかり上、ムイカリエンテも同行することになって、救急車に乗った。
廊下の長いすに座って、待機する。
当直の医師が出てきたが、S氏があまりにも頑固で
診察をするために仰向けになってくださいと言っても断固拒否し、キレはじめる。
「僕に、どうしろっていうんですか?」と若い医師...
点滴を打って寝かせてくれればいいんだと主張するS氏...
ここは病院なのだから診察と治療が目的で、寝るためだけの場所ではないという医師..
S氏の話す声を聴いていると、どうやらさっきより元気になっている。
点滴が始まったので診察室に呼ばれたが、医師も看護師も皆苦笑している。
昼は「矢場とん」の味噌カツを喰おうと決めて、矢場町の本店に行き、鉄板とんかつを単品でいただく。
カウンターの向こうでは、一人がひたすら豚肉に衣をつけているのだが、その数が100枚ではきかない。
一日でこんなに売るのだろうか...すごいな〜
ひさしぶりの味噌かつは、やっぱり美味かった。
その後、大須商店街を少し散策し、「岩瀬パン」へ...目的は「カタパン」
『名古屋の不思議』という本の、「不思議な店」の章で紹介されていた岩瀬パン。
お店はこれ↓
思いっきり昭和な感じのパン屋だが...この前を通って、客が入っているのを見たことがない。
恐る恐る入ってみると、あった...「カタパン」8枚入り500円。
大須にある岩瀬パンの名物は「カタパン」だ
その名のとおり、硬い。硬いって、フランスパンくらいの硬さを想像されたら大間違いである。
パンとパンがぶつかると「カチカチ」と瀬戸物のような音がするのだ。
しかもずっしりと重い。袋に入れて持っていると、タイルを持ち歩いているような錯覚におちいる。
まず歯では噛み切れない。歯が折れるので危険です。手で折ろうとしても確実に折れない。
じゃあどうやって食べるのか。店主が実演してくれた方法は、
・トンカチで叩き割る。
・破片をなめる。
である。パンの話である。いま僕はパンの話をしているのであるのだ。
破片をなめると...、とくに味がしない。いや、しばらくなめていると...、あ、ほんのり甘くなってきたのだ。
パンだ。やっぱり、これはパンだったんだ。と、うれしくなる。
実際にやってみたが、まるで歯が立たない。奥歯でも砕けない。歯には自信があるのだが...駄目だ。
手でも折れない。力任せにやって、やっと半分。それ以上には割れない。
しゃぶっていると、たしかにほんのり甘くなる。その甘さが美味しいのだから不思議。
こんなもの作ろうっていうおやじは、名古屋の風土でしか生まれないんだろうな...面白い。
午後からは知多の液晶メーカーに営業に行って、新規案件の引き合いをもらい...
疲れた一日だった。
...そうそう、S氏は結局点滴が終わった6時過ぎに病院から追い出され、ホテルに一旦戻ってから
横浜の自宅に一人で帰っていった。
2012/02/02 (Thu) 京都へ
■[風景]京都...寄り道 
関ヶ原付近に降った雪の影響で
新幹線には遅れが出始めていた。
午後から石山での商談の予定だったので
ゆっくり出ても間に合ったのだが
新幹線の遅れも気になって早朝に出発。
岐阜羽島の手前から徐行運転が始まった。
陽の光さえさえぎるような猛吹雪...
この様子だと京都にも雪が積もっているかな..
積もっていたら、雪の京都を少し散策できるなと思っていたが、米原を過ぎてしばらく走ると雪はなくなった。
遅れること30分。10:30に京都駅に降り立つ。
アポイントは石山に14:00なので、3時間ちかく余裕がある。
バスに乗って銀閣寺方面に行き、行ったことのない「哲学の道」を散策。
この時期は何もないらしく、人もまばら...
宮本輝の『森のなかの海』...
陶芸家の室谷典也が養子として育てられ、実父である宗也と出会い陶芸の弟子となる
重要な場面が描かれている舞台が、このあたりであることを思い出し、久しぶりに歩きたくなった。
清水寺への細い上り坂を上がってから、三年坂・二年坂と下るコース。
物語の中の静かな街並みしか想像していなかったので、けばけばしい店の看板や呼び込みにがっかりする。
小説を読んで、想像を膨らませるほうがよかったようだ。
石山で、営業のおじさんと落ちあい、客先へ...
ムイカリエンテは、技術ということで営業活動をサポートする立場になっている。
2012/01/31 (Tue) 同窓会
■[友人]剣道部の仲間と... 
高校剣道部の同期生S君が、昨年末、福島勤務から本社に戻ってきた。
それを機に、一年半ぶりの同期会。今回は同期9人中7人が集まった。
前回は失業中だったから、今回は働いていないよりはましだけれど...
皆、それぞれの道で信念を貫いてきちんと働いているのを見ると仕事の話はできず...
一人ひとりに名刺をもらっても、自分の名刺は出せず...40代以降、会うたびに名刺が違うのが恥ずかしくて...
仕事のことはさておき、やはり学生時代の友人と飲むのは、一番楽しい。
高校の頃から、どちらかというと聞き役で、K君が部室の会話を録音していたテープには、
自分の声はほとんど入っていない。M君が一番よく喋り、あとはK君S君...その比率は今も変わらず。
カメラを忘れて写真を撮れなかったので、K君が撮った写真をそのまま載せておく。
撮影は、フィルムカメラマンのI君(日本アカデミー賞協会会員)
何の話をしたかは、ほとんど覚えていないが、飲みすぎたことだけは覚えている。早く酔いたかったから...
2012/01/29 (Sun) 松島2日目
■[風景]夜明け 
6時に起きて、標高106mの展望台への
急な坂道と階段を一気に登っていく。
最低気温-5℃の予報だったので
寒さ対策をしていったが、
途中で汗だくになってしまう。
息を切らしながら山頂にたどり着いたときには、すでに空が白んでいた。
しかし、水平線は厚い雲の帯で覆われていて、水平線からの旭日は望めない。
...が、旭日の昇りゆく速度を何度も見てきたので、間もなく見せるであろう太陽の方向にカメラを向けて待つ。
雲の薄い部分から真っ赤な光が漏れる。
なんという赤...そこだけ焼けて融け落ちそうな熱を含んだ赤...
その一瞬の赤が褪せたと思った刹那、雲の上辺から一条の光が漏れる。
満を持して太陽が姿を現す。海が黄金色に光り、天空が朱に染まる。
ああ、なんと力強く美しい姿。
人が一喜一憂し、思い悩み、右往左往している間にも、休むことなく太陽は昇り続ける。
震災のあった日も、その後も...毎日、毎日..軌道を外すことなく昇り続けている。
雲に覆われようと、雪が降ろうと...雲の上にはかならず太陽がある。
それが、どんなに心強いことか...
北側に視線を移せば、そこは昨日通った野蒜海岸とあの大きな水たまり...
後で調べたことだが...東松島市の震災による死者は1,047名行方不明66名と、際立って多い。
太平洋の波を弓なりの地形で受け入れ、どこまでも平な地形を考えれば、
津波は一気に待ちを打ち壊したはずで..逃げる間もなかったのだろうな。
山を降り、朝食を済ませてからタクシーに分乗して民宿を出発する。
自宅に送る荷物を送る手続きをしながら、若旦那と少しお話しをする。
その優しい眼には、地獄を見て来たものの強さと、一歩前に踏み出したものの凛々しさが漂っている。
一歩踏み出したことで、新たな戦いが始まっているのだ。
今回のことが皆さんの心の復興の一歩であってほしいと祈りながら手を振って別れた。
再び被害の大きかった海岸沿いを走って松島に向かう。
ここに多くの遺体が流れ込んだと、タクシーの運転手さんがぽつりとつぶやいた。
その運河は両岸を少し残して、水面が白く凍りついていた。
この運河で津波は少し緩衝されたようで、運河から内陸側は、家が残っている。
牛たん本舗で美味しい牛たんをいただき(写真上)皆と別れて駅前へ...
2年前長浜時代に一緒に仕事をしていたMさんが、宮城県にいることが最近になってわかり
お互いの近況や当時の仲間の近況など...1時間ほど話す。
兵庫県出身の彼女は、宮城の大学を出て滋賀に就職したわけだが、経営が立ち行かなくなり解雇。
ムイカリエンテの息子と同い年の彼女に「ブログたまに読んでいます」と言われ、
これまでに感じたことのない程の恥ずかしさを感じる。
彼女も大変な状況のなか、前向きに前向きに頑張っているのだ。負けてはいられない。
仙台名物の「ゆべし」をお土産にいただき、駅で別れて新幹線ホームで大学メンバーと合流。
2012/01/28 (Sat) 被災地へ...
■[生命]一歩前へ... 
その山間の道が下りにかかった瞬間
広大な沼と、その向こうに海が見えた。
坂を下り、距離が近づいていくにつれ
それは沼ではなく、津波で消えた街が
地盤沈下してできた
巨大な水たまりであることがわかった。
見渡す限り何もない。
一気に駆け上がった津波は、すべてを飲みこんだ。
命も街も生活も...ここだけで数百人の人が亡くなった。
瓦礫は一か所にうず高く積み上げられ、周囲には何も残っていない。
写真を撮ることも躊躇われ、タクシーの窓から運転手さんに気がつかれないように2枚だけ撮った。
例年は関東近県で行うのだが、今回は仙台出身のI神奈川支部長の呼びかけで被災地に来た。
自分の眼で見て、被災者の方に触れ、震災を肌で感じることが目的だ。
I支部長がネットで見つけた民宿は、半島と島々に囲まれるような場所の海より一段高い場所にあり
建物はかろうじて残ったが、車は流され、客足も遠のいて、今は工事に来る人が素泊まりするだけ...
従業員も解雇せざるを得ず、食事つきの宿泊はできるかどうかわからないとの回答だった。
しかし、I支部長が根気よく宿のご主人と対話を重ねられ、やっとその気になっていただいた。
I支部長と話し合っていくなかで「一歩前に踏み出そう」という気になったという。
どこかで踏ん切りをつけなければいけないと...
スポーツ流体力学が専門で、流体力学から見た泳ぎ方の研究などをされている。
折角の機会なので、面白い講義を地元の子どもたちにも聴いてもらいたい。
そんな思いつきを支部長に提案したところ、賛同していただき、地元のご協力も得て実現した。
民宿のご主人とセンター長さんが全戸にチラシを配布してくださった。
周囲に家など殆どないような場所にもかかわらず、子どもからお年寄りまで、20人弱の人たちが集まっていた。
ここに居られる人たちは、友人や知人や家族など...大事な人を亡くしたり、家をなくしたり...
大きな悲しみの中を一生懸命に生きてこられた人たちだ。
思わず合掌したいような気持ちで、講演中の撮影をしながらファインダーごしに一人ひとりの顔を見る。
講義が終わり記念撮影をしてから、松島の海を見渡せるという大高森山の山頂を目指す。
地元の方々ともう少し話をしたい気持ちもあったが、民宿のご主人が綺麗な景色を楽しんでほしいと
段取りをして時間を気にされているのを見ると、急がないわけにはいかず
急な坂道を一気に上がった。途中、地震で崩れたと思われる大きな岩が転がっている。
山頂の景色は東に太平洋、西に松島が一望にできる素晴らしい景色だった。
雲に遮られて夕焼けは見えず...
山を下って民宿に着くと、壊れていたはずの階段がきれいにセメントで修復されていた。
一つ壊れて男女交代で使っていた風呂場も修繕して皆が温まれるように準備がしてあった。
夕食は、こんな場所でどうやって入手したのだろうというくらい、品数も多く味も美味しい。
物資の乏しい中で自分たちを迎えるために懸命に集めたのであろう料理を見ているだけで胸が詰まった。
感謝の思いできれいに平らげ、他の人が残した料理も残っていては失礼と思い食べる。
そして食べながら、やっぱり来てよかったのだと、改めて思った。
辛い想いを抱きながら、どうすることもできず、半ば諦めかけていたご主人や奥様、そして息子さんご夫婦...
約1年ぶりにこうして宿泊客を迎え、料理を作ることは、やはり大きな喜びだったのではないか...
一歩の距離は、近いようで遠いのだ。
しかし、一歩前に出なければ何も変わらない。一歩踏み出せば何かが変わってくる。
簡単にはいかないかもしれない。まだまだ困難もあるかもしれない。
でも、一歩前に踏み出すしかないのだ。
I支部長のねばりづよい説得は、彼らに勇気を奮い起させ、一歩の勇気を与えたのだ。
それは、すごいことだ。
そして、その姿を見る事で、自分も...多分他の人たちも勇気をもらったのだ。
苦しくなったら、この日のことを、一歩踏み出した人たちの清々しい笑顔を思い出そう。
一歩そしてまた一歩、前に前に歩いていかねば...
たけ姉
ムイ様 松島お疲れ様でした 支部長さん喜んでましたよ!どうも御苦労さまでした・・
今度とった写真見せてくださいね!
ところでせっかく良いカメラかったのでタケ姉の顔写真 今年こそは良いものにしたいので
ぜひ取って下さいませ カメラも たけ姉とれば喜ぶと思うのですが…(笑)
ムイカリエンテ
Iさんの発案と努力で、研修会は大成功だったと思います。
写真は整理したらお送りしますね。
次の行事の時には、たけ姉のお写真も撮らせていただきます。
りっぷる
私も昨年6月に、弊社の仙台支店に出掛けた時に仙台空港近辺を車で案内して貰いました。撮影は躊躇いたしましたが、今でもその時の映像が頭に残っています。着々と痛みが癒えて復興される事を祈るばかりです。
ムイカリエンテ
♪りっぷるさん
昨年6月だと、瓦礫もまだまだ片付いていない頃ですね。
大事なものをいっぺんにいくつも失った辛さは、筆舌に尽くせないものがありますね。
自分だったら、この悲しみに耐えられるだろうかと...自問自答していました。
その上に、容赦のない今年の寒波...思い出しただけで涙が出ます。
あの方々を最も守らなければいけない政治が、何もできずに手をこまねいている状態には
本当に腹が立ちます。
ふつうの生活が、一日も早く戻ってきますように...祈るばかりです。
2012/01/27 (Fri) OLIMPUS
■衝動買い 
思ったよりも大きな現場を担当していて、デザインもなかなか格好いい。
自分は古いカメラを使おうと思って、去年タッキーに買ってもらったカメラをあげた。
ところが、以前使っていたカメラは破損がひどく、使い物にならない。
次はOLIMPUS PENのようなミラーレス一眼レフを欲しかったのだけれど、今はそんな余裕は全くないし...
仕事帰りにヨドバシに寄ってみたら、OLIMPUSのカメラが値下げになっていたので、衝動買いしてしまった。
OLIMPUSは接写が強いので、花の写真などには向いているのだが、この機種は、ズームも20倍!
店員さんに詳しい説明を全部聴いて、これは絶対に買いだと思って..
10,800円で、ポイントが10%つくので、実質10,000円...この機能にしては安い。
一眼レフもあるので、そちらの技術も磨かないといけないのだけど、普段持ち歩きには向かないので
やっぱり小さいのが一つないと...
いい写真を撮れるように頑張らなくちゃ
この日のために、一眼レフ用のストロボも最近買って...いい写真撮れるかな?
少しでも元気になってくれるといいな...
2012/01/25 (Wed) JFK
■[読書]ケネディーの言葉 
日記を書こうと、毎日PCに向かうのだが、このところ、どうも言葉が出てこない。
本は何冊も並行して読んでいるし、感ずるものもあるのだが...文章にできない。
やはり、なんとなく心が..否、生命そのものが澱んで前に進めない...そんな感じだ。
(凍りついた生垣...通勤途中で)
今日、J・F・ケネディーの肉声テープが公開されたというニュースを見て、久しぶりに彼の書籍を開く。
高潔なスピーチは、聴く人の心に響き魂をゆさぶって熱く燃え上がらせた。
私が本書のテーマにしたのは、人間のさまざまな美徳の中で最もすばらしいもの...勇気だ。
その勇気を、アーネスト・ヘミングウェイは「重圧のものでの気高さ」と定義している。
その重圧に勝つための支えとなった気高さの物語として書き進めている。
以前にも、この部分は引用しているが、他の部分も含めて再度掲載したい。
ケネディー自身のことについては、弟ロバート・ケネディーの序文が代弁している。
彼は、重い病を抱え、政治的なハンディも抱えながら大統領となり、民衆のために闘った。
その行動は、勇気によって支えられていた。
ケネディ自身が探し求めていたのは、
戦場であれ、野球のフィールドであれ、演説であれ大義のための戦いであれ、
その場に臨んで、自らが勇気の持ち主であること、信念を変えない人間であること、
そして信頼に足る人物であることを、なんらかのかたちで示した人たちだ。(中略)
兄が病気と闘っているときや戦争で闘っているとき、また、上院議員の選挙戦を闘ったとき、
マサチューセッツ州の強力な業界の圧力に抵抗してセントローレンス水路建設のために闘ったとき、
1959年に改正労働法のために闘ったとき、1960年ウェストバージニア州の予備選挙に出馬したとき、
ロサンゼルスでの民主党大会で事前の準備なしにリンドンージョンソンと討論したとき、
ピッグス湾事件の失敗で非難を一身に受けたとき、製鉄業界と闘ったとき、
あらゆる市民にはみな平等の権利があることを主張しそのために闘ったとき、
兄は人間の持っている最高のものを示してくれていた。
ケネディは信念や勇気、そして助けを求めている人たちの力になろうとする意欲の持ち主であり、
ケネディのさまざまな努力によって、知恵遅れや精神に障害のある人たちによりよいチャンスが生まれ、
若者が教育を受け尊厳と自尊心を持って生きるための可能性がより大きくなり、
病人は医療を受ける機会が得られ、世界が平穏になる可能性が膨らんだのだ。
ケネディ大統領がホワイトハウスで仕事をしたのは、本来の任期である3000日間には届かず、
わずかに1000日だった。多くのことが未完成のままになった。
本書は、それぞれの時代において、なし遂げられなければならないことを自覚し、
そして最後まで実行した人々の物語だ。ケネディ大統領はダンテのこんな言葉を好んで引用していた。
「地獄で最も熱いところは、道徳にとって大変な危機の時代に臨んで優柔不断な姿勢をとる人間のためにあけてある」
兄のジョンーケネディが本書で描いた人たちの生涯からわれわれが学ぶべき教訓があるとすれば、
そして兄の生涯やその死から学ぶべき教訓があるとすれば、それは、われわれの住むこの世界では、
誰一人として傍観者、つまりフィールドの外にたたずむ批評家でいることは許されない、ということだ。
トーマスーカーライルは次のように書いている。
「われわれが望み大切にしている勇気というのは、心安らかに死ぬ勇気ではない。それは決然と生きる勇気なのだ」
(中略)
われわれのアメリカは若い国だ。この地球がわれわれの存在を許さなくなるまで、
われわれは成長し発展を続けるだろう。
そして今われわれは、五十年前の人々が、いや十年前の人々でさえ、夢想だにしなかった問題に直面している。
われわれは持てるエネルギーや才能を総動貝して、難題に立ち向かう必要に迫られている。
われわれの都市、われわれの農場、われわれ自身の内部の難題だけでなく、
世界中の自由を獲得するための戦いや、文盲、飢餓、疾病に対する戦いに勝つ、という難題がある。
上辺だけの姿勢で、自己満足をして無為に過ごしていては、道を誤る。
われわれには、一部の人たちの知恵ではなく、多くの人たちが持っている最高の叡智が必要だ。
われわれ皆で頂点をめざして努力しなければならないのだ。
(中略)
昨今、多くの場で政治を見下す、つまり政府レベルの政治を見下すのが流行のようになっている。
ケネディ大統領はこの流れを変え、世の人々が抱いている政府への考え方を一変させた。
ケネディは明らかに、政治に関わっている人たちのために行動した。
しかし、われわれが政治に対してどのような感覚を持っていようと、
2012/01/22 (Sun) 息子の仕事
■息子の帰郷 
中国の昆明で働いている息子が帰ってきた。
中国の会社は残業などしないのかと思っていたが、設計事務所はさにあらず..
日本に帰ってきて、少しはのんびりできるのかと思えば、日本の事務所との打合せがたまっており
食事どころか顔を合わせることもできず..土日も仕事で...今日やっと食事ができた。
毎日、辛い中華料理ばかり食べていたらしいので、鮨屋に行って腹いっぱい鮨を食べさせながら
やっと話ができた。
今は2,000m2のオフィスのデザインを任されているらしい。
日本では、新卒にそんな仕事を任されることは絶対にありえないわけで...
いい経験になっていると思う。
現在、中国の別の地域への展開も検討されているらしく、日本に帰ってくるのはしばらく先になりそうだ。
2012/01/17 (Tue) 巨大な彫刻
■[風景]昇仙峡 
今日は山梨まで出張。
窓の外は雪景色→
新規案件の技術説明。
甲府でレンタカーを借りて行ったので
車を返す前に、ちょっと寄り道
昇仙峡へ...
冬の平日...しかも夕方。入口の土産物屋はすべて閉まっていて、人影すらない。
川沿いの道をゆっくりと登っていく。
岩、岩...そして岩...山そのものが巨大な岩の彫刻のようだ。
途中で車を降りて、細い道を歩いていくと、その滝は突然視界に入った。
巨大な岩の裂け目から滑り落ちてくる滝は、轟音とともに飛沫をあげ、そのまま凍って風に舞う。
枯れ木に囲まれて色のない風景の中で、滝坪を囲む岩だけが、白くぽっかりと浮かびあがる。
モノトーンの何もない景色の中に、ただ滝の音だけが絶間なく響く。
この水は、いつから流れ続けているのだろう...ふと、そんなことを考えてみる。
何百年..何千年...? そしてこれからも、流れ続けるのだな。
見渡す限り誰もいない空間の中で、この空気を全身で感じながら立ち尽くす。
希望なく愛することは
絶望ではない。
意味するだけだ。
星は途中で消えたりはしない。
与えて
与えて
あたえ尽くすことができる。
星は途中で消えたりしない...
大空を見上げてあるく人の視界の中には、いつも映っているんだ。
2012/01/15 (Sun) 回復
■[文学]微笑みの力 
会社は一日休んだだけで仕事には行ったが、
なんとなく調子が悪く、
日記はずっと休んでしまった。
右の写真は、出勤時の駅前の空..
ゴミ焼却場の水蒸気が
朝日に染まっているのが見える。
宮本輝の新著『真夜中の手紙』...いろいろなことを感じながら読了し、
2010年発刊の『三千枚の金貨』を、再び読み返しはじめた。
何度も何度も読み返して、生命に刻むのだ。
『真夜中に手紙』のなかで、
ダウン症のお子さんを持った作家の中村勝雄さんの本が紹介されている部分を抜粋する。
先日、友人の中村勝雄という作家が新著を送ってくれました。
中村さんは、2001年に小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞されています。
先天性の脳性小児まひで小さいころからずっと車椅子の生活です。
縁あって結婚し、授かった子がダウン症でした。その子は生まれつき肺が弱く、
生まれてから一度の病院を出ることなく生後432日目に亡くなりました。
その子との432日間の記録「もう一度、抱きしめたい」を送ってくれた際、
ぼくへのお手紙には「自らの障害は、あらゆる試行錯誤と努力で笑い飛ばして生きてきましたが、
わが子の障害は何をしてでも悪魔に魂を売り渡してでも取り除いてやりたかったです」
とお書きになっていました。
きょう、その新著を読みました。
...生まれたばかりのわが子の病名が『21トリソミー』(ダウン症候群)と知らされたとき、
その名称がまるでおしゃれなカクテルバーのメニユーのひとつのように思えた。それよりも驚い
たのは、この障害を持って生まれてくる子どもが、人種を問わず千人に一人の割合で誕生してい
る事実だった。...
その書き出しには深い悲しみを乗り越えた人だけの、
どこか大きな明るい心のようなものが底に流れていると、ぼくは感じました。
本の帯の裏には
「ダウン星はな とにかくいい星なんだ
....でもな たったひとつだけ仕事があるんだ
千人にひとりだけ地球に行かなきゃならないんだ
生まれたら地球の人間のためにだまってニコニコ笑ってあげなきゃならないんだ」
という作中の文章が抜粋されています。
ご自身も脳性小児まひ...そしてお子さんがダウン症...
想像しただけでも崩れ落ちてしまいそうな、絶望と向き合いながら
どうして、こんなに明るくそしてやさしく受け止められるのだろう。
...そう...ダウン症の子どもって、みな微笑んでいるんだよな。
微笑みに関する文章をもうひとつ
微笑むだけでいい。
人は微笑みで報われる。
人は微笑みで生かされる。
命を捨ててもいい、と思うほどの微笑みさえあるのだ。
サン=テグジュペリ『星の言葉』
作り物ではない、深い微笑みを持っている人がいるよな。
それは、言葉にならないたくさんのものを持っている人だ。
深い悲しみを乗り越えた人だ。
そんな微笑みを持つ人に...いつかなりたいな。
「自らの障害は、あらゆる試行錯誤と努力で笑い飛ばして生きてきました...」
この一行が、耳の奥のほうでリアルな声として聴こえるような気がする。
強い言葉だ。強い心だ。
強くならなければ...
2012/01/10 (Tue) 春
■[読書][生命]急性胃腸炎、再び... 
腹痛と下痢が治まらず、仕事を休んだ。
近所の胃腸科で診察を受けると、
「急性胃腸炎」と言われる。
1年前にもやったな。
http://d.hatena.ne.jp/mui_caliente/20101122
あの時ほどひどくはないが、症状は似ている。
いくつかの薬を処方され、
食事は一切せずに水だけ飲み続けるようにと言われる。
- 作者: 宮本輝
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/12/21
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春は少しずつやって来るのではありません。ある日、いっせいに春になるのです。
世の中も同じです。すこしずつ変わっていくのではありません。
ある時、怒涛のように変化するのです。
病気が治っていくのも同じです。
薄紙をはぐように、という場合もありますが、治るときが来たら、一気によくなります。
これは真実です。商売も同じです。
だから、いまいろんな事情で悪戦苦闘している方々も、どうか歯を食いしばって進んでください。
いまよりも高い峰に登るために、いったんは谷の底に降りなくてはならないのは自然の道理です。
さぁ、ぼくは新しい小説を書くためにまた悪戦苦闘を開始します。
「流転の海」第7部も書き始めます。
「ある日、いっせいに春になる」か...
希望にみちた一行だな。
昨日亡くなった叔母さんの苦闘を思い出すと、自分の悩みなど、なんと小さいことかと思えてくる。
叔母さんの「春」は、いつだったのだろう?
夫のギャンブルの借金で生活が貧窮し、借金取りに追われ、親戚からも白眼視され、馬鹿にされ...
そんな生活が10年以上も続いて...
今思えば、叔父は少しずつ変わったのではない。
ある日突然変わった..憑き物が落ちたように。
それからも苦労はあっただろうけれど、二人仲良く商売をしている姿は「春」そのものだったな。
そして、その日を信じて頑張った叔母さんの心の中には、ずっと「春」の蕾があったのだ..きっと。
昨日、両親と妹は叔母さんの死に目に逢えるかもしれないと群馬に駆けつけた。
結局、一足違いで間に合わなかったのだが...
叔母さんの死に顔を見て息を飲んだという。
化粧もしていないのに頬に赤みがさして艶があって、生前よりも若返ったような顔で、
ほっとしたように、静かに眠っていたという。
家族も他人も分け隔てなく人の面倒をみて、地獄のような苦しみにも勝った人は
最後も立派な姿で旅立っていくのだな。
群馬には知人も親戚もいないので、明日家族だけの密葬をするとのこと
従妹に電話を入れて、叔母さんへの感謝の思いを話していたら、初めて涙があふれた。
小春
叔母さまのご逝去をお悔み申し上げます。
「ある日、いっせいに春になる」
まさにその通りです。
私自身が、僅か4年前にそのことを実感しています。
叔母さまのように、
常に心の中に「春の蕾」を持ち続けていれば、
今が困難なほど素晴らしい春が訪れると思います。
急性胃腸炎、早く良くなりますように…
まっ白
お悔やみ申し上げます。
別れは辛く悲しい心の冬ですよね。
ある日いっせいに春になる、
叔母さまの心はいつも春のように温かい方だったのでしょうね。
きっと心の中、春のようにぽかぽかな方だったのでしょうね。
胃炎は毎年同じ時期にぶり返す事が多いみたいです、
どうかお大事になさってください。
ムイカリエンテ
♪小春さま
急性胃腸炎は、なんとか峠を越えて(笑)
少しだけ食事ができるようになりました。
「春になる」瞬間を体験されたのですね。
それは、冬を経験しないとわからないことですね。
「蕾」は自分で作らないとあかんのですよね。
がんばります。
ありがとうございます。
ムイカリエンテ
♪まっ白さま
前回の胃腸炎のときも、アドバイスいただきましたね。
今回も心因性の部分は大きいと思いますが...
酒でとどめをさしてしまった感じです。自業自得...
認知症になってから年数も経ち、最近衰弱していたので
亡くなることは、ある程度覚悟していたのですが...
生きているときに、一度会っておきたかったという気持ちもあります。
ただ、思っていたほど悲しいという気持ちはないのです。
後半生は、ずっと幸せだったし、最後も...
だから、きっとまた、どこかで会える気がするのです。
これは不思議な感覚です。
叔母さんの心の中の「春」は、自分だけでなく周囲の人にも「春」をあたえてくれたように思います。
ヤスコハテンシ
昨日は、ありがとうございました。少なからず、以前お会いした時よりも、ずっとずっと明るくなられたように思いました。
春か・・・もうじきですね。
枯れ木にはもう、春の若葉のたまたまが、付いています。
葉っぱが落ちた途端に付いているのですが、
気が付くのは、新芽のつぼみが膨らんだ
年が明けて、そう今頃・・・春はもうすぐ・・
おばさまは、旅立っていかれましたが、きっとこれからもムイカリエンテさんの
そばにいてくれていると思います。
苦しさを超えた人にしかわからない
本当の幸せをかみしめながら・・・
合掌
ムイカリエンテ
♪ヤスコさん
昨日は、ありがとうございました。
本当は伸ばしたいのだけど...ちょっと事情がありまして...
自分のなかの暗さが、一瞬でもやわらいでいたなら、
それは、宮本輝氏の本の一行の力です。
言葉とは、なんと大きな力を持っているのでしょう。
自分もいつか、人を励まし人を奮い立たせ人を慰められるような文章が書けるようになりたいと願っています。
春が近いかどうか...誰の目にも見えません。
でも、信じることが大事なのだろうとは思います。
おばさんは、私のずっと心の中では生き続けていくと思います...ずっと
2012/01/09 (Mon) 訃報
■叔母の他界 
父の妹にあたる叔母さんが、今日亡くなった。
親戚の中では一番可愛がってくれた叔母だった。
とても美人で、いつも元気な人だった。
世話好きで、いつも家に近所のいろんな人が出入りしてにぎやかだった。
大事な事をたくさん教えてくれた叔母。
若い頃、ギャンブル好きの叔父に散々泣かされた。
でも、負けずに三人の娘を抱きしめながら闘った。
ある時から、叔父は人が変わったように叔母を大事にするようになった。
ムイカリエンテが中学生の頃だから、その変化をよく覚えている。
二人で海苔屋を営んでいた。
叔父は2006年、ある日突然寝ている間に亡くなった。
その後も認知症は進み、長女が引き取って世話をするようになった。
親戚の顔も誰もわからなくなってしまった。
波乱万丈の人生だったけれど、
ほっと一息ついて、やさしい顔で眠っている顔が浮かぶ。
また、どこかで会えるような気がする。
叔母さん、本当にありがとうございました。
2012/01/08 (Sun) 松島へ...
■[読書]『真夜中の手紙』 
毎年この時期に1泊で行われる。
今年は、仙台出身の現支部長の
被災地を応援したいという思いで
松島に行くことになった。
さて、そこで何ができるのかな?
研修会には大学の先生も同行し、専門の分野についてわかりやすい講演をしてもらっている。
そこに地元の子どもたちに来てもらおう。
K大学のキャンパスで毎年行われる「理科教室」での、子どもたちの輝く瞳を思い出したのだ。
http://d.hatena.ne.jp/mui_caliente/20100829
子どもたちが希望を持って、元気な姿でいれば、大人だって励まされるはず..
ということで、支部長のIさんに提案し、今回同行するI教授にお願いをして実現することになった。
I教授は、流体力学をスポーツの分野に応用する学会で世界一の賞を受賞した第一人者。
話もわかりやすくて、『世界一受けたい授業』や『世界の果てまで行ってQ!』など、
テレビにも多く出演されている。
そして、地元で配布してもらうチラシ作りを依頼されたので
ネットでチラシをいろいろ検索してレイアウトを考え、文章を考えて...
地元の方々にご負担をかけないよう、そして少しでも元気になっていただくよう祈りながら
チラシの案は深夜にできあがった。
その前に...
早めに駅に着いてしまったので、書店で時間つぶし。
立ち読みをしていて、背中に気配を感じて振り向くと、宮本輝の新刊が平積みされていた。
『真夜中の手紙』...小説ではなく、エッセー集のようなもの。
- 作者: 宮本輝
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2011/12/21
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仕事が終わった夜中に、これからどんな音楽を聴くとか、今日はこんな本を読んだとか...
書きだしは、2011年3月12日。阪神大震災を経験し、間一髪で助かった氏の思いだろうか。
最近、ネットで本を買うことが多く、書店に行く頻度が減ったので、いつ出版されたのか気になり
裏表紙をめくってみると...
ムイカリエンテ 50歳の誕生日のその日だった。
単なる偶然にすぎないのに...涙がにじんだ。
若い頃からずっと愛読してきた宮本氏から、直接お手紙をいただいたような気持ちになったからだ...
宮本氏が自信をなくしかけた時に、書斎の漢和辞典の間からぽろりと落ちたムイカリエンテの手紙
2年前に出した手紙を「不思議なものと感じています」と...お手紙をくださったのだ。
あれから3年半...完全に行き詰まった状態で迎えてしまった50歳という年齢...
その日に、こんな形でお手紙をいただくとは...
「50歳を過ぎた情熱しか、私は信じない」という宮本氏の言葉が甦る。
これからなんだ..
これから何に情熱を燃やし続けたかで決まるのだ。
闘わなければ...自分と...
後援会の打合せは順調に進み、その後懇親会。
お腹の具合がわるかったのだが、温めれば治るだろうと、焼酎のお湯割りを立て続けに流しこむ。
懇親会の間に体調はどんどん悪くなり、寒気が始まる。
二次会は、生姜の専門店で生姜のケーキとコーヒーにも生姜を入れて飲んだが
寒気はおさまらず、Iさんがくれたホカロンを背中とお腹に貼って帰宅。
体温37.3℃...微熱だが、寒気と腹痛で寝付けず。




















































じゃんじゃん
新しいのはうれしいんですが、引っ越しが大変です。
まだまだ終わらない、。。。